第94話 水路を辿る探索と、辛子マヨのだし巻き卵サンド
「こちらをお持ちください」
王城での話を終えたところで、セバスさんから一枚の大きな地図を受け取った。
オリエンスの市街地と、その周囲の農地や大聖樹の森まで描かれた地図には、昨日までの調査結果が細かく書き込まれている。
街中を巡る主要な水路や湧き水の位置に加え、土の温度低下や水流の乱れが確認された場所にも印が付けられていた。
ただ、大聖樹から地下へ伸びている根までは描かれていない。
「まずは街の水路から見てみます。ウンディーネが感じる違和感の強さも、ここに書き込んでいけば何か分かるかもしれません」
「お願いいたします。こちらでも引き続き調査と警戒を続けておりますので、何かありましたらすぐにお知らせください」
「分かりました」
地図を丸めてアイテムボックスへ収納し、俺たちは王城を後にした。
今回動くのは、俺とベル、メイ、シルク、ウンディーネのいつもの面子だけだ。
まず向かったのは、王城からそれほど離れていない場所を流れる水路だった。
石造りの水路には澄んだ水が流れており、底の小石までよく見える。
嫌な臭いもなく、水辺に生えている草にも変わった様子はなかった。
俺が見た限りでは、どこに異常があるのか全く分からない。
ウンディーネが水の枕から降り、水路の縁へしゃがみ込んだ。
指先を水へ入れ、そのまましばらく黙っている。
『……ここも、ちょっと変』
「水そのものがおかしいのか?」
ウンディーネは首を横に振った。
『お水は普通』
水を少し掬い、指の間から流しながら考えるように目を細める。
『流れてるのに……別のところにも引っぱられてる感じ』
「引っぱられてる?」
『うん。でも、お水がそっちに流れてるわけじゃないの』
どうやら、目の前を流れている水そのものが変質しているわけではないらしい。
水は普通に水路の先へ流れているのに、ウンディーネにはそれとは別の何かが感じられているようだ。
「じゃあ、他も見てみよう」
俺は地図へ印を付け、次の場所へ向かった。
その後も市街地を歩きながら、地図に記された水路や湧き水を順番に確認していく。
ウンディーネがほとんど気にならないという場所もあれば、最初と同じ程度の違和感を覚える場所もあった。
さらに何か所か回ると、はっきりと違うと答える場所も見つかった。
俺はそのたびに地図へ印を付け、強さが分かるよう書き分けていく。
ベルも時々上へ飛び、水路がどちらへ続いているのかを確認してくれた。
メイは俺の少し前を歩き、シルクはいつものように頭の上で耳を動かしながら周囲の様子を見ている。
しばらく調べたところで、俺は道端に立ち止まって地図を広げた。
「……これ、水路をそのまま追っても駄目そうだな」
印を付けた場所と、水の流れる方向が合っていない。
もし水路そのものを何かが流れているなら、上流から下流へある程度は繋がっていてもよさそうだ。
だが実際には、違和感の強い場所から水路を下っていくと急に弱くなり、その先でまた強くなることもあった。
それに、水路が大聖樹から離れる方向へ流れている場所でも、ウンディーネが気にする向きは大聖樹側へ寄っている。
地図を覗き込んでいたベルが、足元へ目を向けた。
「地面の下のお水?」
「その可能性はあるかもな」
昨日出た、大聖樹の根の話もある。
地上に見えている水路とは別に、地下にも水は流れているはずだ。
そこへ大聖樹の巨大な根が伸びているのなら、ウンディーネが感じているものが地表の水路と一致しなくても不思議ではない。
もちろん、今のところは推測に過ぎない。
「ウンディーネ、どっちが強そうか分かる?」
ウンディーネは少し目を閉じ、水の枕に寝転んだまま周囲へ意識を向けた。
『……あっち』
指したのは、大聖樹の森がある方向だった。
「じゃあ、そっちを見てみよう」
地図につけた印も、全体としてはその方向へ強くなっている。
俺たちは市街地を離れ、大聖樹の森の外周へ向かった。
建物が少なくなるにつれて石畳も途切れ、足元は柔らかな草地へ変わっていく。
大聖樹へ近づくほど周囲の木々も増えていくが、迷いの結界がある森の中へ入るつもりはない。
今日はあくまで外側から調べる。
森の外周へ着いてからも、水気のある場所や小さな湧き水を探しながら歩いた。
気づけば太陽はかなり高くなっていた。
朝から街中を歩き回り、そのままここまで来たので腹も減っている。
「そろそろ昼にしよう。腹も減ったし、いったん食べよう」
「やった!」
ベルがすぐに反応する。
俺たちは森から少し離れた開けた場所へ移動し、折りたたみのテーブルを出した。
今日は調査の途中なので、時間のかかるものを作るつもりはない。
アイテムボックスから卵、フォレスト・フォウルの出汁、生醤油、特製食パン、自家製マヨネーズと特製辛子を取り出す。
作るのは、だし巻き卵のサンドイッチだ。
卵をボウルへ割り入れ、フォレスト・フォウルの出汁と生醤油を加える。
そのまま食べる出汁巻きより少し出汁を控え、パンへ挟んでも水分が出すぎないようにした。
卵の甘みを邪魔しない程度に砂糖もほんの少し加え、白身を切るように混ぜ合わせる。
ミスリル配合の黒剛鉄フライパンを魔導コンロへ置き、薄く油を馴染ませた。
温まったところへ卵液を流す。
ジュワッ。
薄く広がった卵が固まり始めたところで、菜箸を動かす。
ここは慣れた作業なので『調理の超加速』を使い、まだ柔らかさが残っているうちに端から手早く巻いていった。
巻いた卵を寄せ、空いた部分へ再び卵液を流して、その下にも行き渡らせる。
それを何度か繰り返すと、厚みのある出汁巻き卵が出来上がった。
火から下ろしたあとはすぐに切らず、少しだけ置いて形を落ち着かせる。
その間に、自家製マヨネーズへ特製辛子を少量混ぜた。
辛子を入れすぎれば、せっかくの卵と出汁の香りが負けてしまう。
味を確かめながら、後から少しだけ刺激が残るくらいにしておく。
食パンへ辛子マヨネーズを薄く塗り、厚めに切った温かな出汁巻き卵を乗せる。
もう一枚のパンで挟んで軽く押さえ、馴染んだところで食べやすい大きさへ切った。
「よし、できた」
メイとシルクには辛子を入れていないものを小さく切って取り分ける。
ウンディーネとベルにもそれぞれ渡し、俺も一つ手に取った。
「いただきます」
柔らかな食パンごと一口齧る。
パンの間で、厚い出汁巻き卵がふわっと潰れた。
噛むと温かな出汁がじんわりと広がり、生醤油の旨味と卵の柔らかな甘みが続く。
そこへマヨネーズのまろやかな酸味とコクが重なり、最後に辛子の刺激がほんの少し鼻へ抜けた。
卵とマヨネーズだけなら少し重くなりそうなところを、辛子が後味を締めてくれる。
「うん、これなら歩き回った後でも食べやすい」
ベルも両手で持った小さなサンドイッチを齧る。
一口目では普通に食べていたが、少し遅れて目をぱちぱちさせた。
「ちょっとツンってする。でもおいしい」
「辛子を少し入れてるんだ。苦手なら次は抜くよ」
「ううん、これ好き!」
ベルはそう言って、もう一口齧った。
ウンディーネも静かに食べていたが、二つ目へ手を伸ばす様子を見る限り気に入ったらしい。
足元ではメイが尻尾を揺らし、シルクもパンに挟まれた出汁巻き卵を小さく齧って耳を立てている。
「ワフゥ」
「キュイッ」
俺も残っていた一切れを食べ終えた。
簡単な昼飯だったが、朝から動き続けた身体には十分だった。
食べ終わった器具を片付け、テーブルも収納する。
「よし、続けよう」
再び森の外周へ沿って歩き始めた。
昼食前までは水場を見つけるたびに確認していたウンディーネだったが、少し進んだところで急に動きを止めた。
『……こっち』
今度は水に触れていない。
「分かるのか?」
『さっきより、分かる』
ウンディーネが示した方向へ進む。
見えるのは草と木ばかりで、特別変わったものはない。
メイが先へ進んで周囲の匂いを確かめ、俺たちはその後をついていく。
やがてベルが少し先へ飛んだところで、地面を見ながら止まった。
「フトシ、これ見て」
近づいてみると、地面が大きく盛り上がっていた。
土の間から、太い木の根が地表へ露出している。
俺の胴ほどもありそうな太さで、そのまま地面の奥へ潜り込んでいた。
周囲を見回しても、この根に繋がりそうな大木は近くにない。
ベルが根の伸びている向きを見てから、大聖樹の方へ顔を向けた。
「これ、大聖樹の根っこじゃない?」
「ありそうだな」
俺は根の近くへしゃがみ、【鑑定】を使った。
【大聖樹の根】
詳細:大聖樹から地下へ広く伸びている根の一部。地中の水分や養分、周囲の魔力を取り込み、大聖樹本体へ送り続けている。目立った傷や腐食はないが、本来よりわずかに活力が低下している。
「やっぱり大聖樹の根か」
表面を見ても、折れたり傷ついたりしている場所はない。
腐っている様子もないが、【鑑定】では少し活力が落ちていると出ている。
ウンディーネは俺の横を通り、その根のさらに先へ進んだ。
そこには土が湿っている場所があり、草の間から少量の水が湧き出していた。
ウンディーネがしゃがみ込み、指先を水へ触れる。
今までより長く黙ったまま動かない。
ベルも何も言わず、ウンディーネを見ている。
やがて、ウンディーネが顔を上げた。
『……ここ、強い』
「さっきまでより?」
『うん。ずっと強い』
水は見たところ澄んでいる。
変な臭いもなく、水そのものは今までと同じように普通らしい。
それでも、ウンディーネが感じていた別の方向へ引っぱられる感覚は、ここではかなりはっきりしているようだ。
俺は露出した根の周囲も確認する。
特に変わったものは見当たらない。
何気なく草を分け、根の横の土へ手をついた。
「……冷たい」
少し場所をずらして触ってみる。
やはり、この辺りだけわずかに温度が低い。
山で見つけた成長の鈍った笹筍と、その周囲の冷たい土を思い出した。
あの時も、すぐ近くには沢があった。
今ここにあるのは、冷えた土と水。
そして大聖樹の根だ。
(やっぱり、全部無関係ってことはなさそうだ)
ただ、揃ったからといって原因まで分かるわけではない。
俺は立ち上がり、まだ水へ触れているウンディーネを見る。
「この辺りに何かあるのか?」
ウンディーネは少し周囲を見回したあと、首を横に振った。
『ちがう』
「違う?」
ウンディーネはもう一度、湧き水へ指を沈める。
それから露出した大聖樹の根へ目を向け、最後に地面を見た。
『こっちじゃない』
少し間を置き、指先がゆっくりと足元へ向く。
『……下』
俺もベルも、その指の先を追って地面を見た。
あるのは草と土だけで、見た目には何も変わったものはない。
だが、その下には地図に描かれていない地下水があり、大聖樹から伸びる巨大な根が広がっている。
山で見つけた冷たい土と沢。
街中で辿ってきた水の違和感。
そして今、同じ場所にある大聖樹の根。
別々に見えていたものが、ようやく一つの方向へ繋がり始めていた。
俺はウンディーネが示した足元へ、もう一度視線を落とす。
次に確かめるべき場所は、地上ではなかった。




