第31話 新名物『たこ焼き』の熱狂と、海を越える新たな探求
朝靄が薄っすらと残るポルト・ラーラの『潮風通り』。
磯の香りを運ぶ海風が心地よく吹き抜ける中、俺は定位置の区画に立ち、スッと右手を前にかざした。
「【収納解除】」
空間がわずかに歪み、俺の身長を優に超える立派な木造の『特注屋台』が、音もなく石畳の上に姿を現した。
神話クラスのアイテムボックスの特性を活かし、魔導コンロや調理器具が完璧にセッティングされた状態で丸ごと収納してあるため、設営にかかる時間は文字通り一瞬だ。
「よし、今日から新しいメニューのお披露目だ。気合入れていくぞ」
「キュイッ!」
「ワフッ!」
頭の上にちょこんと乗ったフォーチュンラビットのシルクが耳をピンと立て、足元では黒豆柴の姿をした神獣・メイがパタパタと嬉しそうに尻尾を振った。
強力な『認識阻害』を展開している二匹の相棒は、今日も無害で愛らしい姿で俺の心を和ませてくれる。
俺は魔導コンロに火を入れ、辺境伯レオン様に手配していただいた『たこ焼き専用鉄板』をセットした。
厚みのある黒剛鉄の鉄板がじわじわと熱を帯びるのを待ちながら、昨晩の領主邸での会話を思い返す。
『フトシ殿。このデビルオクトパスを使った料理、できれば我が街の「新名物」として大々的に宣伝しながら売ってはもらえないだろうか。そうすれば、あの気味悪がられていた魔魚も、立派な街の資源として生まれ変わる』
領地を思うレオン様の熱い願い。
俺はそれを快諾していた。
未知の食材を美味しい料理に変え、人々に広めていくことこそ、俺の望む料理人としての在り方だからだ。
太陽が完全に昇り、漁を終えた屈強な漁師たちや港の労働者たちが潮風通りに集まり始めた。
俺は鉄板の無数の半球状のくぼみに良質な油をたっぷりと引き、用意しておいた『特製たこ焼き生地』を一気に流し込んだ。
――ジュワァァァァァッ!!
小麦が焼ける香ばしい匂いと、生地にたっぷりと溶け込んだシロシメジの粉末、そして大王ホタテの貝汁の奥深い出汁の香りが弾け飛ぶ。
俺はすかさず、塩揉みで徹底的に滑りと臭みを抜き、柔らかく茹で上げた『デビルオクトパス』のぶつ切りを、各くぼみへと正確に落とし込んでいった。
さらに、風味付けの香草の微塵切りと、コクを出すための砕いた発酵チーズを散らす。
「おっ! 兄ちゃん、今日はフィッシュバーガーじゃないのかい? なんだその丸い穴の空いた見慣れねえ鉄板は?」
最初に行き足を止めたのは、クラウドコッドを卸してくれた魚屋の親父だった。
その背後には、俺の屋台の味を知る港の男たちが次々と集まってくる。
「おはようございます。今日は新しい料理です。この街の新名物になるかもしれない、『たこ焼き』ですよ!」
「たこ焼き? タコって、まさかあの気味の悪いデビルオクトパスか!? あんなぬめぬめしたもん、食えるのかよ!」
親父の驚きの声を背に受けながら、俺は両手に持った二本の鉄串をリズミカルに動かし始めた。
生地の縁がチリチリと焼け固まってきた絶妙なタイミング。手首のスナップを効かせ、はみ出た生地を内側へ巻き込むようにしながら「クルッ」と半回転させる。
【探求者】の身体能力が指先を加速させ、流れるような手さばきで次々と球体へと成形していく。
鉄板の熱を均等に伝えるため、何度もコロコロと転がし、表面をカリッと黄金色になるまで焼き上げた。
「さあ、焼き上がりましたよ」
俺は木製の舟型の皿に熱々のたこ焼きを盛り付け、仕上げにあの壺を取り出した。
果実のシロップ、トマト、魚醤、そして多種多様なスパイスを極弱火で煮詰めた『特製濃厚ソース』だ。刷毛にたっぷりと含ませ、たこ焼きの上に塗っていく。
――ジュウゥゥッ!
黒褐色のソースが熱で焦げ、甘辛くフルーティーな香りと、暴力的なまでに食欲を刺激するスパイスの香りが広場一帯に解き放たれた。
「なんだこの強烈に美味そうな匂いは……! ゴクリ」
「騙されたと思って、一つ食べてみてください」
俺が差し出した皿を受け取り、魚屋の親父は添えられた鉄串でたこ焼きを一つ突き刺し、大きく口を開けて放り込んだ。
「あっちぃっ! ハフッ、ハフッ! ――ッ!?」
親父の目が、限界まで見開かれた。
「な、なんだこりゃあ!? 外はカリッカリなのに、噛んだ瞬間に中からトロットロの熱い出汁が溢れ出してきやがる! それにこのタコ……凄まじく柔らかくて、噛むほどに旨味が染み出してくるぞ!」
親父は熱さに涙目を浮かべながらも、無我夢中で二つ目、三つ目と頬張っていく。
「それにこの黒いソースがとんでもねえ! 甘辛くて、酸味があって、スパイスの香りがドカンと鼻を抜ける! 魚醤の深い塩気が、タコと出汁の味を完璧に一つにまとめてやがる! 美味えっ、美味すぎるぞ兄ちゃん!!」
親父の狂乱ぶりを見て、周囲の漁師たちも我先にと金貨を握りしめて殺到した。
「俺にもくれ!」
「こっちもだ! あの悪魔のタコがこんなに美味くなるなんて信じられねえ!」
「はい、お待ちどうさま! この街の新しい名物、デビルオクトパスのたこ焼きです!」
俺は笑顔で注文を捌き続け、鉄板の上でたこ焼きを休むことなく転がし続けた。
外はカリッと、中はトロリ。熱々の生地と濃厚なソースの組み合わせは、フィッシュバーガーに匹敵する、いやそれ以上の熱狂をもってポルト・ラーラの人々の胃袋を鷲掴みにしたのだった。
―――
それから一週間。
俺の目論見と辺境伯レオン様の願い通り、『たこ焼き』はポルト・ラーラの街に新名物として見事に定着していた。
夕暮れ時、市場の活気ある光景を眺めながら街を散策していると、あちこちの屋台から香ばしい匂いが漂ってくる。
街の人々にデビルオクトパスの美味さが浸透したことで、市場から廃棄されるタコは姿を消し、代わりに多くの屋台が独自の工夫を凝らしたタコ料理を出し始めていたのだ。
串に刺して炙り焼きにする者、ピリ辛の香草で炒める者。
そして何より嬉しかったのは、俺のたこ焼きに感化された屋台の主人たちが、見よう見まねで生地を丸く焼く工夫を凝らし、独自のソースをかけて販売し始めていたことだった。
さらには、領主お抱えの一流シェフたちが、俺の残したソースの現物を研究し、高級魚介の出汁とワインを贅沢に使った「貴族風たこ焼き」をレストランで提供し始めたという噂も耳に入っている。
自分の作った一つの料理が、人々の探求心を刺激し、街全体が活気に満ち、笑顔が溢れている。これこそが、料理人として味わえる最高の喜びだった。
夜になり、俺は定宿にしている『潮騒の亭』の食堂に腰を下ろしていた。
「おう、フトシ。今日も大繁盛だったそうじゃねえか。お前さんのおかげで、うちの宿で出すタコ料理も大人気だぜ」
宿の主人が、冷えたエールの入った木製の大ジョッキと、新鮮なギルフィッシュの刺身を運んできてくれた。
俺はジョッキを受け取り、主人のそれと軽く打ち合わせた。
「いただきます」
エールを一口あおる。深い麦のコクと爽やかな苦味が、火照った体に染み渡っていく。
この異世界では、成人は十五歳と定められており、十七歳の俺はお酒を飲むことが法的に許されているのだ。
もちろん、ただ酔うためではない。料理人として、料理とお酒のペアリング――どの食材にどんな酒が合うかを探求するのも、重要な勉強の一つである。
「ぷはぁっ……。主人のギルフィッシュは、やっぱり最高ですね。このエールの苦味が、魚の濃厚な脂を綺麗に洗い流してくれます」
「違いがわかる男はいいな! フトシ、お前さんほど腕の立つ料理人が、この『海洋国アクアリス』に留まってるのはもったいない気もするぜ」
主人の言葉に、俺は少し驚いた。
ここ数日の情報収集で世界の地理についてはある程度学んでいたが、今俺たちがいるこの国は、召喚国であるロドリス王国や交易都市マルタとは国境を接していない、全く別の独立国家――『海洋国アクアリス』という国だった。
豊富な水産資源を誇るこの国は、海路を使った交易で莫大な富を築いている。
「俺は世界中の食材を見てみたいんです。アクアリスの海産物は素晴らしいですが、他にも国があるんですよね?」
俺が尋ねると、主人はエールを飲み干して頷いた。
「ああ。ここから海を渡った先に、俺たちの最大の輸出先でもあり輸入先でもある、広大な大陸がある。そこを支配しているのが『獣人帝国ガルディア』だ」
「獣人の国、ですか」
「犬や猫、虎に狼……多種多様な獣人の血を引く者たちが集まり、種族間の争いもなく平和に暮らしてる、強大で豊かな国さ。だがな……」
主人は少し呆れたような、同情するような顔になった。
「あいつら獣人は、身体能力は凄まじいんだが、どうにも食の好みが大雑把でな。『腹がいっぱいになればそれでいい』って連中が多くて、料理の味や探求にはあまり興味がねえらしい。焼いた肉に塩を振るだけ、みたいな食事が普通なんだとよ」
「……料理に、興味がない?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の奥底にある【探求者】としての血が、ドクンと強く脈打つのを感じた。
腹を満たすだけの食事で満足している人々に、料理の奥深さ、美味しいものを食べるという至福の喜びを伝えたい。
彼らの国には、俺がまだ見たこともない、獣人ならではの未知の食材や、独自の気候が育んだ香辛料が眠っているかもしれないのだ。
「なるほど……獣人帝国ガルディア、ですか。面白いですね」
俺が口元に笑みを浮かべると、主人は「また何か企んでるな?」と豪快に笑った。
―――
翌日の昼下がり。
少しの休憩時間を利用して、俺はポルト・ラーラの防波堤に立ち、どこまでも続く青い海を見つめていた。
「海を渡ろう、シルク、メイ。次の目的地は、獣人帝国ガルディアだ」
「キュイッ!」
「ワフッ!」
相棒たちが元気よく返事をする。
資金の不安は全くない。最高の調理器具と特注屋台も、俺のアイテムボックスの中にある。
何より、ポルト・ラーラの街に一つの「名物」を残せたという確かな自信が、俺の背中を力強く押してくれていた。
潮風が髪を揺らし、波の音が心地よく耳に響く。
海の向こうで待つ新たな食材と、まだ料理の喜びを知らない人々との出会い。
彼らに俺の料理を食べさせたら、どんな顔をするだろうか。
胸の奥から静かに湧き上がる、果てしない料理への探求心と素朴な期待を抱きながら、俺は陽の光にきらめく広大な海原を、いつまでも見つめ続けていた。




