第23話 酪農の村と、とろける黄金のチーズフォンデュ
ガタゴト、ガタゴトと、規則正しい車輪の音が続く。
マルタの巨大な城壁を抜け、南東へと向かう大型の乗り合い馬車は、緩やかな起伏が続く街道を安定した速度で進んでいた。
窓から吹き込む風は心地よく、どこまでも広がる青空と緑の平原が、新しい旅の始まりを祝福してくれているかのようだ。
俺の頭の上では、フォーチュンラビットのシルクが、流れる景色を珍しそうに眺めながら長い耳を揺らしている。
俺は木製の座席に背中を預け、ふと隣に座る乗客に視線を向けた。
無精髭を生やし、日に焼けた肌に年季の入った革鎧を纏うその男は、馬車に乗り込んでからというもの、ずっと陽気な鼻歌を歌いながら窓の外を眺めていた。
腰に帯びた長剣の柄には無数の傷が刻まれており、かなりの修羅場を潜り抜けてきた歴戦の冒険者であることが窺える。
俺はセリアさんからもらった地図を思い出しながら、少し気になっていたことを尋ねてみることにした。
「あの、すみません」
「ん? なんだい、兄ちゃん」
「俺は港町に向かっているんですが……そもそも、その港町の正式な名前って何と言うんでしょうか?」
俺が恐る恐るそう尋ねると、男は一瞬きょとんとした顔になり、次いで腹を抱えて豪快に笑い出した。
「がはははっ! おいおい、冗談だろ!? あんた、自分の行き先の町の名前も知らずに長距離馬車に乗ったのかい! いやぁ、俺も大概気まぐれだが、上には上がいるもんだな!」
「お恥ずかしい限りです。港町に行けば新鮮な魚介類が手に入ると聞いて、それだけで飛び出してきてしまいまして」
俺が苦笑しながら答えると、男は目尻の涙を拭いながら、気さくに右手を差し出してきた。
「俺はギルズだ。気の向くままに旅をしてる、Bランクの冒険者さ。今回は、港町で美味い魚を釣りたくなってな。のんびりと馬車旅を楽しんでるところだ」
「俺はフトシと申します。一応冒険者登録はしていますが、料理の食材を探して旅をしているんです」
握手を交わし、俺たちはお互いの目的を知ってすっかり意気投合した。
ギルズさんの話によれば、この街道の先にある目的地の港町は『ポルト・ラーラ』という名らしい。
王国内でも有数の漁獲量を誇り、近海では様々な海の魔物が水揚げされるという。
「ポルト・ラーラじゃ、脂の乗った『ギルフィッシュ』の刺身が絶品でな。塩と柑橘を軽く搾って、冷えた酒と一緒に流し込むと、もう最高なんだよ」
「それはたまらないですね。海沿いなら、小魚を発酵させた魚醤なども豊富にあるでしょうし、貝類や海藻を使った出汁なんかも期待できそうです」
「おっ、フトシ、あんた本当に料理が好きなんだな! その若さで食材の知識も大したもんだ。よし、道中暇だし、俺が知ってる各地の美味いもんの話をしてやろう!」
気さくで豪快なギルズさんとの会話は弾んだ。
彼がこれまでの冒険で食べてきた未知の魔物肉の話や、地方独特のスパイスの使い方など、料理人である俺にとって喉から手が出るほど欲しい情報ばかりだ。
同じ冒険者ということもあり、互いの苦労話なども交えながら、馬車の旅は驚くほど充実した時間となっていった。
―――
夕闇が迫り、空が深い群青色に染まる頃。
馬車は街道沿いにある、野営のための安全な開けた広場で停車した。
次の街や村まではまだ距離があるため、今夜は乗客それぞれがここでテントを張るか、寝袋に包まって夜を明かすことになる。
「さてと、俺は適当に火を起こして寝床を作るかな。フトシはどうする?」
「俺はテントを持っているので、少し離れた場所に張ろうと思います」
ギルズさんに断りを入れ、俺は広場の端にある平坦な草地へと向かった。
周囲に他の乗客がいないことを確認し、アイテムボックスから黒い金属製の円筒を取り出す。
マルタを出発する前、キースさんの商会で譲ってもらった王都の最新技術『魔導携帯テント』だ。
円筒の端にある魔石のスイッチに軽く魔力を流し込み、地面に置く。
――シュンッ! カシャカシャカシャッ!
小気味よい金属音と共に、円筒から自動的に強靭な骨組みが展開し、特殊な防刃布が瞬く間にドーム状のテントを形成した。わずか数秒の出来事である。
「……おいおいおいっ! なんだ今の魔法みたいなテントは!?」
水筒に水を汲みに行こうとしていたギルズさんが、目を剥いて駆け寄ってきた。
「王都の魔導具ギルドが作っている魔導携帯テントです。キースさんという商会の方から、運良く譲ってもらえまして」
「運良くってレベルじゃねえだろ……。これ、貴族の遠征とかで使われるような最高級品だぞ? フトシ、お前さん、料理人って言ってたが只者じゃないな」
ギルズさんはテントの頑丈な布地をペチペチと叩きながら、呆れたような、感心したようなため息をついた。
テントの内部は外の冷気を完全に遮断しており、湿気もなく、敷かれたマットはふかふかだ。長旅の疲れを癒やすにはこれ以上ない環境である。
「快適そうだなあ……。俺の薄っぺらい寝袋と交換してくれないか?」
「ハハッ、それはご勘弁ください」
冗談を飛ばし合いながら、俺とシルクは快適な魔導テントの中で、朝までぐっすりと深い眠りにつくことができた。
―――
翌日も馬車は順調に街道を進んだ。
昼を過ぎた頃、窓の外の景色が徐々に変化し始めた。
なだらかな丘陵地帯が広がり、緑豊かな牧草地には、のんびりと草を食む白黒模様の牛や、立派な角を持つ山羊たちの姿が見える。
「ようし、着いたぞ。今日はこの村で一泊だ」
ギルズさんの声に合わせて馬車が停車した。
降り立った瞬間、鼻腔をくすぐったのは、爽やかな牧草の香りと、ほんのりと甘いミルクの発酵した匂いだった。
この村は、王国内でも有数の酪農地帯として知られる場所だという。通りには乳製品を扱う商店が軒を連ね、道行く人々もどこか穏やかな顔つきをしている。
「ここはチーズとバターが絶品なんだ。俺もポルト・ラーラへ行く道中、ここの飯を楽しみにしてたのさ」
「それは期待できそうですね。俺も市場を見て回りたいと思います」
宿にチェックインし、荷物を部屋に置いた俺は、頭にシルクを乗せて足早に村の市場へと向かった。
市場の中心部には、巨大な木製の樽や、布に包まれた様々な形の商品が所狭しと並べられている。
俺の【鑑定】スキルが、次々と極上の食材の情報を脳内に映し出していった。
牧草をたっぷりと食べて育った牛から搾られた、濃厚でコクのある新鮮な牛乳。
爽やかな酸味と滑らかな舌触りを持つヨーグルト。
そして何より目を引くのが、木棚にずらりと並んだチーズの数々だ。
白く柔らかなフレッシュチーズから、数年がかりで熟成され、旨味の結晶であるアミノ酸の白い斑点が浮き出た巨大なハードチーズまで、見ているだけで料理のアイデアが無限に湧いてくる。
「すみません、この熟成チーズを一つ。あと、そちらの発酵バターもいただけますか」
俺は市場の店舗を一つ一つ巡り、店の迷惑にならないよう、各店舗から少しずつ、しかしトータルではかなりの量の乳製品を買い集めた。
丁寧に作られた黄金色の発酵バターは、パンに塗るだけでなく、肉料理の仕上げやソースに強烈なコクを与えてくれるはずだ。
買い込んだ大量の食材は、周囲の目を盗んで、時間が停止するアイテムボックスの奥深くへと大切に収納した。
夕刻。
すっかり日が落ちて冷え込んできた頃、俺はギルズさんと共に、村で一番評判だという宿の食堂のテーブルについていた。
「お待ちどおさま! うちの村の名物だよ!」
恰幅の良い女将さんが運んできたのは、火にかけられた小さな陶器の鍋と、山盛りにされた一口大のパン、そして茹でた芋や野菜だった。
鍋の中では、黄金色に輝くチーズがグツグツと音を立てて煮え立ち、とろりと溶け合っている。
『チーズフォンデュ』だ。
フワリと立ち上る湯気からは、複数のチーズが混ざり合った芳醇で暴力的なまでの香りと、隠し味に使われているであろうニンニク、そして白ワインの気品ある酸味が感じられる。
「さあ、冷めないうちに食おうぜ!」
ギルズさんが長い鉄製の串にパンを刺し、熱々のチーズの海へと深く沈めた。
俺もそれに倣い、パンを鍋の中へ。引き上げると、とろけたチーズがたっぷりとパンに絡みつき、重力に逆らってどこまでも長く糸を引いた。
「……いただきます」
火傷に気をつけながら、口に放り込む。
「――ッ!」
その瞬間、言葉を失うほどの強烈な旨味が脳を直撃した。
加熱されたことで熟成チーズの塩気とコクが極限まで引き出され、そこに新鮮なミルクの甘みが丸く優しく覆いかぶさっている。
白ワインの爽やかな酸味がチーズ特有の重たさを完全に消し去り、後味は驚くほど軽やかだ。
パンの小麦の香ばしさと、チーズの濃厚な海が口の中で完璧に融合し、飲み込むのがもったいないほどの至福の味わいを生み出していた。
「くぅ〜っ! たまんねえな! この村のチーズは、作りたての新鮮な牛乳を贅沢にブレンドしてるから、風味が格段に濃いんだよ。こりゃあワインが進んで仕方ねえぜ!」
ギルズさんが赤ワインの入った木製ジョッキを煽り、豪快に笑う。
隣を見ると、シルクも俺の皿の上で、小さくちぎったパンにチーズを少しだけ絡めてもらい、ハフハフと熱がりながらも幸せそうに頬張っていた。
口の周りをチーズだらけにして、長い耳をパタパタと揺らしている姿がたまらなく愛らしい。
俺は次に、ホクホクに茹でられたじゃがいもをチーズに潜らせた。
大地の甘みを持つ芋と、芳醇なチーズの塩気。これほど理にかなった、完璧な組み合わせがあるだろうか。
温かく居心地の良い食堂で、気さくな冒険者と共に極上の村の味覚を堪能する。
明日は再び馬車に揺られ、ついに目的の港町へと到着する予定だ。
そこには、まだ見ぬ未知の海産物と、新しい料理のインスピレーションが待っている。
とろける黄金のチーズを味わいながら、俺の胸の奥には、これから続く果てしない食の探求への、素朴で温かい期待が静かに膨らみ続けていた。




