第50話 アストラーレ魔王国と、完璧なる執事
西の港湾都市の巨大な門の脇にある、ひんやりとした石造りの詰め所。
俺たちは真偽判定を行った水晶玉のある部屋で、王城からの迎えの馬車が到着するのを待っていた。
「フトシ殿、粗茶ですがどうぞ。」
先ほどまで俺を詐欺師かと疑っていた門番の魔族は、打って変わって極めて丁寧な所作で、よく冷えた果実水が入った木彫りのコップを差し出してくれた。
「ありがとうございます。あの、お名前を伺ってもよろしいですか。」
俺がコップを受け取りながら尋ねると、彼は額の小さな二本の角を少しだけ赤くして直立不動の姿勢をとった。
「申し遅れました。私はこの西の門の衛兵隊長を務めております、ハルトと申します。」
「隊長さんだったんですね。自ら門に立って警備をされているとは思いませんでした。」
俺が驚いてそう言うと、ハルトは誇らしげに胸を張った。
「上官からはもっと上の役職に就けとよく言われるのですが、私はこの門番という仕事が一番性に合っていまして。この美しい都市を一番外側から守り、訪れる旅人を見極める任務に誇りを持っているのです。」
その真面目で実直な言葉に、俺は彼への好感を深くした。
「素晴らしいことだと思います。ハルトさんが守っているこの都市や国について、少し教えていただけませんか。」
俺の問いかけに、ハルトは嬉しそうに頷き、国の成り立ちについて語り始めた。
「ここは『アストラーレ魔王国』。精霊様と自然の恵みに感謝し、共存することを第一とする国家です。そして、あなたが今いらっしゃるこの街は、西の港湾都市『イル・ソーレ』と呼ばれています。」
アストラーレ魔王国、そして港湾都市イル・ソーレ。
太陽と星を連想させる、この明るく美しい街並みにぴったりの名前だ。
「イル・ソーレは温暖な気候と豊かな土壌に恵まれた、国内有数の小麦の産地でもあります。ですので、小麦を使った料理が非常に発展しているのですよ。」
小麦の料理と聞いて、俺の【探求者】としてのグルメの血が騒ぎ始めた。
「ぜひ、その美味しい料理について詳しく教えてもらえませんか。」
俺が身を乗り出すと、ハルトは目を細めて得意げに語り出した。
「それはもう、絶品揃いですよ。新鮮な海産物とニンニクをたっぷりのオリーブオイルで炒め、細長く伸ばした小麦の麺に絡ませたものや、釜で香ばしく焼き上げた丸く平たいパンに、赤い果菜の酸味の効いたソースととろけるチーズを乗せたものなどがあります。」
間違いない。
現実世界のイタリアンでいうところの、シーフードパスタとマルゲリータピザだ。
「それに、パンそのものも格別です。外側はパリッと香ばしく、中はふんわりと柔らかく焼き上げられており、食事に欠かせないものとなっています。」
獣人帝国の無骨でパサパサした黒パンも工夫次第で美味しかったが、イル・ソーレのパンはそのまま食べても極上の味わいなのだろう。
「聞いているだけでお腹が空いてきそうです。絶対にこの街で美味しいものをたくさん食べて帰りますよ。」
俺がワクワクしながらそう宣言すると、ハルトは「それは良かったです」と微笑んだが、すぐに表情を引き締めた。
「ただ、まずは王城での謁見を無事に済ませなければなりません。現在の魔王様は、非常に強くて頭の切れる女傑として知られています。どうか、失礼のないようにご対応ください。」
「女傑の魔王様、ですか。気を引き締めないとですね。……ただ、少し疑問に思ったのですが、この西の都市に魔王様がいらっしゃる王城があるんですね。普通は、国の中央に王都を構えるのが一般的かと思っていました。」
俺が首を傾げると、ハルトは「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりに深く頷いた。
「ええ、他国の者からすれば非常に珍しいことだと思います。我が国では、中央だけでなく、東西南北の主要な都市すべてに王城が用意されているのです。」
「すべての都市に王城が? それはまた、ずいぶんと規模の大きな話ですね。」
「魔王様の御考えによるものです。魔王様は『国を治めるには、それぞれの街の特色や民の暮らしを直接知らねばならない』と仰られ、定期的に各都市の王城を巡っておられます。また、その都市で何か異変や外敵の襲来があった際、王城で即座に直接指揮を執るためでもあります。」
一国の王でありながら、自らフットワーク軽く各都市を巡って街の状況を把握し、有事の際には陣頭指揮を執る。
アルベール王のようなふんぞり返った権力者とは対極にある、非常に合理的で優秀な指導者像が浮き彫りになってきた。
「さらに、魔王様が滞在されていない時でも、堅牢で巨大な王城を開放することで、災害時の民の避難所として機能させるという目的もあるのです。」
「なるほど……。国のトップとして、本当に民のことを第一に考えていらっしゃるんですね。」
「ええ、我々にとって誇り高き王なのです。」
そんな立派な人物に謁見するとなれば、なおさら俺の今の服装が気になってくる。
「ハルトさん、一つ困ったことが。俺は旅の最中で、王様に謁見するようなきちんとした服を持っていないんです。」
俺が正直に打ち明けると、ハルトは軽く首を横に振った。
「その点はご心配なく。あなたはこの国の最上級の客人ですから。王城へ向かう馬車の道中で、王室御用達の仕立て屋に寄り、即席で上質な礼装を揃えてもらえるように手配してあります。」
「至れり尽くせりですね……。」
ただの冒険者である俺が、ここまで国賓級の扱いを受けることになるとは。
改めて、あの山頂で出会った大地の守護熊が、この国においてどれほど絶対的で偉大な存在なのかを痛感させられる。
「クマさん、本当にすごい精霊様だったんだな。」
俺がぽつりと呟いたその時、詰め所の外から規則正しい馬の蹄の音と、車輪が石畳を転がる音が聞こえてきた。
「どうやら、お迎えの馬車が到着したようですね。」
ハルトの案内に従って外に出ると、そこには漆黒に塗装された、洗練されたデザインの豪華な馬車が停まっていた。
馬車の扉の前に立っていたのは、燕尾服のような黒い礼装を隙なく着こなし、白い手袋をはめた初老の魔族の男性だった。
彼の額にも小さな角があるが、白髪混じりの髪と整えられた髭、そして背筋の伸びたその姿勢は、誰がどう見ても『完璧な執事』そのものだ。
「お待ちしておりました。大地の精霊様の加護を受けし客人、フトシ様ですね。」
執事の男性は、俺の顔を見るなり深く、そして極めて優雅なお辞儀をした。
「はい、俺がフトシです。ご丁寧な出迎え、ありがとうございます。」
「私はアストラーレ魔王国の王室で執事長を務めております、セバスと申します。王城までの道中、フトシ様と可愛らしいお連れ様たちの案内をさせていただきます。」
セバスは穏やかな笑みを浮かべながら、俺の足元にいるメイと、頭の上のシルク、そして胸ポケットから顔を出しているベルにも丁寧に視線を向けた。
「あの、俺の相棒たちも一緒に馬車に乗ってもよろしいですか。」
俺が尋ねようとした瞬間、セバスはまるでこちらの心を読んだかのように、柔らかい声で先回りして答えた。
「もちろん、皆様ご一緒にどうぞ。馬車の中には、お連れ様用の専用のクッションと、イル・ソーレ名物の焼き菓子をご用意しております。妖精の女王様のお口に合えばよろしいのですが。」
(……この人、仕事ができすぎる。)
俺が何も言わなくても、こちらの要望を全て察し、完璧な準備を整えている。
しかも、ベルがただのピクシーではなく【妖精の女王】であることまで、わずかな視線のやり取りだけで見抜いているようだった。
「では、馬車へどうぞ。」
セバスに促され、俺たちはハルトに丁重な別れの挨拶をしてから、豪華な馬車へと乗り込んだ。
馬車の中は信じられないほど広く、クッション性の高いビロードの座席が向かい合って設置されていた。
セバスの言う通り、テーブルの上にはメイたち用のふかふかのクッションと、甘い香りを放つ焼き菓子の入った籠が置かれている。
「わぁっ、甘くていい匂い!」
ベルが早速焼き菓子に飛びつき、シルクとメイも嬉しそうにクッションの上でくつろぎ始めた。
馬車が静かに動き出すと、セバスが向かいの席に座り、恭しく口を開いた。
「フトシ様。王城へ向かう前に、ハルトから聞いております通り、謁見用の礼服を見繕うために仕立て屋へ立ち寄らせていただきます。」
「ありがとうございます。急なことで申し訳ありません。」
「とんでもございません。王家としての当然の務めでございます。」
十分ほど石畳の街並みを走った後、馬車は白亜の建物が並ぶ高級な商業地区の一角で停まった。
案内されたのは、外装からして洗練された雰囲気の漂う、王室御用達の高級仕立て屋だ。
中に入ると、店主らしき魔族の女性が飛んできて、セバスの指示を受けるとすぐに俺の全身をメジャーで測り始めた。
「フトシ様は非常に均整の取れた、素晴らしい体格をしていらっしゃいますね。」
店主はそう言いながら、店の奥から上質な深いネイビーブルーの生地で仕立てられた、現代のスーツによく似た礼服を何着か持ってきた。
「こちらの出来合いのものを、フトシ様の体型に合わせてその場で微調整いたします。少しお待ちくださいませ。」
彼女たちは魔法の糸と針を使い、文字通りあっという間に俺の体に合わせて服のラインを仕立て直してしまった。
「さあ、ご試着ください。」
奥の試着室で、貸し出された真っ白なシャツに袖を通し、ネイビーブルーのジャケットを羽織る。
鏡の前に立つと、そこにはいつも見慣れた冒険者姿とは全く違う、フォーマルな礼装に身を包んだ自分の姿があった。
「おお、フトシ、すっごく似合ってるじゃない!」
試着室から出ると、ベルが俺の周りを飛び回りながら嬉しそうに褒めてくれた。
「ワフッ!」
「キュイッ!」
メイとシルクも、俺の新しい服を見て目を輝かせている。
「ありがとうございます。素晴らしい仕立てですね。」
俺が店主に礼を言い、代金を払うためにアイテムボックスから金貨の袋を取り出そうとした時のことだった。
「フトシ様、どうかそのお手はお納めください。」
セバスがスッと横から手を差し出し、俺の動きを止めた。
「この度の衣装代は、全て王室が負担いたします。大地の精霊様から加護を授かった最上級の客人から、代金を頂戴するなど、アストラーレ魔王国の名折れとなりますので。」
セバスの有無を言わさぬ完璧な対応に、俺は素直に引き下がるしかなかった。
「分かりました。ご厚意に甘えさせていただきます。」
仕立て屋を後にした俺たちは、再び馬車に乗り込み、街の中心にある王城へと向かった。
窓の外には、イル・ソーレの美しい街並みが広がっている。
オレンジ色のテラコッタ瓦の屋根が太陽の光を浴びて輝き、真っ白な壁が青い空と海に見事なコントラストを描いていた。
通りには香ばしいパンやニンニクの食欲をそそる香りが漂い、市場には新鮮な魚介類や色鮮やかな野菜が並んでいるのが見える。
海から吹き込む潮風が心地よく、街を歩く魔族の人々の顔は皆、明るく穏やかだった。
「本当に、素晴らしい都市ですね。」
俺が窓からの景色に見惚れていると、セバスが静かに頷いた。
「ありがとうございます。魔王様も、この街の活気と民の笑顔を何よりも大切になさっております。」
やがて、馬車の前方にひときわ巨大で、荘厳な美しさを持つ白亜の城が見えてきた。
高くそびえる尖塔と、幾重にも重なる堅牢な城壁。
各都市の特性を知り、民を守護するための拠点であり、女傑と呼ばれる魔王が座す場所だ。
馬車はゆっくりと、警備の厳重な王城の正門をくぐり抜けていく。
未知なる絶品グルメへの期待と、一国の王に謁見するという心地よい緊張感を胸に抱きながら。
俺の異世界での探求の旅は、ここイル・ソーレの王城を舞台に、新たな局面へと足を踏み入れるのだった。




