第74話 あげいもとチーズハットグ、そして攫われた妖精
ノース・グランの屋台広場で『チーズいももち』の販売を始めてから、あっという間に一週間が経過していた。
最初は物珍しさから遠巻きに見ていた労働者の方々や冒険者の方々も、一度あのモチモチとした食感とあまじょっぱい特製みたらし餡の味を知ると、瞬く間に虜になっていった。
毎日仕事終わりに寄ってくださる常連客も増え、俺の屋台は確固たる人気とファンを獲得していた。
「よし、いももちの売れ行きも安定してきたし、今日から新しいメニューを二つ出してみよう。」
「新しいメニュー! どんなのを作るの?」
肩の上で羽を揺らすベルに、俺は自信満々で答えた。
「この街の美味しい『火炎芋』と『チーズ』を使った、最高の揚げ物だよ。」
俺が日本の北海道に旅行へ行った際、中山峠という場所で食べた名物『あげいも』と、屋台で大人気の『チーズハットグ』を再現するのだ。
まずは『あげいも』の仕込みから始める。
皮を剥いて適度な大きさに切った火炎芋を、少量の赤塩を入れたお湯で柔らかくなるまで蒸し茹でにし、ホクホクの状態にして太めの串に刺しておく。
ここからが味と食感の要となる『バッター液(衣)』作りだ。
ボウルに小麦粉、砂糖、少量の塩を合わせ、そこに水の代わりに冷えた『エール』をたっぷりと注ぎ入れた。
エールに含まれる炭酸ガスが衣に無数の気泡を作り出し、アルコールが油の中で素早く蒸発することで、驚くほどカリカリでサクサクの食感を生み出してくれるのだ。
「次はチーズハットグだ。」
工房の直売所で買ったとれたてのフレッシュチーズを太いスティック状に切り出し、串に刺す。
こちらは中のチーズが熱で漏れ出さないよう、少し水分を減らして粘度を重くしたバッター液にしっかりとくぐらせる。
そして、表面に細かくサイコロ状に切った生の火炎芋をびっしりとまぶしつけた。
「よし、これを一気に揚げていくぞ。」
アイテムボックスの『絶対温度領域』を利用して、黒剛鉄のフライパンにたっぷりと張った油の温度を百八十度にピタリと固定する。
そこに、たっぷりと衣をまとったあげいもとチーズハットグを静かに投入した。
ジュワァァァァッ!!
油が弾ける心地よい音と共に、エールの成分が衣を黄金色に膨らませ、発酵バターを思わせる香ばしい匂いが広場へと広がっていく。
「おい兄ちゃん、今日はなんだか違ういい匂いがするな!」
毎日来てくださるエール好きの中年冒険者の方が、早速屋台を覗き込んできた。
「今日からの新メニュー、『あげいも』と『チーズハットグ』です。どちらも片手で食べられてお腹にたまりますよ。」
俺は油から引き上げた熱々の串をバットに並べた。
まん丸に膨らんだあげいもには、トマトを煮詰めて作った特製ケチャップと、卵黄とオイルを乳化させた特製マヨネーズをお好みでかけてもらう。
チーズハットグにはケチャップをたっぷりと走らせた。
冒険者の方がまずチーズハットグに大きくかぶりつくと、サクッという豪快な音と共に、中からトロトロに溶けたフレッシュチーズがびよーんと長く伸びた。
「うおおっ!? なんだこのチーズの伸びは! 外の芋はホクホクでカリカリだし、中のチーズとケチャップの酸味がエールにめちゃくちゃ合うぜ!」
その視覚的なインパクトと強烈な美味しさに、周囲のお客様たちも次々と注文を入れてくれた。
あげいもの方も、ほんのり甘いサクサクの衣と火炎芋のふくよかな甘みが特製ソースと絡み合い、いももちに負けないほどの大人気商品となった。
それからさらに一週間。
屋台を始めて合計二週間が経つ頃には、俺たちの屋台の前に並ぶお客様の列は、広場の名物の一つとして完全に定着していた。
今日も仕込んできた食材をすべて売り切り、大満足で屋台の設備をアイテムボックスへと収納する。
「はあーっ、今日もよく働いたな。」
「キュイッ!」
「ワフッ!」
シルクとメイも、愛想を振りまいて少し疲れたのか、俺の足元で満足そうに伸びをしている。
ウンディーネは相変わらず、空中の枕でスースーと眠っていた。
夕暮れ時のノース・グランの街路は、北風がさらに冷たさを増し、行き交う人々の数もまばらになっていた。
「今日は揚げ物をたくさん作って油の匂いを浴びたからな。城に帰ったら、すぐにお風呂に入ってさっぱりしてから、冷たいエールでも飲もうかな。」
俺がそんな晩酌の予定を考えながら、相棒たちと共に石畳の道を歩いていた、その時だった。
ヒュンッ!
背後の路地裏から、風を切るような微かな音が響いた。
「えっ……きゃあっ!?」
振り返るよりも早く、俺の後ろを飛んでいたベルの短い悲鳴が上がった。
「ベル!?」
俺が弾かれたように振り返ると、全身を黒いフードとローブで覆った人影が、ベルを粗末な麻袋のようなものに押し込もうとしているところだった。
だが、男がベルの体に直接触れようとしたその刹那、ベルの周囲を青く透き通った『水の結界』がドーム状に覆い尽くし、男の手を弾き飛ばしたのだ。
「チィッ……!」
男は舌打ちをし、結界に包まれたベルを強引に麻袋に押し込むと、異常なほどの身軽さで路地の壁を蹴り上がり、屋根伝いに跳躍して逃走を始めた。
その間、男の動きは常軌を逸した速さであり、水の魔法による追撃や拘束を試みる隙すら一切与えなかった。
「待てッ!!」
俺は即座にアイテムボックスから『如意の金剛棒』を取り出し、地面を蹴って男へと肉薄した。
しかし、相手はこの入り組んだ街の立体的な構造を完璧に把握しているようだった。
迷路のような裏通りと工場の屋根の連続を縦横無尽に飛び回り、あっという間にその気配を街の闇の中へと消してしまったのだ。
「くそっ……! 見失った!」
俺は屋根の上で金剛棒を握り締め、ギリッと歯を食いしばった。
自分の油断のせいで、大切な家族であるベルを攫われてしまった。
焦燥感と怒りで目の前が真っ暗になりかけた、その瞬間。
『……フトシ。聞こえる?』
不意に、俺の脳内に直接、眠たげで静かな女性の声が響いた。
(ウンディーネ!?)
俺が周囲を見渡すが、不可視の魔法を展開している彼女の姿はどこにもない。
『うん。私、ベルが攫われた瞬間に、姿を消したままあの黒い服の男についてきた。』
ウンディーネの声は、言葉の波動を直接相手の脳裏に届ける『思念伝達』の精霊魔法によるものだった。
『ごめん。あいつ、動きがすごく早くて……攻撃魔法が間に合わなくて、咄嗟にベルを中心にして結界を張るので精一杯だった。』
「そうだったのか……。」
大精霊であるウンディーネの魔法すら振り切るほどの速度となれば、あの暗殺者は相当な手練れに違いない。
『でも、大丈夫。ベルは私が結界で必ず守る。指一本触れさせないから、安心して。……今、男がどこへ向かっているか探ってる。アジトがわかったら、場所を思念で送るから待ってて。』
「……ありがとう、ウンディーネ。絶対に無理だけはしないでくれよ。」
俺が脳内で強く念じると、彼女から『まかせて』という短い思念が返ってきた。
水を司る最高位の大精霊が不可視の状態で張り付き、鉄壁の結界を張っているのなら、ベルの命に危険が及ぶことは絶対にないだろう。
俺は少しだけ冷静さを取り戻し、メイとシルクを連れて急いで王城へと引き返した。
王城の客室に駆け込むと、ちょうど夕食の確認に来ていたセバスさんが、俺のただならぬ様子に眉をひそめた。
「フトシ様、いかがなさいましたか? 酷くお急ぎのようですが。」
「セバスさん! 実は帰り道で、ベルが何者かに攫われたんです。」
「なんですと……!?」
俺の報告に、セバスさんの表情が一瞬にして険しいものへと変わった。
「ウンディーネがベルに結界を張って、姿を消したまま犯人を追跡してくれているので、場所が分かり次第、俺がすぐに助けに向かいます。ですので、今日の夕食は申し訳ありませんが……」
俺がそこまで言いかけた時、セバスさんがスッと片手を上げて俺の言葉を遮った。
「フトシ様。私も、ご一緒いたします。」
「えっ……いや、でも相手はあの平原の襲撃を仕掛けてきた連中かもしれません。確実に戦闘になりますし、セバスさんはここで待っていてください。」
王室の執事長であるセバスさんを、得体の知れない危険な場所に巻き込むわけにはいかない。
俺が慌てて制止しようとすると、セバスさんは燕尾服の襟を正し、完璧な執事の顔のまま、どこか凄みのある低い声で呟いた。
「ご心配には及びませんよ、フトシ様。こう見えても、若い頃は少々『ブイブイと言わせて』おりましてね。決して、フトシ様の足手まといにはなりません。」
その言葉の裏に隠された確かな実力と、友人を助けようとする俺への強い敬意を感じ取り、俺は息を呑んだ。
『……フトシ。場所、わかった。』
ちょうどその時、ウンディーネからの思念が再び脳裏に届き、ノース・グランの街の明確な位置情報が共有された。
「……わかりました。セバスさん、一緒にお願いします。」
「承知いたしました。念のため、アジトの周囲には私の手配で近衛兵を密かに配置しておきましょう。ネズミ一匹、逃がしはしません。」
場所は、内周の工場地帯にある、廃棄された巨大なチーズ倉庫の地下だ。
俺とセバスさんは、メイとシルクを連れて、冷たい夜風の吹く街へと飛び出した。
一方その頃、廃棄された大型チーズ倉庫の地下深くに広がる、カビ臭い石造りの空間。
そこは、世界を滅ぼす邪悪な魔神を召喚しようと企むカルト集団『アドヴァース』のノース・グラン拠点だった。
彼らはここで、魔力の濃い魔物や人間を密かに攫っては無残に魔力を抽出し、最終的に儀式の使い捨ての生贄とするための残虐極まりない実験を繰り返していた。
「……ザルバフ様。戻りました。」
黒装束の暗殺者が、部屋の奥の豪華な椅子にふんぞり返るフードの男の前に片膝をついた。
この男こそ、カルト集団『アドヴァース』において、ノース・グラン拠点の管理を任されている現場指揮役のザルバフである。
組織の幹部というわけではないが、この都市の裏稼業と末端の構成員たちを牛耳る、現場で一番権力を持った男だった。
暗殺者は抱えていた麻袋の紐を解き、中から気を失っている手のひらサイズのピクシー、ベルを取り出した。
だが、ベルの体は青く輝く硬質な『水の結界』に完全に覆われており、暗殺者の手は結界の表面を滑るだけだった。
「おお……! 素晴らしい、見事な手際だ!」
ザルバフは立ち上がり、テーブルの上に置かれた結界越しのベルを見て、歓喜と野心に顔を歪ませた。
「あのただの冒険者風情が連れていた妖精にしては、随分と生意気な真似をしてくれる。自らの身を守るために、こんな無駄な結界を張って気絶したか。……ふん、だがこんな結界も、いずれ魔力が尽きればなくなるさ。」
ザルバフはウンディーネの圧倒的な精霊魔法を、ベル自身が最後の足掻きで張った脆弱な魔法だと勘違いし、鼻で笑った。
彼は他者の命や尊厳など欠片も気にかけていない。
利用できるものは骨の髄まで利用し、搾取することが当然だと信じて疑わない外道だった。
「この美しい羽、そして内に秘められた尋常ではない濃密な自然の魔素。これほどの魔力を持つ生贄のタンクを捧げれば、儀式は飛躍的に前進する。」
ザルバフは興奮気味に、手元にあった高価な赤ワインのグラスを呷った。
「そうすれば、上の幹部連中も俺の実力を認めざるを得なくなる。このしがない現場指揮役の地位から抜け出し、俺もついに組織の中枢へと食い込めるのだ……! くっくっくっ、はーっはっはっは!!」
ザルバフの下劣で狂気に満ちた高笑いが、薄暗い地下室に響き渡る。
彼は完全に勝利を確信し、高いワインの味に酔いしれていた。
この部屋のすぐ隅の空中に、水を司る大精霊が『不可視の魔法』を展開したまま、氷のような冷たい瞳で彼らを見下ろしていることも。
そして今まさに、規格外の腕力を持つ激怒した【探求者】と、かつてブイブイ言わせていたという底知れぬ力を持つ完璧な執事が、アジトの扉を蹴り破る寸前まで迫っていることも。
彼らはまだ、何も知らなかった。




