第62話 王城へのアポなし訪問と、常温保存の万能調味料
星降る海猫亭で迎えた、爽やかな朝。
俺は相棒であるシルク、メイ、ベルと共に身支度を整え、活気に満ち始めたイル・ソーレの街を歩いていた。
向かう先は、街の中心にそびえ立つ白亜の王城だ。
「本当に綺麗な街並みだよな。」
見上げれば、真っ白な石造りの壁とオレンジ色のテラコッタ瓦が、抜けるような青空と見事なコントラストを描いている。
道端には色鮮やかな花々が咲き乱れ、通りを歩く魔族の人々の顔は皆、明るく穏やかだった。
ふと、俺は歩きながらある重大な事実に気がつき、ピタリと足を止めた。
「ワフ?」
「フトシ、どうしたの?」
足元のメイと、胸ポケットのベルが不思議そうに見上げてくる。
「……しまった。セバスさんに用があるのに、事前にアポを取るのを完全に忘れてた。」
俺はまだ高校生で、社会人としての経験が圧倒的に不足している。
一国の王城に、事前の約束もなしに突撃しようとしている自分の浅はかさに、思わず頭を抱えてしまった。
「とりあえず、門番の人に身分証を見せて事情を説明しよう。もし入れなかったら、明日のアポだけ取って帰ればいいしな。」
俺は少し反省しつつ、気を取り直して王城の正門へと向かった。
厳重な警備が敷かれた正門の前で、俺は立ち止まって衛兵に声をかけた。
「おはようございます。突然で申し訳ないのですが、執事長のセバスさんにお会いすることはできないでしょうか。」
俺が冒険者ギルドの魔石カードを提示して名乗ると、衛兵の魔族は俺の顔を見るなり弾かれたように姿勢を正した。
「フ、フトシ様ですね! 少々お待ちください、ただいまお呼びいたします!」
衛兵はそう叫ぶなり、脱兎のごとく城内へと走り去ってしまった。
「えっ……待たせておくどころか、呼びに行ってくれたのか?」
俺が唖然として待っていると、数分もしないうちに、衛兵が燕尾服を完璧に着こなした初老の魔族を伴って戻ってきた。
「お待ちしておりました、フトシ様。」
白髪混じりの髪を綺麗に撫で付けた執事長のセバスが、優雅な所作で深く一礼をする。
「お忙しいところ、急に押し掛けてしまって本当にすみません。」
俺が恐縮して頭を下げると、セバスは穏やかな笑みを浮かべて首を振った。
「とんでもございません。城の者たちには、フトシ様がお見えになったら、何よりも優先して私を通すように伝えておりましたので。」
「……さすが、セバスさんですね。」
どこまでも完璧なその立ち回りに、俺はただただ感服するしかなかった。
「さあ、立ち話もなんです。中へどうぞ。」
セバスに案内されて城内に入り、俺たちは豪華な装飾が施された貴賓室へと通された。
ふかふかのソファに腰を下ろし、出された温かいお茶を一口飲んでから、俺は訪問の要件を切り出した。
「実は最近、俺の故郷の新しい調味料を作りまして。それを使った料理を屋台で販売していたんですが、おかげさまで毎日大忙しでして。」
「ええ、その噂は私の耳にも届いております。街の人々が、今まで嗅いだこともないような素晴らしい香りに夢中になっていると。」
「はい。それで、いつも文句も言わずに手伝ってくれている相棒たちに無理をさせていないか心配になりまして。明日は屋台をお休みにして、みんなで外で思い切り遊ぼうと決めたんです。」
俺が足元のメイや頭の上のシルクに視線を向けると、セバスは優しい目を細めて深く頷いた。
「素晴らしいお心遣いですね。それで、私にできることはなんでしょうか。」
「ピクニックをするための、おもちゃや道具を手配できないかご相談に伺いました。俺のアイテムボックスには、フリスビーやボールのような遊具が入っていなくて。」
「なるほど、そういうことでしたらお任せください。城のお抱え職人に話を通し、安全で楽しい遊具をすぐに見繕わせましょう。後ほど、一緒に職人の元へ向かいましょうか。」
「ありがとうございます! 助かります。」
セバスの即答に安堵し、俺は一番重要なもう一つの要件を口にした。
「それから……実は今日、その新しい調味料を使った料理を、セバスさんや王城の料理長さんに振る舞いたいんです。そして、その調味料の作成方法についても、少しだけお教えしたいと思いまして。」
その言葉を聞いた瞬間、セバスの表情にわずかな驚きと、深い恐縮の色が浮かんだ。
「フトシ様。街を熱狂させているほどの新しい味の秘密を、我々に明かしてしまっても本当によろしいのですか?」
料理人にとって、秘伝のレシピは命と同義だ。
ましてや、異世界には存在しない全く新しい概念の調味料となれば、莫大な富を生み出す特許のようなものである。
だが、俺の【探求者】としての考えは違った。
「新しい料理や味が生まれることは、料理人として本望ですから。」
俺が迷いなくそう答えると、セバスは静かに息を吐き、深々と頭を下げた。
「フトシ様のその海よりも深いお心に、心より感謝申し上げます。すぐに料理長のバルサックを呼び寄せましょう。」
数分後、貴賓室に壮年の魔族である料理長バルサックが息を切らして駆けつけてきた。
「フトシ様! 本日は新しい料理をお教えいただけるとお聞きし、飛んできました!」
以前、俺の作った特製アイス乗せ極厚フレンチトーストを食べて感動の涙を流していた彼は、俺の顔を見るなり興奮を隠しきれない様子だった。
「はい。さっそく準備しますね。」
俺は貴賓室の広いテーブルに、アイテムボックスから保温したままの『海鮮あら汁』と『海鮮おでん』の鍋を取り出した。
蓋を開けた瞬間、大豆と麹が織りなす芳醇な味噌の香りと、魚介の濃厚な出汁の匂いが部屋中に弾け飛んだ。
「な、なんという複雑で深い香りだ……!」
バルサックが驚愕に目を見開く中、俺は木のお椀に熱々のあら汁をよそい、二人の前に差し出した。
「まずは、クラウドコッドのアラとカニ、ホタテから出汁を取ったあら汁です。」
バルサックとセバスが、火傷に気をつけながら一口スープをすする。
「…………ッ!!」
二人の動きが、ピタリと停止した。
「これは……魚介の強烈な旨味があるのに、生臭さが微塵もありません! それに、このスープ自体が持つまろやかな塩気と奥深いコク……なんという繊細で、あと引く旨さなのだ……!」
バルサックが震える声で叫び、セバスも目を閉じて深く感動を噛み締めている。
「魚のアラは、熱湯と冷水を使う『霜降り』という下処理をすることで、臭みを完全に抜いています。そして味の決め手は、俺が作った『味噌』と『醤油』という調味料です。」
俺はさらに、特製味噌ダレをかけた海鮮おでんの皿を提供した。
「こちらは、琥珀色の出汁でじっくりと煮込んだ海鮮おでんです。大根という根菜には、味を染み込みやすくするための面取りと隠し包丁を入れてあります。」
バルサックがフォークで大根を切り分け、味噌ダレをたっぷりと絡めて口に運ぶ。
「うおおおッ……! 大根の芯の奥深くまで出汁が染み渡り、この甘じょっぱいタレが旨味を何倍にも引き立てている! 完璧な調和だ!」
二人が無我夢中で料理を堪能する姿を見届けながら、俺は味噌と醤油の製法について説明を始めた。
「これらの調味料は、黄玉豆と小麦、そして塩から作られています。豆を茹でて潰し、麹と呼ばれる菌を繁殖させてから塩と混ぜ、木樽の中でじっくりと発酵・熟成させるんです。」
「材料自体は、この街にあるものばかりなのですね。」
セバスが感心したように呟くが、俺は少しだけ真剣な表情を作った。
「ええ。ただ、作成には非常に長い年月がかかります。温度や湿度の徹底的な管理のもと、最低でも半年から一年は熟成させないと、この味にはならないんです。」
「一年もの時間をかけて、菌を育てて味を深める……まさに、途方もない探求の結晶ですね。」
バルサックが圧倒されたように息を吐いた。
「ただ、それだけの時間をかける理由は、味の深みだけではありません。この調味料の最大の利点は、その『保存性』にあります。」
俺の言葉に、二人は不思議そうに顔を見合わせた。
「高い塩分濃度を保ち、長期間の発酵と熟成を経ているため……これらの調味料は、常温で数年間放置しても全く腐らずに保存できるんです。」
「常温で数年……だと!?」
バルサックが立ち上がり、椅子がガタッと音を立てた。
セバスも目を見開き、驚愕の表情で固まっている。
魔法の冷蔵庫などの魔導具を使わずとも、美味しい状態のまま数年間も保存できる万能調味料。
それが国家や軍隊の食糧事情において、どれほど凄まじい価値と安定をもたらすか、二人は瞬時に理解したのだろう。
「これほどまでの秘術を、惜しげもなく国に提供してくれるとは……。フトシ、そなたのその功績には、国として報わなければならないな。」
貴賓室の奥の扉が開き、マントを翻したイザベラ陛下が堂々たる足取りで入ってきた。
「イザベラ陛下! いつの間に……。」
俺が慌てて立ち上がろうとすると、イザベラは豪快に笑ってそれを手で制した。
「気にするな。セバスがそなたを通したと聞いて、様子を見に来たのだ。……して、その素晴らしい匂いを放つ料理、妾にも食べさせてもらえるのだろうな?」
イザベラの黄金色の瞳が、テーブルの上のあら汁とおでんをらんらんと見つめている。
「も、もちろんです。」
俺が急いで新しいお椀と皿を用意し提供すると、イザベラは一切の躊躇なくあら汁を一気に飲み干し、おでんの大根にかぶりついた。
「んん〜っ……!! なんだこの奥深さは! 獣人の国の野蛮な肉料理とは対極にある、計算し尽くされた極上の旨味の塊ではないか!」
イザベラは女傑らしく豪快に笑い、満足そうに口元を拭った。
「フトシよ。この『味噌』と『醤油』は味もさることながら、数年間の常温保存が可能という事実も含め、間違いなく我が国の食文化と兵站を飛躍させる褒章ものの調味料だ。」
イザベラは真剣な眼差しで俺を見つめ直した。
「つきましては、すぐにとは言わん。そなたが作って持っているその完成品の味噌と醤油を、我が王城にたっぷりと奉納してはくれまいか?」
一国の王からの、直接の依頼だった。
俺のアイテムボックスの中には、時間加速の魔法で大量に仕込んだ極上味噌と天然醸造醤油が、山のようにストックされている。
「ええ、もちろん構いませんよ。当分困らないくらい、たくさんお譲りします。色々な料理人が使って、新しい美味しい料理が生まれてほしいですから。」
「おおっ! 感謝するぞ、フトシ!」
イザベラは嬉しそうに俺の肩をバンバンと叩き、バルサックも新しい調味料の可能性に目を輝かせていた。
相棒たちとの遊びの道具を手配するついでだったが、俺の手作りの調味料は、アストラーレ魔王国に新しい食の歴史を刻む国宝級の扱いとして納入されることになった。
セバスの案内で職人の元へ向かうため席を立ちながら、俺は足元で嬉しそうに尻尾を振るメイとシルクを見て、少しだけ誇らしい気持ちになった。




