第3話 交易都市マルタへの道と、岩陰の熱々串焼き
ガタゴトと規則正しい振動を響かせながら、トカゲウマの引く大型馬車は緑豊かな街道を進んでいた。
車内は、俺が乗り込んだことによる独特の緊張感に包まれていたが、時間が経つにつれて少しずつ緊迫した空気が和らぎ始めていた。
とはいえ、やはり一八〇センチの筋肉質な体躯と鋭い目つきの男が隣に座っている状況は、一般の人々にとって刺激が強すぎるらしい。
俺はなるべく体を小さく丸め、気配を消すように心がけていた。
そんな中、俺の隣に座っていた小太りの温厚そうな男が、ひざの上の書類から顔を上げて話しかけてきた。
「いやあ、立派な体格の冒険者さんですね。私は商売をしているキースと申します。あなたのような強い方が同乗してくださると、この旅も安心ですよ」
キースと名乗った男は、俺のいかつい容姿を怖がる風でもなく、人当たりの良い笑みを浮かべていた。
どうやら俺をどこかのベテラン冒険者か、あるいは腕利きの護衛だと勘違いしているらしい。
ここで本名を名乗るべきか一瞬迷ったが、俺の脳裏に警戒心が浮かぶ。
『中村フトシ』と苗字まで馬鹿正直に名乗れば、この世界の人間の名前の響きからして、異世界人だと疑われる可能性が非常に高い。
城の悪名高き王族たちに俺の生存や足取りが知れるのは、今後の自由な旅にとって不都合でしかなかった。
「いえ、俺はフトシ。ついさっき冒険者ギルドに登録したばかりの、ただの新米です」
苗字は伏せ、名前だけを告げる。キースは特に不審がる様子もなく、「おお、フトシさんですか!」と嬉しそうに声を弾ませた。
「新米とおっしゃいますが、その佇まいはとてもそうは見えませんよ。これからの旅路、どちらへ向かわれるのですか?」
「東の門から乗ったので、まずは隣の交易都市マルタへ行こうかと」
「おや、マルタですか! マルタなら私の本拠地ですよ! あそこはいい街です。この辺りの流通の要所でしてね、人族の領地だけでなく、遠方の国々からも様々な特産品が集まってくるんです。特に中央広場に広がる市場は圧巻ですよ。見たこともないような珍しい魔獣の肉や、色鮮やかなスパイス、果物が毎日のように取引されています」
食材やスパイスという単語を聞いた瞬間、俺の胸は激しく高鳴った。
一ゴールドが一円ほどのこの世界において、俺の全財産はまだ約八万五千ゴールドほど残っている。それだけの資金があれば、マルタの市場でかなりの食材を買い漁ることができるはずだ。
「それは凄そうですね。実は俺、美味いものを探して旅をしてるんです。マルタに行ったら、これだけは食っておけっていうお勧めの食材や料理はありますか?」
「おや、グルメの探求ですか! それは素晴らしい。でしたら、マルタの名物である『ロックバードの香草焼き』は外せませんね。締まった鶏肉に近い肉質に、現地の特有のハーブをすり込んでじっくりと焼き上げるのですが、あれは絶品です。それから、港から届く新鮮な『ギルフィッシュ』の塩焼きも、脂が乗っていて最高ですよ」
キースは、情報を教えることに対する対価を求める素振りなど一切見せず、ただ親切に、そして楽しそうにマルタの魅力を語ってくれた。
人情味のある良い商人と出会えたのは幸運だった。
そうして情報収集を兼ねた雑談を交わしているうちに、太陽が南の空へと差し掛かり、馬車が街道の脇にある開けた広場で停車した。
「さあ、一時間ほど昼の休憩をとるぞ! 各自、食事と用を足しておいてくれ!」
御者の威勢の良い声が響き、乗客たちがぞろぞろと馬車から降りていく。
俺も外へ出ると、心地よい風が鼻腔を通り抜けた。だが、同時に俺の胃袋が「ぐうぅ」と小さく悲鳴を上げた。
待ちに待った昼飯の時間だ。
俺のアイテムボックスの中には、先ほど屋台の親父から買い込んだ、熱々の『ホーンラビットの串焼き』が二九本眠っている。
今すぐにでもそれを取り出して齧りつきたかったが、俺は周囲の様子を見て思いとどまった。
(……待てよ。ここでそのまま取り出すのはまずいな)
この世界の一般的なアイテムボックスは、ただの便利な収納空間であり、中に入れたものは時間と共に冷めたり劣化したりする。
しかし、俺の持つアイテムボックスは、時間経過による変化が一切ない神話クラスの代物だ。
もし、数時間前に買ったはずの串焼きが、今さっき焼き上がったかのようにジューシーに脂を弾かせ、湯気を立てて飛び出してきたりしたら、周囲の人間は確実にその異常性に気づくだろう。
余計なトラブルや詮索は、これからの自由な食い道楽ライフの邪魔になるだけだ。
「ちょっと、そこの岩の裏まで行ってきます」
近くにいた乗客たちに軽く声をかけ、俺は街道から少し離れた大きな岩の陰へと身を隠した。
周囲から完全に死角になったことを確認し、息を潜めてアイテムボックスに意識を繋ぐ。
スッと空間から取り出したのは、一本の串焼き。
やはり、神話クラスの能力は完璧だった。
屋台の親父が炭火で焼き上げた瞬間と寸分違わぬ、猛烈に熱い湯気がぶわりと立ち上り、クグの実の香ばしいカレーのようなスパイスの香りが鼻を突く。
「いただきます」
岩の裏でしゃがみ込み、周囲に音が漏れないよう、静かに肉を噛みちぎった。
二度目であっても、その美味さは微塵も色褪せていなかった。
赤身肉の力強い弾力から溢れ出す熱々の肉汁と、岩塩のシンプルな塩気が口の中で完璧なハーモニーを奏でる。
スパイスのピリッとした刺激が、胃袋を心地よく刺激していく。
俺は声を殺しながら、しかし猛烈な勢いで二本の串焼きを平らげた。
やはり、美味いものを最高のコンディションで食べるために鍛え上げたこの肉体は、異世界の過酷な移動の最中でも最高のパフォーマンスを発揮してくれる。
口の周りを手拭いで拭い、余韻に浸っていると、岩の向こうから足音が近づいてきた。
「おーい、フトシさーん! どこへ行かれたんですか?」
キースの声だった。どうやら俺を探しているらしい。
俺は慌てて空いた串をアイテムボックスに放り込み、何食わぬ顔で岩の陰から姿を現した。
「あ、キースさん。すみません、ここにいました」
「おお、そこにいらしたんですね。いやね、もしよろしければ、私が持ってきた干し肉とパンを一緒にどうかと思いまして。一人で食べるのも寂しいですからね」
キースは手に包みを持ったまま、親切な笑顔を浮かべていた。
わざわざ俺を誘うために探してくれたのだ。
それなのに、自分だけ岩の裏でこっそり特上の串焼きを食べていたことに、少しばかりの罪悪感がこみ上げてくる。
「ありがとうございます。ですが……すみません、少し用を足していまして。せっかく誘っていただいたのに、申し訳ありません」
俺はいかつい顔をできるだけ申し訳なさそうに歪め、頭を下げた。
キースは「おや、そうでしたか!」と納得したように目を丸くした。
「移動が続くと体調を崩しやすいですからね、無理をなさらないでください。まだ出発まで時間がありますから、馬車に戻って、少し横になって休んでください」
「はい、そうさせていただきます……」
なんとか言い訳は通じたが、胸の痛みを覚えつつ、俺たちは馬車へと戻った。
昼休憩を終え、再び走り出した馬車は、順調に街道を進んでいった。
しかし、日が大きく西に傾き、空が綺麗な茜色に染まり始めた頃――事態は一変した。
ヒヒヒィン!! とトカゲウマが激しくいななき、馬車が猛烈な急ブレーキをかけた。
車内が大きく揺れ、乗客たちが悲鳴を上げる。
「おい、なんだ!? 何が起きた!」
キースが慌てて御者台の方を向く。御者が真っ青な顔で叫び返してきた。
「ま、魔物だ! 前方にウルフが三体! 街道を塞いでやがる!」
その言葉に、車内の空気が一瞬で凍りついた。
この世界において、魔物とは全人類の共通の敵だ。人族だけでなく、魔族も含めたすべての知性ある種族が、生存を脅かす魔物を日常的に討伐している。
中には高度な知性を持ち、人と言葉を交わして隠れ里でひっそりと暮らすような特殊な魔物もいるらしいが。
目の前に現れたウルフどもは、完全に理性のない凶暴な獣の目をしていた。
なぜこのような存在が生まれるのかは世界の謎の一つだが。
今はそれを考察している余裕はない。
「くそっ、こんな街道の真ん中に……!」
御者が武器を構えようとするが、相手は俊敏なウルフが三体。
馬車を守りながら戦うのは容易ではない。乗客たちが絶望に顔を歪める中、俺の胸の奥でチリッと電撃のような感覚が走った。
スキル『冒険する者』に含まれる【直感】が告げている。
――あんな雑魚、俺の敵じゃない、と。
さらに、もう一つのユニークスキル『探求者』のシステム補正が、俺の肉体に脈々と流れ込んでいくのを感じた。
世界の謎や食材に挑むため、俺の身体能力は知らず知らずのうちに、常識外れな領域まで自動強化されているのだ。
「キースさん、ここで待っていてください」
「えっ? フトシさん! 武器も持たずにどこへ――」
止める声を背に受けながら、俺は馬車の扉を開けて外へと飛び出した。
夕暮れの荒野に、鋭い牙を剥き出しにした三体のウルフが、トカゲウマを品定めするように低く唸っている。
その中の一体が、突如として俺の巨体に気づき、地面を蹴って飛びかかってきた。
目にも留まらぬ速さの突進。しかし、自動強化された俺の視界には、その動きがまるでスローモーションのようにはっきりと見えていた。
「――ふん」
俺は武器を持たない丸太のような右腕を、ただ無造作に、最短距離で突き出した。
ドゴォン!!
鈍い衝撃音と共に、俺の拳がウルフの顔面に直撃する。凄まじい肉体の補正がかかった一撃は、魔物の分厚い頭蓋骨を一瞬で粉砕した。
ウルフは悲鳴を上げる暇さえなく、そのまま数十メートル後方へと吹き飛び、地面を転がって動かなくなった。
残り二体のウルフが、信じられないものを見たというように動きを止める。
だが、俺はすでに次のステップへと踏み込んでいた。ゴリラと称されるその巨体からは想像もつかない俊敏さで距離を詰め、二体目の首根っこを左手で掴み上げる。
「ガゥッ……!?」
暴れる魔物をそのまま地面へと叩きつけ、最後の一体に向けて、自慢の右脚を大振りに振り抜いた。
圧倒的な筋力から放たれた蹴りは、ウルフの脇腹を完璧に捉えた。ボキボキと骨の折れる嫌な音が響き、三体目もまた荒野の彼方へと転がっていく。
わずか数十秒の出来事だった。
街道には、静寂だけが戻っていた。
「……さて」
俺は地面に横たわる三体のウルフを見下ろした。
このまま放置していくのは街道の邪魔になるし、何より魔物の素材や肉として何か使い道があるかもしれない。
グルメマニアとしては、未知の食材の可能性を秘めた獲物を捨てていくのは忍びなかった。
俺はウルフの死体に近づくと、それらを次々とアイテムボックスの中へと回収していった。
空間がぐにゃりと歪み、巨体が吸い込まれるように消えていく。
衣服についた砂埃を軽く払い、馬車へと振り返ると、御者台の御者も、窓から顔を覗かせていたキースも、全員が完全に口を開けたまま硬直していた。
「お待たせしました。もう大丈夫です」
俺が声をかけると、キースが我に返ったように馬車から飛び出してきた。
「あ、圧倒的な強さだ……! 武器も持たずにウルフを瞬殺するなんて……! いや、それ以上に驚きましたよ、フトシさん! ウルフを三体も丸ごと収納できるなんて。新米にしては、中の下……いや、そこそこの容量のアイテムボックスをお持ちのようですね!」
キースの目は、先ほどの戦闘への驚きと、実用的なスキルへの感心で輝いていた。
この世界の一般的なアイテムボックスの基準からすれば、ウルフの死体を三体も同時に仕仕舞い込めるのは、並よりは少し劣るものの、十分に実用的な「中の下」くらいの容量ということらしい。
俺のボックスが容量無制限の神話クラスだとは気付いていないが、無駄なトラブルを避けるため、そのまま話を合わせることにした。
「いえ、これが本当に限界なんです。もうこれ以上は何も入りませんよ」
俺はわざとらしく額の汗を拭い、いかにもいっぱいいっぱいで余裕がない風を装って言い訳をした。
すると、キースは感心したように何度も頷き、俺の肩をポンと叩いた。
「いやいや、それだけ入れば十分使い物になりますよ! 冒険者としてそれだけの腕があって、荷物もそこそこ運べるのなら……フトシさん、あなたなら立派な商人にもなれますよ! 私の商会にスカウトしたいくらいです!」
キースは満面の笑みを浮かべ、俺の可能性を高く評価してくれた。
ハズレの【探求者】だの、足手まといだのと言って俺を追い出したカイトたちは、この圧倒的な補正の力も、俺の持つ可能性も知りもしない。
「ありがとうございます。でも、俺はやっぱり美味いものを探す旅を続けたいですから」
俺は穏やかな笑みを浮かべ、キースと共に馬車へと戻った。
夕日を浴びながら再び走り出した馬車の行く先には、未知の美味が待つ交易都市マルタが刻一刻と近づいていた。




