第92話 冷え込む緑都と、湯気立つ具だくさん豚汁
王城を出た俺たちは、保養宿へ戻るためオリエンスの街を歩いていた。
朝より太陽は高くなっているのに、空気にはまだ冷たさが残っている。
日本なら少し冷え込んだ春の日で済む程度だが、今まで春の陽だまりのような暖かさが続いていたオリエンスでは、それだけでも随分と違って感じた。
通りには上着を羽織った人が増え、店先で腕を擦っている人の姿も見える。
「まだ寒いねぇ」
「大聖樹は大丈夫なのかね……」
「畑に何もなければいいけど」
歩いていると、そんな話があちこちから聞こえてきた。
大騒ぎになっているわけではないが、昨日までの穏やかな街に少しだけ不安が混じっている。
一方で、王城から出てきた兵士や職員らしい人たちも街の各所へ向かっており、調査が始まっていることは住民にも伝わっているようだった。
俺も大聖樹のことは気になる。
けれど、イザベラさんたちはすでに国として動いているし、必要になれば声をかけてもらうことになっている。
(今は任せるしかないか)
そう考えながら歩いていると、少し先に見覚えのある大きな建物が見えてきた。
以前、大玉葱や大根長芋を買った農産物直売所だ。
ちょうど近くを通るので、そのまま中へ入る。
売り場には今日も野菜がたくさん並んでいた。
大玉葱、大根長芋、翠緑の葉球に、黄金色の芋やいくつもの根菜。
葉物も瑞々しく、今のところ寒さで傷んだ様子は見当たらない。
ただ、いつもより呼び込みの声は少なかった。
「いやぁ、こんなに冷えるなんて初めてだよ」
近くで野菜を並べていた農家らしい男性が、両手を擦り合わせている。
「朝から手が冷たくてなぁ」
「ほんとだね。こんな日は温かい汁物でも飲みたいよ」
買い物をしていた年配の女性がそう返した。
俺は足を止め、並んでいる野菜を見る。
(温かい汁物か……)
大根長芋に大玉葱、芋、翠緑の葉球。
少し離れた肉売り場には、脂の乗ったオークのバラ肉も並んでいる。
「……豚汁、いいな」
「とんじる?」
近くを飛んでいたベルが、聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「俺の故郷にあった、肉と野菜をたくさん入れた味噌汁だよ。寒い日に食べると美味いんだ」
「温かいの?」
「ああ」
「食べてみたい!」
ベルが嬉しそうに笑う。
俺はもう一度、直売所を見回した。
調査の役には立てなくても、寒そうにしている人へ温かい飯を作るくらいならできる。
それに、せっかく目の前にオリエンスの野菜が揃っている。
「久しぶりに屋台を出すか」
そう決めると、まずは食材を買っていった。
大根長芋は張りがあり、持つとしっかり重さを感じるもの。
大玉葱も水分の詰まったものを選び、翠緑の葉球は柔らかな葉のものをいくつか買う。
黄金色の芋とキノコ、それから汁物に合いそうな根菜も少し加えた。
最後に肉売り場へ寄り、赤身と脂がほどよく重なったオークのバラ肉を多めに購入する。
アイテムボックスにも食材はあるが、今日はこの街で買ったものを使いたかった。
(これだけ具を入れれば、一杯でも結構腹に溜まりそうだ)
買い物を終えると、直売所の管理をしている男性へ声をかけた。
「すみません。今日ここで料理の屋台を出したいんですが、空いている場所はありますか?」
商人ギルドの銀色の会員証を見せると、男性は売り場の端にある一角を指した。
「あそこなら今日は空いてますよ。通路だけ塞がないようにお願いします」
「ありがとうございます」
指定された場所へ向かい、周囲を確認してから特注屋台をアイテムボックスから取り出す。
屋台の上には大きな黒剛鉄の万能煮込み鍋を置き、器やおたま、調理道具も揃えた。
今日作るのは一品だけだ。
看板には、
『具だくさんオークの味噌汁 一杯500G』
と書いておく。
「さて、始めよう」
買った野菜を一つずつ洗い、土や汚れを落としていく。
大根長芋と芋は火が通りやすく、器にも盛りやすい大きさへ。
大玉葱は煮込んでも少し形が残る程度の厚さにし、翠緑の葉球は後から入れるので少し大きめに切った。
量が多いため、途中から『調理の超加速』を使う。
トントントントンッ。
包丁を一定のリズムで動かし、硬さの近い野菜ごとに大きさを揃えていく。
火の通り方に差が出ないよう確認しながら、切ったものは種類ごとに分けておいた。
オークのバラ肉も、煮込んだ後に肉を食べた満足感が残る厚さへ切る。
鍋を温め、最初に肉を入れた。
ジュウゥッ。
鍋底へ触れた肉の表面が白くなり、脂が少しずつ溶け出してくる。
肉の香りが立ったところで大玉葱を加え、大きく混ぜて脂を絡ませる。
続いて大根長芋や芋、ほかの根菜を入れ、表面へ脂が回る程度に軽く炒めた。
そこへ水と、手持ちのキノコから取った出汁を注ぐ。
温度が上がるにつれて浮いてきたアクは、おたまで丁寧に取り除いた。
ここからは根菜へゆっくり火を入れる。
激しく煮立てれば早く火は通るが、芋が崩れて汁が濁りやすい。
鍋の中が静かに動くくらいの火加減に落とした。
途中、小皿へ煮汁を少しだけ取り分ける。
その一滴へ清潔な指先を触れ、『絶対温度領域』で温度を確かめた。
確認した煮汁は鍋へ戻さず、その温度を目安に魔導コンロを調整していく。
時々野菜へ竹串を刺し、火の入り方も見る。
大根長芋にすっと竹串が通るようになったところで、翠緑の葉球を加えた。
大きく切った葉が熱でゆっくり沈み、鍋の中へ馴染んでいく。
ここで火を弱め、最後に手作りの味噌を取り出した。
おたまの中へ味噌を少し取り、煮汁で溶かしてから鍋へ戻す。
一度に全部は入れず、味を見ながら繰り返した。
味噌を入れてからは煮立たせず、香りを残すように全体をゆっくり混ぜる。
少し味を見る。
オーク肉の脂の旨味に、大玉葱や根菜から出た甘みが重なり、キノコの出汁がその土台になっている。
そこへ味噌の香りと塩気が加わって、具の多い汁物としてちょうどいい味にまとまっていた。
「うん、これでいい」
黒剛鉄の鍋から白い湯気が立ち上り、味噌と煮込んだ野菜の香りが冷たい空気へ広がっていった。
販売を始める前に、俺たちも昼飯を兼ねて食べることにする。
俺とウンディーネの器には、肉と野菜をしっかり入れて熱い汁を注ぐ。
ベルには小さな器へ少量を取り分けた。
メイとシルクには、味噌を溶く前に取っておいた肉や野菜と出汁を、食べやすい温度まで冷まして出す。
「いただきます」
まずは汁を一口飲んだ。
温かい味噌の香りが鼻へ抜け、柔らかな塩気と一緒にオーク肉の旨味が舌へ広がる。
よく煮えた大玉葱は甘く、その味が汁にも染み出していた。
大根長芋は形を残しているのに中まで柔らかく、噛むと含んだ汁と一緒に淡い甘みが広がる。
芋はほくっと崩れ、翠緑の葉球には柔らかな食感と野菜らしい甘みが残っていた。
派手な料理ではない。
けれど、冷たい日に食べるなら、この温かさと素朴な味がいい。
「おっ、いい感じだ」
ベルも小さな器を両手で持ち、ふうっと息を吹きかけてから汁を口にした。
「おいしい。あったかいね!」
足元ではメイが柔らかく煮えたオーク肉を食べ、尻尾をゆっくり振っている。
「ワフゥ」
シルクも大根長芋を小さく齧ると、耳をぴんと立てた。
「キュイッ」
二匹とも気に入ったらしいので、少しずつ追加してやる。
ウンディーネはしばらく黙って食べていたが、汁を一口飲んだところで小さく息を吐いた。
『……あったかい』
それから何も言わず、もう一口飲む。
朝から大聖樹を気にしていた表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
俺はそれを見てから、自分の器へ視線を戻した。
食事を終えると、看板を通りへ向ける。
「よし、売ろう」
鍋から漂う香りに気づいていたのか、ほどなく一人の年配の男性が近づいてきた。
さっきまで直売所で荷物を運んでいた人だ。
「兄ちゃん、一杯もらえるか?」
「はい。500ゴールドです」
器へ肉、大根長芋、芋、大玉葱、翠緑の葉球を入れ、最後に熱い汁を注いだ。
「熱いので気をつけてください」
「ああ」
男性は器を両手で受け取ると、まず掌を温めるように持った。
立ち上る湯気へ顔を近づけ、汁を一口飲む。
「……ああ、あったまる」
自然に漏れたような声だった。
そのままオーク肉と大根長芋を食べ、ゆっくり頷く。
「肉も柔らかいな。それに野菜が美味い」
「ここで買ったばかりの野菜ですよ」
「そりゃあいい」
男性が食べている姿を見ていた人たちも、少しずつ屋台へ近づいてきた。
「俺も一杯くれ」
「こっちもお願いします」
昼時と寒さが重なったこともあり、その後は客が途切れなくなった。
途中、器を受け取った冒険者らしい男性が看板を見ながら尋ねてくる。
「これ、何て料理なんだ?」
「俺の故郷では、こういう肉と野菜をたくさん入れた味噌汁を『豚汁』って呼んでました」
「トンジル?」
男性は聞き慣れない言葉を繰り返し、器の中の肉を見る。
「こっちじゃオークだけどな」
「まあ、そうですね」
俺が少し笑うと、相手も笑いながら豚汁を持って離れていった。
農家や買い物客、冒険者たちが次々と温かい器を手にしていく。
「この芋、美味いな」
「大玉葱が甘いよ」
「俺は肉が好きだな」
さっきまで寒さや大聖樹の話をしていた人たちが、いつの間にか好きな具の話をしていた。
寒さそのものは何も変わっていない。
それでも屋台の周りには、いつもの直売所らしい話し声が少しずつ戻ってきた。
しばらくすると、数人の兵士も屋台へ寄ってきた。
そのうちの一人は豚汁を食べ終え、空になった器を返しながらほっと息を吐く。
「助かった。午後も大聖樹の周りを見て回らないといけなくてな」
調査は続いているようだ。
まだ途中の仕事について聞いても仕方がないので、俺は器を受け取って軽く頭を下げた。
「気をつけてください」
「ああ。ごちそうさん」
兵士たちはそのまま持ち場へ戻っていった。
午後になっても客足は続き、大鍋いっぱいに作った豚汁が少しずつ減っていく。
煮詰まらないよう火を弱く保ち、時々底から混ぜて、具と汁がなるべく均等になるよう盛っていった。
やがて、おたまが鍋の底へ触れる。
残っていた具を集め、最後の汁と一緒に器へ入れた。
「これで最後の一杯です」
「おっ、間に合った」
最後の客が嬉しそうに受け取っていく。
しばらくして器が返ってくる頃には、黒剛鉄の鍋は綺麗に空になっていた。
「美味かったよ」
「また作ってくれ」
帰り際に声をかけてくれる人へ、俺も頭を下げる。
「ありがとうございました」
屋台を片付けながら直売所を見ると、昼前より話し声が増えていた。
日が傾き始めても空気には冷たさが残り、道を歩く人たちは上着を羽織ったままだ。
原因が分かったわけでも、大聖樹のことが解決したわけでもない。
それでも、帰っていく人たちの中には、さっき食べた豚汁の話をしながら笑っている人がいた。
俺は洗って乾かした鍋を収納し、最後に屋台もアイテムボックスへしまう。
冷たい風が通りを抜けた。
その風の中には、味噌と煮込んだ野菜の香りがまだ少しだけ残っている。
「さて、戻ろう」
俺が歩き出すと、メイが隣へ並び、頭の上ではシルクが耳を揺らした。
ベルも近くを飛び、ウンディーネは水の枕に身体を預けたまま、ゆっくり後をついてくる。
俺たちは豚汁の話がまだ聞こえる直売所を後にし、冷たい風の中を保養宿へ向かって歩いていった。




