第5話 交易都市の朝市と、さすらいの料理人という生き方
黄金の麦穂亭のふかふかとしたベッドで目を覚ました俺は、大きく伸びをしてから窓を開け放った。
心地よい朝の風が、石造りの街並みを撫でるように吹き込んでくる。
昨日の夜に食べた『ロックバードの香草焼き』と、肉汁を吸った『麦飯』の暴力的なまでの美味さが、未だに舌の奥に記憶として焼き付いていた。
「……思い出しただけで腹が減ってきたな」
俺はごくりと喉を鳴らし、身支度を整えて宿を出た。
向かう先は、交易都市マルタの中心に位置する中央広場だ。
宿の女将さん曰く、朝一番の中央広場には、世界中から集まった商人や冒険者たちが持ち込んだ、新鮮な食材や珍しい品々が所狭しと並ぶらしい。
大通りに出ると、すでに街は活気に満ち溢れていた。荷馬車が行き交い、あちこちから威勢の良い呼び込みの声が響く。
すれ違う人々は、俺の身長一八〇センチ、体重八〇キロという分厚い筋肉の鎧と鋭い目つきを見て、ビクッと肩を震わせては無言で道を譲ってくれた。
相変わらずのゴリラ扱いに少しだけ申し訳なさを覚えつつも、俺の意識はすでに広場から漂ってくる様々な匂いに釘付けになっていた。
香ばしく肉の脂が焦げる匂い、ツンと鼻を抜ける未知のスパイスの香り、そして瑞々しい土の匂い。
広場に到着すると、そこはまさに食の宝庫だった。色とりどりの天幕が張られた屋台がずらりと並び、見たこともない野菜や果物、解体されたばかりの魔獣の肉が山積みになっている。
俺は湧き上がる高揚感を抑えきれず、手近な青果を扱う屋台に近づき、見慣れない赤いゴツゴツとした実に向けて、すかさず【鑑定】のスキルを発動させた。
『火炎芋:火山の麓で採れる芋。加熱すると内部に蓄えられた微弱な魔力が反応し、驚くほどの甘みとホクホクとした食感に変化する。ただし、生でかじると舌が痺れるため注意が必要』
脳内にすっと情報が流れ込んでくる。
なるほど、見た目は毒々しいが、加熱すればサツマイモのように甘くなるのか。
塩茹でにしてもいいし、薄くスライスして揚げてチップスにしても面白そうだ。
次に目を向けたのは、肉屋の屋台だ。分厚い木の板の上には、赤身と脂身が見事な層をなしている巨大なブロック肉が置かれていた。再び【鑑定】を走らせる。
『オークの肩ロース:二足歩行の豚型魔物、オークの肉。豚肉に似ているが、野山を駆け回っているため肉質は引き締まっており、脂身には上品な甘みがある。香草で臭みを消してローストするか、厚切りにして煮込み料理にすると絶品』
……だめだ、想像しただけで胃袋が暴れ出しそうになる。
オーク肉の角煮、あるいは極厚のステーキ。昨日食べたクグの実やトルの葉といったスパイスをうまく使えば、日本のスーパーで買う豚肉よりもはるかに美味い料理ができるはずだ。
「おい、兄ちゃん。冷やかしか? 買わねえなら邪魔だぜ」
屋台の親父が、俺のいかつい顔を見て少し身を引きながらも、凄みを利かせて声をかけてきた。
俺は慌てて愛想笑い(おそらく周りから見れば凶悪な笑みにしか見えないだろうが)を浮かべ、懐から硬貨を取り出す。
「すみません、あまりに美味そうな肉だったもので。……これ、三キロほどもらえますか?」
「お、おう! 毎度あり!」
金払いの良さを見て、親父の顔がパッと明るくなる。俺はオークの肩ロースを受け取ると、周りから死角になる路地裏に入り、ユニークスキルである『冒険する者』に内包された【アイテムボックス】へと肉を放り込んだ。
時間経過による劣化がなく、容量も無制限の神話クラスのスキル。これさえあれば、どれだけ大量の食材を買い込んでも、腐らせる心配は一切ない。
まさに料理人にとって夢のような能力だ。
再び広場を歩きながら、俺はこれからの身の振り方について考えを巡らせていた。
俺はロドリス王国の王城で「ハズレ」の烙印を押され、手切れ金として十万ゴールドを渡されて追放された。
十万ゴールドといえば、日本の感覚でおよそ十万円。
しばらくは食いつなげる額だが、いつまでも遊んで暮らせるわけではない。
冒険者ギルドでFランクの登録は済ませている。魔物を討伐して報酬を得る、いわゆる冒険者として成り上がっていく道もある。
俺の身体にはユニークスキル『探求者』による規格外の身体強化が備わっており、道中で襲ってきたウルフの群れも素手で瞬殺できた。戦闘でお金を稼ぐことに、おそらく苦労はしないだろう。
だが、ただ魔物を狩るだけの毎日は、なんだか味気ない。
俺の最大の情熱は「食」にある。
アルバイト先の日本食屋『味処・藤』のマスターから叩き込まれた料理の腕と知識。
そして今、目の前に広がっている未知の食材とスパイスの数々。
(……自分で魔物を狩って、それを自分で料理して、屋台で客に振る舞うってのも面白そうだな)
冒険者として未知のダンジョンや森へ赴き、極上の食材(魔物)を調達する。
そして街に戻り、さすらいの料理人として屋台を引き、人々に絶品の飯を食わせるのだ。
強面で巨体のゴリラ男が、繊細な包丁さばきで極上の料理を生み出す。
周りの反応を想像すると、少しだけ口角が上がってしまった。
戦闘職である【勇者】や【聖戦士】といった職業の枠に縛られず、己の好きなように生きる。
俺の職業【探求者】は、きっとこういう生き方すらも肯定してくれるはずだ。
それに、美味しいものを食べさせれば、このいかつい風貌への警戒心も少しは解けるかもしれない。
「よし、決めたぞ」
俺は広場の中心で、誰に言うともなく力強く頷いた。
当面の目標は『資金と調理器具の調達』、そして『自分だけの屋台を持つこと』だ。
まずは冒険者としてギルドで討伐依頼を受け、狩った魔物の肉を解体・調理するための「俺専用の包丁」と「鍋」を手に入れる必要がある。
そのためには、金だ。手持ちの十万ゴールドを切り崩すのではなく、自らの力で稼がなければならない。
俺は広場の隅でいい匂いをさせていた屋台に立ち寄り、先ほどの【鑑定】で気になっていた『火炎芋』を薄くスライスしてカラリと揚げ、塩を振っただけのシンプルな串刺し料理を一本買った。
出来立ての熱々をかじると、サクッとした心地よい音と共に、芋の濃厚な甘みと絶妙な塩気が口いっぱいに広がる。
「……美味い」
未知の食材に対する期待と、これから始まる新しい生活へのワクワク感が、胸の奥で熱く燃え上がっていた。
俺の、異世界での「さすらいの料理人」としての第一歩が、今ここから始まる。




