第29話 特製濃厚ソースの開発と、港町の海風
ポルト・ラーラの海沿いに広がる『潮風通り』は、今日も朝から活気と喧騒に包まれていた。
俺の展開する特注屋台の前には、クラウドコッドを使った極上の『フィッシュバーガー』を求める漁師や労働者たちの長蛇の列が形成されている。
二百食用意したバーガーは、昼を待たずして綺麗に完売となった。
「すみません、本日の分は売り切れです! また明日お待ちしています!」
俺が深く頭を下げて完売を告げると、並んでいた客たちから残念そうな声が上がったが、誰もが「明日こそは一番に並んでやる」と笑いながら手を振って去っていった。
屋台を手早く片付け、俺は海風に吹かれながら小さく息を吐いた。
アイテムボックスの中に大切に保管している金貨の総額は、もはや正確に数えるのが馬鹿らしくなるほどに膨れ上がっていた。
連日即完売となるフィッシュバーガーの莫大な純利益に加え、先日、領主である辺境伯様から直々にいただいた『デビルオクトパス』の調理依頼に対する破格の報酬。
ざっと見積もっても、現在の俺の所持金は軽く百万ゴールドを突破しているだろう。
これだけの潤沢な資金があれば、今後の旅において、珍しい食材や高価な調理道具の調達に頭を悩ませる必要は一切ない。
だが、どれほど大金を積んでも、この異世界において「金では絶対に買えないもの」がある。
それは、俺の記憶の中にある現代日本の料理を再現するための『専用の調味料』だ。
現在、辺境伯様の強力な後盾を得て、街一番の鍛冶師が『たこ焼き用の専用鉄板』を特急で製作してくれている。
半球状のくぼみが並んだ分厚い鉄板。それさえあれば、間違いなくあの「外はカリッと、中はトロリ」としたたこ焼きの生地を焼き上げることはできる。
中に入れるタコも、デビルオクトパスの下処理を完璧に行うことで最高の状態に仕上がっている。
しかし、たこ焼きにおいて絶対に欠かせない「魂」とも呼べる要素が、まだ一つ欠けていた。
あの、黒褐色でとろみがあり、甘辛くてフルーティーな『濃厚ソース』である。
当然ながら、この世界にはウスターソースも中濃ソースも存在しない。ならばどうするか。
答えは一つ、自分の手と、この世界にある食材を駆使して、一から作り上げるしかないのだ。
―――
午後。俺はポルト・ラーラの街を抜け、いつもの森の入り口にある見晴らしの良い野営地へと足を運んでいた。
周囲に人がいない静かな空間に、アイテムボックスから作業用の調理台と魔導コンロを展開する。
「よし。鉄板が完成するまでの間に、完璧なソースを完成させるぞ」
「キュイッ!」
「ワフッ」
切り株の上に座ったフォーチュンラビットのシルクと、足元で尻尾を振るフェンリル亜種のメイが、俺の気合に応えるように元気よく鳴いた。
まずは、ソースのベースとなる味の骨組みからだ。
大きな厚手の鍋に、酸味と旨味の土台となるトマトを細かく刻んでたっぷりと投入する。
そこへ、自然なとろみと甘みを加えるため、大根に似た根菜をすりおろして加えた。
魔導コンロの火をつけ、焦げ付かないように木べらでゆっくりとかき混ぜながら加熱していく。
トマトの水分が飛び、全体がドロリとしてきたところで、味の輪郭を形作る調味料を加えていく。
塩気と、発酵による深いコクの塊である『魚醤』。
濃厚な甘みとフルーティーな風味を演出するための『果実のシロップ』。
これらを惜しげもなく鍋に注ぎ込む。
――ジュワァァァッ。
魚醤が熱せられることで、ツンとした生臭さが飛び、代わりに暴力的なまでに食欲をそそる香ばしい匂いが立ち上った。
そこに果実シロップの甘い香りが混ざり合い、野営地一帯に複雑な香りが漂い始める。
「ここからが本番だ。香りの層を重ねていく」
ソースをソースたらしめるのは、何と言ってもスパイスの絶妙な配合だ。
俺はキースさんの商会で買い集めたスパイスの小瓶を並べ、慎重に分量を量りながら鍋へと投入していった。
肉の臭みを消し、甘くエキゾチックな香りを引き出す『クローブに似たスパイス』。
クミンのような香ばしさとカレーのような食欲をそそる香りを持つ『クグの実』。
ピリッとした刺激で味全体を引き締める『ピリ石の粉(黒胡椒)』。
そして、爽やかな辛味で後味をすっきりとさせる『ジンジャー(生姜)』のすりおろし。
スパイスが加わった瞬間、鍋の中から立ち上る湯気は、単なるトマトの煮込みから、明らかに「ソース」と呼ぶべき複雑で奥深い香りへと劇的に変化した。
「クゥ〜ン……」
たまらない匂いに刺激されたのか、メイが俺の足元で鼻をヒクヒクさせ、前足を俺の膝にかけて背伸びをしてきた。
シルクも切り株の上から身を乗り出し、興味津々といった様子で鍋を見つめている。
「まだだぞ。仕上げに、旨味の爆弾を落とす」
ソースの奥深さを決定づける隠し味。それは、植物性と動物性の旨味の相乗効果だ。
俺はアイテムボックスから、マルタの森で採取した『シロシメジ』の乾燥粉末と、先日大王ホタテを開いた際に出た旨味たっぷりの『貝汁』を取り出し、鍋の中へ流し込んだ。
キノコの持つグアニル酸と、ホタテの持つコハク酸。異なる種類の旨味成分が交わることで、ソースの味わいは何倍にも膨れ上がる。
極弱火に落とし、木べらで鍋の底を撫でるように、絶え間なくかき混ぜ続ける。
水分が徐々に蒸発し、ソースの色が赤から深い赤褐色、そして黒褐色へと変化していく。
艶やかな照りが出て、木べらを持ち上げると、ぽってりとした見事なとろみがつくようになった。
俺は小皿にソースをほんの少しだけ取り、フーフーと息を吹きかけてから、指先で舐めてみた。
「…………ッ!」
脳天を突き抜けるような、圧倒的な完成度だった。
最初に舌に触れるのは、果実シロップと根菜が織りなす濃厚でフルーティーな甘み。
それに続くように、トマトの爽やかな酸味と魚醤の深い塩気が完璧なバランスで押し寄せてくる。
そして飲み込んだ後、鼻腔へ抜けていくのは、クローブやクグの実が複雑に絡み合ったスパイシーな香りだ。
シロシメジとホタテの出汁が下支えする旨味の余韻が、いつまでも口の中に留まり続けている。
俺の記憶にある日本のソースと比べれば、材料も製法も全く違う異世界流の簡易ソースだ。
だが、その力強さと奥行きは、決して本物に引けを取らない。
いや、このファンタジー世界の生命力あふれる食材を使っている分、むしろこちらの方がパンチが効いているかもしれない。
「よし……大成功だ」
俺はアイテムボックスから、昼間の屋台で余分に揚げておいた『クラウドコッドのフライ』の切れ端を取り出した。
冷めてもサクサクの衣に、完成したばかりの熱々の特製濃厚ソースをたっぷりと絡め、口へ放り込む。
「――っ、美味い!!」
ガリッという衣の食感と共に、淡白な白身魚の旨味がほどける。
そこに、濃厚で甘辛いソースが暴力的なまでに絡みついた。
油のしつこさをソースの酸味が中和し、スパイスの香りが魚の風味を極限まで引き立てている。
ソース単体で舐めた時よりも、揚げ物と合わさることで、その真価が何倍にも爆発したのだ。
これなら絶対に、あの熱々でトロトロのたこ焼きの生地と、デビルオクトパスの旨味に負けることはない。
最高の相性を見せてくれるはずだ。
「ワフッ! ワフッ!」
「キュイイィィッ!」
俺の歓喜の声を聞きつけ、メイとシルクがたまらないといった様子で足元にすり寄ってきた。
俺は残りのフライの切れ端にソースを少しだけつけ、二匹の前に置いてやった。
メイは小さな口を大きく開けてハフッと食らいつき、その美味しさに尻尾を千切れんばかりに振っている。
シルクもソースの甘みが気に入ったのか、両前足で口の周りを丁寧に拭いながら、幸せそうに目を細めていた。
野営地を吹き抜ける海風が、火照った頬を優しく撫でていく。
大鍋いっぱいに完成した特製濃厚ソースを、俺は時間を止めるアイテムボックスの奥深くへと、最も美味しい状態のまま大切に収納した。
夕暮れが近づき、ポルト・ラーラの海が黄金色に輝き始めている。
遠くの方で、漁師たちの威勢の良い声と、カモメの鳴き声が微かに聞こえた。
資金の心配はなくなり、最高の食材と、妥協のない特製ソースが完成した。
あとは、辺境伯様が手配してくれた、あの鍛冶師の打つ「専用鉄板」の完成を待つのみだ。
未知の魔魚であったデビルオクトパスと、この手作りの濃厚ソースが、熱い鉄板の上で交わる瞬間。
それを想像するだけで、料理人としての胸の鼓動が早まるのを止められない。
明日はどんな驚きが待っているだろうか。
口の中に残る甘辛くスパイシーな余韻と、足元で無邪気にじゃれ合う二匹の相棒たちの温もりを感じながら、俺は明日への素朴で静かな期待を胸に、暮れゆく港町の空をいつまでも見つめていた。




