第96話 大聖樹を蝕む術式と、地下に隠された拠点
洞穴の奥から、冷たい空気と細い水音が流れてくる。
ウンディーネが見つけてくれたこの道なら、大聖樹の根を掘り返さずに地下へ降りられる。
その先が、地下水の流れを歪めていた場所へ繋がっていることも確認できていた。
俺はみんなの様子を確かめてから、暗い洞穴へ目を向けた。
「じゃあ、中を確認しよう」
『うん』
ウンディーネが先へ進む。
俺も足元へ注意しながら、その後を追った。
洞穴の中は、人の手が入った様子のない自然な岩場だった。
湿った岩壁の間を細い水が流れ、天井近くからは植物の根が何本も垂れている。
暗い場所なので小さな魔導灯を取り出し、周囲が見える程度の明かりを確保した。
メイは俺の少し前を歩き、シルクは頭の上で耳を立てている。
ベルもいつもより近いところを飛んでいた。
しばらく下っていくと、岩の隙間から伸びている根が少しずつ太くなってきた。
普通の植物のものとは明らかに違う。
地表で見つけたものと同じ、大聖樹の根だ。
太い根からさらに細い根が枝分かれし、岩の割れ目や土の中へ広がっている。
(ここまで伸びてるのか……)
地上から見えている大聖樹だけでも十分に大きいが、その下にも相当な範囲で根を張っているらしい。
ベルも根を眺めていたが、特に何か知っている様子ではない。
ウンディーネは時々足元の水へ触れながら、迷わず奥へ進んでいった。
少し進んだところで、俺は足を止める。
岩壁の一部だけ、形が妙だった。
自然に割れたり削れたりしたというより、何かで平らに削ったような跡がある。
さらに先を見ると、足元の岩も凹凸が少なくなっていた。
歩きやすいように、後から手を加えたように見える。
「……ここから先、人の手が入ってそうだ」
声を落とす。
ベルがすぐ俺の近くへ寄り、メイも鼻先を地面へ向けた。
シルクの耳もぴんと立つ。
「少し警戒して進もう」
洞穴はまだ続いている。
ただ、進むほど加工された場所が増えていった。
岩を削った跡や、邪魔な突起を落とした形が残っている。
足元も均されており、誰かが一度通っただけではなく、出入りしやすいよう整えたように見えた。
やがてウンディーネが足を止めた。
『……ここ』
その先は、少し開けた空間になっていた。
岩の隙間を通って、大聖樹の太い根が横切っている。
だが、俺の目を引いたのは根ではなかった。
根の周囲へ、黒っぽい杭のような魔導具が何本も立てられている。
地面や岩壁には細い線が複雑に刻まれ、その線が杭同士を繋いでいた。
薄い魔力の光が、刻まれた線の中をゆっくり流れている。
明らかに自然のものではない。
俺は近づきすぎない位置から、その一つへ【鑑定】を使った。
【魔力導出杭】
詳細:周囲に刻まれた術式と連動し、指定された対象や地脈を流れる魔力の一部を継続的に引き出すための魔導具。単体では機能せず、複数の魔力導出杭と術式を組み合わせることで効率を高め、集めた魔力を別の場所へ送り出す。
続けて、地面へ刻まれた術式にも目を向ける。
【魔力導出術式】
詳細:複数の魔力導出杭と連動し、周囲を流れる魔力を一定量ずつ集めて別地点へ送り出す術式。現在も稼働しており、大聖樹の根を通る魔力の一部が継続的に外部へ流出している。
「……そういうことか」
ようやく繋がった。
大聖樹は自然に弱っていたわけではない。
根を流れる魔力を、誰かが地下から少しずつ抜き取っている。
それなら地上から大聖樹を調べても、攻撃を受けた跡が見つからなかったのも分かる。
杭は根そのものへ刺さっていない。
周囲へ組んだ術式で、根を流れる魔力へ間接的に干渉している。
山で見つけた冷たい土や、水の流れへの違和感。
オリエンスの気温低下と、大聖樹の葉の黄変。
そして、ウンディーネが感じていた木の精霊の気配の弱まり。
(これが原因だったのか……)
大聖樹と木の精霊から少しずつ力が失われ、それまで当たり前に維持されていた常春の加護にも影響が出始めた。
そう考えれば、今までの異変が一つに繋がる。
ウンディーネが静かに大聖樹の根へ近づいた。
術式には触れず、その外側からそっと根へ手を置く。
しばらく目を閉じたあと、小さく呟いた。
『……だからだったんだ』
「木の精霊は?」
ウンディーネは根に触れたまま答える。
『あの子、まだいる』
少し間を置き、周囲の杭を見る。
『でも、ずっと持っていかれてる』
声はいつも通り静かだった。
ただ、表情は明らかに違う。
『……これ、嫌い』
短い一言だった。
大声を出したわけでもないのに、ウンディーネが怒っていることは分かった。
俺も術式へ目を戻す。
「これを止めればいいのか?」
原因がこれなら、壊してしまえば魔力を抜かれるのは止まりそうだ。
だが、すぐに手を出すのはやめた。
何が起きるか分からない設備を、仕組みも全部確認せず壊すのは危ない。
それに俺たちは調査を頼まれて来ている。
勝手に全部破壊していいとは言われていない。
ウンディーネも少し離れたところから術式を見ていたが、やがて別の方向へ顔を向けた。
『……これだけじゃない』
「他にもあるのか?」
『うん』
ウンディーネは大聖樹の根から手を離し、地下の奥へ意識を向ける。
『あっちと……あっちも』
正確な数までは分からないらしい。
ただ、この設備の仕組みが分かったことで、似たような魔力の減り方をしている場所を区別できるようになったようだ。
「同じものが何か所かあるってことか」
『たぶん』
一つだけ壊しても、大聖樹から魔力が抜かれること自体は止まらない。
それどころか、この設備を仕掛けた相手が今も管理しているなら、一か所だけ急に止まったことで気づかれる可能性もある。
「今これだけ壊して、向こうに気づかれる方がまずいかもしれないな」
ベルも術式を見ながら頷いた。
「全部繋がってるかもしれないもんね」
「そうだな」
場所と構造は覚えておく。
必要なら地図にも書き込める。
ここまで分かったなら、本来は一度王城へ戻ってイザベラさんたちに報告するべきだろう。
原因も見つけた。
設備が複数ある可能性も分かった。
あとは国側で人員を動かしてもらった方が安全だ。
「ここまで分かったなら、一度戻った方がいいか……」
そう口にすると、ウンディーネが術式の先へ目を向けた。
『待って』
「どうした?」
ウンディーネは近くの水へ指先を触れた。
それから、術式を流れている魔力の方向を追うように顔を動かす。
『これ、まだ流れてる』
「抜いた魔力が?」
『うん。ここでなくなってない』
ウンディーネが洞穴の奥を指した。
『こっちに行ってる』
「送り先まで分かる?」
『今なら追える』
そこで少し考えるように黙る。
『でも、止まったら分からなくなるかも』
設備が動いている今なら、奪われた魔力が流れていく方向を追える。
けれど、相手が術式を止めたり経路を変えたりすれば、その手がかり自体が消える可能性があるということか。
さらにウンディーネはもう一度、大聖樹の根へ触れた。
さっきより少し長く確認する。
『……前より多い』
「奪われてる量が?」
『うん』
その言葉に、俺は大聖樹の根を見る。
少量ずつなら、もっと前から続いていた可能性もある。
それが最近になって増えたから、街の気温低下や葉の変化が目に見えるようになったのかもしれない。
『まだ大丈夫。でも、このままはよくない』
ウンディーネの声は落ち着いていた。
それでも、放っておいていい状況ではないことは十分伝わってくる。
俺は少し考える。
イザベラさんから頼まれたのは、ウンディーネが感じている異常を追い、その原因か、異常が強くなる場所を探すことだった。
原因の一つは見つかった。
だが、誰が設置したのかも、抜いた魔力をどこへ送っているのかも分かっていない。
今流れているものを追って送り先を確認するところまでは、まだ調査の範囲と考えていいだろう。
逆にここで戻り、王城へ報告して人を集め、もう一度来るまでには時間がかかる。
大人数がこの地下へ入れば、相手がいる場合に気づかれる可能性も高くなる。
「……分かった」
俺はみんなを見る。
「今は設備に触らず、送り先だけ確認しよう。ただ、危険だと思ったらすぐ戻る」
ベルが頷く。
メイとシルクも俺の近くへ寄った。
「誰かがいたとしても、いきなり戦うつもりはない。まず状況を見る」
『うん』
ウンディーネが根から手を離した。
『こっち』
今度は迷いのない声だった。
俺は如意の金剛棒をすぐ取り出せるよう意識しながら、ウンディーネの後を追う。
洞穴の奥へ進むと、少しして別の太い根が見えてきた。
その周囲にも、先ほどとほとんど同じ黒い杭と術式が配置されている。
改めて【鑑定】する必要はなさそうだ。
構造も、流れている魔力の様子も同じだった。
「本当に複数あるのか」
さらに進む途中でも、別方向へ枝分かれした洞穴の先に同じ設備があることをウンディーネが感じ取った。
全部を見に行くことはせず、今は送り先を優先する。
ウンディーネが前方へ視線を向けた。
『集まってる』
「何が?」
『みんなのところから来たのが、一緒になってる』
複数の根から抜かれた魔力が、先へ進むほど一つに集まっているらしい。
最初は細かった流れが、少しずつ太くなっている。
それだけ多くの場所から同時に奪っているということだ。
しばらく進むと、洞穴の様子がさらに変わった。
自然の岩肌がほとんどなくなり、壁がはっきり平らに削られている。
床も歩きやすく均され、ところどころに簡素な魔導灯まで取り付けられていた。
壁際には荷物を引きずったような擦れ跡もある。
足元をよく見ると、乾きかけた泥の上に靴跡が残っていた。
古いものだけではない。
誰かが今も使っている地下道だ。
俺たちの会話も自然と減った。
メイは足音を抑えながら進み、シルクも耳を立てたまま動かない。
ベルは俺の肩の近くを飛んでいる。
俺は壁沿いの術式や、前を進むウンディーネの背中を見ながら、一つの名前を思い出した。
以前遭遇した、アドヴァース。
あいつらも、高い魔力を持つ存在を魔力の供給源として利用しようとしていた。
今回も大聖樹と、その中にいる木の精霊という膨大な力を持つ存在から、気づかれにくい方法で少しずつ魔力を抜き取っている。
(……アドヴァースが関わってるのか?)
やり方は似ている。
ただ、それだけで決めつけることはできない。
同じような技術を使う別の連中かもしれないし、今のところ確かな証拠はない。
考えていると、ウンディーネが急に足を止めた。
『近い』
俺もすぐに立ち止まる。
前方の地下道は少し曲がっており、その先から薄い明かりが漏れていた。
同時に、微かな物音が聞こえる。
人の足音。
さらに、遠くで何か話しているような声も混じっていた。
俺はみんなへ手で合図を出し、慎重に壁際へ寄る。
ここから先へ無造作に進むのはまずい。
地下道の曲がり角まで近づき、身体を出しすぎないよう奥を確認した。
少し先に、今までとは違う広い空間がある。
人工的に作られた大きな扉。
壁に並ぶ複数の魔導灯。
その前には、武器を持った男が二人立っていた。
一人は短剣と小さな盾を装備し、もう一人は槍を手にしている。
こんな地下で扉を守っている以上、ただの作業員とは考えにくい。
敵意のない相手へむやみに使うつもりはないが、今は状況が違う。
俺は物陰から短剣を持つ男へ意識を向け、【鑑定】を使った。
【ガルム】
詳細:人族の男性、三十一歳。職業は【斥候】。スキル『気配察知』『短剣術』『隠密』を持ち、短剣と小盾を装備している。
続けて、槍を持つ男も確認する。
【ローデス】
詳細:人族の男性、三十五歳。職業は【戦士】。スキル『槍術』『身体強化』を持ち、長槍を装備している。
二人ともこちらへ気づいた様子はない。
少なくとも、戦闘訓練を受けた者がこの扉を警戒していることは分かった。
ただ、【鑑定】にも所属する組織までは出ていない。
ガルムとローデスがアドヴァースの人間なのか、それとも別の集団なのかはまだ判断できなかった。
俺はすぐに身体を戻す。
今分かる範囲では、扉の向こうにも通路か部屋が続いているらしい。
隣へ来たウンディーネが、声を出さずに俺へ視線を向けた。
そのまま小さく指を差す。
『ここ』
思念に近い小さな声が伝わってきた。
俺も声を抑える。
「魔力も?」
『うん。中に入ってる』
大聖樹の根から抜かれた魔力。
地下の複数の術式から集められた流れ。
その行き先は、目の前にある施設の中だった。
誰がいるのか。
何のために大聖樹の魔力を集めているのか。
ガルムとローデスがどこに所属しているのか。
アドヴァースが関わっているのか。
まだ分からないことは多い。
それでも、探していた送り先には辿り着いた。
「……見つけた」
俺は小さく呟き、もう一度物陰から地下の施設へ目を向ける。
隣ではウンディーネも、普段とは違う真剣な目で奥を見ていた。
ここから先へ踏み込めば、もう水路を辿るだけの調査では済まない可能性が高い。
俺たちは物陰に身を潜めたまま、二人の警備と地下拠点の様子を静かに見極めた。




