第71話 工場直売の工房巡りと、青空の下の鉄兜焼き
ノース・グラン王城の柔らかなベッドで心地よい朝を迎え、俺と相棒たちは冷たい北風が吹き抜ける街へと足を踏み出していた。
「こうして改めて街の中を歩いてみると、本当に規模が大きいな。」
頑強な灰色の石造りの建物が規則正しく並ぶ街並みを見渡し、俺は感嘆の息を漏らした。
このノース・グランは、一般的な中世のファンタジー都市の様式を取りつつも、明確に区画が整理された巨大な都市だ。
外周部に広がる見渡す限りの広大な牧草地では、頑丈な木の柵と微弱な魔力の結界によって、いくつもの広大なエリアが綺麗に区切られていた。
草食である毛並みの豊かなヒツジ型の魔物や、力強い足取りの牛型の魔物たちがいるエリア。
そして、雑食や肉食の傾向があるフォレスト・フォウルなどの鳥型・獣型の魔物たちがいるエリア。
それらが決して混ざり合って生態系を乱すことがないよう、徹底した安全管理のもとでのびのびと放牧が行われているのだ。
そして、街の中心部を囲む『内周』エリアには、その豊富な畜産資源を加工するための大きな石造りの工房や、煙突を備えた工場のような建物が数多く密集していた。
発酵酵母と乳製品が交わり合った独特の甘い香りが、街の冷たい空気の中に絶えず漂っている。
「今日はこの内周の工房を回って、いろいろお買い物してみようか。」
「賛成よ! このあたり、すっごくいい匂いがずっとしてるもの!」
「ワフッ!」
「キュイッ!」
ベルが俺の肩の上で興奮気味に羽を揺らし、足元のメイと頭の上のシルクも期待に満ちた声を上げる。
空中に召喚した水の枕に顔を埋めたまま浮いているウンディーネも、「……ごはんのにおい……」と小さく鼻を動かしていた。
石畳の通りを進むと、各工房の軒先には、日本の『工場直売所』のように、出来たての加工食品を売る小さな店舗や売り場がズラリと並んでいた。
どれも市場を通さない直売ならではの良心的な価格で、とびきり新鮮な品々が揃っている。
「よし、まずはあそこのチーズ工房に行ってみよう。」
俺たちが最初に入ったのは、白亜のレンガで造られた特に大きなチーズ直売所だった。
広い店内の陳列棚には、日本の百貨店にも負けないほどの多様なチーズが堂々と並べられている。
長期間の熟成によってアミノ酸の旨味結晶が浮き出た、超硬質の『グラン・ド・ノース』。
表面を白いカビのヴェールで優しく包み込み、内部がトロリと熟した白カビ軟質チーズ。
とれたての牛乳をそのまま凝固させ、手作業で練り上げて繊維状の美しい弾力を残したフレッシュチーズ。
そして、黄色い蝋のような皮に覆われ、マイルドで濃厚な乳のコクを凝縮させたセミハードチーズまである。
(すごい……どれも最高の状態に仕上がってるな。)
俺の【探求者】としての本能と、料理人としての創作意欲が激しく刺激された。
これから作る料理のバリエーションを考えれば、どれ一つとして見逃すことはできない。
ただ、棚に並んでいる分を片っ端から買い占めてしまっては、他の街の住人たちの迷惑になってしまうだろう。
俺は陳列棚を整理していた若い魔族の店員さんに近づき、声をかけた。
「すみません、少々よろしいでしょうか。」
「はい、いらっしゃいませ。どのようなチーズをお探しですか?」
「本当にどれも素晴らしくて、たくさん買いたいのですが……ここにあるものって、いっぱい買ってもいいんでしょうか? 他のお客様のご迷惑になりませんか?」
俺が敬意を込めて丁寧に尋ねると、店員の女性は少し驚き、それから柔らかな営業の笑みを浮かべた。
「お気遣いありがとうございます。それでしたら、こちらへご案内いたしますね。」
彼女に導かれて売り場の奥へ進むと、落ち着いた応接のテーブルが並ぶ別室へと案内された。
おそらく、王城や高級飲食店など、業務用に大量購入する取引先と個別に商談を行うための部屋なのだろう。
席に着くとすぐに温かい香草の茶が運ばれ、別のベテラン店員がカタログのような木製プレートを持って現れた。
「まずは、今この工房でご用意できるすべての種類をご紹介させていただきますね。」
「ありがとうございます。今ある全種類のチーズを、それぞれ十キロほど購入したいと考えています。」
「……えっ!? ぜ、全種類を十キロずつ、でございますか?」
店員が目を丸くして声を詰まらせた。
個人のお客様がここまでの重量をまとめ買いするのは、さすがに異例中の異例だったらしい。
「はい。旅の途中でして、どうしてもここの極上のチーズをたくさん持ち歩きたくて。」
「さ、さようでございますか! それほどの評価をいただき、職人たちも喜びます。ただいま工房の地下貯蔵庫からご用意いたしますね!」
ベテランの店員は嬉しそうな表情を浮かべ、すぐさま工房の者たちへ指示を出しに部屋を出ていった。
戻ってくると、店員はさらに別の商品を提案してくれた。
「実は私どもでは、チーズ以外にも最高品質の発酵バターも生産しておりますが、そちらはいかがでしょう?」
「おお、ここの発酵バターは昨日いただいたスープにも使われていて絶品でした。それもぜひ、十キロほどお願いします。」
「ありがとうございます! ただいまお包みいたします!」
程なくして運ばれてきた膨大な量のチーズとバターの樽を、俺は周囲に誤解されないよう専用の荷車へ積み込むふりをしつつ、アイテムボックスに収納した。
時間経過のない神話級の空間に納めたことで、最高の発酵具合を何年でも維持することができる。
ほくほく顔でチーズ工房を後にした俺たちは、お腹が程よく空いてきたところで、次なる目的の場所へと向かった。
セバスさんから聞いていた、ノース・グラン名物のあの鉄板焼き料理を味わうためだ。
辿り着いたのは、街の広場に面した大規模な飲食店だった。
店舗の建物自体も大きいが、それ以上に目を引くのは、外に設置された広大なテラスエリアだ。
オープンエアの大開口テント屋根が並び、その下に長い木製テーブルとベンチが何列も配置されている。
これだけの広さであれば、メイたちのような従魔が一緒でも一切周囲の邪魔にならない。
「いらっしゃいませ! こちらは従魔の皆様もご一緒で大丈夫ですよ!」
活気のある店員に迎えられ、俺たちはまず建物内の注文カウンターへと向かった。
「こちらの『ノース・グラン風 鉄兜焼き(アイアンヘルム・グリル)』の特大盛りセットと、旬の野菜の盛り合わせをお願いします。従魔たちの分もまとめて食べるので、お肉はたっぷり追加で。」
「まいどあり! それじゃあ、こちらの番号の木札を持ってお好きな席にお座りください。木札は見えやすいところに置いておいてくださいね!」
手渡された分厚い番号の木札を受け取り、俺たちはテラスの風通しの良い角のテーブル席を確保した。
木札をテーブルの中央に見えやすく立てておくと、数分もしないうちに、両手に重厚な機材を持った店員たちがやってきた。
「お待ちどうさま! まずはコンロと専用の鉄板です!」
テーブルの真ん中に置かれたのは、強力な魔石ヒーターを内蔵した金属製の魔導コンロ。
そしてその上に配置されたのは、中央が兜のように美しいドーム状に盛り上がり、縁の周囲に深めの溝が巡らされた、重厚な黒剛鉄製の専用鉄板だった。
続いて、大きな大皿がいくつも運ばれてくる。
「こちらが朝締め肉の特製タレ漬け、そして寒冷地野菜の盛り合わせでございます! 火加減は自由に調整してくださいね!」
「うわぁ……! すごいお肉と野菜の量よ!」
ベルが目の前の大皿を見下ろし、感嘆の声を上げる。
大皿の上で艶やかに光る厚切りの肉は、果汁と香草、そして独自のスパイスを小魚を発酵させた『魚醤』に合わせた特製タレにじっくりと漬け込まれており、見た目からも柔らかさが伝わってくる。
まだこの異世界には醤油が浸透していないため、旨味と塩気を補うために魚醤が使われているのだろう。
野菜皿には、甘みの詰まった大根風の根菜、そして鉄のように硬いが過熱することで驚くほどの甘みに化けるアイアンキャベジの極細切りや、モヤシに似た白い芽の野菜が山盛りにされていた。
俺はふと、大皿に乗った艶やかな肉が気になり、視線を向けて【鑑定】を発動させた。
【魔物:ヒツジ】
詳細:寒冷地に適応した分厚いウールを持つ草食魔物。肉には特有の風味と体を芯から温める作用があり、ノース・グランの特産品として親しまれている。
(……そのままの名前かよ。)
俺は内心でツッコミを入れつつ、昨日城の夕食で出た絶品のロース肉も、現実世界の羊ではなく、この『ヒツジ』という名前の魔物の肉だったことにようやく気がついた。
「よし、早速焼いていこう。」
俺はまず、熱せられた鉄板のドームの頂上に、付属していた白いヒツジの脂身を乗せ、滑らせるようにして表面に馴染ませていく。
じゅわぁぁっと脂が溶け出し、鉄の表面に油膜を張り巡らせる。
「まずは縁の溝の部分に、野菜をたっぷり敷き詰めるんだ。」
アイアンキャベジとモヤシに似た野菜、そしてスライスした根菜を、ドームを囲むように溝へギッシリと詰め込む。
そして、十分に温まった中央の兜形ドームに、タレ漬けのヒツジ肉を丁寧に並べた。
ジューッ!! ジュワァァァッ!!
肉が熱い鉄のドームに触れた瞬間、猛烈で暴力的なまでの香ばしい焼き音と香りがテラス全体へ広がった。
焦げる魚醤の野性味あふれる深いコク、果汁の爽やかな酸味、そしてヒツジ特有の濃厚な旨味が一体となった匂いだ。
スパイスと果汁のバランスが見事で、魚醤特有の嫌な生臭さは完全に消え去っている。
「ワォォォォンッ!!」
「キュイッ、キュイイッ!!」
その匂いに刺激され、メイが床のベンチに前足を乗せて尻尾を激しく振り、シルクも頭の上から身を乗り出して肉を凝視している。
空中の枕で寝ていたウンディーネも、いつの間にか枕から飛び降り、俺のすぐ隣でテーブルを見つめていた。
「……すごく、いいにおい。おなかすいた。」
「すぐ焼けるから少し待っててな。」
ドームの斜面で加熱されたヒツジからは、旨味をたっぷりと含んだ脂と特製のタレが、じわじわと滑り落ちていく。
その肉汁の川が、縁の溝で待ち構えているアイアンキャベツや野菜の山へと注ぎ込まれ、野菜をグツグツと音を立てて煮焼きの状態へ変えていくのだ。
「よし、もういいぞ。まずは肉から食べてみな。」
絶妙な焼き目がつき、中心に肉汁を閉じ込めた最高の状態のヒツジ肉を、俺は相棒たちのそれぞれの取り皿へと盛り付けた。
「いっただっきまーす!」
ベルが自分と同じくらいの長さがある肉片を小さな手で抱え、大きな口を開けてかぶりついた。
「んんんっ! なにこれ、お肉がすっごく柔らかい! 魚醤の甘辛いタレが中まで染み込んでて、噛むたびにお肉の濃厚な旨味が溢れてくるわ!」
「ワフッ、ワフッ、ワォーン!」
メイは目を輝かせながら熱々の肉塊を次々と頬張り、特有の野性的なコクを喉の奥でしっかりと味わっている。
「キュイッ!」
シルクも香草の爽やかな香りが効いたお肉に舌鼓を打ち、幸せそうに長い耳を揺らしていた。
俺も一枚、箸でつまんで口の中へと運ぶ。
「…………うまいっ。」
果汁の酸味が脂肪分を和らげ、筋繊維を柔らかくほどいている。
魚醤特有の深い旨味と塩気がヒツジ肉の風味を見事に引き立て、たまらなく白米が恋しくなる強烈な味わいだ。
「次は、この野菜を食べてみてくれ。」
俺は肉の脂とタレの旨味を限界まで吸い込み、あめ色になってクタクタに煮上がったアイアンキャベツを全員の皿へと取り分けた。
「……このお野菜、お肉の味がする。すっごくあまくて、おいしい。」
ウンディーネがフォークで野菜をくるくると巻き取り、夢中になって口へ運んでいる。
本来は鉄のように硬く少し青臭さのあるアイアンキャベツが、ヒツジの脂による長時間調理で繊維が崩れ、究極の旨味ソースをまとったご馳走へ変貌していた。
シャキッとした歯ごたえを残しながらも、噛めば肉汁とタレの甘みがじゅわっと口いっぱいに広がる。
肉を食べたら野菜、野菜を食べたらまた肉。
俺たちは熱い鉄兜鍋を囲むように、北の風が吹き抜けるテラスで、追加のヒツジ肉と野菜の皿を幾度となく空にしていった。
周囲の客の楽しげな笑い声と、コンロから上がる白い湯気。
寒涼な北の都市の気候と、熱々の鉄板から生まれる絶品の料理が織りなす極上の時間は、俺たち全員の心をじんわりと温め続けてくれた。




