第37話 荒々しき市場の黒パンと、極上オークのホロホロ肉
獣人帝国ガルディアでの冒険者ギルドの騒動から一夜が明けた。
俺は頭の上の定位置にフォーチュンラビットのシルクを乗せ、足元に神獣フェンリル亜種のメイを連れて、港街の中心部にある商人ギルドへと足を運んだ。
この国の商人ギルドもまた、巨大な丸太と石を組み合わせた無骨で威圧感のある建造物だった。
「おはようございます。フトシと申します。こちらで屋台を出したいのですが、この街のルールと許可についてお伺いできますか。」
俺が受付のカウンターに立ち、懐から『銀色の会員証』を提示すると、猪の獣人である職員は目を大きく見開いて鼻を鳴らした。
「おう、銀証持ちの人間とは珍しいな。ガルディアへようこそ。屋台のルールといっても、この国は細かいこたぁ気にしねえ。市場の空いている区画ならどこでも店を広げて構わねえが、場所取りは早い者勝ちだぞ。」
「なるほど、分かりやすいですね。ご親切にありがとうございます。」
営業の許可をあっさりと得た俺は、商人ギルドを出て、街で一番大きな市場を視察して回ることにした。
獣人たちの市場は、朝からむせ返るような熱気と、売り手と買い手の豪快な怒号で溢れかえっている。
並んでいる屋台を観察すると、売られているのは骨ごと直火で炙った巨大な肉の塊や、串に刺して黒焦げになるまで焼かれた魔物魚ばかりだ。
そして、肉屋の隣には必ずと言っていいほど、人の顔ほどの大きさがある無骨な『黒パン』が山積みにされて売られている。
「味の複雑さよりも、とにかく量と腹持ちの良さを重視しているんだな。」
俺は市場の光景を見ながら、自分がこの街で何を出すべきかと思案した。
ポルト・ラーラで作ったような、ふかふかのバンズを使ったフィッシュバーガーやカツサンドも悪くない。
だが、この国にはすでに『豪快な肉と一緒に硬い黒パンをかじる』という独自の食文化が根付いている。
それを真っ向から否定して全く新しいパンを持ち込むよりも、彼らの日常にある黒パンを最高に美味しく食べる方法を提案した方が、きっとすんなりと受け入れられるはずだ。
「よし、メニューは決まったぞ。」
俺は市場を歩きながら、野菜を売っている屋台の前で足を止めた。
そこには、現代日本のキャベツによく似た、薄緑色の葉が幾重にも重なった丸い野菜が積まれていた。
未知の食材を前に、俺はすかさず【鑑定】を発動する。
【アイアンキャベジ】
詳細:ガルディア帝国の荒れた土壌で育つ、鉄のように硬い外葉を持つ葉野菜。生食すると少しの苦味と青臭さがあるが、極細の千切りにして肉の脂や酸味のある調味料と合わせることで、驚くほどの爽やかな甘みと心地よい歯ごたえを発揮する。
「これは、俺が作ろうとしている料理の付け合わせに完璧だ。」
俺は八百屋の獣人からアイアンキャベジをたっぷりと買い込み、そのまま街の外にある野営地へと急いだ。
周囲に誰もいないことを確認すると、アイテムボックスから作業用の調理台を展開する。
今回作るのは、アメリカ南部のバーベキュー料理をベースにした、極上の『プルドポーク』だ。
まずは、昨日殲滅したオークの集落で手に入れた、大量のオークの塊肉をアイテムボックスから取り出す。
使用するのは、よく動かす部位で筋や脂が複雑に入り組んでいる肩ロースや腕肉が最適だ。
俺はこの塊肉の表面にフォークを何度も突き立て、無数の穴を空けて味が染み込みやすい状態にしていく。
「次は、肉に擦り込む特製のスパイスラブだ。」
大きめのボウルに、南方大陸産の真っ赤な岩塩、果実のシロップ、そして少しの魚醤を入れ、旨味と甘みの土台を作る。
そこに、肉の臭みを消すクローブに似た甘い香りのスパイス、ピリ石の粉、クグの実の粉末、そして燃えるような辛さを持つ赤い粉を、絶妙な配合でブレンドしていった。
完成したどろりとした特製スパイスペーストを、両手を使ってオークの塊肉の表面に徹底的に擦り込んでいく。
肉の繊維の奥深くまで香りと塩気が浸透するように、体重を乗せて力強く、何度も揉み込むのだ。
「キュイッ?」
「ワフッ。」
シルクとメイが、スパイシーな香りに誘われて調理台の縁から顔を覗かせている。
「これはすごく時間のかかる料理なんだ。一晩じっくりと味を馴染ませるぞ。」
俺はスパイスをすり込んだ巨大な塊肉を清潔な布で包み、アイテムボックスではなく通常の保冷袋に入れ、野営地の安全な場所で一晩寝かせることにした。
そして翌朝。
野営地に再びやってきた俺は、アイテムボックスから『魔導パン窯』を取り出し、設定温度を極端に低く保った状態にした。
スパイスが完全に馴染み、表面がうっすらと汗をかいたオークの塊肉を鉄板に乗せ、パン窯の庫内へと入れる。
ここからは、低温でじっくりと数時間かけて火を通していく。
肉の内部温度が上がりすぎないように保つことで、硬い筋繊維が溶けてゼラチン化し、信じられないほど柔らかな食感へと変化するのだ。
数時間が経過し、パン窯の隙間から、スパイスが焦げた暴力的なまでに香ばしい匂いが漂い始めた。
「よし、焼き上がりだ。」
パン窯から鉄板を引き出すと、表面が黒褐色に焼き上がり、見事な照りを持ったオークの塊肉が濛々と湯気を立てていた。
俺は二本のフォークを両手に持ち、その塊肉に突き立てて左右に引っ張った。
――ホロッ……。
包丁などの刃物は全く必要ない。
フォークで軽く触れただけで、巨大な肉の塊が、繊維に沿ってホロホロと糸のように崩れていく。
溶け出した極上の脂とゼラチン質が肉の表面をコーティングし、肉汁がジュワリと滴り落ちて見事なツヤを放っていた。
「ここに、味の決め手を加える。」
完全に崩して山盛りになったオーク肉の上から、あの大鍋いっぱいに仕込んでおいた『特製濃厚ソース』と、鉄板に落ちた肉汁をたっぷりと回しかけ、全体をざっくりと混ぜ合わせた。
スパイスの辛味と香り、果実シロップと濃厚ソースの甘み、そして上位オーク肉の旨味が渾然一体となった、極上の『プルドポーク』の完成だ。
俺は市場で買ったアイアンキャベジを極細の千切りにし、同じく市場で買っておいた硬い黒パンを半分にスライスした。
黒パンの間に千切り野菜をたっぷりと敷き、その上に熱々のプルドポークをこれでもかと山盛りに乗せて、パンで挟み込む。
「さて、味見といくか。」
俺は両手で分厚いサンドイッチを持ち、大きく口を開けてかぶりついた。
「――ッ!! 完璧だ!」
まず驚かされるのは、硬いとばかり思っていた黒パンの劇的な変化だった。
パサついて少し酸味の強かったパン生地が、ホロホロのオーク肉から溢れ出す熱い脂と濃厚なソースをたっぷりと吸い込み、驚くほどしっとりとした味わい深いパンに化けているのだ。
そして、噛むほどにスパイスの刺激とオークの圧倒的な甘みが口の中で爆発する。
アイアンキャベジのシャキシャキとした食感と爽やかな苦味が、濃厚な肉の旨味と油のしつこさを中和し、いくらでも食べ続けられる無限の連鎖を生み出していた。
シルクとメイにもパンに挟んで取り分けてやると、二匹は目を輝かせて無我夢中で頬張っている。
「この組み合わせなら、この街の連中も絶対に納得するはずだ。」
確かな手応えを感じた俺は、急いで屋台の機材と完成した大量のプルドポークをアイテムボックスに収納し、再び活気あふれる市場へと向かった。
目指すのは、昨日目を付けておいた、市場の入り口近くにある大きなパン屋の屋台だ。
山積みにされた黒パンの奥で、熊の獣人の店主が腕組みをして大声で客引きをしている。
「こんにちは。少し、ご相談したいことがあるんです。」
俺が丁寧に声をかけると、熊の店主は訝しげに太い眉をひそめた。
「なんだ、人間の兄ちゃん。パンを買うならそこから選んでくれ。」
「いえ、パンを買うと同時に、店主さんに協力をお願いしたくて来ました。俺はすぐそこの広場で、これから屋台を開こうと思っています。そこで、この肉を売りたいんです。」
俺はアイテムボックスから小皿を取り出し、先ほど作ったばかりの熱々のプルドポークと、アイアンキャベジの千切りを盛り付けて店主の前に差し出した。
「なんだこりゃ? 肉の塊じゃないのか。それに、なんでこんなドロドロに崩れてるんだ?」
「この肉を、店主さんが焼いた黒パンの間に挟んで食べてみてほしいんです。」
店主は怪訝な顔をしたまま、自分の屋台から黒パンを一つ取り出し、真ん中から無造作に半分に割った。
俺が言った通りに千切り野菜とプルドポークをたっぷりと挟み込み、大きな口を開けて豪快にかぶりつく。
「――っ!? な、なんだこりゃあ!?」
熊の店主の目が、限界まで見開かれた。
「肉が……噛まなくても口の中で溶けやがる! それにこの甘辛くてスパイシーな味付け! 何より、俺の焼いたパサパサの黒パンが、肉の脂と汁を吸って、信じられないくらい美味え極上のパンに化けやがった!」
店主は熱さにハフハフと息を漏らしながらも、あっという間に大きな黒パンを平らげてしまった。
「店主さん、提案です。俺の屋台ではパンを用意しません。お客さんには、店主さんの屋台で黒パンを買ってもらい、俺の屋台に持ち込んで、そこに肉と野菜を挟むという『セルフ方式』にしたいんです。」
俺の言葉の意味を理解した店主は、興奮で顔を紅潮させてカウンターから身を乗り出した。
「すげえ……! それなら、俺のパンも飛ぶように売れるし、お前さんの屋台はパンを仕込む手間が省けるってわけか!」
「はい。美味しい肉と、美味しいパン。お互いに協力して、この市場に新しい食べ方の文化を作りませんか。」
俺が手を差し出すと、熊の店主はその大きな毛皮の手で、俺の手を力強く握り返してきた。
「がはははっ! 面白い人間の兄ちゃんだ! よし、乗ったぜ! 俺のパンは広場の一番目立つところに山積みにしておくからな!」
交渉は完璧に成立した。
市場のパン屋を巻き込み、彼らの既存の食文化を尊重しながら、誰も見たことのない最高の肉料理を提案する。
荒々しい熱気に包まれた獣人たちの市場で、俺たちの新しい屋台がいよいよ始動しようとしていた。




