刑と燎①
そこは暗く明かりの乏しい部屋だった。
舞踏会でも催せそうなほどに広いというのに置いてある家具は寝具が一つきり。
ほかに目立ったものといえば地面に敷き詰められた絨毯だけだ。
そんな寂しい部屋に唯一置かれた寝具ががたりと揺れる。
眠っている誰かが苦しみもがくように寝返りを打ったからだ。
しかもそれは次第に激しさを増し、ついには叫び声を上げながらその誰かは寝具から転げ落ちる。
両手足を放り投げたような形でうつぶせになり、薄く開いた瞼が呆然と絨毯を見つめていた。
「カカオラ……」
病人かと思えるほどにか細い声だった。
だが実際に病んでいないと誰が言えるのだろう。
この広い部屋には何もなく、主であるはずの彼女は力なく誰かの名前を繰り返し呼ぶだけで起き上がりもしない。
だがそんな彼女に対してふと応える声があった。
「呼んだかい?」
床に倒れ伏していた顔が激しく起き上がる。
そしてその瞳がぎょろりと動き、声の主を見つけると信じられないものを見たように驚きと笑みを同時に浮かべた。
「カカオラ……か? なんだよいたのか。俺はてっきり……」
「てっきり?」
カカオラの言葉に彼女は首を振って答えた。
そんなことはどうでもいいとばかりに。
「もっとよく顔を見せてくれよ。なんだかすごい久しぶりに会った気がする」
「なんだいそんなに私のことが恋しかったのかい? ほら好きなだけこの美しい顔を拝みな」
乏しい明りに照らされたのはカカオラと呼ばれた栗色の長髪をたなびかせた女性だ。
瞳が虹色に輝き彼女へ微笑みかけている。
そんなカカオラの顔を固定するように頬に触れると、手が触れたことに驚いたのかカカオラの表情がほんの一瞬崩れた。
そして彼女はそれを見逃さない。
「俺が怖いのか?」
「何を言ってんだよ。なんで怖がるのさ」
取り繕うようにカカオラが笑うが、それを真正面から見つめる彼女の瞳はとてつもなく冷たい。
この部屋の光を全て飲み込んだかのような漆黒の瞳には、先ほどカカオラを見つけた際の輝きなど微塵もなかった。
「偽物だな。お前」
「ど、どういうことかわからないけど――」
底冷えするような声にカカオラが離れようとするが万力のような力で頬を押さえつけられ彼女は動けない。
そして力が徐々に増していく。
自信の脳内で何かがきしむ音にカカオラは今度こそ本当に怯えた表情を見せた。
「本物のカカオラはもっと髪が綺麗だ瞳も輝いてた自信に溢れていた! 俺を包み込むような笑顔も胸を締め付けるような声もお前にはない!」
「ひっ」
カカオラがもがく。
押さえつける手をはがそうとひっかき掴み殴りそれでも離せず悲鳴を上げる。
自分の頭蓋に走る痛みも恐ろしいが何よりも眼前の女の瞳が恐ろしかった。
ギラギラと暗い光を宿す瞳は狂気に満ちているくせに、まるで自分が被害者かのように涙を浮かべているのだ。
無理やりにこんな場所へと連れてこられた挙句に誰とも知らぬ役を押し付けられたカカオラにはたまらなくそれが恐ろしい。
助けてと、理不尽だと叫ぶがその声に耳を貸す誰かなどいなかった。
「それにどうして……」
「やめ――」
「どうして俺を叱ってくれないんだ!」
ばぎゃっという甲高い音と、ぐちゃりという鈍い音が同時に響いた。
静かになった室内で、一人になった彼女はカカオラだったものを床に放り投げる。
そうしてそのカカオラだったものは、これまでと同じようにこの部屋の床を埋め尽くすカカオラたちの一部となって転がった。
今回のように頭蓋を潰されたもの。
首をはねられたもの。
臓物を掻き出されたもの。
上半身と下半身が別れたもの。
絨毯のように床一面に転がるのは皆同じ顔をした死体ばかりだ。
「うぁ、あぁああああああ!」
そして彼女の悲哀に満ちた叫びが部屋に響いた。
叫びは嗚咽に、嗚咽は泣き声に、泣き声は再び叫びに、そうして繰り返しながら両手についたカカオラの残骸を握りしめる。
それからどれだけの時間が経っただろうか。
時計すらないこの部屋では時間の経過もわからないが、彼女が落ち着くのを見計らったようにどこからともなく声がかかる。
「やはり今回もダメでしたか」
「……サテンか」
視線の先には床に転がるカカオラたちと同じ顔の女性が立っていた。
しかしながらサテンと呼ばれた彼女はほかのカカオラがロングヘアーなのに対して髪を短く切っているし、眼鏡をかけ、髪色も茶ではなく黒一色だ。
「私の同胞を床に敷き詰め始めてから今ので記念すべき千体目ですよ。このまま続けたらこの世からドッペルゲンガーがいなくなるかもしれません。やめてくださいよ。私は最後の一人になんてなりたくないんですから」
「律儀に数えてたのか? 文句があるならもっとまともなやつを連れてこい」
「まともなって言われましてもねぇ」
はぁっとサテンはため息をついて床に転がる今日のカカオラを見つめた。
頭が潰されて無残な姿になっているが、このドッペルゲンガーには少し期待していたのだ。
もともとここに連れてくる前はハリウッドの女優に化けていたため、演技の得意なドッペルゲンガーとして今度こそカカオラを演じられるのではと思ったのだが結果は見ての通り。
期待外れもいいところである。
とはいえ同じドッペルゲンガーとして同情すべき点もあった。
「何度か話しましたけど、いくらドッペルゲンガーだって言っても読み取れるのは対象の表層面だけなんですからね。本人の癖とかはわかりませんし、ましてやもう死んだ相手ならなおさら難易度高いんですから。外見だけでも完璧に真似られるってすごいんですよ?」
「完璧? どこがだ。髪色も肌つやも目の輝きも全然違ったぞ」
「それは思い出補正ってやつです。バキシェ様の記憶から生み出してるんですから外見は完璧なんですって」
「どうだかな」
ふんと鼻を鳴らすと手についた残骸をはたいて落とし、バキシェは立ち上がってベットに腰かけた。
「そもそも魔女の前でドッペルゲンガーに最高の演技をしろってそりゃ無茶な話ですって。怯えてぼろが出るのも当然じゃないですか」
「お前は俺の前でも自然体じゃないか」
「そりゃ他とは違って私はバキシェ様に生み出された魔女のパートナーですからね。でも最初に試した通り私でも完コピは無理だったでしょう? せっかく頑張ったってのに違和感があるとかで一回殺されかけてますからね、私」
「もっとやる気出せばいけるかもしれないだろ」
「やる気なんて出ませんよ。そもそも性格的に私は誰かの真似をするとか嫌なので。私個人のオリジナリティが欲しいのに……なんでドッペルゲンガーなんかに生まれたんだか。というか仮に私が完コピしたとして、バキシェ様はそれで満足するんですか?」
「無理だな」
ほらやっぱりとサテンがまたため息を吐き出す。
バキシェはそんなサテンが好きではないが嫌いでもない。
ほかのカカオラもどきと違ってこのサテンは自分が生み出したせいか、カカオラと同じ顔でありながら全く違う性格でも不思議と嫌な感じはしないからだ。
最初こそ首をひねって殺しかけたが、その後治癒して今もこうしてそばに置いているのもそれが理由である。
「もうカカオラ様のことは忘れたほうがいいんじゃないでしょうかね?」
「無理だな」
「ほらぁ~それじゃあまたドッペルゲンガー絶滅計画が先に進むだけじゃないですかぁ~」
なんと言われようとカカオラのことを忘れることなどできはしない。
今でさえカカオラのことを想うだけで胸が痛みたまらず泣き叫んでしまうのだから。
たとえ偽物だとわかっていてもカカオラの姿を真似たドッペルゲンガーがそばにいてくれる瞬間だけは心が僅かに安らぐ。
ほんの少しの間だけだが、それでも癒されるのだ。
「黙って次を探してこい。で、狩人どもは?」
「……また喧嘩売りに行くんですか? まずいですよこれ以上は。ほかの魔女からも警告があったばかりですし」
サテンの不服そうな顔には、僅かばかりの不安が見えた。
狩人だけならばともかく魔女と敵対するのはさすがに恐ろしいと感じているのだろう。
だがそれはバキシェの行動を止める理由にはならない。
「知るか。俺は俺のやりたいようにやる」
「狩人を殺したからってカカオラ様は戻ってこないですよ」
「わかってる」
「叱ってもくれませんよ」
「わかってるって言ってんだろ!」
魔女の本気の怒号に普通のグリムならば卒倒するところだが、サテンはもう慣れたとばかりに平然と受け止めると何度目かのため息をついた。
誰かの人生を生きることしかできないドッペルゲンガーらしい、実に演技じみたため息を。
「わかりましたよ。サテンはバキシェ様のパートナーですからね。地獄までお供しますとも」
「好きにしろ。で、狩人は?」
「どうやらダンジョン攻略は諦めたようです。おそらく魔剣の使い手を探すことに集中することにしたんでしょう」
「魔剣……」
声を荒げたことで僅かに収まっていたどろどろとした感情が、そのたった一言で再び煮えたぎるように体内を埋め尽くしていく。
カカオラを失ったあの日に見た狩人の姿、そしてその手に持った剣。
今もなおバキシェの脳裏から消えることはない。
「で、これは協会に潜入して情報を得たんですが、どうやらあいつらマスカレードナイトを襲撃するつもりらしいです」
「マスカレードナイト? 確か吸血鬼の乱痴気騒ぎだったな」
「乱痴気……まぁ、そう言ってもいいかもしれませんけど」
「時期的には確かに近いはずだが、あれは吸血鬼しか入れないはずだろ。俺みたいな魔女ならともかく狩人どもが無理やり入れるとは思えないが」
「なんでも聖女特製の魔術具のおかげで結界を突破することが可能になったらしいですよ。オドが使える人間って言ってもそう大したもんでもないと思ってましたが、今回の聖女は意外と有能みたいですね」
「へぇ」
人間は通常オドを持たない。
だがたまにオドを持ち、それを扱える人間が生まれることがある。
そんな存在を聖女もしくは聖人と呼んで協会は保護しているわけだが、そんなに有能な聖女ならば始末してしまうのもいいかもしれない。
そうすれば狩人どもはどれほど苦しむだろうか。
「嫌な顔になってますよ」
狩人が苦しむ姿にバキシェが頬を緩ませていると、少し離れた場所に立ったサテンがそう指摘してきた。
とはいえ愉快な妄想は胸の痛みを抑えるためのいい薬だ。
ほかにすることもないしいっそ今から襲撃してもいいかもしれない。
そんな風に思っていたバキシェの機先を制するように、サテンが胡乱な目つきで口を開いた。
「ちなみにその聖女様とやらはもうヨーロッパにはいませんよ。アメリカに行ったそうです。おやおや残念ですね。あちらはジンリー様の縄張りですから」
「チッ……」
さすがにそこまで遠征するというわけにもいかない。
それにジンリーは縄張り意識が強いので行けば聖女や狩人ではなくジンリーとの戦いになってしまう。
それは狩人どもを苦しめるという目的に反するので、さすがにバキシェも諦めるしかなかった。
「じゃあマスカレードナイトを潰すか」
「えぇ~吸血鬼に手を出すんですかぁ?」
「あいつら最近うるさいからな。狩人どもがせっせと駆除してるみたいだが、妙に数も増えて鬱陶しい。マスカレードナイトには狩人もいるんだろう? だったら同時に潰せて一石二鳥だ」
「そうは言いますけどね。面倒なことになる気がするなぁ」
「いいから行くぞ」
「今からですか?」
「今からだ」
絨毯と化したカカオラたちを踏みつけにし、バキシェは部屋の扉を押し開く。
そこに広がるのは焼き尽くされて炭化した荒野と無造作に転がる無数のカカオラたちの遺体だ。
一人歩みを止めることなく先へと進んでいくバキシェの背中を見ながら、サテンは何度目かの溜息を吐くと小走りでその背を追いかける。
「繰り返しますけど、こんなことしてもカカオラ様は戻ってきませんよ」
「わかってるっていってんだろ。何度もうるせぇな」
理解はできても感情の抑えが聞かないというところか。
あるいは特に欲望に忠実な魔女なら自分の感情を抑えることなど土台無理な話なのかもしれない。
それとも――
「期待してるんですか? もしかしたらカカオラ様が現れて叱ってくれるかもって」
バキシェは何も言わなかった。
だが普段は何かしら言い返すバキシェが黙っていることこそが、ありもしない希望に縋っていることだとサテンには感じられた。
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