第64話 森のピクニックと、湖畔の小さなつまみ食い
まだ薄暗い早朝。
俺は星降る海猫亭の厨房を特別に借りて、今日のための特別なお弁当作りに取り掛かっていた。
まずは、お弁当の主役である唐揚げだ。
フォレスト・フォウルの引き締まった肉を大きめの一口大に切り分け、三つのボウルに分ける。
一つ目は、シンプルに肉の旨味を味わう塩味だ。
南方大陸産の真っ赤な岩塩をすり鉢で細かく挽き、すりおろした生姜やニンニクに似た香草と共に揉み込んでいく。
二つ目は、先日手作りしたばかりの極上味噌を使った味噌味だ。
黄金色の味噌に少量の果実シロップを加えて甘みを足し、風味付けのニンニク風スパイスを混ぜて肉に絡める。
三つ目は、王道の醤油味だ。
天然醸造の生醤油をベースに、生姜の搾り汁をたっぷりと効かせた特製ダレに漬け込んだ。
アイテムボックスの『時間加速空間』を利用し、一瞬で中まで味を染み込ませる。
それぞれに小麦粉と澱粉をまぶして揉み込み、粉っぽさが残らないようにしっかりと衣を定着させてから、魔導コンロの油へ投入した。
低温でじっくりと中まで火を通し、一度引き上げて余熱で肉汁を落ち着かせる。
その後、油の温度を一気に高温に引き上げ、表面がカリッとなるまで二度揚げを行った。
ジュワァァァッという小気味良い音と共に、塩、味噌、醤油の三種類の極上の香りが厨房を満たす。
次は、出汁巻き卵だ。
ボウルに新鮮な卵をたっぷりと割り入れ、フォレスト・フォウルの濃厚な鶏出汁を注ぐ。
そこに果実シロップと少量の砂糖で甘みをつけ、味を引き締めるために生醤油を数滴垂らした。
熱した黒剛鉄フライパンに油を引き、卵液を少しずつ流し入れていく。
『調理の超加速』を発動させた菜箸捌きで空気を抱き込ませるように巻き、分厚くてプルプルの甘めの出汁巻き卵を完成させた。
続いて、自家製のちくわ作りだ。
市場で仕入れておいた白身魚クラウドコッドの身を細かく叩き、少量の岩塩を振る。
塩の浸透圧を利用して余分な水分と臭みを完全に抜き、すり鉢に移して徹底的に練り上げていく。
塩と魚のタンパク質が反応し、強い粘りを持つ極上のすり身が完成した。
それを太めの鉄串に巻きつけ、魔導コンロの火で表面に香ばしい焼き目がつくまで炙る。
焼き上がったちくわから串を抜き、空洞の中に、市場で見つけたキュウリに似た水分の多い緑色の歯ごたえある野菜を詰め込んだ。
これを食べやすい大きさに輪切りにすれば、シャキシャキとした食感が楽しい『ちくきゅう』の完成だ。
さらに、オークの端肉を使ったミートボールに取り掛かる。
肉を魔法で細かくミンチにし、みじん切りにして炒めた玉ねぎ、卵、少量の塩を加えて粘りが出るまでこねる。
一口大に丸めて油でカラッと揚げ、別の鍋でソースを作る。
熟れたトマトを煮詰めたペーストに、果実シロップの甘みと、少量の酢に似た酸味調味料を合わせ、甘めのケチャップ風ソースを練り上げた。
そこに揚げたてのミートボールを投入し、とろみがつくまでしっかりと絡める。
お弁当箱の隙間を彩るために、小さくて真っ赤なミニトマト風の果実も綺麗に洗って添えておいた。
おかずが揃ったところで、主食の準備だ。
時間加速で一瞬で浸水を終わらせたインディカ米を、パラリと、しかし芯までふっくらと炊き上げる。
今日はあえて具材を中に入れず、米と調味料の純粋な美味しさを味わうためのおにぎりにする。
一つ目は、手に塩をつけてふんわりと三角に握った、王道の塩むすび。
二つ目は、表面に生醤油を薄く塗り込み、醤油の香ばしさをダイレクトに味わえる醤油おにぎり。
三つ目は、火で炙ったりはせず、炊きたての熱々ご飯の表面に、手作りの生味噌をそのまま薄く塗りつけた生味噌おにぎりだ。
最後に、天然酵母を使って焼いた柔らかい特製食パンの出番だ。
シャキシャキのレタス、スライスしたトマト、そして酪農の村から仕入れた濃厚なチーズを挟み込み、食べやすい大きさにカットしてサンドイッチを作る。
これらすべての料理を、木製の巨大な重箱に隙間なく美しく詰め込んだ。
「よし、完璧なお弁当ができたぞ。」
俺は重箱をアイテムボックスに収納し、目を輝かせて待っていた相棒たちと共に、イル・ソーレの東に広がる広大な森へと出発した。
木漏れ日が差し込む穏やかな森の中をしばらく進むと、視界がぱあっと開けた。
そこには、透き通るような美しい水を湛えた巨大な湖と、青々とした短い芝生が広がる絶好のピクニック広場があった。
「ここがいいな。みんな、遊ぶ準備はいいか?」
俺がアイテムボックスから大きな布を取り出して芝生の上に敷くと、シルク、メイ、ベルは歓声を上げて走り出した。
俺はエルラドに作ってもらった特製のボールとフリスビーを取り出す。
さらに、余っていた布を木と木の間に張り渡し、中央に穴を開けて手作りの『ゴール』を設置した。
「ベル、シルク。あの布の穴にボールを投げ入れたり、蹴り入れたりして遊ぶんだ。」
「わかったわ! わたし、絶対に一番いっぱい入れるんだから!」
「キュイッ!」
ベルが空を飛びながら器用にボールを抱え込み、勢いよく布の穴へと投げ入れる。
シルクも長い耳を揺らしながら、前足でぷにぷにのボールを弾き、見事にゴールへとシュートを決めていた。
その横で、俺は森に落ちていた太くて手頃な木の枝を何本か拾い集め、芝生の上に等間隔に立てて並べた。
「これはボウリングっていう遊びだ。少し離れたところからボールを転がして、あの木の枝をたくさん倒した人の勝ちだぞ。」
「ワフッ! ワッフ!」
メイが興味津々で近づいてきて、俺が転がしたボールが木の枝を弾き飛ばすのを見て、大興奮で尻尾を振っている。
俺はメイに向けて、軽量で安全な特製フリスビーを大きく投げた。
風に乗って滑空するフリスビーを追いかけ、メイが黒い弾丸のようなスピードで駆け出す。
空中に高く跳躍し、見事な身のこなしでフリスビーを口にくわえてキャッチした。
俺たちは時間を忘れて、森の澄んだ空気の中を思い切り走り回った。
木々の間を駆け抜け、ボールを蹴り合い、フリスビーを追いかける。
戦いのためでもなく、素材を集めるためでもない、ただ純粋に『遊ぶ』という行為が、こんなにも心を軽くしてくれるとは思わなかった。
「ふぅ……そろそろお腹が空いたな。お弁当にしようか。」
太陽が真上に昇った頃、俺がそう声をかけると、三人は目を輝かせてシートの上へと戻ってきた。
アイテムボックスから巨大な重箱を取り出し、蓋を開ける。
その瞬間、醤油の香ばしさ、甘い卵の匂い、そして揚げ物の暴力的な香りが、森の空気に一気に広がった。
「うわぁっ……! すっごく美味しそう!」
ベルが目を丸くして重箱の中を覗き込む。
「さあ、どれでも好きなものを食べていいぞ。」
俺の言葉を合図に、ピクニックの昼食が始まった。
メイは一直線に唐揚げに噛みついた。
二度揚げされた衣がサクッと音を立て、中からフォレスト・フォウルの熱い肉汁が溢れ出す。
「ワォォォォンッ!!」
特に、生醤油と生姜が効いた醤油唐揚げと、甘みとコクが爆発する味噌唐揚げの味が気に入ったのか、メイは無我夢中で肉を飲み込んでいる。
シルクは前足で器用にちくきゅうを抱え込み、シャキシャキとした野菜の食感と、クラウドコッドのすり身の旨味を楽しんでいた。
「んん〜っ! この黄色い四角いの、お出汁がたっぷりで甘くて、すっごく美味しいわ!」
ベルは自分より大きな出汁巻き卵を両手で抱え、幸せそうな顔で頬張っている。
甘めの味付けが、甘党の妖精の味覚に完璧に突き刺さったようだ。
俺も、生味噌を塗ったおにぎりを手に取った。
かぶりつくと、インディカ米のパラリとした食感に、発酵した大豆の奥深い旨味と塩気がダイレクトに絡みつく。
具材が何もないからこそ、米の甘みと味噌のポテンシャルが際立ち、いくらでも食べられそうなほどの完成度だった。
合間に食べる甘めのケチャップ風ミートボールや、新鮮な野菜とチーズのサンドイッチも、外の空気のスパイスが加わって格別の美味しさだ。
大量にあったお弁当は、あっという間にみんなの胃袋へと消えていった。
「あー、お腹いっぱい。もう動けないわ……。」
ベルがシートの上に大の字になって寝転がる。
「キュイ……。」
「ワフ……。」
シルクとメイも、満腹の幸せに包まれながら、木漏れ日の下で気持ちよさそうに丸くなってウトウトとまどろみ始めた。
相棒たちの寝顔を見守りながら、俺は温かいお茶を飲み、静かな湖畔の景色をのんびりと眺めていた。
ふと、湖の波打ち際から、微かな水音が聞こえた。
気配を殺してそちらに視線を向けると、湖の浅瀬の岩陰から、青く透き通るような髪と小さな透明の羽を持った、手のひらサイズの妖精が顔を出していた。
ウンディーネのような、水を司る妖精だろうか。
彼女は周囲を警戒するようにキョロキョロと見回した後、俺たちが寝静まっていると勘違いしたのか、抜き足差し足でシートの端へと近づいてきた。
その視線の先にあるのは、重箱の隅にわずかに残っていた、小さなミートボールと唐揚げの欠片だ。
水辺の妖精は、俺が薄目を開けて見ていることにも気づかず、小さな手でミートボールを一つ抱え込み、大きな口を開けてかぶりついた。
ビクッ、と彼女の体が跳ねる。
未知の甘酸っぱいケチャップ風ソースと肉の旨味に、妖精の目がこれ以上ないほど見開かれていた。
俺はシートに寝転がったまま、その微笑ましい光景を見て、思わず小さく笑いをこぼしてしまった。
ガルディア北方の巨大な森の湖畔で、特上の塩焼きの香ばしい匂いに釣られて飛んできたベルと初めて出会った時のことを思い出したのだ。
どうやら、この異世界の妖精という種族は、総じて食いしん坊が多いらしい。
俺はあえて声をかけず、静かに目を閉じて寝たふりを続けることにした。
湖畔の心地よい風が吹き抜け、妖精が嬉しそうに唐揚げを頬張る微かな咀嚼音が、森の静寂に優しく溶け込んでいく。
たまにはこうして、戦いや探求を忘れて、自然の中でただ美味しいものを共有する時間も悪くない。
穏やかな昼下がりの空気に包まれながら、俺もゆっくりと深い安らぎの眠りへと身を委ねた。




