第25話 港町の巨大海鮮BBQと、黒き神獣の幼子
ポルト・ラーラの朝は早い。
空が白み始めたばかりの時刻だというのに、海沿いの大通りはすでに圧倒的な熱気に包まれていた。
漁から戻ってきたばかりの大型船が次々と着岸し、潮風に肌を焼いた屈強な漁師たちが、木箱に詰められた海の恵みを威勢のいい掛け声と共に水揚げしていく。
宿屋『潮騒の亭』で心地よい目覚めを迎えた俺は、頭の上の定位置にフォーチュンラビットのシルクを乗せ、潮風に吹かれながら港に併設された朝市へと足を運んでいた。
「すごい活気だな……」
市場に足を踏み入れると、そこはまさに未知なる食材の宝庫だった。
ずらりと並べられているのは、現代の日本で見慣れた魚の面影を残しつつも、明らかに異世界特有の進化を遂げた巨大な海産物たちだ。
俺はすかさず【鑑定】を駆使し、次々と食材の正体と状態を確かめていく。
「おっ、そこのお兄さん! 今朝上がったばかりの『大王ホタテ』はどうだい! 貝柱だけでも相当な食い出があるぜ!」
ねじり鉢巻をした恰幅の良い魚屋の親父が指差した先には、なんと馬車のタイヤほどもある巨大なホタテが山積みになっていた。
分厚い殻の隙間からは、うねるような巨大な貝柱とヒモが見え隠れし、力強く潮を吹いている。
「すごい大きさですね。これ、三枚ほどいただきます」
「まいどあり! 兄ちゃん、見る目があるねぇ!」
さらに市場を歩き進める。
氷を敷き詰めた木箱の上に横たわっていたのは、どう見てもマグロほどのサイズがある巨大な『アジ』だった。
青光りする美しい魚体と、尾の付け根にある鋭いゼイゴがその証拠だ。丸々と太っており、触れなくても極上の脂が乗っていることがわかる。
隣の店には、深海から引き揚げられたような真っ赤な魚が並んでいる。一見すると巨大なキンメダイのようだが、【鑑定】によれば上質な脂と旨味を持つ『巨大キンキ』の異世界種らしい。
俺は興奮を抑えきれず、タイヤサイズのホタテ、マグロサイズのアジ、そして巨大キンキを次々と買い込み、周囲の目を盗んでアイテムボックスの奥深くへと収納していった。
途中の金物屋では、この素晴らしい海鮮を野外で豪快に焼くための頑丈な鉄製のバーベキュー台と、分厚い金網、それに質の良い木炭もしっかりと購入しておく。
―――
これだけ素晴らしい新鮮な海産物を手に入れてしまうと、宿の厨房に持ち帰るまで我慢できるはずがなかった。
昼前、俺はポルト・ラーラの街を抜け、森へと続く街道の一歩手前にある、見晴らしの良い野営地へとやってきた。
背後には静かな深い森が広がり、前方にはどこまでも青い海が見渡せる絶好のロケーションだ。
「よし、シルク。今日はここで海鮮バーベキューにするぞ」
「キュイッ!」
シルクが嬉しそうに長い耳を揺らし、俺の肩からピョンと地面に降り立った。
俺は買ったばかりのバーベキュー台を組み立て、周囲で拾い集めた乾燥した細かい枝と木炭を組み上げ、着火用の魔導具で火を点けた。
パチパチと炭が爆ぜ、やがて芯から真っ赤に燃え上がり、心地よい熱気が立ち上り始める。
まずは『大王ホタテ』だ。
タイヤのような巨大な殻を、そのまま豪快に金網の上に乗せる。強烈な炭火の熱が分厚い殻を通してじっくりと伝わり、やがて殻の隙間から、磯の香りをたっぷりと含んだ透明なスープがグツグツと沸き立ち始めた。
「よし、開くぞ」
パカァッ、と重々しい音を立てて殻が開くと、中には大人の拳がいくつも並んだような、規格外に分厚い貝柱が鎮座していた。
俺はそこへ、数日前に酪農の村で仕入れておいた黄金色の『発酵バター』の塊を惜しげもなく落とし込む。
熱々の貝汁の中でバターがジュワリと溶け広がり、乳脂肪の甘く濃厚な香りが爆発する。
さらに仕上げとして、小魚の旨味が凝縮された『魚醤』をひと回し垂らした。
――ジュワァァァァァッ!! ボワッ!
魚醤が炭火に落ちて焦げ、バターと貝の旨味が渾然一体となった、暴力的なまでに食欲を刺激する「バター醤油」の匂いが野営地一帯に解き放たれた。
「完成だ」
俺はナイフで巨大な貝柱を切り分け、フーフーと息を吹きかけてから口に放り込む。
「――ッ、熱っ、美味っ……!」
歯を押し返すような凄まじい弾力。
噛み切った瞬間、貝柱の太い繊維から信じられないほど濃厚な海の甘みがジュワァァッと溢れ出した。
そこに発酵バターの奥深いコクと、魚醤の香ばしい塩気が完璧に絡みつき、旨味の津波となって味覚を蹂躙する。
続いてはマグロサイズの『巨大アジ』だ。
出刃包丁で三枚に下ろし、分厚い半身の皮目に十字の切れ目を入れる。
真っ赤な岩塩を高い位置からパラリと振り、網の上へ。
――ジリジリジリッ!
炭火にアジの濃厚な脂が滴り落ち、真っ白な煙が立ち上る。
その煙が再び身を燻すことで、炭火焼き特有のえも言われぬ香ばしさが身に纏いついていく。
皮目がパリッと黄金色に焼け、身の芯までふっくらと火が通ったところで、市場で買った黄色い柑橘をたっぷりと搾った。
箸代わりに削り出した木の枝で身をほぐし、口へ。
アジ特有の青魚の強い旨味が、マグロのような圧倒的な脂の乗りと共に押し寄せてくる。
岩塩が甘みを引き立て、柑橘の酸味が脂のしつこさを綺麗に洗い流してくれた。いくらでも食べ続けられる、悪魔的な美味さだ。
「美味いな……」
俺が海鮮バーベキューの至福の味に酔いしれていると、不意に足元から小さな気配を感じた。
「……クゥ〜ン、ワフッ」
視線を落とすと、そこには真っ黒な毛並みをした、子犬――まるで現代日本の『豆柴』にそっくりな小さな獣が、ちょこんと行儀よくお座りをしていた。
つぶらな瞳で、網の上で焼ける巨大アジをじっと見つめ、小さく尻尾を振っている。
あまりにも愛らしい姿だが、こんな森の入り口に血統書付きのような野良犬がいるのは少し不自然だ。
切り株の上に座っているシルクを見やると、彼女は長い耳を寝かせ、ジト目で黒い子犬をじーっと見下ろしていた。
警戒というよりは、「なんだこいつ、また厄介なのが来たわね」と呆れながら値踏みしているような不思議な視線だ。
「お前、腹が減ってるのか?」
俺がアジの身をほぐし、熱くないように少し冷ましてから差し出すと、黒い豆柴は「ハフッ、ハフッ」と無我夢中で魚の身を平らげた。
さらにホタテの貝柱の切れ端を与えると、目を丸くして歓喜の声を上げ、俺の足首にスリスリと体を擦り付けてきた。
「可愛いな。ただの迷い犬か……?」
俺は念のため、足元でじゃれつく黒い子犬に向けて【鑑定】を発動した。
脳内に表示されたのは『黒犬:森の周辺に生息する一般的な野良犬』という、至極当たり障りのないテキストだった。
だが、俺のユニークスキル『冒険する者』に内包された【鑑定】の感覚が、微かな「違和感」を告げていた。
表面上のデータの下に、何か分厚いベールのようなものが被せられている感覚だ。シルクが展開していた『幸せを運ぶ兎』による認識阻害と同じ匂いがする。
「……もう少し、深く」
俺は意識を集中し、【探求者】の補正を乗せて対象の深層へと【鑑定】を押し込んだ。
ベールがパリンと音を立てて砕けるような錯覚と共に、隠蔽されていた真実の情報が脳内に流れ込んできた。
それを見て、俺は危うく手の中の魚を落としそうになった。
【神獣 フェンリル(亜種・幼体)】
詳細:世界に数体しか存在しないとされる伝説の神狼フェンリルの亜種。親を持たず、強大な魔力の溜まり場から自然発生したとされる。幼体でありながらすでにSランク魔物に匹敵する力を有し、成体となれば天災クラスの力を持つ。常に強力な『認識阻害』と『鑑定偽装』を周囲に展開しており、他者の目にはただの無害な小犬にしか見えない。
「……えっ? Sランクの神獣の幼体!?」
俺は硬直した。
シルクが幻の聖獣『フォーチュンラビット』だったことに続き、今度は伝説のフェンリルの幼体である。
いくらなんでも、こんな都合よく世界有数の規格外生物がホイホイと俺の足元に転がり込んでくるものだろうか。
ふと、俺はある仮説に行き当たり、自身の職業である【探求者】のステータス詳細を、今まで以上に深く確認してみた。
職業:【探求者】
詳細:未知を探求する行動に規格外の補正がかかる。
(※隠しパッシブ効果:『未知なる存在』『希少な事象』を強く引き寄せる。術者の実力と探求心に比例して、世界に隠された神秘が自然と集う性質を持つ)
「……なるほど。そういうことだったのか」
俺は深く納得してため息をついた。
俺が異世界で未知の食材を求め、料理の技術を磨き、貪欲に探求すればするほど、この隠しパッシブ効果が強まり、シルクやこのフェンリルのような「希少な存在」を引き寄せてしまっていたのだ。
だが、理由が分かれば恐れることはない。
Sランクの神獣だろうが、腹を空かせて俺の料理に胃袋を掴まれた可愛い子犬であることに変わりはない。
それに、この強力な認識阻害と鑑定偽装のおかげで、街中で無用なパニックを引き起こす心配もないだろう。
「キュイッ!」
「ワフッ!」
切り株の上のシルクが「私が先輩だからね」とばかりに威張って鳴くと、足元の黒豆柴は「分かってるよ」とばかりに短く吠え返し、俺の靴の上に顎を乗せて気持ちよさそうに目を閉じた。
どうやら、彼らの間ではすでに上下関係と仲間意識が成立したらしい。
「よし、お前も今日から俺の相棒だ。名前は……そうだな、『メイ』にしよう」
俺がそう名付けると、メイは嬉しそうに立ち上がり、パタパタと黒い尻尾を振って俺の手に冷たい鼻先を擦り付けてきた。
炭火の熱気が優しく顔を撫で、口の中には海鮮バター醤油の圧倒的な旨味の余韻が残っている。
ポルト・ラーラという新しい街で手に入れた極上の海の幸。
そして、偶然にして必然の出会いを果たした、黒き神獣の小さな相棒。
明日はついに、アイテムボックスの中で出番を待っている俺の特注屋台を、この港町で展開する日だ。
この素晴らしい海の恵みを使って、どんな新しい料理を作り出せるだろうか。
俺の『さすらいの料理人』としての旅は、二匹の規格外な相棒たちと共に、潮騒の音に包まれながら、また一つ賑やかで美味しいページをめくろうとしていた。




