第2話 ゴリラ系男子、ギルド登録と旅立ちの馬車
「……よし、戻ろう」
街道の岩から立ち上がった俺は、今しがた歩いてきた道を力強い足取りで引き返していた。
理由は極めて単純。先ほど食べたホーンラビットの串焼きが、記憶を丸ごと持っていかれるほどに美味かったからだ。
手元には、アルベール王から手切れ金として渡された一〇万ゴールドがある。
屋台で買い物をした時の感覚からするに、この世界はおおよそ『一ゴールド=一円』の金銭感覚で間違いなさそうだった。
つまり、俺の背中には現在、現金一〇万円が入った革袋があることになる。
高校生の全財産としてはなかなかの大金だ。
しかも俺には、時間経過による劣化が一切ない神話クラスの『アイテムボックス』がある。
あの熱々でジューシーな串焼きを、今のうちに大量に買い込んで貯蔵しておかない手はなかった。
街の外門近くに店を構える屋台へ戻ると、剥げかけたエプロンをつけた頑固そうな親父が、暇そうに包丁を研いでいた。
俺が一八〇センチの巨体でぬっと近づくと、親父は一瞬ギョッとして身構えたが、すぐに俺が先ほどの客だと気づいて顔を綻ばせた。
「おう、兄ちゃん。さっき買ったばかりだろ? いかつい顔して、ずいぶん足が速いじゃねえか」
「親父さん、さっきの串焼き、めちゃくちゃ美味かった。だから追加で三〇本、譲ってほしいんだ」
「さ、三〇本ぉ!?」
親父は目をごぼてんのように丸くした。だが、すぐに「ガハハ! 気に入ってくれたなら職人冥利に尽きるぜ!」と、豪快に笑いながら肉のストックを焼き網に並べ始めた。
ジューシーな脂が炭火に落ちて、再びあのエキゾチックなスパイスの香りが立ち上る。
料理人としての血が騒いだ俺は、肉が焼き上がるのを待ちながら、気になっていたことを尋ねてみた。
「なぁ親父さん。この串焼き、クミ……いや、『クグの実』の使い方が絶妙だな。岩塩の振り方も、肉の旨味を一番引き立てるタイミングだ。ただの屋台の味じゃない」
「……あんた、ただの素人じゃねえな?」
親父は驚いたように手を止め、俺の顔をじっと見つめた。
「クグの実の配合は、俺が何年もかけて編み出した秘伝さ。肉を一日、香草の搾り汁に漬け込んで臭みを抜いてから焼いてるんだが……そこまで見抜く奴は滅多にいねえよ」
「独学でこの域は凄い。本当に尊敬する」
俺が素直に称賛すると、親父は照れくさそうに頭を掻いた。
一本五〇〇ゴールドの串焼きを三〇本。合計一五〇〇〇ゴールドを革袋から取り出して支払う。一万五千円分の買い食いだが、プロの技に対する対価としては安いものだ。
焼き上がった山盛りの串焼きを、俺は親父の目の前で『アイテムボックス』へと放り込んでいく。空間が歪み、吸い込まれるように消えていく串焼きを見て、親父は感心したように頷いた。
「へえ、兄ちゃん、収納魔法の使い手だったか。若くてそれだけ広い容量を持ってるなら、どこに行っても重宝されるな」
神官の鑑定と同様、親父も俺のアイテムボックスを「一般的なもの(ただし少し容量が大きい程度)」だと思っているらしい。
劣化なし・容量無制限の神話クラスだとは夢にも思っていないようだ。余計なトラブルを避けるためにも、この誤解はそのままにしておくのが賢明だろう。
「ところで親父さん。俺は訳あって城下町を離れ、別の街へ移動しようと思っているんだ。この国や、周辺の情勢って今どうなってるんだ?」
焼き立ての串を一本、自分で食べる用に受け取り、齧りつきながら何気なく聞いてみた。
親父は周囲を軽く見回し、声を潜めて話し始めた。
「……あんまり大きな声じゃ言えねえが、このロドリス王国は最近、かなりきな臭い。アルベール王の奴、やたらと兵力をかき集めててな。近隣の国と戦争でも始めるんじゃないかって、商人の間じゃ噂さ。おまけに『異世界から勇者を召喚した』なんて大法螺まで吹いてやがる」
「大法螺、ね……」
苦笑いが漏れそうになるのを堪える。王の目的に関しては、やはり俺の『直感』が告げた通り、ろくでもない戦争の道具集めだったらしい。
光条カイトや坂本トウマたちは、今頃城でちやほやされながら、戦争のための訓練でも受けているのだろうか。
東堂リンや清水カオリも、あの胡散臭い王の口車に乗せられていなければいいのだが。何にせよ、早々に追放されて本当に正解だった。
「兄ちゃんみたいな若い奴が、こんな国に長居する理由はねえよ。ただ、別の街へ行くにしても、門を通るための『身分証』はあるかい?」
「いや……実は、手違いで失くしてしまって、今は持っていないんだ」
俺が困ったように言うと、親父は「やっぱりな」と得心したように頷いた。
「なら、大人しく『冒険者ギルド』へ行きな。あそこなら、一〇〇〇〇ゴールドの登録料はかかるが、どんな訳ありの奴でも、実力さえあればその場で身分証代わりの魔石カードを発行してくれる。この国から出るにしても、ギルドの身分証があれば大抵の街の検問はフリーパスだ」
「なるほど、冒険者ギルドか……」
登録料一万ゴールド。一万円で世界共通の身分証が手に入るなら、今の俺にとっては破格の条件だ。
「ありがたい情報だ、助かったよ親父さん」
「気にするな。美味そうに俺の料理を食う奴に、悪い奴はいねえからな。気をつけて行けよ、さすらいの料理人さん!」
親父に手を振り、俺は再び城下町の中心部へと足を向けた。
城下町の賑やかな大通りを歩くこと十数分。
見えてきたのは、剣と盾が交差した無骨な紋章が掲げられた、ひときわ大きな石造りの建物――冒険者ギルドだった。
重厚な木製の扉を押し開けて中に入ると、強烈な酒と汗、そして鉄錆の臭いが鼻を突いた。
昼間だというのに、併設された酒場ではガラの悪そうな男たちが大声を上げて騒いでいる。
俺が部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、ワイワイと騒がしかったギルド内が、水を打ったように一瞬で静まり返った。
(おい、なんだあのガタイ……)
(どこぞのクランの重戦士か? いや、見たことねえな……)
ひそひそと囁き声が聞こえてくる。
急に入ってきた一八〇センチの筋肉の塊、おまけに鋭い目つきの男がのっそりと入ってきたのだ。彼らが警戒するのも無理はない。
だが、俺自身は「絡まれたら面倒だな、早く手続きを終わらせよう」と、内心では至って穏やかに、飯のことだけを考えていた。
喧騒を無視して、奥にある受付カウンターへと向かう。
そこに座っていたのは、緑色の制服を着こなした、いかにも仕事が出来そうな真面目そうな人間の受付嬢だった。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「冒険者の新規登録をお願いしたい」
俺が努めて静かな声で言うと、受付嬢はプロらしい引き締まった笑顔で応じた。
「かしこまりました。登録料として一〇〇〇〇ゴールドが必要となりますが、よろしいですか?」
「問題ない」
アイテムボックスから、あらかじめ分けておいた一万ゴールド分の金貨を取り出し、カウンターに置く。受付嬢は手際よくそれを確認すると、一枚の透明な水晶のカードを取り出した。
「では、こちらの『登録カード』に手を乗せて、少しだけ魔力を込めてください。これで、あなたの『名前』『年齢』『職業』『スキル』がカードに記憶され、正式な身分証となります」
神官が使っていたポンコツ魔法具と同じ仕組みのようだ。
俺がカードに手を乗せると、淡い光が走り、すぐに収まった。受付嬢がカードの表面を確認する。
「……はい、確認いたしました。中村フトシ様、一七歳。職業は【探求者】ですね。これで登録は完了です。本日から、あなたはFランク冒険者となります」
受付嬢の態度には、神官のような侮蔑の色は一切なかった。
この世界において、職業のイメージはあれど、型に嵌まらない生き方をする強者がいることは常識だ。職業が何であれ、ギルドにとっては登録料を払い、依頼をこなしてくれるカードの所有者こそが全てなのだろう。
「ありがとう。……それと、登録早々で悪いんだが、この街を出て隣の街へ移動したい。馬車の情報をもらえないだろうか?」
カードをポケットにしまいながら尋ねると、受付嬢は手元の資料をめくった。
「それでしたら、ここから東の門を出たところにある発着場から、隣の『交易都市マルタ』へ向かう乗合馬車がまもなく出発いたします。運賃は二〇〇〇ゴールドです。マルタは大きな商業都市ですので、美味しい食材や珍しい露店もたくさん集まっていますよ」
「交易都市マルタ……良い街そうだな。ありがとう、行ってみる」
グルメが集まる街、という一言だけで、俺の目的地は完全に決まった。
ギルドを出て、教えられた東の門へと急ぐ。
門の外には、何頭もの巨大な馬――地球の馬よりも一回り大きい『トカゲウマ』と呼ばれる魔獣が繋がれた、頑丈な大型馬車が停まっていた。
「おい、マルタ行き! あと一人で出発するぞ!」
御者台に座る髭面の男が声を張り上げている。俺はそこへ歩み寄り、二〇〇〇ゴールドを差し出した。
「隣の街まで頼みたい」
「おう、乗んな! ちょうど最後の席だ!」
料金を受け取った御者が、馬車の後部扉を開ける。
中には、すでに旅の商人や身なりの良い一般人が五人ほど座っていた。そこへ、頭が天井につきそうなくらい大柄な俺がのっそりと乗り込む。
「ひっ……!」
「な、なんだ、この大男は……」
同乗者たちが一斉に身をすくめ、馬車の隅へと小さくなっていく。
俺はなるべく威圧感を与えないよう、窮屈そうに身を縮こまらせて空いている席に腰を下ろした。
見た目に威圧感があるせいで、どこに行ってもこの緊張感からは逃れられないらしい。苦笑しつつも、目を閉じてこれからの旅に思いを馳せる。
パシィン! と御者が鞭を振るう音が響き、馬車がガタゴトと小気味よい振動を立てて動き出した。
ロドリス王国の忌々しい城下町が、みるみるうちに遠ざかっていく。
手元には、劣化しない極上のウサギの串焼きが三〇本。そして、未知の美味が待つという交易都市マルタへの切符。
「待ってろよ、マルタの美味いもん」
心の中でそう呟くと、俺の口元は、周囲の人間が見たら恐怖で悲鳴を上げそうなほどの、純粋な歓喜の笑みで満たされていた。




