刑と燎③
新宿駅というのは何度訪れてもよくわからないなと案内掲示板の前でハクは立ち尽くしていた。
冗談交じりに巨大迷路などと比喩されるが、グリムという存在を知っているハクからすると、本当に何らかのグリムが悪さしているのではと思うほどに道がよくわからない。
魔女が空間を捻じ曲げているような気さえしてくるほどだ。
「東口に出るには……えっと東改札だよね。いや中央東改札? それとも東南口改札?」
なぜ三つもあるのか不思議だ。
おそらく東口にはどれも通じているのだろうが、果たしてどこから出ると目的地に一番近いかがわからない。
案内掲示板など目もくれずに早足で歩く周囲の人々はこれを全て把握しているのだろうか。
改札までたどり着くのも難しいというのに、改札を出たらすぐ駅の外というわけでもないのがまた難しい。
「まぁスマホがあるから大丈夫だけど。便利な世の中だなぁ」
ひとまずスマートフォンに目的地を入力し、あとは示されたルートを歩いていけば迷路でもある程度なんとかなる。
そうしてハクは巨大迷路を脱出し、向かったのは新宿歌舞伎町だ。
早朝なのでネオンの光はないが、歌舞伎町一番街と記載された有名なアーチはやはり目立つ。
「なんでこんな場所にしたのかな」
つくづく不思議だ。
店主の片方がドワーフだというので酒につられてこの場所にしたのだろうか。
それとももう片方の店主がエルフなのでホストでもしているのだろうか。
右も左も飲み屋や女性の写真が入った看板ばかりで視線が落ち着かず、あちらこちらへ彷徨ってしまう。
五反田でも駅向こうの繁華街に足を運ばないハクとしては、あまりこういった場所に縁がないため妙に緊張するものだった。
居心地が悪いというよりも、こんなところを歩いていて変に思われないだろうかと思ってしまう。
バーで働くようになってから酒にも興味を持つようになったが、こういう場所を一人で歩くのは少し勇気がいるなぁなどと考えつつハクはふらりと裏路地に入った。
「うえ」
路地を入った矢先で誰かが盛大に胃の中身をぶちまけたらしく、ハクは顔を顰めてそれを通り過ぎ、ようやく目当ての場所へとたどり着いた。
人間だったころであれば気づくことはできなかったのだろうが、吸血鬼となった今ではオドの流れを感じることができる。
そのため何の変哲もない路地裏の壁が淡く輝いているのがよく見えた。
さらに言えばその壁が扉のようになっていて、取っ手に触れれば何の抵抗もなく扉を開くことができる。
「先輩の言ってたことって何だったんだろ」
前にフィズからもし扉に妙なことが書いてあったらすぐ報告するように、と言われたのだがここへ来るようになってからそんなものは見たことがない。
まぁ何もないなら気にしないでいいかとハクはその扉の中へと入った。
中には暖かな光に無数の武具、そして耳と髭の工房と書かれた看板。
店内に入るとハクは少しばかり身構える。
というのも店の奥からどたどたと駆け寄る音が響いてくるからだ。
「「フィズ様!」」
「よく来てくださいまし――ってなんじゃいあんたか」
「ハク様……ですか。はぁ……」
息を切らしてきたのが全くの無駄だったと言わんばかりに、あからさまにがっかりした顔でエルフとドワーフの二人が現れた。
正直ハクとしてはここまでの道のりもそうだがこの店に入るのが好きではない。
なぜなら今のような反応を必ずされるからだ。
「すみませんね自分で。フィズ先輩は来てないっすよ」
「いつもの武具のメンテナンスですか?」
「そっす」
背負っていたバックパックを手渡すと、耳と呼ばれるエルフは落ち込みを隠しきれない営業スマイルで、髭と呼ばれるドワーフはドワーフらしからぬ覇気のない声で「分かったわい」とそれぞれ反応してくれた。
こうまで対応が悪いと非常に居心地が悪い。
累から事前に聞いた話では奥の個室に案内されてお茶にお菓子を振舞ってくれる丁寧ないい人たちだと聞いていたのだが、実際に会ってみればこの態度である。
奥の個室に案内されたこともなければお茶もお菓子も出たことはない。
出てくるのはため息とお前じゃないと言いたげな顔だけだ。
「どのくらいでできるっすか?」
「いつものなら三十分もかからんわい」
「そうですね。さっさと終わらせます」
早く帰れといいたいのだろうか。
ハクはため息を吐きたいのはこっちのほうだけどなと内心思いつつも我慢し、自分ならともかく何も知らないほかの客が来たらいったいどうしているんだろうかと気になってしまう。
「あれじゃお客さんこなくなるんじゃないかな」
荷物をもってさっさと奥に引っ込んでしまった二人を見送ったものの、あと三十分をどう過ごすべきだろうか。
ハクはここへ来るたびにそう悩むのだが、結局のところいつもこの店でぷらぷらと商品を見渡して過ごしている。
今回も三十分程度ならわざわざどこかに行くこともないか、と店内を見て回り始めた。
「そういえば店長と先輩と初めて会った時に着てたドレスはここのだっけ」
マネキンが身に着けているのはハクの髪色と同じ深い蒼色のドレスだ。
頭部にはヴェールがセットで用意されており、薄布の向こうには凹凸のないつるりとしたマネキンの顔が覗いている。
「私も着てみたくないわけじゃないんだよね」
ちなみに今日身に着けているのはお気に入りのジャージではなくルシアンが選んだ服である。
沖縄に着ていったものとは別で、少し肌寒くなってきたのでそれに合わせて新しく選んでくれたのだ。
ハクは別にジャージでいいと繰り返し言ったのだが、ルシアンどころか累やフィズも銭湯に行く程度ならともかく遠出するときはこっちが選んだ服を着ろと言われてしまったので、仕方なしに今回もジャージは諦めたわけだ。
しかしそれでも狩りはジャージという最後の一線は今のところ譲っていない。
こんな風に普段着はジャージが一番というのを譲るつもりはないものの、やはり女性としてこういうドレスを一度は着てみたい。
累とフィズが着ているのを見た時は綺麗だと思うと同時に自分も着てみたいなとハクは思ったものだから。
「けどあの二人はよくこんな服で戦えたよなぁ。私なら無理だよ。ジャージじゃないとバランス崩れちゃうし」
目の前のドレスを見てハクはしみじみ思う。
こういうひらひらした服を身にまといながらグリムと戦うのは現実的ではない。
邪魔くさいし体のバランスは崩れるし相手に掴まれたりどこかに引っかかったりする可能性だってある。
やはり動きやすいジャージが一番なのだと。
しかしあの二人が戦っていた姿を思い出すと、自分がドレスを着て華麗にグリムを狩る姿も妄想してしまう。
隣にはルシアンがいい。
ルシアンはドレスよりもスーツのほうが似合うだろうから、あえて女性よりのスーツを着るよりも完全なメンズスーツを着るのがいいだろう。
ふとハクが妄想するのはこの蒼色のドレスを身にまとった自分が純白のスーツを着こなしたルシアンにエスコートされる姿だ。
長身のルシアンの手を取り、時にはお姫様のように抱えられ、そして――
「はっ。いやいやいや。ルシアンは友達だけどそういうんじゃないし」
ぶるぶると頭を振って現実に無理やり思考を引っ張り戻し、時計を見ればまだ十分程度。
ここにいると目の毒だから別のものを見ようと反転したところで店の扉が開く音が聞こえた。
店を訪れたときはいつも客がほかにいなかったので、入ってきた客はどんなだろうと気になったハクは店の中央に進んで視線を扉へと移す。
そして息を呑んだ。
そこに立っていたのは黒のドレスと深紅のバラのヘッドドレスを身に着けた一人の女だ。
瞳を閉じ、少し明るめのブルネット色の髪は店内の淡い光を反射し輝いている。
それはあの日あの場所で、自分を吸血鬼にした男の隣に立っていた女だった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




