第67話 大精霊との謁見と、一億ゴールドの報酬
イル・ソーレ王城の貴賓室で、ウンディーネの本来の姿と名付けの事実に完璧な執事であるセバスが激しく狼狽し、パニック状態に陥ってから数十分。
ようやく平常心を取り戻し(まだ少し声は震えていたが)、息を整えたセバスの案内で、俺たちは王城の奥深くにある執務室へと向かっていた。
「ちょうどイザベラ陛下の午前の公務が終わる時間でございます。……よもや、水の大精霊様までお連れだとは思いもよりませんでしたが。」
セバスが額の汗をハンカチで拭いながら、まだ信じられないといった様子で俺の隣の「何もない空間」をチラリと見る。
「すみません、驚かせちゃって。でも、ウンディーネ自身はあんまり自分が偉いとか、そういうのは気にしてないみたいですから。」
俺の言葉を証明するように、ウンディーネは空中に召喚した水の枕に顔を埋め、すっかり二度寝モードに入っていた。
重厚なオーク材の扉の前に到着し、セバスがノックをして入室の許可を得る。
執務室の中では、燃えるような赤い髪の女傑、魔王イザベラが山積みの書類を前に大きなあくびをしているところだった。
「おお、フトシではないか! セバスからピクニックの話は聞いておったぞ。たっぷり楽しめたか?」
「ええ、おかげさまで。今日はそのお礼と、それから……新しい仲間ができたので、イザベラ陛下にも紹介しておこうと思いまして。」
「ほう、新しい仲間か? どこにおるのだ?」
イザベラが不思議そうに部屋を見回すのを確認し、俺は隣の空間に声をかけた。
「ウンディーネ、悪いけど一瞬だけ姿を現してくれないか。」
「……ん。わかった。」
眠たげな声と共に、空の空間が水面のように揺らぎ、カッ!と微かな青い光が瞬く。
次の瞬間、透き通るような青い長髪と神秘的な水の衣をまとった絶世の美女が、音もなく執務室の空中に姿を現した。
「……なっ!?」
イザベラの黄金色の瞳が、限界まで見開かれた。
そして、手から書類を滑り落とすと、一国の王としての威厳をかなぐり捨て、俺がいることなど気にも留めない様子で、その場に深々と跪いたのだ。
頭を床すれすれまで下げ、彼女が今できる最上位の礼をとる。
「こ、これは……水の大精霊様……! まさか、このような場所で直接お目にかかれる日が来ようとは……!!」
大国の魔王であるイザベラすらも、瞬時に最敬礼の姿勢をとる。
この国における精霊信仰の深さと、ウンディーネの存在の大きさを改めて実感する光景だった。
だが、当のウンディーネは空中の枕に寄りかかったまま、少し面倒くさそうに青い髪を揺らした。
「……一国の王が、そんなに簡単に頭を下げないほうがいいと思う。」
「滅相もございません!! 我らアストラーレの民にとって、水の大精霊様は国を海の魔物から救ってくださった大恩ある御方! どうか、どうか我々に少しでもお礼をさせてください!」
イザベラが額を床に擦り付けんばかりの勢いで叫ぶ。
そのあまりにも熱烈な信仰心と感謝の言葉に、マイペースなウンディーネは完全に辟易したようだった。
「……フトシ、あとは任せる。おやすみ。」
スゥッ。
ウンディーネはそう言い残すなり、『不可視の魔法』を発動し、一瞬にして再び姿を消してしまった。
「ああっ!? 大精霊様!?」
イザベラが慌てて顔を上げるが、そこにはもう何もない空間が広がっているだけだ。
(……逃げたな、あいつ。)
俺は内心でため息をつきつつ、慌てふためくイザベラとセバスに向けて苦笑いした。
「えっと……ウンディーネは、特にお礼とかが欲しくてこの国を助けたわけじゃないみたいです。美味しいご飯が食べられればそれでいいみたいなので、どうかそこまで過剰にならないでください。」
俺がウンディーネの代弁をして宥めると、イザベラは床から立ち上がり、まだ震える手で自身の赤い髪をかき上げた。
「……わかった。だが、フトシよ。そなた、大精霊様に『ウンディーネ』と名付けたというのは誠か?」
「ええ、まあ。成り行きで。」
俺があっさりと肯定すると、イザベラはセバスと顔を見合わせ、深く、深いため息を吐き出した。
「そなたのその規格外ぶりには、もう何も言わん。……だが、我が国の恩人である大精霊様を連れ回すのだ、くれぐれも丁重に扱うようにな。」
「はい、善処します。……それより、約束していた『味噌』と『醤油』の納品の件なんですが。どこに置けばいいですか?」
俺が話題を切り替えると、イザベラはハッとして、すぐに王としての威厳ある表情を取り戻した。
「うむ。調理用の巨大な蔵を空けさせてある。セバス、案内を頼む。……だが、その前に報酬の提示をしておこう。」
イザベラは執務机の引き出しを開け、俺の前に一枚の羊皮紙と、美しく装飾された一振りの短い剣を置いた。
「まず、報酬金として『一億ゴールド』を用意した。」
「……い、一億ゴールド!?」
俺は思わず声を裏返してしまった。
ポルト・ラーラやガルディアで莫大な資産を築いた俺でも、ただの調味料の対価としては常軌を逸した金額だ。
「そしてもう一つが、この短剣だ。」
イザベラが、細工の施された短剣を指差す。
「これは、我が王家がそなたの後ろ盾であることを証明する『王家の短剣』だ。貴族位が欲しいならそれでも構わんが……そなたは、まだまだこの世界を回り、新しい食材を探求したいのだろう?」
「……さすが陛下、お見通しですね。」
俺が素直に頷くと、イザベラは豪快に笑った。
貴族という立場に縛られず、自由に世界を旅する俺のために、あえて『身分』ではなく『強力な後ろ盾』という形で報いてくれたのだ。
「だが、それにしても一億ゴールドは多すぎませんか? 原価なんて、豆と小麦と塩の分しかかかってないのに。」
俺が戸惑いながら尋ねると、イザベラは真剣な眼差しで首を横に振った。
「そなたは自分の生み出したものの価値を分かっておらんな。数年間も常温で保存でき、なおかつ兵士の士気を極限まで高めるほどの暴力的な旨味を持つ調味料だぞ? 国家の兵站と食文化を根底から覆す、それ以上の価値が十分にあると妾は個人的に思っておる。」
イザベラの言葉には、一国の王としての絶対的な確信が込められていた。
そこまで言われてしまえば、俺も納得するしかない。
「……分かりました。ありがたく受け取らせていただきます。」
俺が羊皮紙と短剣をアイテムボックスに収納すると、イザベラは満足そうに頷いた。
「この短剣があれば、いつでもこの城に入ってきて構わんし、この国で何か困ったことがあれば、いつでもそれを使って妾やセバスを頼るがいい。覚えておいてくれ。」
「はい、助かります。ありがとうございます、陛下。」
俺が深く頭を下げると、イザベラは「うむ!」と嬉しそうに頷いた。
その後、セバスの案内で王城の裏手にある巨大な石造りの蔵へと向かった。
中にはバルサック料理長をはじめとする調理人たちが、緊張した面持ちで待ち構えていた。
「フトシ様! お待ちしておりました!」
俺はアイテムボックスを展開し、蔵の中に並べられた空の棚やスペースに向けて、大量に仕込んでおいた木樽を次々と出現させた。
「これが手作りの極上味噌と、天然醸造の生醤油です。当分困らないくらい、たっぷり作っておきましたから。」
山のように積み上げられていく調味料の樽を見て、バルサックたちは感極まったように涙を流し、何度も俺に頭を下げていた。
一億ゴールドという桁外れの報酬と、王家の短剣、そして規格外の大精霊の仲間。
イル・ソーレの街で俺が得たものは、探求の旅をさらに豊かに、そして間違いなく賑やかなものへと変えてくれるだろう。
蔵を後にし、青空の下を歩きながら、俺は胸ポケットのベルや足元の相棒たちを見て、これから出会うであろう新たな未知の食材へと思いを馳せていた。




