第95話 大精霊が描く地下水脈と、隠された入口
ウンディーネが指した先には、草と土しかなかった。
その下に何かあるらしいことは分かったが、当然ながら地下へ続く階段や穴が見つかったわけではない。
俺は地表へ露出した大聖樹の根を見ながら、周囲を確認する。
「下なのは分かったけど……どうやって調べる?」
掘るだけなら方法はある。
如意の金剛棒を使ってもいいし、今の身体能力なら道具を用意して穴を掘ること自体は難しくないだろう。
ただ、この辺りには大聖樹の根が広がっている。
地表に出ているものだけでも俺の胴ほどの太さがあるのだから、土の中にはもっと多くの根が伸びているはずだ。
原因を調べるために、それを傷つけてしまっては意味がない。
ベルも地面を見ながら、少し心配そうに眉を寄せた。
「根っこ、いっぱいありそうだよ」
「そうだよな。ここから無理に掘るのはやめた方がいいか」
別の場所から入れるなら、それを探したい。
どうするか考えていると、ウンディーネが俺を見上げた。
『掘らなくていいよ』
「別の入口が分かるのか?」
『まだ分からない。でも、お水を追えば分かると思う』
そう言うと、ウンディーネは水の枕から降りた。
さっきまで触れていた小さな湧き水のそばへしゃがみ込み、指先を水へ沈める。
普段の眠たげな表情が消えた。
俺たちは何も言わず、その様子を見守る。
最初は何も起きなかった。
水面も静かなままだ。
だが、しばらくすると足元の草についた小さな水滴がわずかに震え始めた。
近くの葉に残っていた雫も同じように揺れる。
湧き水の表面には細かな波紋が広がり、湿った土の上でも水気のある場所だけが微かに光を反射していた。
水を集めているわけではない。
葉が萎れたり、土が急に乾いたりする様子もなかった。
ただ周囲に存在する水へ、ウンディーネの魔力が薄く広がっているように見える。
(地下の水を辿ってるのか……)
俺には、ウンディーネが何を感じ取っているのかまでは分からない。
ベルも口を閉じたまま宙に浮かび、メイはその場で耳を立てている。
頭の上のシルクも動かなかった。
どれくらい経っただろう。
ウンディーネがゆっくり目を開けた。
『……いっぱいある』
「地下の水が?」
『うん。思ってたより、ずっと広い』
ウンディーネは水から手を離すと、今度は片手を軽く持ち上げた。
すると、湧き水の一部が細い筋になって空中へ浮かび上がる。
一本の水の線が、途中で二つに分かれた。
さらにその先で枝分かれし、別の線と合流する。
水は次々と形を変えながら、俺たちの前に複雑な流れを作っていった。
何本もの細い水筋が上下へずれ、交差し、時には大きく曲がっている。
まるで地面の中だけを取り出して、空中へ浮かべたようだった。
「地面の下が見えてるみたい……」
ベルが小さく呟く。
俺も思わず水の模型を見つめた。
ウンディーネが地下の土や岩を全部見通したわけではないのだろう。
今、実際に水を通して感じ取った流れだけを、空中へ再現している。
それでも、人間が地下を掘らずにこれだけの情報を得るのは難しいはずだ。
(これが水の大精霊か……)
今まで何度も凄い力を見てきた。
それでも、水に関することになると改めて規格が違う。
「こんなことまでできるんだな」
俺が声をかけると、ウンディーネは特に得意そうな顔もせず、水の筋を眺めたまま答えた。
『水のことだから』
それだけだった。
本人にとっては、特別なことをしているつもりはないらしい。
俺たちは空中に浮かんだ水の流れを順番に確認していった。
ほとんどは高いところから低い方へ流れ、途中で別れたり合流したりしている。
岩や土の形に沿っているのか、緩く曲がる場所も多い。
だが、ウンディーネが一か所で手を止めた。
『ここ、おかしい』
細い指先が、水の模型の一部を示す。
そこには三本ほどの流れが近づいていた。
ただ、どれも途中でわずかに進路を変えている。
一つは大きく避けるように曲がり、別の一本は一度横へ引かれたあと、また元の流れへ戻っていた。
俺には、言われなければ他との違いが分からない。
「どうおかしい?」
『水は、こんな曲がり方しない』
ウンディーネの目が細くなる。
『石があったら避ける。土が変わったら流れも変わる。でも、これはちがう』
少しだけ間を置き、浮かんだ水の線を見つめる。
『……これ、自然じゃない』
その一言で、俺も表情を引き締めた。
今までは、大聖樹そのものが何かの理由で弱っている可能性もあった。
自然環境の変化や、俺たちの知らない魔力の異常ということも考えられた。
だが、水を誰より知っているウンディーネが、自然な流れではないと言っている。
「誰かがやったと決まったわけじゃないけど……これは調べた方がよさそうだ」
昔から地下に何かがあって、水の流れへ影響している可能性だってある。
まだ何も断定はできない。
ただ、今までより一歩踏み込んだ手がかりなのは確かだ。
ベルが水の模型と、大聖樹の方向を見比べる。
「この辺なら、根っこもあっちまで伸びてそう」
ベルが示した向きは、さっき地表へ出ていた大聖樹の根が潜っていた方向と重なっていた。
ウンディーネにも根そのものの形は分からない。
だが、水の歪みがある場所と、大聖樹の根が伸びていると思われる場所はかなり近そうだ。
問題は、その場所へどう行くかだ。
「場所は分かっても、真上から掘るわけにはいかないよな」
俺が水の模型を眺めていると、ウンディーネが一本の流れを指した。
異常な場所へ近づいている水筋の一つが、途中で大きく上へ伸びている。
『ここ』
「ここから入れそうなのか?」
『たぶん。お水が外まで繋がってる』
ウンディーネはその一本へ意識を向けた。
浮かんでいる水の線がゆっくり揺れる。
今度は地下から地表へ向かって、水の流れを逆に辿っているようだった。
しばらくすると、ウンディーネが手を下ろす。
空中に浮かんでいた水は形を崩し、細かな雫になって元の湧き水へ戻っていった。
『こっち』
今度の声には迷いがなかった。
ウンディーネが先へ進む。
俺たちもその後を追った。
森の中へ入るのではなく、外周に沿うように移動していく。
しばらくすると草地が減り、岩が多い場所へ出た。
大小の岩が重なり、その奥には低い岩壁が続いている。
ウンディーネは迷わず、その一角まで進んで足を止めた。
『ここ』
見たところ、ただの岩壁だ。
だが近づいてみると、蔦や長い草が一部だけ密集している。
俺は根元を踏まないよう気をつけながら、蔦を横へ避けた。
その奥には黒い隙間があった。
「……穴がある」
重なった岩の間に、人一人なら十分通れそうな自然洞穴が開いている。
入口から少し覗くと、奥へ向かって緩やかに下っていた。
足元には細い水が流れている。
壁や天井を見ても、削った跡のようなものは見当たらない。
元からここにあった洞穴らしい。
ベルも俺の肩の横まで飛んできて、暗い奥を覗き込んだ。
メイは入口へ鼻を近づけ、しばらく匂いを確かめる。
シルクも頭の上で耳をぴんと立てていたが、二匹ともすぐに警戒するような反応は見せなかった。
ウンディーネは洞穴の底を流れる水へ指を触れた。
ほとんど間を置かず、頷く。
『うん。繋がってる』
「さっきの変な場所まで?」
『途中までは』
「途中?」
ウンディーネは首を傾けるように少し考えた。
『その先、お水がほとんどない』
異常な場所のすぐ手前から、水の量が急に少なくなるらしい。
「じゃあ、中に何があるかまでは分からないのか」
『うん。お水がないと、分からない』
入口までは地下水を使って正確に辿れた。
だが、水のない場所の中までは見通せない。
大精霊だからといって、何でも分かるわけではないようだ。
それでも、ここまで来られたのは完全にウンディーネのおかげだった。
地下に異常があると分かっても、俺たちだけなら入口を探すだけでかなり時間がかかっただろう。
ウンディーネは立ち上がると、一度だけ大聖樹の方を振り返った。
『……こんなの、前はなかった』
声は小さかった。
大聖樹に棲む木の精霊と長く付き合いのあるウンディーネだからこそ、今の状況が余計に気になるのだろう。
俺は洞穴からウンディーネへ視線を移した。
「ウンディーネ、助かった。ここまで来られたのはお前のおかげだよ」
ウンディーネは少しだけ目を細めた。
『ん。じゃあ、帰ったら美味しいの作って』
「分かったよ」
思わず少し笑ってしまった。
こういうところは、いつものウンディーネだ。
それでもすぐに洞穴へ目を戻す。
奥からは冷たい空気が流れ、細い水音だけが静かに聞こえていた。
俺は足元を確認し、みんなの位置を確かめる。
大聖樹の根を掘り返すことなく、地下へ降りる道は見つかった。
その先に何があるのかは、まだ誰にも分からない。
薄暗い自然洞穴の奥へ続く細い水だけが、俺たちの見つけた異常地点へ向かって静かに流れていた。




