第27話 潮風通りの初出店と、漁師を唸らせる極上バーガー 夜明け前のポルト・ラーラ。
東の空がわずかに白み始めたばかりの時刻、俺は海沿いの大通り『潮風通り』の指定された区画に立っていた。
まだ人通りがまばらなこの時間を狙い、周囲に誰もいないことを確認してから、俺はスッと右手を前にかざした。
「【収納解除】」
空間がわずかに歪み、俺の身長を優に超える立派な木造の『特注屋台』が、音もなく石畳の上に姿を現した。
神話クラスのアイテムボックスの特性を活かし、魔導コンロや調理器具がすべて完璧にセッティングされた状態で丸ごと収納してあるため、設営にかかる時間は文字通り一瞬だ。
「よし、準備はいいな」
「キュイッ!」
「ワフッ」
頭の上の定位置に飛び乗ったフォーチュンラビットのシルクと、足元で行儀よくお座りをしている黒豆柴の姿をした神獣・メイが、元気よく返事をした。
メイは強力な『認識阻害』を展開しているため、誰が見ても愛らしくて無害な子犬にしか見えない。
俺は魔導コンロに火を入れ、厚手の鍋にたっぷりと注いだ揚げ油の温度を上げていく。
カウンターの正面には、手書きの看板を立てかけた。
『極上白身魚のフィッシュバーガー ―― ひとつ一千ゴールド』
屋台の軽食としては、少々強気な値段設定かもしれない。
だが、酪農の村で仕入れた上質な発酵バターや新鮮な牛乳、天然酵母のパン種、そして安全な卵をふんだんに使っているため、原価はどうしても高くなる。
それでも一つにつき五百ゴールドの利益がしっかりと出る計算だ。安い雑魚を極上のご馳走に昇華させる俺の技術代を含めれば、決して高くはないはずだった。
やがて空が完全に明るくなり、港の方から漁を終えた船が次々と帰還し始めた。
潮風通りにも、一仕事終えて朝飯を求める屈強な漁師たちや、荷運びの労働者たちの姿が増え始める。
「んん? なんだこの見慣れねえ屋台は。フィッシュバーガー……千ゴールドだと?」
俺の屋台の前で最初に足を止めたのは、威勢の良いねじり鉢巻をした、恰幅の良い男性だった。
よく見ると、昨日市場で俺にクラウドコッドを百匹まとめて売ってくれた、あの魚屋の親父だ。
「おはようございます。昨日は良い魚をありがとうございました」
俺が帽子を取って挨拶をすると、親父はハッとして目を丸くした。
「おう、昨日の兄ちゃんか! 随分と立派な屋台じゃねえか。……って、おいおい。ここで出してるのは、あのクラウドコッドかい? 悪いこたぁ言わねえ、千ゴールドはぼったくりだぞ。あんな水っぽい雑魚、誰も買わねえって」
親父は呆れたように頭を掻いた。
市場の相場を知っている人間からすれば、当然の反応だ。
だが、俺は自信を持って微笑み返した。
「百聞は一見に如かず、です。騙されたと思って、一つ食べてみませんか? 満足いただけなかったら、代金はお返ししますよ」
「がははっ! 言い切りやがったな。いいだろう、昨日百匹も買ってくれたお得意様のご祝儀だ。一つもらおうじゃねえか」
親父が銀貨をカウンターに置いたのを合図に、俺は手早く調理を開始した。
油の温度は完璧だ。アイテムボックスから取り出した、衣をつけたクラウドコッドの切り身を、静かに油の中へ投入する。
――シュワァァァァァッ!!
細かい泡と共に、衣が香ばしく揚がる食欲をそそる匂いが潮風に乗って広がった。
数分後、見事なきつね色に揚がったフライを引き上げ、油をしっかりと切る。
その間に、昨日魔導パン窯で焼き上げた黄金色のバンズを真ん中から切り開き、熱々の白身魚のフライを豪快に乗せた。
その上から、ゆで卵と玉ねぎがたっぷりと入った特製タルタルソースをドサリとかけ、上のバンズで挟み込む。
「お待ちどうさま。熱いので気をつけてくださいね」
紙に包まれた大ぶりのフィッシュバーガーを手渡す。
親父は「パンに魚を挟むのか」と不思議そうな顔をしながらも、大きく口を開けてかぶりついた。
「――ッ!?」
一口噛み締めた瞬間、親父の動きがピタリと止まった。
そして、信じられないものを見るような目で、手の中のバーガーをまじまじと見つめたのだ。
「な、なんだこりゃあ……!? サクッとした衣の中から、あんなに水っぽかったクラウドコッドの身が、ふっくらとした極上の白身になってほどけていきやがる! 魚の生臭さなんて微塵もねえ! むしろ、上品な旨味が口いっぱいに広がって……!」
「切り身に岩塩を振って、余分な水分と臭みを徹底的に抜いたんです。そうすることで、身が引き締まって旨味だけが凝縮されるんですよ」
俺の解説を聞き流すように、親父は無我夢中で二口目、三口目と食らいついていく。
「それに、このソース! 卵のコクと、柑橘の酸味、玉ねぎのシャキシャキ感が、油のしつこさを完全に洗い流して最高に美味え! ……いや、それだけじゃねえぞ。なんだこのパンは!?」
親父は目をひん剥いて叫んだ。
「市販の硬いパンじゃねえ! 噛んだ瞬間フカッと押し返してくる弾力に、噛めば噛むほどバターとミルクの甘みがじんわりと染み出してきやがる! パンだけでもどんぶり飯が食えるほど美味えじゃねえか!」
「バンズは天然酵母を使い、自家製で焼き上げています。具材のパンチ力に負けないように、少しリッチな配合にしているんです」
「千ゴールドが安い……! 安すぎるぞ兄ちゃん! おい、俺にあと二つ追加だ!」
親父の興奮した大声は、朝の潮風通りに響き渡った。
「おいおい、あの親父があんなに絶賛してるぞ」「なんだあの美味そうな匂いは!」と、周囲を歩いていた漁師や労働者たちが、次々と俺の屋台の前に群がり始めた。
「こっちにも一つくれ!」
「俺は三つだ! 仲間にも食わせてやる!」
そこからは怒涛の注文ラッシュだった。
俺は【探求者】の身体能力をフル稼働させ、凄まじいスピードでフライを揚げ、バンズを切り、タルタルソースをかけて提供していく。
頭の上のシルクは「キュイッ!」と愛想よく鳴き、足元のメイも「ワフッ」と尻尾を振って、客引きの看板犬としての役割を完璧に果たしてくれていた。
クラウドコッドという、自分たちが普段見下している雑魚が、極上のバーガーに化けたという事実は、舌の肥えた漁師たちに強烈な衝撃を与えたようだ。
「信じられねえ、あのコッドがこんなにふっくら化けるなんて!」「このフカフカのパン、うちの女房にも食わせたい!」と、屋台の前は歓声と笑顔で溢れかえった。
――そして。
営業開始からわずか一時間半。
「すみません! 用意していた百食分、全て完売です!」
俺が申し訳なさそうに頭を下げると、列の後ろに並んでいた客たちから「マジかよォ!」「明日も絶対来るからな!」と悲鳴のような声が上がった。
一日目は様子見として百食分だけ仕込んでいたのだが、まさかこれほどのスピードで売り切れてしまうとは計算外だった。
「兄ちゃん、すげえな! 明日は倍の量を用意しておけよ! 港の連中に宣伝しておいてやるからな!」
魚屋の親父が、口の周りにタルタルソースをつけたまま豪快に笑って肩を叩いてくれた。
―――
客の波が引き、静かになった潮風通りで、俺は屋台の片付けを終えて小さく息を吐いた。
手元の革袋には、たった一時間半で稼ぎ出した十万ゴールドがずっしりと重みを持っている。
純利益で五万ゴールド。素晴らしい成果だ。
「お前らも、手伝いありがとな」
俺がアイテムボックスの奥底に残しておいた、自分と相棒たちの分のフィッシュバーガーを取り出すと、シルクとメイは歓喜の声を上げて飛びついてきた。
海から吹き込む風が、火照った体を優しく冷ましてくれる。
冷たいエール代わりに水筒の水をあおり、俺もフィッシュバーガーにかぶりついた。
ふかふかの甘いバンズ、サクサクの衣、ふっくらとした白身魚の旨味、そして酸味の効いたタルタルソース。
全ての要素が口の中で完璧なハーモニーを奏で、労働の後の空腹を最高に満たしてくれる。
自分の手で選び、仕込み、提供した料理が、見知らぬ港町の人々の胃袋を掴み、笑顔を生み出した。
この充実感こそが、俺が異世界で料理を作り続ける最大の理由だ。
明日は、今日以上にたくさんの仕込みが必要になるだろう。
パン窯をフル稼働させ、クラウドコッドの骨を抜き続ける過酷な作業が待っている。
だが、その苦労すらも今は心地よい。
どこまでも広がる青い海と、賑やかなカモメの鳴き声。
満ち足りた腹をさすりながら、俺は明日もこの街で美味い料理を振る舞うという、素朴で温かい期待を胸に、心地よい疲労感と共に港町の風景をいつまでも見つめていた。




