第49話 精霊の加護と、太陽と白壁の魔族都市
霊峰の金蜜をたっぷりと使った特製アイス乗せ極厚フレンチトーストの味は、大地の守護熊にこれ以上ないほどの活力を与えたようだった。
俺と相棒たちが食後の温かい紅茶を飲み終え、野営の片付けを済ませると、クマはドスンドスンと力強い足取りで進み出た。
そして、昨日と同じように空間を歪めて巨大な籐の籠を取り出すと、誇らしげに胸を張り「乗れ」とばかりに鼻息を鳴らした。
「クマさん、ふもとまで送ってくれるんですか?」
俺が尋ねると、大地の守護熊は「キュルゥ!」と元気よく頷いた。
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらいます。」
俺たちは再びふかふかの獣の毛皮が敷かれた籠に乗り込み、クマの背中に揺られることになった。
ドゴォォォォンッ!!
昨日山を登ってきた時と同じ、いや、極上の朝食を食べてさらに力が増しているのか、凄まじい猛ダッシュで山道を下っていく。
魔力の結界に守られた籠の中は相変わらず快適で、俺たちは心地よい風を感じながら、流れるような山の景色を楽しんだ。
わずかな時間で、俺たちは北側の山のふもとへと到着した。
「クマさん、ここまで送ってくれて本当にありがとうございました。」
俺が籠から降りて深く頭を下げると、クマは名残惜しそうに「キュ〜ン」と鳴きながら、巨大な鼻先を俺の胸元にすり寄せてきた。
「ワフッ。」
「キュイッ。」
「クマさん、バイバイね! また美味しいもの食べようね!」
メイとシルク、そしてベルも順番にクマに触れ、別れの挨拶を交わす。
ふと、クマが俺の正面に座り直し、その巨大な前足の肉球を俺の額にそっと押し当てた。
淡い緑色の光の粒子がクマの掌から溢れ出し、俺の体の中へと温かく吸い込まれていく。
「これは……?」
俺が驚いて【鑑定】を発動すると、視界に新たな情報が浮かび上がった。
【精霊の加護(大地の守護熊)】
詳細:霊峰を守護する精霊から贈られた親愛の証。精霊や自然の存在と親和性が高まり、微弱な運気上昇の恩恵を得る。
「精霊の加護……俺の料理への、お礼なんですね。」
俺が優しく微笑みかけると、クマは嬉しそうに目を細めて喉を鳴らした。
「大切にします。本当に、良い出会いでした。」
俺は心からの感謝を込めて、クマの巨大な頭を撫でた。
ただ、この時の俺は全く知る由もなかったのだ。
鑑定に表示された「親和性」や「運気上昇」といった補助的な効果は表向きのものであり、その加護の裏には、クマがこっそりと付与した別の能力が隠されていることに。
それは、いつか俺が致命的な危機に陥った時、クマが瞬時に俺の居場所を察知して助けに駆けつけるための、強烈な『ストーキング(位置情報のマーキング)』の魔法であった。
そんな過保護なまでの好意が込められているとは露知らず、俺は清々しい気持ちのまま、クマに手を振って北の大地へと歩き出した。
山を背にして北へと続く道は、獣人帝国の荒々しい自然とは打って変わり、綺麗に整備された街道が続いていた。
そこから数日間、俺たちはのんびりと野営を繰り返しながら歩みを進めた。
そしてある日の昼下がり、丘を越えた俺たちの視界に、ついに巨大な都市の姿が飛び込んできた。
「すごい……なんて綺麗な街並みだ。」
俺は思わず感嘆の声を漏らした。
目の前に広がっていたのは、青く澄み渡る巨大な湖、あるいは内海のような水辺に面した美しい港湾都市だった。
太陽の光を反射して輝く真っ白な石造りの家々が斜面に沿って建ち並び、その屋根は全て色鮮やかなオレンジ色のテラコッタ瓦で統一されている。
あちこちに豊かな緑と色とりどりの花が咲き乱れ、まるで中世ヨーロッパの地中海沿岸部をそのまま切り取ってきたかのような、明るく開放的な景色だ。
「ここが、魔族の街……。」
ロドリス王国のアルベール王が語っていた「邪悪な魔族」というイメージは、この太陽と海風に祝福された美しい都市の姿を見ただけで、完全に打ち砕かれた。
俺たちは高鳴る胸を抑えながら街道を下り、白亜の城壁に設けられた巨大な街の門へと向かった。
門の前には、見事な装飾が施された鎧を纏い、額に小さな二本の角を生やした魔族の門番が立っていた。
「止まれ。お前、人間だな。」
門番は俺の姿を認めると、手にした槍を軽く交差させて立ち塞がった。
「はい。人間です。」
俺が身分を証明するために商人ギルドの銀色の会員証を提示しようとすると、門番は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「いや、身分を疑っているわけではない。ただ、人間がこの西の都市にやって来るのは非常に珍しいのだ。」
「珍しい、ですか?」
「ああ。普通、人間の商人や旅人は、街道が直接繋がっている南の都市へ向かうからな。お前はどこから来たのだ?」
門番の言葉に、俺は正直に答えることにした。
「南の街からではなく、ガルディアとの国境にある、あの大きな山を越えてきました。」
俺が背後にある霊峰を指差した瞬間、門番の顔色が一変した。
「……なんだと!? あの霊峰には大地の精霊様がいらっしゃって、選ばれた者しか通してくださらないはずだ!」
門番の驚愕した声が響き、周囲を歩いていた魔族の住人たちも何事かと足を止め始めた。
「あの人間、霊峰を越えてきたと言ったぞ。」
「馬鹿な、精霊様に認められたというのか?」
ざわめきが広がり、少しばかり騒ぎになりそうな気配を感じた俺は、穏便に済ませようと口を開いた。
「実は、山でクマの姿をした精霊様と仲良くなりまして。ご馳走を振る舞ったら、精霊の加護までいただいたんです。」
俺が事実をそのまま伝えると、門番はピクリと眉をひきつらせ、極めて険しい表情になった。
「……また騙りか。愚かな人間め。」
「え?」
「貴様ら、ついてこい。少し調べさせてもらう。」
門番は冷たい声でそう告げると、俺と相棒たちを促し、門の脇にある詰め所の奥の部屋へと連行した。
通されたのは、窓のない石造りの簡素な一室だった。
部屋の机の上には、真偽判定や簡易鑑定を行うためのものらしい、青白く光る水晶玉の魔導具が置かれている。
「あの、騙りとはどういうことですか。」
俺が落ち着いて尋ねると、門番は厳しい視線を向けながら理由を説明してくれた。
「我々魔族は、自然に宿る精霊様を神のように信仰している。かつてこの国が未曾有の災害に見舞われた時、大精霊様のお力によって国が救われたという歴史があるからだ。」
門番は胸の前で両手を交差させ、祈るような仕草を見せた。
「だからこそ、我々にとって精霊様から『加護をもらった』という言葉は、特別な意味を持つ。それを悪用し、我々を騙して金品を巻き上げようとする詐欺師が、過去に何度も現れているのだ。」
「なるほど、そういうことでしたか。」
人間側から見た「邪悪」という偏見とは全く違い、彼らは精霊や自然を敬う、非常に信心深く誠実な種族なのだ。
俺が納得して頷いていると、俺の胸ポケットの中でずっと大人しく隠れていたベルが、不満そうに顔を出した。
「ちょっとぉ! フトシは本当のこと言ってるのに、あの態度は嫌な感じだったわよ!」
「お、おいベル、今は静かに……。」
俺が慌てて手のひらでベルを隠そうとしたが、時すでに遅かった。
門番は、背中に透明な羽を生やした手のひらサイズの少女が飛び出してきたのを見て、雷に打たれたように硬直した。
「よ、妖精……ピクシーだと!?」
「ふふん! ただのピクシーじゃないわよ!」
妖精は、自然の魔力から生まれる精霊に極めて近しい存在だ。
精霊を信仰する魔族にとって、妖精を連れているという事実は、俺の言葉の信憑性を裏付ける何よりの証拠となったようだった。
「も、申し訳ない。すぐに見極めをさせていただく。」
門番の態度が急激に軟化し、彼は震える手で机の上の水晶玉を起動させた。
「この水晶玉に手を触れて、先ほどの言葉を念じてくれ。」
俺が言われた通りに水晶玉に手を乗せ、「大地の守護熊から精霊の加護をもらった」と念じると、水晶玉は清らかな緑色の光を眩いほどに放ち始めた。
「……緑の光。真実であり、かつ精霊の加護が宿っている確かな証拠だ。」
門番は息を呑み、そして次の瞬間、床に膝をついて俺に向かって深く頭を下げた。
「大変な無礼を働いてしまった! 精霊様に愛されし御方よ、どうか無知な私をお許しください!」
「い、いえ、頭を上げてください。職務に忠実だっただけですから、俺は全く気にしていませんよ。」
俺が慌てて門番の肩を支えて立たせると、彼は感極まったような表情で俺の手を固く握りしめた。
「おお、なんとお心の広い……! あなたは、我が国の最上級の客人です!」
彼はすぐに詰め所の外にいる部下を呼びつけ、早口で何かを指示した。
「精霊様に認められた人間が西の都市に現れたという事実は、国家の重大事だ。すぐに王城へ報告の使いを出した。」
「王城、ですか?」
「ええ。あなたには、我が国の王に謁見していただくことになります。どうか、それまでこの都市で最高のおもてなしを受け取ってください。」
ただ美味しい料理を探求し、新しい食材に出会うために訪れた街で、まさか王様と謁見することになるとは思わなかった。
だが、この美しい地中海風の都市を治める者がどのような人物なのか、俺の【探求者】としての知的好奇心も大いに刺激されていた。
「分かりました。ご案内、よろしくお願いします。」
俺は礼儀正しく一礼し、新たな出会いと極上のグルメが待つであろう魔族の都市へと、相棒たちと共に本格的な足を踏み入れるのだった。




