第84話 醸造の探求と、長芋の千切りだし醤油がけ
ルネさんの料理に対する真面目な姿勢と、新しい味を生み出そうと決意した瞬間を目の当たりにした俺は、たまらなく料理がしたくなってきた。
料理人としての熱意というものは、どうやら伝染するらしい。
「何か、大掛かりな仕込みをやりたいな……。」
俺は相棒たちと共に保養宿に戻ると、ダメ元で玄関先にいた和装の従業員の方に声をかけてみた。
「すみません。街で買った食材を使って少し料理をしたいんですが、どこか調理をしていい場所ってあったりしますか?」
俺が尋ねると、従業員の方はにこやかに微笑んで深く頭を下げた。
「はい、お伺いしております。お客様がご自身で調理を楽しめるよう、火の元には十分ご注意いただく形になりますが、別棟に専用の『貸キッチン』をご用意しております。」
「えっ、本当ですか?」
「はい。事前にセバス様よりお話は伺っておりまして、代金等も不要で、フトシ様はご自由にご利用いただけます。すぐにご案内いたしますね。」
(セバスさん……俺が絶対に料理をしたくなるって分かってて、手配してくれていたのか。)
そのあまりにも完璧すぎる先読み能力と気配りに、俺は深い感謝と共に、凄腕執事長の底知れなさにほんの少しだけ恐怖を覚えた。
案内された別棟のキッチンは、磨き上げられた木の調理台と最新の魔導コンロが備え付けられた、広くて非常に使いやすい空間だった。
「ワフゥ!」
「キュイッ!」
相棒たちも広いキッチンが気に入ったようで、邪魔にならない部屋の隅っこに陣取り、見学の体勢に入っている。
「さて、何から作ろうか……よし、決めたぞ。」
俺はアイテムボックスを展開し、大量にストックしている『インディカ米風の異世界米』を取り出した。
先ほど直売所や食堂でオリエンスの素晴らしい野菜に触れたことで、俺の中で一つの野望が爆発的に膨らんでいたのだ。
俺の持つスキルと魔法をフル活用し、和食の味を支える『本みりん』と、食事のお供となる『日本酒』を一から醸造してやる。
日本にいた頃、発酵や醸造の専門書を読み漁っていた時期があった。
あの時のマニアックな知識を、今ここで魔法とスキルによって形にする時だ。
「まずは準備編、お米の処理からだ。」
俺は『料理魔導の適性』を発動し、風属性と土属性の魔力を微細にコントロールした。
米の表面を覆うタンパク質や脂質は、酒を仕込んだ際に雑味の原因となる。
魔法の力を使い、米一粒一粒の表面を均一に、ミリ単位で正確に削り取っていく『精米』の工程だ。
心白と呼ばれる米の中心部分だけを残し、美しく磨き上げられた米をボウルに移す。
次に『調理の超加速』を発動させた。
常人の二倍に跳ね上がった手捌きで、米同士を優しく擦り合わせるようにして超高速で完璧に研ぎ洗いし、吸水時間を一秒単位で正確に管理してザルに上げる。
「次は蒸しの工程だ。インディカ米は割れやすいから、一気に蒸し上げるぞ。」
料理魔導の水属性と火属性を組み合わせ、純粋な高温の蒸気を発生させる。
一瞬で米の芯まで火を通し、パラパラとした絶妙な硬さに蒸し上げた直後、俺は『絶対温度領域』を発動させた。
蒸し上がった米の温度を、麹菌が最も活動しやすい『三十五度から四十度』の範囲へと瞬時に冷却し、完全にキープする。
「ここからが第一段階。醸造に必須となる『米麹』の精製だ。」
俺は周囲の空気に意識を集中させ、『料理魔導の適性』の力で、空気中からお米のデンプンを糖に変えるのに最も有用なカビ菌である『麹菌』だけを選別した。
そして、その見えない菌を魔力で吸着し、温度を完璧にキープした蒸し米の表面へ、均一な密度で付着させていく。
菌の種付けが終わった米を清潔な木箱に平らに広げて布を被せ、俺はそれをアイテムボックスの拡張機能で分割した独立空間へと収納した。
『絶対温度領域』で、その空間の温度を麹菌が最も活発になる三十度から四十度に固定する。
そして、魔力を注ぎ込んで『時間加速』を発動させた。
通常であれば丸二日はかかる過酷な麹造りの工程を、アイテムボックスの規格外の能力によって、たった一秒へと圧縮する。
時間加速を解除し、アイテムボックスから取り出した木箱の中の米は、白く美しい菌糸に覆われていた。
インディカ米特有のパラパラ感を活かした、米の芯まで菌糸が食い込む『破精込み(はぜこみ)麹』の完成である。
「よし、良い仕上がりだ。次は第二段階、日本酒の醸造にいくぞ。」
俺は巨大な木樽を用意し、まずはその中に先ほど完成した『米麹』と、新たに魔法で蒸し上げた『お米』、そして清らかな『水』をたっぷりと投入した。
再び料理魔導を使い、今度は周囲の空気中からアルコール発酵に適した優良な酵母をピンポイントで選別し、木樽の中へと放ち入れる。
そして『調理の超加速』による自動撹拌で、米、麹、水、酵母を、粒を潰さないように優しく、かつ完全に均一に混ぜ合わせた。
日本酒の醸造は、麹がデンプンを糖に変える『糖化』と、酵母が糖をアルコールに変える『発酵』が同時に進む並行複発酵と呼ばれる複雑なプロセスだ。
この二つの反応を同時に進めるための温度管理は極めてシビアだが、俺には『絶対温度領域』という武器がある。
俺は仕込みを終えた木樽を、アイテムボックスの別の独立空間へと収納した。
その空間の温度を、酵母が最も元気に、かつ雑菌が繁殖できない『十五度前後』の低温に完全固定する。
そして再び『時間加速』を発動させ、通常なら約一ヶ月かかる発酵のプロセスを、ここでも一秒で終わらせた。
アイテムボックスから取り出した木樽からは、華やかでフルーティーな新酒の香りが漂ってきた。
「発酵は完了だ。仕上げの圧搾に入るぞ。」
料理魔導の土属性による圧力と、風属性の指向性コントロールを使い、樽の中の液体である日本酒と固形物の酒粕を一瞬で分離させる。
美しい透明な液体だけを別の容器に移し、『絶対温度領域』で一瞬だけ六十五度に加熱して殺菌の火入れを行い、すぐさま低温に戻した。
「できた……インディカ米由来の、キリッと引き締まったドライで淡麗な『日本酒』だ!」
味見をしてみると、米の旨味がありながらもスッキリとしたキレのある辛口で、どんな料理にも合いそうな仕上がりだった。
「休む暇はないぞ、次は第三段階。本みりんの醸造だ。」
みりんは、日本酒の製造で生まれたアルコール、または日本酒そのものをベースにして作られる。
俺は別の木樽を用意した。
そこに、インディカ米の中でも比較的粘り気の強いものを選んで蒸し上げた『米』と、『米麹』、そして先ほど作った『日本酒』を蒸留してアルコール度数を高めたものをたっぷりと投入する。
『調理の超加速』を使い、米の粒を潰さないように優しく混ぜ合わせる。
みりんは日本酒と違って、酵母によるアルコール発酵はさせず、麹の酵素でお米のデンプンを限界まで甘みに変えるのが目的だ。
仕込みを終えた木樽を、アイテムボックスのまた別の独立空間へと収納する。
俺は『絶対温度領域』で、その空間の温度を、麹の酵素が一番強く働き、かつ酵母や雑菌が活動できなくなる『五十五度から六十度』という高温に固定した。
この温度帯を維持することで、米はひたすら糖化し、強い甘みを生み出していく。
そして『時間加速』を発動。
通常なら二ヶ月から数ヶ月かかる熟成の期間を、ここでも一秒へと圧縮した。
時間加速を停止し、アイテムボックスから取り出した樽の中は、米のデンプンが全て溶け出しドロドロの液状になっていた。
日本酒の時と同様に料理魔導の圧力で搾り出すと、副産物の『みりん粕』と分離し、とろりとした液体が抽出された。
「インディカ米のキレと、麹の強い甘みが融合した、琥珀色に輝く『本みりん』の完成だ……!」
舐めてみると、砂糖とは全く違う、米由来の奥深く複雑な甘みが口いっぱいに広がった。
「ふぅ……流石に、魔法とスキルを連続使用しすぎて疲れたな。」
日本酒と本みりんを一から醸造するという大仕事を終え、俺は心地よい疲労感と共に大きく伸びをした。
「本格的な料理を作るのは、明日にしよう。今日は、軽く食前酒でもいただきながら休むか。」
俺は作ったばかりのキリッと冷えた日本酒を、小さなグラスに注いだ。
そして、おつまみを作るために、今日直売所で買った『大根長芋』を取り出した。
大根のように白くて長いが、すりおろすと粘り気が出るという不思議な根菜だ。
俺は『調理の超加速』を発動し、包丁を握った。
トトトトトトトッ!!
目にも止まらぬ速さで、大根長芋を均等な細さの美しい『千切り』にしていく。
すりおろさずに千切りにすることで、シャキシャキとした食感と、ネバネバとした粘り気の両方を同時に味わうことができるのだ。
「次は、かけるための『特製だし醤油』作りだ。」
小鍋に、干しジャイアント・マッシュを水で戻した濃厚なキノコ出汁を入れ、そこに先ほど完成したばかりの『本みりん』を加える。
火にかけてアルコールをサッと飛ばす『煮切り』の工程を行い、みりんのまろやかな甘みと出汁の旨味を融合させる。
最後に、アイテムボックスに大量にストックしてある『手作りの天然醸造生醤油』を合わせ、火から下ろして急冷すれば、特製だし醤油の完成だ。
深めの小鉢に千切りにした大根長芋をこんもりと盛り付け、上から特製だし醤油をたっぷりと回しかけた。
「よし、これだけの簡単なおつまみだけど……絶対に美味いはずだ。」
俺はグラスと自分の小鉢、そして相棒たちの分の小鉢を持って、キッチンの隅にある休憩用の小さな丸テーブルについた。
「お前たちにもあるぞ。はい、どうぞ。」
酒の入っていない、だし醤油と大根長芋の千切りだけの小鉢を、メイ、シルク、ベル、そして空中の枕でくつろいでいるウンディーネの前に置いた。
「いただきます。」
まずは自分の分の小鉢から、だし醤油をまとった大根長芋の千切りを箸でつまみ、口の中へと運ぶ。
シャキッ、という瑞々しい歯ごたえ。
それに続いて、ヤム芋特有のネバネバとした心地よい粘り気が舌に絡みついてくる。
「うまっ……!」
みりんの奥深い甘みと生醤油のキリッとした塩気、そしてジャイアント・マッシュの出汁の風味が、大根長芋の淡白な味を見事に引き立てている。
「ワフゥ!」
「キュイッ!」
未知の食感に最初は少し驚いていたメイとシルクだったが、その濃厚な旨味と甘みが気に入ったようで、尻尾を振りながら夢中になって平らげている。
すると、俺がグラスに注いだ透明な液体を見て、ベルが透明な羽を揺らしながら飛んできた。
「ねえフトシ、その飲んでるお水はなーに? わたしにもちょうだい!」
『……ふぁ。お酒の匂いがする。私も一口もらおうかしら。』
水の枕の上でまどろんでいたウンディーネも、青い瞳を薄く開けてこちらを見つめてきた。
「ダメだよ。二人とも年齢的には俺よりずっと年上だろうけど、ベルの体のサイズじゃ少量でも酔い潰れちゃうし、ウンディーネが酔って魔法が暴走でもしたら宿が水浸しになるからな。後で甘い果汁を出してやるから、今日はこれで我慢してくれ。」
俺が苦笑いしながら諭すと、ベルは少しだけ唇を尖らせた。
「むー、ケチね! でも、このネバネバしたお野菜が甘くて美味しいから許してあげる!」
ベルは小さな両手で長芋の千切りを抱え込み、幸せそうに咀嚼し始めた。
『むにゃ……まあ、もう眠いからいいわ。シャキシャキしてて面白い食感ね……すぅ。』
ウンディーネも指先で器用に長い繊維をつまみ上げて味わうと、満足したように目を閉じ、再びスースーと寝息を立て始めた。
俺は相棒たちの賑やかな様子に目を細めながら、旨味とネバネバ感が口に残っているうちに、冷たく冷やした自家製日本酒をクイッとあおった。
「かぁーっ……最高だ。」
日本酒のドライで淡麗な辛口が、口の中の旨味をスッキリと洗い流し、同時に米の華やかな香りが鼻腔を抜けていく。
シャキネバの長芋と、だし醤油、そして日本酒。
この組み合わせは、もはや反則的と言えるほどの相性の良さだった。
十七歳という年齢でありながら、異世界の成人年齢を利用してすっかりお酒の味を覚えてしまった自分。
(いつのまにか、立派な飲兵衛みたいになってしまったな。)
俺は自分の変化に少しだけ苦笑いしながらも、箸とグラスを進める手を止めることができなかった。
大聖樹の加護がもたらす常春の風を感じながら、俺のオリエンスでの穏やかな夜の晩酌は、ゆっくりと進んでいった。




