第85話 飴色玉ねぎのグラタンスープと、鉄板で踊る異世界お好み焼き
自家製の日本酒と長芋の小鉢による至福の食前酒を楽しんだ後、部屋の扉が静かにノックされた。
「フトシ様、夕食の準備が整いました。ご一緒に出向かれませんか?」
顔を出したのは、燕尾服を着こなしたセバスさんだった。
「あ、はい。すぐに行きます。」
俺は急いでグラスと小鉢を片付け、相棒たちを連れてセバスさんの後を追った。
廊下を歩いていると、セバスさんが少しだけ歩みを遅め、俺の耳元で微かに身を乗り出してきた。
「……フトシ様。今度お酒を嗜む際には、私も呼んでいただけますと嬉しいです。」
「っ……!」
俺はギクリとして足を止めそうになった。
先ほど飲んだ日本酒の仄かな甘い香りを、元Sランク冒険者の鋭い嗅覚で完全に察知されていたのだ。
(完全にバレてる……。)
俺は少しだけ冷や汗をかきながらも、すぐに気を取り直して小声で返した。
「……ええ。美味しいお酒ができましたから。その時は、イザベラ様も呼びましょう。」
俺がそう告げると、セバスさんは満足そうに目を細め、静かに頷いてくれた。
そうしてその夜は、オリエンスの特産野菜をふんだんに使った美味しい夕食をいただき、ゆっくりと温泉に浸かって長旅の疲れを癒したのだった。
翌朝。
俺はいつものように保養宿の広い中庭へ出向き、セバスさんと体術と間合いの管理の訓練を行った。
互いの力をいなし、重心を崩す高度な攻防を終えて汗を流した後、俺は今日の予定を伝えた。
「今日は市場で買った野菜を使って、たくさん料理を作りたいので、朝から貸キッチンに籠るつもりです。」
セバスさんにそう告げると、彼は「火の元には十分お気をつけくださいね」と微笑んで見送ってくれた。
別棟の広い貸キッチンに入ると、相棒たちはさっそく部屋の隅の定位置に陣取った。
「よし、まずは『グランドオニオン』を使った料理からだ。」
俺はアイテムボックスから、キャベツほどもある巨大な玉ねぎを取り出し、『調理の超加速』を発動した。
タタタタタタタッ!!
目にも止まらぬ速さで包丁を振るい、巨大な玉ねぎを極薄のスライスにしていく。
俺が作ろうとしているのは、玉ねぎの甘みと旨味を極限まで引き出した『オニオングラタンスープ』だ。
熱した深い鍋に発酵バターを溶かし、スライスしたグランドオニオンを大量に投入する。
ここで微量の岩塩を振ることで、浸透圧の働きにより玉ねぎから水分が早く抜け、甘みが凝縮しやすくなるのだ。
焦げ付かないように『調理の超加速』による神速の菜箸捌きでひたすら炒め続け、玉ねぎの水分を完全に飛ばしていく。
次第に鍋の中の玉ねぎはカサを減らし、深みのある美しい『飴色』へと変化していった。
強烈な甘い香りがキッチンを満たしていく。
「飴色玉ねぎは完成だ。次はベースとなる『コンソメスープ』を引くぞ。」
本物のコンソメスープを作るには、まず土台となる極上のブイヨン(出汁)が必要だ。
俺はフォレスト・フォウルの鶏ガラと、オークの豚骨を取り出し、魔法の炎で表面を香ばしく焼き上げた。
骨を焼くことで旨味を閉じ込め、余分な脂と臭みを落とすことができる。
焼き上がった骨を巨大な寸胴鍋に入れ、そこにグランドオニオンなどの根菜、多種のハーブ、そしてたっぷりの清らかな水を加えた。
火にかけて沸騰させ、丁寧にアクを取り除いた後、俺は『絶対温度領域』を発動し、鍋の温度をごく弱火で煮立つギリギリの温度に固定した。
そのまま寸胴鍋をアイテムボックスの独立空間へと収納し、『時間加速』を発動させる。
通常であれば、骨の髄から旨味を完全に抽出するために十時間以上かかる過酷な煮込み工程を、一秒という『一瞬』へと圧縮した。
時間加速を解除し、アイテムボックスから取り出した鍋の中には、骨と野菜の旨味が溶け出した黄金色のブイヨンが完成していた。
「ここから、さらにスープを澄ませてコンソメにする。」
ブイヨンを別の鍋に濾して移し、そこに卵白と、少量のオークの赤身ミンチを混ぜ合わせたものを投入して火にかける。
温度が上がっていくにつれ、鍋の中の卵白が熱で固まり始め、スープの中に残っていた微細なアクや不純物をスポンジのように次々と吸着して水面へと浮き上がっていく。
完全に沸騰する直前で火を弱めると、鍋の表面には分厚いアクの層ができあがり、その下には不純物が一切ない、透明な琥珀色のスープが抽出されていた。
布で静かに濾すと、骨の力強い旨味と野菜の甘みが完璧に溶け込んだ、澄み切ったコンソメスープの完成だ。
「ここに、さっきの飴色玉ねぎをたっぷりと合わせる。」
黄金色のコンソメに飴色玉ねぎが混ざり合い、スープの香りがさらに一段階深く、食欲をそそる匂いへと進化した。
俺は一人用の耐熱の器をいくつか用意し、そこに熱々のスープを注ぎ込んだ。
上には、こんがりと香ばしく焼き上げたフランスパン風の特製パンを浮かべ、その上からノース・グランで大量に買い込んだハードチーズを山のように削りかける。
「仕上げは炙りだ。……『魔法のバーナー』!」
俺が指先から青い炎のバーナーを発生させ、チーズの表面を勢いよく炙っていく。
この時、普通に炙れば下のスープまで熱せられて沸騰し、味が煮詰まってしまう。
俺は『絶対温度領域』を展開し、熱が器の中のスープには一切伝わらず、表面のチーズ『だけ』に集中するように温度を完全にコントロールした。
ジュジュウゥゥッ……!
チーズがとろけ、表面に食欲をそそる焦げ目がつけば、『特製グランドオニオングラタンスープ』の完成だ。
「よし、次に行くぞ。このキャベツと長芋を使って……『お好み焼き』だ。」
俺は休むことなく、次の調理に取り掛かった。
直売所で買った『翠緑の葉球』を粗めの千切りにし、『大根長芋』をすりおろす。
ボウルに小麦粉と、干しマッシュやカニの殻から取った濃厚な和風出汁を合わせ、そこにすりおろした大根長芋をたっぷりと投入した。
大根長芋の強烈な粘り気が生地に混ざることで、火を通した時に驚くほどふっくらとした食感を生み出してくれるのだ。
千切りにしたキャベツ、刻んだネギ風の香草、そして新鮮な卵をボウルに加える。
「ここが肝心だ。混ぜすぎるとグルテンが出て生地が硬くなる。」
俺はスプーンを使い、生地に空気を含ませるようにして、下から上へとサックリと優しく混ぜ合わせた。
魔導コンロの上に分厚い鉄板を置き、しっかりと熱してから油を引く。
そこに空気を含んだ生地を流し込み、丸く厚みのある形に優しく成形した。
ジューーーッ!
生地の焼ける香ばしい匂いが立ち昇る中、俺はその上に、オークのバラ肉を薄切りにしたものをたっぷりと隙間なく乗せていった。
底面がカリッと焼けたところで、テコを使って一気にひっくり返す。
ジュワァァァッ!!
鉄板と生地の間に挟まれたオークのバラ肉から脂が溢れ出し、その脂が生地の表面を揚げるようにしてカリカリに焼き上げていく。
絶妙な火加減で中までふっくらと蒸し焼きにし、再びひっくり返せば、完璧な焼き色がついたお好み焼きのベースが完成だ。
「仕上げは、こいつらだ。」
俺はアイテムボックスから、以前たこ焼きやハンバーガーを作った際に仕込んでおいた『特製濃厚ソース』と『特製マヨネーズ』を取り出した。
果実シロップやスパイス、魚醤などを煮詰めた甘辛いソースを、熱々のお好み焼きの表面にたっぷりと塗り広げる。
ソースが鉄板にこぼれ落ちて焦げる香りが、キッチン中に爆発的に広がった。
その上から自家製マヨネーズを細い線を描くように美しくかけ、青のり風の海藻粉末と、鰹節の代わりに干し魚の薄削りをパラリと散らす。
熱で魚の削り節がウネウネと踊り出し、視覚的にも完璧な『異世界お好み焼き』が完成した。
「できたぞ、みんな。朝ごはんだ。」
俺が振り返ると、いつの間にか相棒たちが、俺の周囲を完全に包囲していた。
「ワフゥ……!」
「キュイッ……!」
誰も暴れたりせず、行儀よくおすわりをして俺から皿が出されるのを待っている。
俺は相棒たちの前に、少し冷まして食べやすくしたオニオングラタンスープとお好み焼きを切り分けて置いてやった。
「いただきます。」
俺も自分の分のオニオングラタンスープにスプーンを入れる。
香ばしいチーズと、スープをたっぷりと吸い込んだパンを崩しながら口に運んだ。
「うおっ……甘い!」
グランドオニオンの圧倒的な甘みと、骨から抽出されたコンソメの深い旨味が完全に一体化し、そこにチーズの塩気とコクがバランス良く覆いかぶさってくる。
「美味しくてとろける〜!」
ベルがスープに浮かんだパンの欠片を両手で抱え込み、頬を蕩けさせて叫んだ。
『…………っ!!』
ふと見ると、水の枕の上で優雅に食事をしていたウンディーネが、珍しく両目をカッと見開いていた。
食べる所作自体は大精霊らしく極めて美しいのだが、スプーンを動かす速度が尋常ではなく、驚くべき早さでオニオングラタンスープを平らげていく。
そのままお好み焼きの皿にも手を伸ばし、上品な一口サイズに切り分けながらも、あっという間に胃袋へと消し去ってしまった。
『……おいしい。これ、毎日食べたいわ。』
ウンディーネは口元を水の魔法で綺麗に拭いながら、本気の色が宿った青い瞳で俺を見つめてそう言った。
食いしん坊なウンディーネにここまで言わせたのだから、今回の料理は間違いなく大成功だ。
俺が嬉しくなってお好み焼きを頬張っていると、キッチンの外の廊下が何やら騒がしくなっていることに気がついた。
「通してくれ! 頼む、一口だけでいい! あの香りの正体を確かめさせてくれ!」
「落ち着きなさい、チェスター料理長! お客様の貸キッチンに押し入るなど、言語道断です!」
廊下から聞こえてきたのは、見知らぬ男の叫び声と、それを必死に咎めるセバスさんの声だった。
俺が驚いてキッチンの扉を開けると、そこにはひどく疲れた表情のセバスさんと、コック帽を被り、エプロン姿のまま目を血走らせている大柄な魔族の男が揉み合っていた。
「あ、あの……どうしました?」
俺が声をかけると、セバスさんは深く溜息をつき、乱れた燕尾服の襟元を直した。
「申し訳ありません、フトシ様。この貸キッチンから、あり得ないほど美味しそうな匂いが漏れ出しておりまして……。」
セバスさんは隣の大柄な男を指差した。
「この保養宿の厨房を預かるチェスター料理長が、匂いに正気を失って押し入ろうとしていたところを、私が止めていたのです。」
「あっ、あなたがこの匂いの主ですか! 頼む、あの複雑なスープの香りと、焦げた甘辛い匂いの料理を、どうか私に見せてくれ!」
チェスター料理長は俺の体格を一瞬見て怯んだものの、料理人としての探求心が恐怖を上回ったのか、必死の形相で懇願してきた。
「あはは……お騒がせしてすみません。ちょうど完成したところなので、よければお二人も食べていきますか?」
俺がそう提案すると、チェスター料理長は歓喜の声を上げ、セバスさんもどこかホッとしたような表情でキッチンの中へと入ってきた。
俺はすぐに、余っていたオニオングラタンスープとお好み焼きを仕上げ、二人の前に提供した。
「こ、これは……なんという深く、澄み切った旨味だ……!」
チェスター料理長はオニオングラタンスープを一口飲んだ瞬間、震える声で感嘆を漏らした。
「ただの野菜の甘みではない。骨の髄から抽出された純粋な出汁が、玉ねぎの甘みと完璧に融合している。それでいて、焦がしチーズの塩気が味を分かりやすくまとめ上げている……完璧だ!」
一方、セバスさんはお好み焼きを切り分け、特製ソースとマヨネーズをたっぷりと絡めて口に運んでいた。
「……むっ。」
セバスさんの目が驚きに見開かれる。
「これは……すごい。まるで別の国に来たかのような、全く新しい味わいです。」
セバスさんは咀嚼しながら、その未知の味覚を必死に分析しているようだった。
「長芋がもたらす生地のふっくらとした食感と、バラ肉のカリッとした香ばしさ。そして何より、この黒い甘辛いソースと、酸味のある白いソースが混ざり合った時の、圧倒的な相乗効果……。私自身、長く生きて様々な国の料理を食べてきましたが、こんな味は初めてです。」
「お口に合って良かったです。」
俺がホッと胸を撫で下ろしていると、セバスさんはお好み焼きの最後の一口を惜しむように食べ終え、満足げなため息をついた。
「これからは、匂いの強い料理を作るのは少し控えますね。他のお客さんの迷惑になってもいけませんし。」
俺が申し訳なさそうに言うと、セバスさんは静かに首を横に振った。
「いいえ、謝罪には及びません。これほどまでに美味しい料理を生み出しているのですから、香りが強いのは当然のことです。」
セバスさんは懐から、小さな魔石が埋め込まれた銀色の台座を取り出した。
「これをキッチンの玄関に置いておいてください。周囲への匂いの漏れを完全に遮断する、特殊な魔導具です。これで、フトシ様は思う存分、料理の探求を続けることができますよ。」
「ありがとうございます、セバスさん! 助かります。」
俺はセバスさんの気配りに、改めて深く感謝した。
そして、この騒動がきっかけとなり、匂いが忘れられなかったチェスター料理長は、休憩時間のたびに俺の貸キッチンを訪ねてくるようになった。
俺が作った料理を振る舞い、彼からはオリエンスの伝統的な野菜の調理法を教わる。
チェスター料理長は俺の持つ魔法の技術と、常識に囚われない料理の考え方に深い尊敬を示してくれた。
異世界の高級保養宿の厨房を預かる料理長と、探求を続ける料理人。
料理オタクが二人集まったキッチンからは、それからも連日のように、新しい絶品料理の数々が生み出されていくのだった。




