第26話 港町の屋台許可と、白身魚の極上フィッシュバーガー
ポルト・ラーラの朝の活気は、昨日にも増して力強く感じられた。
潮風の匂いに包まれた街並みを、俺は頭の上の定位置にフォーチュンラビットのシルクを乗せ、足元には黒豆柴の姿をした神獣フェンリルの幼体・メイを従えて歩いていた。
メイの持つ強力な『認識阻害』のおかげで、すれ違う人々の目には「大柄な青年に懐く、大人しくて可愛らしい子犬」にしか見えていないようだ。
「まずは、商人ギルドに顔を出さないとな」
ポルト・ラーラの商人ギルドは、マルタのそれよりもさらに大きく、海に面した立派な石造りの建物だった。
中に入り、受付の職員に声をかける。
「おはようございます。フトシと申します。マルタの商人ギルドで会員になったのですが、この港町で料理の屋台を出したいと考えていまして、許可と指定の場所を伺いに来ました」
俺は懐から『銀色の会員証』を取り出し、カウンターに提示した。
職員は会員証の刻印を丁寧に確認すると、柔和な笑顔を浮かべた。
「はい、間違いなく本物の会員証ですね。ポルト・ラーラへようこそ、フトシ様。この街でも、会員の方は指定された区画であれば自由に屋台を展開していただけます。海沿いの『潮風通り』や、中央の『大広場』あたりが人通りも多くておすすめですよ」
「ありがとうございます。助かりました」
屋台を出す許可も得て、次はいよいよメニュー決めだ。
大通りに併設された広大な市場をぶらりと歩きながら、俺は思案を巡らせた。昨日買った『大王ホタテ』や『巨大キンキ』は確かに絶品だが、屋台で手軽に売るには原価が高すぎ、大衆向けではない。タコスのように、片手で手軽に食べられて腹に溜まり、それでいて強烈に美味いものが理想だ。
市場の奥へと進むと、一際声の大きい漁師たちが集まっている一角に出た。
彼らの足元には、氷を敷いた巨大な木箱がいくつも並べられており、中には銀色に輝く白身魚が文字通り山のように積まれている。
体長は五十センチほどで、現代日本のタラによく似た魚だ。
「この『クラウドコッド』、誰かまとめて引き取ってくれねえか! 網に大量にかかるのはいいが、足が早くて身が水っぽいから、市場じゃ買い手がなかなかつかなくてよ!」
「そうは言ってもなぁ。煮付けにしても身が崩れるし、塩漬けにするにも手間がかかりすぎるんだよ」
漁師と仲買人が渋い顔で交渉している。
俺はすかさず【鑑定】を発動した。
【クラウドコッド】
詳細:ポルト・ラーラ近海で大量に水揚げされる白身魚。身に水分を多く含んでおり、鮮度の低下が早いため雑魚として扱われがち。しかし、適切な下処理を施せば、ふっくらとした淡白で上品な味わいを発揮する。
(水っぽくて淡白な白身魚……。なら、衣をつけて油で揚げれば、外はサクサク、中はふっくらとした最高のフライになるはずだ。それに……)
俺の頭の中で、完璧なメニューの構想がカチリと音を立てて組み上がった。
「あの、すみません」
俺が声をかけると、漁師と仲買人が振り返った。
「そのクラウドコッド、俺が買い取らせてもらえませんか? ざっと百匹ほどいただきたいんですが」
「ひゃ、百匹!? 兄ちゃん、本気かい! そりゃあありがてぇが、そんなに大量に買ってどうするんだ?」
「屋台の料理に使おうと思いまして。いくらになりますか?」
「そうだな……これだけまとめて買ってくれるなら、百匹で五千ゴールドでどうだい! これでもギリギリの赤字覚悟だぜ!」
一匹五十ゴールド。信じられないほどの破格だ。
俺は五千ゴールドを支払い、鮮度が落ちないうちに死角に入って、大量のクラウドコッドをアイテムボックスへと収納した。
メニューの主役は決まった。サクサクに揚げた白身魚のフライを、ふかふかのパンで挟んだ『フィッシュバーガー』だ。
だが、最高のバーガーを作るには、市販の硬いパンではなく、具材の旨味を受け止めるための専用の『バンズ』が必要不可欠になる。
俺は市場を離れ、街の大きな金物商会へと足を運んだ。
そこで目についたのは、耐火煉瓦と魔導石を組み合わせた、移動式の立派な『魔導パン窯』だ。
「これ、すごく火の回りが良さそうですね。おいくらですか?」
「お目が高い。庫内の温度を均一に保つ最新型でして、八万ゴールドになります」
少し値は張ったが、今後の屋台展開において「自分好みのパンが焼ける環境」は絶対に必要だ。
俺は迷わず支払いを行い、店主が目を丸くしている隙にパン窯をアイテムボックスへと納めた。
―――
昼過ぎ。俺は昨日も訪れた、森の入り口にある見晴らしの良い野営地へとやってきた。
海風が優しく吹き抜ける静かな場所だ。周囲に人がいないことを確認し、アイテムボックスから作業用の調理台、魔導コンロ、そして先ほど買ったばかりの魔導パン窯を展開する。
「よし、明日の初出店に向けて、まずは百食分の仕込みだ」
シルクは切り株の上に座り、メイは俺の足元で尻尾を振りながら、興味津々といった様子で作業を見守っている。
まずはバンズの生地作りだ。
巨大なボウルに、マルタで買い込んでおいた上質な小麦粉、酪農の村で仕入れた新鮮な牛乳と黄金色の発酵バター、そして少量の岩塩と砂糖を混ぜ合わせる。
そこに、昨日酪農の村の市場で見つけて買っておいた『天然酵母のパン種』をたっぷりと加え、手で力強く、そして滑らかになるまで捏ね上げていく。
バターと牛乳をふんだんに使うことで、パサつかず、口どけの良いリッチな生地に仕上がるのだ。
「キュイッ?」
「ワフッ」
生地がまとまり、ほんのりと甘いミルクの香りが漂い始めると、シルクとメイが鼻をヒクヒクさせて身を乗り出してきた。
丸めた生地に濡れ布巾を被せ、一次発酵の間にクラウドコッドの下処理へと取り掛かる。
魚を三枚におろし、小骨を毛抜きで丁寧に一本残らず抜いていく。バーガーにかぶりついた時、骨の食感があっては全てが台無しになるからだ。
そしてここからが、水っぽいとされる魚を極上のフライに変える最大の極意だ。
切り身の表面に、高い位置から岩塩をまんべんなく振りかけ、十分ほど放置する。
すると、浸透圧の働きにより、魚の身から余分な水分と共に、生臭さの元となるドリップがじわじわと浮き出てくる。
これを清潔な布で徹底的に拭き取ることで、身はギュッと引き締まり、揚げた時に水蒸気で衣が破裂するのを防ぐことができるのだ。
下処理を終えた切り身に、小麦粉、溶き卵、そして少し乾燥させたパンを細かく削って作った自家製パン粉の順で衣をつけていく。
バットの上に並べられた百食分の白身魚のフライの素を、鮮度を保つために片っ端からアイテムボックスへと収納した。
「次は、味の決め手になるソースだ」
フィッシュバーガーに合わせるのは、濃厚で酸味の効いた特製タルタルソースしかない。
ボウルに新鮮な卵の卵黄を落とす。
異世界で生の卵を口にするのはリスクが伴うため、俺はあらかじめ【鑑定】を発動し、サルモネラ菌などの危険な菌が一切存在せず、完全な生食が可能であることをしっかりと確認済みだ。
その安全な卵黄に、油、岩塩、そして市場で買った黄色い柑橘の搾り汁を少しずつ加えながら、白くもったりとするまで猛烈な勢いで撹拌し、手作りのマヨネーズを作る。
そこへ、粗く刻んだゆで卵、水にさらして辛味を抜いた玉ねぎの微塵切り、そしてピリ石の粉(黒胡椒)をたっぷりと加え、全体をざっくりと混ぜ合わせる。
ゆで卵のゴロゴロとした食感と、玉ねぎのシャキシャキ感が残る、手作りならではの贅沢なソースの完成だ。
ソースをアイテムボックスにしまった頃、バンズの生地が素晴らしい具合に膨らんでいた。
生地を百等分に切り分け、丸め直して天板に並べる。
しっかりと予熱を済ませた魔導パン窯の中へ入れ、じっくりと焼き上げていく。
やがて、パン窯の隙間から、小麦と発酵バターが焼ける暴力的なまでに甘く香ばしい匂いが、野営地一帯に解き放たれた。
「キュウゥ〜!」
「クゥ〜ン!」
シルクとメイが、たまらないといった様子でパン窯の周りをウロウロと回り始めた。
焼き上がった天板を引き出すと、そこにはふっくらと黄金色に膨らんだ、見事なバンズが整然と並んでいた。
表面は張りがあり、押せばフカッと押し返してくる極上の弾力だ。
「よし、仕込みは完璧だ。……せっかくだ、味見をしておこう」
俺は手早く魔導コンロに鍋をかけ、揚げ油をたっぷりと注いで熱した。
適温になった油の中へ、仕込んでおいたクラウドコッドのフライを投入する。
――シュワァァァァッ!!
細かい泡と共に、香ばしい匂いが立ち上る。
数分後、見事なきつね色に揚がったフライを引き上げ、油をしっかりと切った。
焼き立てのバンズを真ん中で半分に切り、熱々の白身魚のフライを豪快に乗せる。
その上から特製タルタルソースをたっぷりと乗せ、上のバンズで挟み込んだ。
「待たせたな。ほら」
俺は完成したフィッシュバーガーを三等分に切り分け、シルクとメイの前に一つずつ置いてやった。
二匹は歓喜の声を上げ、小さな口を限界まで開けてバーガーにかぶりつく。
俺も残りの一切れを両手で持ち、大きく口を開けて食らいついた。
「――ッ! ……美味いっ!」
歯を立てた瞬間、バンズのふかふかとした弾力が唇を包み込み、続いてフライの衣が「サクッ!」と小気味よい音を立てて弾けた。
そして、極限まで水分を抜き、旨味だけを凝縮されたクラウドコッドの純白の身が、口の中でホロリとほどける。
淡白だと言われていた魚とは思えないほど、上品でふっくらとした甘みが広がる。
そこに、発酵バターが香るバンズの豊かな風味と、ゆで卵がゴロゴロと入った濃厚なタルタルソースが完璧に絡み合う。
柑橘の酸味と玉ねぎのシャキシャキ感が油のしつこさを完全に消し去り、後を引く悪魔的な美味しさを生み出していた。
「ハフッ、ハフッ!」
「キュイイィィッ!」
足元では、メイが尻尾を千切れんばかりに振りながら頬張り、シルクは美味しさのあまり後ろにひっくり返っていた。
三者三様に味見を終え、俺は確かな手応えを感じていた。このフィッシュバーガーなら、間違いなくポルト・ラーラの街で通用する。
海に沈みゆく夕日が、港町と広大な海を赤く染め上げている。
明日は、あの活気に満ちた潮風通りで、俺の特注屋台を広げる日だ。
雑魚と侮られていた白身魚が、極上のフィッシュバーガーに化ける瞬間を、この街の人々はどう受け入れてくれるだろうか。
口の中に残る旨味の余韻と、足元で満足そうに丸くなる相棒たちの温もりを感じながら、俺は明日への素朴で静かな期待を胸に、暮れゆく空をいつまでも見つめていた。




