第79話 洗練される筋肉と、甘辛照り焼きチキンサンドイッチ
ノース・グラン王城の地下訓練場に、乾いた木と木が激しくぶつかり合う音が響き渡っていた。
俺は極太の木棒を両手で構え、セバスさんの放つ鋭いレイピアの刺突を、力ではなく『技術』で受け流す。
木棒の側面を滑らせるようにして刺突の軌道を真横へと逸らし、手首の柔らかなスナップを効かせて即座に反撃へと転じた。
力任せに振り回すのではなく、あえて初動を遅らせるフェイントを一つ挟み込む。
セバスさんがその不規則なタイミングに合わせようとわずかに体勢を崩した、その一瞬の隙を突いた。
踏み込みと共に木棒を真っ直ぐに突き出し、セバスさんの首筋から数センチの距離でピタリと寸止めする。
「……お見事です、フトシ様。」
セバスさんが静かにレイピアを下ろし、感嘆の息を漏らしながら微笑んだ。
「まさかたったの二週間で、この私の防御を崩して一本を取れるようになるとは思いませんでしたよ。」
「ありがとうございます、セバスさん。」
俺は荒い息を吐きながら木棒を下ろし、額に浮かんだ汗をタオルで拭った。
セバスさんや騎士団の皆様に鍛えてもらいながら修行を続けること、二週間。
俺は対人戦闘における駆け引きや、相手の力をいなす技術をスポンジのように吸収し、見違えるような成長を遂げていた。
それと同時に、俺の肉体にも著しい変化が起きていた。
もともと恵まれていた体格に加え、スキルの自動強化や過酷な毎日の鍛錬が影響したのだろう。
日本にいた頃よりもさらに筋肉の繊維が太く密度を増し、無駄な脂肪が極限まで削ぎ落とされて洗練されていた。
シャツの袖がはち切れんばかりに膨れ上がったその圧倒的なバルクは、過酷な鍛錬に耐え抜いた結果として、極めて逞しい戦士の肉体へと変貌を遂げていたのである。
「キュイッ!」
「ワフゥッ!」
俺が息を整えていると、訓練場の反対側からも、気合いの入った相棒たちの声が聞こえてきた。
シルクとメイは、ヴォルグ騎士団長が率いる数十人の精鋭騎士たちに四方八方から包囲されていた。
だが、二週間前のように変則的な連携や罠に翻弄されることは、もうない。
シルクは死角から突き出された槍の穂先を、耳の感覚と気配だけで正確に察知し、身を屈めて回避すると同時に鋭い回し蹴りを騎士の防具に叩き込んでいる。
メイもまた、背後からの足払いを軽快なステップで躱し、氷の魔法で相手の足元を的確に牽制して距離を保っていた。
「素晴らしい反応速度ですわね、ベル様!」
一方の空域では、ザディス魔術師長が放つ無数の魔力弾の雨の中を、ベルが透明な羽を羽ばたかせて高速で飛び回っていた。
魔力を持たない不可視の投擲武器が飛来しても、ベルは直感と風の流れを読み取り、空中でアクロバティックに身を捻って完全に見切っている。
「ふふんっ! わたしだって、毎日特訓してるんだからね!」
ベルは得意げに胸を張り、小さな指先から風の刃を放って、飛来するナイフを空中で正確に撃ち落としてみせた。
全員が戦う相手を毎回変え、実戦さながらの泥臭い組手を経験し続けたことで、人間特有の不意打ちや罠に対する対応力を完全に身につけていたのだ。
「皆様、今日の訓練はここまでにいたしましょう。」
セバスさんが手を叩いて合図をすると、訓練場にいた全員が一斉に武器を収め、その場にへたり込んだり、大きく伸びをしたりして緊張を解いた。
ウンディーネも、空中に浮かべていた巨大な水の枕の上で、ふわぁと可愛らしい欠伸をしている。
「セバスさん、ヴォルグ団長、ザディス魔術師長、それに騎士と魔術師の皆様。今日も訓練に付き合ってくださって、本当にありがとうございました。」
俺が深く頭を下げると、汗だくになった兵士たちが笑顔で手を振り返してくれた。
「俺から皆様に、今日もささやかながら軽食を用意させてもらいました。」
俺はアイテムボックスを展開し、空間の中に保温・保冷状態でストックしておいた大皿を次々と長机の上に並べていった。
これまでも、過酷な練習の後に手軽に栄養補給ができるよう、様々な具材を包んだおにぎりやサンドイッチを振る舞ってきたのだ。
「今日は、俺の自信作を持ってきました。特製の『照り焼きチキンサンドイッチ』です。」
大皿に乗せられた分厚いサンドイッチの山を見た瞬間、騎士や魔術師たちの喉がゴクリと大きく鳴る音が聞こえた。
「おおっ……相変わらず、とんでもなく美味そうな匂いがするな……!」
ヴォルグ団長が目を輝かせ、さっそく一番大きなサンドイッチを手に取った。
このサンドイッチの主役は、極上の肉質を持つフォレスト・フォウルのもも肉だ。
調理の際、まずは熱したフライパンで皮目を下にしてじっくりと焼き、香ばしさを限界まで引き出しつつ、滲み出た余分な脂を布巾で丁寧に拭き取る。
そこに合わせるのは、俺が手作りした天然醸造醤油、隠し味の極上味噌、そして風味付けの赤ワインだ。
(インディカ米を大量に確保しているのだから、いずれは『料理魔導の適性』で有用菌を選別・活性化させ、アイテムボックスの『時間加速』と『絶対温度領域』を駆使して、本物の日本酒やみりんを一から醸造してみたいものだな。)
そんな【探求者】としての野望を抱きつつ、今回はみりんの代用としてたっぷりの果実シロップと砂糖をブレンドし、特製の黄金比タレを作り上げた。
高温のフライパンにタレを回し入れ、焦げる直前のギリギリの温度で一気に煮詰めていく。
粘度を増した甘辛いタレが分厚い肉にしっかりと絡みつき、表面には鏡のように美しい飴色の『照り』が形成される。
そして、天然酵母を使って焼き上げた特製食パンの断面に、卵黄とオイルを完璧に乳化させた自家製マヨネーズをたっぷりと塗る。
さらに、そこに合わせる『辛子』にも秘密があった。
最近、ノース・グランの市場を歩いていた際、ピーマンのような形をした黄色い野菜を見つけたのだ。
気になってすかさず【鑑定】してみると、なんとその野菜の成分は日本の『和からし』とほぼ同じだった。
俺はそれを大量に買い込み、乾燥させて粉末にし、少量の水で練り上げることで酵素を働かせ、ツンとした心地よい刺激と風味を持つ特製辛子を完成させたのだ。
これをマヨネーズの上から薄く塗り広げた。
冷水に晒してシャキシャキの食感を引き出した葉野菜と共に、熱々の照り焼きチキンを分厚く挟み込み、上から少し圧をかけて味を馴染ませれば完成だ。
「いただきます!」
俺も相棒たちと共に、自分の分のサンドイッチを手に取って大きく口を開けた。
サクッ、ジュワァァァッ。
香ばしいパンの食感に続き、フォレスト・フォウルの弾力ある肉から、熱い肉汁が滝のように溢れ出す。
「うん……うまいっ!」
醤油の深いコクと砂糖の暴力的な甘みが交じり合ったタレが、自家製マヨネーズのまろやかな酸味と完璧な乳化を起こし、強烈な旨味の相乗効果を生み出していた。
後から追いかけてくる特製辛子のツンとしたアクセントが、濃厚な照り焼きの味をキリッと引き締め、次の一口を無限に誘発する。
「ワフッ、ワッフゥ!」
「キュイッ!」
メイとシルクも、口の周りにマヨネーズとタレをつけながら、夢中になってサンドイッチを頬張っている。
ベルも小さな両手でパンの欠片を抱え込み、幸せそうに咀嚼していた。
ウンディーネは水の枕に寝転がったまま、指先で器用にチキンだけをつまみ出して味わっている。
「うおおおおっ! なんだこの肉の旨味は!」
「甘辛いタレと、この酸味のある白いソースの相性が良すぎる……!」
屈強な騎士たちや魔術師たちが、顔を綻ばせながら次々とサンドイッチを胃袋へと流し込んでいく。
そんな中、口元を布で拭いながら、一人の若い騎士が俺に話しかけてきた。
「フトシ殿。実は私、この数日の都市巡回中に、広場の屋台でフトシ殿の『チーズいももち』を買って食べたことがあるんですよ。」
「えっ、そうだったんですか?」
「はい。非番の時に行列に並びましてね。あのあまじょっぱいタレと伸びるチーズの味に感動して、いつかお礼を言いたいと思っていたんです。まさか、こうして直接料理を振る舞っていただけるとは思いませんでした。」
騎士の言葉に、他の何人かの兵士たちも「実は俺も並んだ」「あげいもが最高だった」と同調し、訓練場は和やかな空気に包まれた。
すると、大皿のサンドイッチを三個も平らげた若い女性の魔術師が、名残惜しそうに俺の顔を見つめて声を上げた。
「フトシさん、これからもセバス様たちについてきて、ずっと私たちのために料理を作ってくださいよ!」
「えっ? いや、俺は冒険者として旅をしている身なので……。」
俺が苦笑いしながら答えると、女性魔術師は唇を尖らせて不満の声を漏らした。
「ちぇーっ。フトシさんのこと、すごく気に入ってたのになー。」
「…………はい?」
俺は思わず動きを止め、彼女の顔を二度見してしまった。
今のは、俺の作る『料理』のことが気に入っていたという意味なのか。
それとも、共に汗を流した俺『自身』に対する好意的な言葉だったのか。
(いやいや、ただの軽口に決まってるだろ。勘違いするな俺。)
俺が一人で困惑していると、隣で優雅に紅茶を飲んでいたセバスさんが、少しだけ苦笑いを浮かべて口を開いた。
「これこれ。フトシ様には、フトシ様の旅の目的や事情がございますからね。我儘を言って困らせてはいけませんよ。」
「はーい、セバス様。」
セバスさんの完璧なフォローのおかげで、女性魔術師は素直に引き下がり、俺はホッと胸を撫で下ろした。
こうして、ノース・グランでの屋台商売と、過酷だが充実した修行の日々は、瞬く間に過ぎ去っていった。
俺の屋台は広場の伝説として語り継がれるほどの大盛況を収め、俺自身も対人戦闘における確かな『技術』と『自信』を手に入れることができた。
そして数日後の、よく晴れた朝。
俺たち一行は、王城の正門前に用意された豪奢な馬車の前に集まっていた。
「フトシ様、準備はよろしいですか。」
完璧な燕尾服を着こなしたセバスさんが、馬車の扉を開けて優しく微笑みかけてくる。
「はい。忘れ物はありません。」
俺が力強く頷くと、馬車の中からイザベラ陛下が顔を覗かせ、楽しそうに赤い髪を揺らした。
「うむ。ノース・グランでの滞在は、お主の料理のおかげで非常に有意義なものとなったぞ。」
「恐縮です、陛下。」
俺は相棒たちと共に馬車に乗り込み、ふかふかの座席へと腰を下ろした。
イザベラ陛下の都市巡回に同行する形で、俺たちは次なる目的地へと旅立つことになったのだ。
馬車がゆっくりと動き出し、石畳の街並みが車窓の向こうへと流れていく。
酪農とチーズの香り、そして大切なことに気づかせてくれたノース・グランの街並み。
俺たちは窓の外に広がる景色を目に焼き付けながら、東に位置する美しい街、東の緑都『オリエンス』へと向けて、新たな一歩を踏み出したのだった。




