第28話 領主の指名依頼と、弾けるタコの絶品唐揚げ
潮風通りでの屋台初出店から、あっという間に一週間が過ぎ去った。
雑魚と侮られていた白身魚『クラウドコッド』を極上のフライにし、自家製バンズで挟んだ俺の『フィッシュバーガー』は、ポルト・ラーラの街で爆発的な人気を呼んでいた。
一日百食だった仕込みを倍の二百食に増やしても、毎朝オープンと同時にできる漁師や労働者たちの長蛇の列によって、わずか数時間で完売してしまう。
毎日のように市場でクラウドコッドを大量に仕入れ、三枚におろして岩塩を振り、徹底的に水分と臭みを抜く。
森の野営地で魔導パン窯をフル稼働させて二百個のバンズを焼き、特製タルタルソースを巨大なボウルいっぱいに仕込む。
過酷な労働ではあったが、手の中に残る売上と、客たちの「最高に美味え!」という笑顔が、俺の料理人としての探求心を心地よく満たしてくれていた。
そんな怒涛の一週間を終えたある日の午後。
俺は食材の調達と情報収集のため、ポルト・ラーラの冒険者ギルドに顔を出していた。
頭の上にはフォーチュンラビットのシルク、足元には強力な認識阻害を展開しているフェンリル亜種のメイが付き従っている。
「あっ、フトシさん! お待ちしておりました!」
受付カウンターにいた職員が俺の顔を見るなり、少し慌てた様子で手招きをしてきた。
「何かありましたか?」
「はい。実は、フトシさんに『指名依頼』が入っているんです。それも……この地を治める辺境伯様からの直接のご依頼です」
「……辺境伯様から?」
俺は思わず眉を寄せた。
一介のEランク冒険者である俺に、領主から直接依頼が来るなど普通ではあり得ない。
だが、思い当たる節が一つだけあった。
ギルドの奥にある豪奢な応接室に通されると、そこには初老の威厳ある男性と、見覚えのあるショートヘアの女性がソファーに腰掛けていた。
「マルタの街では、本当に世話になったわね! また会えて嬉しいわ、フトシ君」
女性は立ち上がり、屈託のない笑顔で声をかけてきた。
マルタの広場で俺のタコスを狂ったように食べ、悪徳代官ゴードンを成敗してくれたCランク冒険者――にして、この地を統括する辺境伯家の令嬢、クロエ様だった。
「お久しぶりです、クロエ様。それに、辺境伯様。お初にお目にかかります、フトシと申します」
俺が帽子を取り、深く一礼をすると、辺境伯は鷹揚に頷いた。
「うむ。娘から、マルタの街で途方もなく美味い『タコス』なる料理を作る男の話を聞かされてな。さらに、最近このポルト・ラーラで『クラウドコッド』を見事な料理に変えて大流行させている屋台があると耳にした。それがお主だと分かり、急ぎ呼び立てたのだ」
「光栄です。本日はどのようなご依頼でしょうか?」
辺境伯は深く息を吐き、真剣な表情で切り出した。
「単刀直入に言おう。このポルト・ラーラ近海で最近、大量に網にかかって漁師たちを困らせている魔魚がいる。お主の腕で、それを美味しく食べられる料理を開発してもらえないだろうか」
クロエ様が補足するように口を開いた。
「『デビルオクトパス』って呼ばれているんだけど、見た目がぬるぬるしてて気味が悪いのよ。それに、この辺りではああいう姿の生き物を食べる文化がなくて、市場でも全く買い手がつかなくて大量に廃棄されているの。フトシ君なら、あれを美味しく料理できるんじゃないかと思って」
デビルオクトパス。
その名前と特徴から、俺の脳裏には一つの食材がはっきりと浮かび上がっていた。
俺はクロエ様には恩もある。
それに、未開拓の食材を料理することこそ、俺の探求者としての本望だ。
「承知いたしました。その依頼、お受けします」
俺が即答すると、辺境伯とクロエ様はパッと顔を輝かせた。
報酬として提示された金額は、一介の料理の依頼としては破格の金貨袋だった。
―――
案内されたのは、ギルドに併設された広々とした厨房だった。
巨大な水槽の中には、八本の長い腕をうねらせる巨大なタコ――デビルオクトパスが数匹、ぬらぬらと赤褐色の肌を光らせていた。
俺はすかさず【鑑定】を発動する。
【デビルオクトパス】
詳細:ポルト・ラーラ近海に生息する大型の頭足類。見た目の特異さから敬遠されがちだが、非常に良質なタンパク質とタウリンを含み、強靭な筋肉は噛みしめるほどに強い旨味を放つ。
「やっぱり、タコだな」
俺は腕まくりをし、愛用の『ミスリル打ち込み特注解体ナイフ』を抜いた。
水槽から一匹を引き摺り出し、眉間にある急所を正確に突いて素早く締める。
タコ調理の最大の難関であり、同時に美味しく食べるための絶対条件。それは「滑り取り」だ。
ボウルに移したタコの表面に、大量の岩塩を惜しげもなく振りかける。
そして、両手を使って体重を乗せ、タコの全身を力強く、徹底的に揉み込んでいく。
吸盤の間に詰まった汚れや、生臭さの元となる強烈な粘液が、塩の浸透圧と摩擦によって白い泡となって次々と浮き出してくる。
「すごいわ……あんなに泡が出るなんて」
クロエ様が目を丸くして見学している。
三度ほど塩を足しては揉み洗いを繰り返し、最後に流水で綺麗に洗い流すと、あんなにぬめっていたタコの表面はキュキュッと音が鳴るほど清潔に引き締まっていた。
「ここから、二種類の料理を作ります」
足を切り分け、まずは『タコの柔らか煮』だ。
タコは加熱しすぎるとゴムのように硬くなるが、逆に弱火でじっくりと長時間煮込むことで、筋肉のコラーゲンがゼラチン化し、驚くほど柔らかくなる性質を持つ。
鍋に水を張り、魚醤、果実のシロップ、そして調理用赤ワインをたっぷりと注ぐ。
大根に似た根菜の切れ端も一緒に入れ、酵素の力でさらに肉質を柔らかくしていく。
沸騰したところにタコを入れ、あとは極弱火でコトコトと煮込み続ける。
煮詰まってきたら、鍋肌の焦げた旨味を煮汁で溶かし込むデグラセの要領で、魚醤のコクをタコの芯まで染み込ませていく。
その間に、もう一品。『タコの唐揚げ』の準備だ。
ぶつ切りにしたタコの足に、ジンジャー(生姜)のすりおろしと、風味豊かな魚醤をしっかりと揉み込み、十分ほど置いて下味をつける。
そこへ、市場で手に入れた芋の澱粉(片栗粉)をまぶし、熱した油の中へ投入する。
――バチバチバチッ!!
吸盤に閉じ込められていた水分が爆ぜる激しい音が響き、ジンジャーと魚醤の焦げた圧倒的な香ばしさが厨房いっぱいに広がった。
二度揚げを施し、衣をカリッカリに仕上げて油を切る。
「完成です」
テーブルに並べられたのは、桜色に照り輝く『タコの柔らか煮』と、きつね色の衣をまとった熱々の『タコの唐揚げ』だ。
辺境伯とクロエ様は、恐る恐るフォークを手に取り、まずは柔らか煮を口に運んだ。
「――ッ! な、なんだこれは!」
辺境伯が驚愕に目を見開く。
「見た目の気味悪さが嘘のようじゃ! 歯を立てた瞬間、とろけるようにスッと噛み切れる! そして噛めば噛むほど、魚とは全く違う濃厚な旨味が、この甘塩っぱい汁と絡み合って溢れてくるぞ!」
「本当ね! 吸盤のコリッとした食感が面白くて、全然生臭くないわ!」
クロエ様も歓声を上げながら、今度はタコの唐揚げにかぶりついた。
「熱っ、サクッ……んん〜っ! こっちは衣がガリガリで、中の身はブリッとした凄い弾力! 生姜の香りと魚醤の風味が合わさって、いくらでも食べられちゃう!」
お二人が夢中になってタコを味わう姿に、俺は確かな手応えを感じていた。
厨房の隅では、シルクとメイも俺が取り分けた唐揚げをハフハフと幸せそうに頬張っている。
「素晴らしい腕前だ、フトシ殿。これほど美味いなら、この街の者たちもこぞって『デビルオクトパス』を食べるようになるだろう。漁師たちも救われる!」
辺境伯が手放しで絶賛してくれたところで、俺は姿勢を正し、一つ提案を口にした。
「辺境伯様、ありがとうございます。実は、このタコを使った最高の『屋台料理』の構想があるんです。大衆向けに安く、かつ美味しく消費するにはそれが一番かと」
「ほう! それはどんな料理だ?」
「『たこ焼き』というものです。ただ……それを作るためには、半球状のくぼみが無数に並んだ、専用の分厚い鉄板が必要不可欠なんです。今の俺の手持ちの道具にはなくて」
俺がそう説明すると、辺境伯は力強く立ち上がった。
「ならば、私が直々にこの街で一番の鍛冶師に頼み込み、その『専用鉄板』とやらを特急で打たせよう! フトシ殿の料理の発展のためなら、領主として全面協力させてもらうぞ!」
「本当ですか! それは非常に助かります」
こうして、俺の思い描いた異世界版『たこ焼き』のプロジェクトが、領主様の強力な後盾を得て動き出すことになった。
夕暮れ時の厨房。
鍋にはまだ美味しい柔らか煮の汁が残り、部屋にはジンジャーと揚げ油の香ばしい余韻が漂っている。
厄介者扱いされていた未知の食材を、自分の知識と技術で最高の料理に昇華させることができた。そして明日には、待ち望んだ専用の鉄板が手に入る。
あのふっくらとして、外はカリッと、中はトロリとした至高のたこ焼き。この異世界の食材をどう組み合わせて、あの味を再現しようか。
足元で丸くなるメイと、俺の肩でうとうとするシルクの温もりを感じながら、俺は明日への素朴で熱い期待を胸に、静かに微笑んでいた。




