人魚⑰
「だーかーら! 私は人魚じゃないんだって!」
「信じられるか! まんま人魚じゃねぇか!」
「それ以上近づいたら撃つぞ!」
「近づくなぁ!」
「あーもう……!」
累が普段では出さないような声量を出しているのは船を吹き飛ばされててんやわんやしていた沖縄の狩人たちを逃がそうと思ったからだ。
なぜならフィズのオドでクラーケンを倒そうと思ったものの、このまま攻撃したら確実に狩人まで巻き込んでしまう。
そのため彼らには遠くに逃げてもらおうと思い、こうしてただ海に浮かんでいるだけの残骸となった船にしがみついている狩人たちに近づいたのだが、まるで狩人だと信じてもらえない。
「人魚の姿はしてるけど! 協会と手を組んでる狩人なんだって! ほら斧持ってるでしょ!」
「斧ならミノタウロスだって持ってる!」
「そうだそうだ! そうやって海に引きずり込む魂胆やろー!」
「それなら最初からそうしてるって!」
こんな大嵐の大荒れの海でなんでこんな言い合いをしなければならないのか。
幸いクラーケンはなぜか攻撃してこないで様子を見ているだけなのだが、クラーケンがその気になって攻撃してきたらいよいよ彼らを見捨てるしかないかもしれない。
「カザリから聞いてないの!? ここに派遣されたグリムだって!」
「聞いてるが人魚だなんて言ってなかったぞ!」
「これはそういう能力なの!」
「その綺麗な顔で魅了して海に引きずり込むんだろ! 船だって沈めやがって!」
「船は私のせいじゃない!」
やんややんやと騒ぐだけで話が通じない。
わざわざ海に出てきて人の邪魔をして何がしたいのだろうかと怒りが湧いてくるものの、確かにこの姿じゃ信じてもらえないなという気持ちもあり、その行き場のない気持ちと現状の停滞が累をさらに苛立たせる。
「ああもう。なんでこんなに頭が固くて話が通じない人ばっかりなんだろ」
確かにグリム相手なのだから警戒するのは当たり前かもしれない。
カザリの話ではグリムに対する敵意も増えているというが、こんなタイミングでそれを味わうとは思わなかった。
とはいえもう少し話を聞いてくれてもいいと累は思うのだ。
「ん?」
もう諦めようかなと累が船から少し離れると、荒れた海の向こうで小さな光が見えた。
それは次第に大きさを増していき、周囲の狩人たちもそれに気づき歓声を上げている。
なぜならその光源は船であり、その船の上に乗っているのはこれまた狩人だからだ。
「増えたよ……」
うんざりするがこれで彼らを拾って帰ってもらえるなら万々歳だ。
問題はおとなしく帰ってくれるかということなのだが、これでまた人魚がいるとか言われて矢でも撃ち込まれたらさすがの累でも我慢しきれないかもしれない——が、そこで予想外の声が聞こえた。
「累さぁぁぁぁん!」
「は?」
船の先端で大声を上げて手を振っている男がいる。
見間違いでなければバーの問題客の一人なのだが、そんな彼がここにいる理由がわからない。
そもそも彼に名前で呼ばれるほど仲は深くない認識なのだが、お構いなしというかそれが当たり前といった風に彼は累の名前を連呼する。
フィズがいたらどうなっていたか。
「ってかそんな大声出せるんだ」
いつもぶつぶつ言っているのでバーで接客中の時などは声が聞こえず無視することも多々あったのだが、大嵐の中でも聞こえるほどに声が大きい。
そしてよく見ればそんな彼の隣には顔立ちが少し似た女性が腕を組んで立っている。
船が縦に横にと大きく揺れているのに微動だにしないあたり、相当鍛えているに違いない。
そんな女性が後ろから累の名前を連呼する男を蹴り飛ばして海に落とすと、にこやかな顔で累へと声をかけてきた。
「あんたが累だね! ようやく会えた!」
「え? 誰?」
「ブリスって呼んで! そこで浮かんでる馬鹿の姉だよ!」
ブリスはにかっと歯を見せて笑う。
弟の不気味な笑みとは対照的だ。
「バナに姉がいるなんて知らなかった」
「な、名前を呼んでくれた。よかった。バーに行ってもあんまり話をする機会がなかったから名前を覚えてくれてるかなって不安でさ。あ、それより会えてよかった。こんな広い海でこうして出会えるなんて、ほんと僕らは幸運だね。とにかく無事で安心したよ」
バナはというと海に落とされたのも気にしていないのか、荒波に揉まれながらも累の近くへとやってきた。
なにやら言っているのだが、さっきと打って変わっていつものように声が小さくぶつぶつ言っているので聞こえない。
ひとまず累は「あ、うん」とだけ言っておき、話が通じそうなブリスへと視線を向けた。
「そこの狩人たちを拾ってくれる?」
「いいけど。あんたは大丈夫?」
「私は問題ないよ。ほら、今は人魚だから」
「ぶはッ」
人魚の尾をブリスに見せようと海面から出すと、なぜかバナが鼻血を出して波に流されて行ってしまった。
なんなんだろうと思ったが奇行は今に始まったことではないので累は無視して話を続ける。
「かなり特殊な屍人形だって聞いてたけど、それも能力ってわけ?」
「そうだね」
「なるほど。そんな力があれば魔女と一緒に危険視されるわけだ」
うんうんとブリスは頷き、ふと動きを止めるとじっと累を見つめる。
こうして黙って見つめ続けるのは姉弟揃ってそっくりだなと思いながら累が視線に我慢していると、ブリスが舌なめずりをするようにして口を大きく開いた。
「ちょっとさぁ、私とやりあってみない?」
「は?」
「屍人形と殺しあったことがなくてさぁ! どんな感じか知りたいんだよ!」
「ちょ、ちょっと姉さん! 累さんを助けに来たのに何言ってんだよ!」
「何言ってんだはそっちだろ? カザリに頼まれたのは支部の狩人の救出で累は入ってないって」
「だからってこんな場所でそんな発言するなんておかしいよ! そもそも支部の狩人もまだ助けてないし!」
「まだ生きてるし問題ないって。ね、累。ちょっとだけ。ちょっとだけ私と殺し合いしようよ。屍人形につけられた傷がどんなものか気になるんだよ~」
なんだこの姉弟は。
まともかと思った姉のほうもやはり異常だ。
バナが船に飛びついて無理やりブリスを抑え込んでいるが、そうでもしなかったらブリスは海に飛び込んで手に持った斧を累に振り下ろしていそうな雰囲気である。
気味の悪いグリムは捨てるほど見てきたが、こうして人間の中でも異端な部類の存在を見るとさすがの累も鳥肌が立った。
すすすっと船から離れ、二度三度と深呼吸をし、改めて累は今すべきことを思い出そうとした。
「ええっと、そう。クラーケンだ。今この真下にクラーケンがいるから早くそこの狩人を助けて逃げてほしいんだけど」
「クラーケン!?」
「クラーケン!!」
バナとブリスの声が被ったが、その反応は対極だった。
もう辛抱溜まらんといった様子のブリスはバナを振りほどいて海へと飛び込むと、すぐさま海の中へと潜っていく。
しばらくして顔を出すと満面の笑みで叫んだ。
「すっげ! 私ちょっと挑んできていい!?」
「無理だよ! 呼吸もできないしろくな装備もないのに!」
「でもこんなチャンス二度とないって! 始めて見た!」
「もうお願いだから船に乗ってよ! クラーケンがいるならなおさら早くここから逃げないといけないんだからさ!」
バナがまともに見えるなんて不思議なこともあるものだ。
見れば助けが来たと喜んでいた沖縄の狩人たちも呆然としてどうしたらいいのか途方に暮れている。
それはそうだよね、と同じ気持ちの狩人たちに親近感を抱きつつ、累は無理やりに彼らを拾うとバナが乗っている船へと放り投げた。
「わ、おっと。さすが累さ、累だね。えっと呼び捨てにしちゃったけどいいかな? 姉さんもそう呼んでるしいいよね? まぁ思い返してみればあのミュージアムでは呼び捨てにしてた気がするし、こっちのほうがいいかなと思って。別にいやならすぐに戻すけど、僕としてはこのままがいいかな。ほら君も僕のこと呼び捨てだし、仲が一層深まるといいなって……」
海人を全員放り投げたあたりで累はバナが何やらぶつぶつ言っていることに気が付いたが相変わらず聞こえない。
あのミュージアムみたいに静かな場所だったらともかく波や風の音がうるさいこの場所では全く聞こえないのだ。
そんなことより頭のおかしい姉のほうをどうにかしてほしいのだが、バナもまた頭がおかしいので累としては非常に困る。
「え!?」
振り下ろされた斧を累がすんでのところで回避する。
見れば獣のように眼をぎらつかせたブリスが斧を片手に迫っていた。
「クラーケンがだめなら累だけでもさぁ! ちょっとだけだからぁ!」
「何やってんだよ姉さん! 馬鹿じゃないのか!?」
「カザリが悪い! こんなご馳走がいることを黙ってたんだから! バナも知ってたなら教えなよ!」
「教えてたらこうなるだろ! シャレにならないって!」
本当にフィズがそばにいなくてよかったなと累は思う。
というか協会と仲良くしたくて魔剣まで持ち帰ったのに、その協会の狩人にこうして斬りかかられるのは普通に大問題ではないだろうか。
帰ったらカザリに苦情を言おうと心に決め、ようやくバナがブリスを船に引き上げたのを見ると、累は船から少し離れてバナへと船を出すように告げた。
「危ないから早く離れて」
「累は!」
「私は問題ないから気にしないで」
名残惜しそうなバナと血眼になりながら腕を伸ばしているブリスと、こいつを自由にさせたらまずいと思ったらしいブリスを押さえつける沖縄の狩人たちが船に揺られて去っていった。
「ありがとう海人たち」
ブリスを押さえつけてくれたことで最初のやり取りはチャラだ。
しかしこれでようやくクラーケンに集中できるのだが、なぜ戦う前にこれほど疲労しなければいけないのだろうか。
すでに精神的にはかなり疲労しているのだが、このまま帰って宿でごろりと寝転がるわけにもいかない。
はぁっと一息ついたのち、累は覚悟を決めて海中へと潜った。
「……なんかごめんね」
そこにはようやく来たかと言いたげなクラーケンの姿だ。
ずいぶん長く放置して済まなかったと謝ると、気にしないでとでも言う様に触腕を振って見せる。
実はそんなに悪いクラーケンではないのではないだろうか。
とはいえそんな彼、もしくは彼女も女王の配下だというのならば狩らなければならない。
「ちょっと気が進まないけど」
先ほどの面倒な狩人たちよりも大人しく待っていてくれたクラーケンのほうが好感度は高いのだが、狩人として依頼されたのならば仕方ない。
そう累が覚悟して斧を振りかぶった直後、それまで大いに荒れ狂っていた海がしんと静まり返った。
さらには厚い雲に覆われ夜かと思うほどの暗闇だったというのに、瞬く間に海中へ太陽の明るい光が差し込んでくる。
「え? なんでいきなり?」
戸惑いながらも改めて海面へ顔を出してみると、先ほどの強風や黒い雲はどこへやら、沖縄と聞いて万人がイメージするような青い空が累の視界には広がっていた。
優しい風に頬を撫でられながら視線をぐるりと回せば、遠くにバナたちの乗った船が見え、彼らも船上で戸惑っているように見える。
「女王が死んだのかな」
スロージアの話では人魚の女王の力の一つに天候を操るものがあった。
古くにはそうして船乗りの船を破壊し、溺れた乗組員たちを海底へ引きずり込んだという話だ。
であればこの天気の急変はフィズが女王を狩ったからだろう。
ぽちゃんと音を立てて累が海中に再度潜ると、そこにいたはずのクラーケンの姿がない。
しかし先ほどと打って変わって透き通った綺麗な海の中であればクラーケンがどこにいるかはすぐにわかった。
どこにいたかというと、ゆっくりと沖縄本島とは真逆の海へと消えていくところであり、気のせいかもしれないがそのゆったりとした姿は累の眼には哀愁が漂って見えた。
バーでたまに見るのだが、その姿は任された仕事を無事終えたサラリーマンのようで、触腕が自分の体を撫でている様などは「はぁやれやれ終わった」と腰を叩いている風だ。
おまけにこっちに気が付いたのかさようならとでも言いたげに手まで振ってくれている。
「あ、お疲れ」
無視するのも悪いと思って累は小さく手を振ってクラーケンを見送る。
片手に持ったフィズのオドを纏わりつかせたままの斧がいつになったら出番が来るんだと訴えているような気もするが、ここでクラーケンを追いかけて狩るというのも気分が悪い。
そもそも女王が討伐されたのならばクラーケンは別に依頼にないので狩らないでもいいだろう。
一瞬あのクラーケンがフィズを襲うのではと思ったものの、フィズに限ってそれで怪我をすようなことはないだろうし、あのクラーケンはさっきの狩人たちよりもずっと頭がいいように思えたのでフィズに喧嘩を売るようなこともないはずだ。
問題ないと判断した累はそうしてクラーケンの姿が海の彼方へ消えたのを見届けると、穏やかになった海中で寝転がるようにして海面を見上げる。
太陽の光が差し込んだ海面はステンドグラスのように輝き美しかった。
それにどこかに消えていた魚たちも穏やかな日常とともに戻ってきたようで、静かに漂う累の周りをまるで先ほどの嵐などなかったかのように泳いでいる。
少し予定と違ったが、沖縄で見たかったダイビングの景色はこれだ。
「いろいろあったけど、ダイビングもこれで達成かな」
そう累は満足げに笑った。
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