第22話 マルタからの旅立ちと、馬車で味わう熱々唐揚げ
澄み切った青空が広がる、爽やかな朝。
俺は宿『黄金の麦穂亭』の自室で、身支度を整えていた。
といっても、荷物のほとんどはすでに神話級のアイテムボックスの中に収まっているため、手元にあるのは小振りの肩掛け鞄一つだけだ。
「よし、忘れ物はないな。行くぞ、シルク」
「キュイッ!」
俺の頭の上の指定席に飛び乗ったフォーチュンラビットのシルクが、長い耳を揺らして元気よく鳴いた。
部屋を出て一階の食堂へ降りると、女将のマーサさんがいつものように忙しなく立ち働いていた。
俺の姿と荷物を見た彼女は、少し寂しそうな、けれど温かい笑みを浮かべた。
「いよいよ出発かい、フトシ」
「ええ。今まで本当にお世話になりました、マーサさん。突然決めたことで、ろくにお礼もできなくてすみません」
「水臭いこと言うんじゃないよ。あんたがうちの厨房で作ってくれた数々の美味しい料理は、私にとって最高の宝物になったさ。旅の途中、もし近くを通ることがあったら、いつでも顔をお出し。うちの特製ウインナーを山ほど用意して待ってるからね」
「ありがとうございます。絶対にまた来ます」
マーサさんと固い握手を交わし、俺は宿を後にした。
続いて向かったのは冒険者ギルド・マルタ支部だ。受付カウンターにいるセリアさんに、出発の挨拶と手続きを行う。
「本当に、今日発たれるんですね……。寂しくなります」
セリアさんは少し肩を落としながらも、俺の次の目的地である『港町』へ続く街道の地図や、道中に出没しやすい魔物の情報を丁寧にまとめて渡してくれた。
「短い間でしたが、セリアさんには資料集めから従魔登録まで、本当に助けられました。ありがとうございます」
「いえ! フトシさんのこれからの旅が、素晴らしい出会いに満ちたものになるよう祈っています。あ、ガルドさんは裏の解体所にいらっしゃいますよ」
俺はそのままギルドの裏手へと回り、解体所の重い扉を開けた。
ガルドさんはいつものように太い腕を組み、空の解体台の前に立っていた。
「おう、フトシ。とうとう行くか」
「ええ。ガルドさんのおかげで、魔物の身体構造の知識が身につきました。アースバッファローの端材の件も、本当に感謝しています」
「へっ、お前さんのあの美味いハンバーグやタコスが食えなくなるのは、俺の胃袋にとって大損害だぜ。だが、お前はもっと広い世界で腕を振るうべき男だ。港町に行けば、ここで見たこともないような海の魔物や魚が山ほどいるぞ。せいぜい腕を磨いてこい!」
「はい。また最高の料理を作って、いつか食べさせに帰ってきます」
ガルドさんの分厚い手と握手を交わし、解体所を後にする。キースさんの商会や、ドワーフのバルドムさんの金物店にも立ち寄り、これまでのお礼と別れの挨拶を告げた。この街の人々は、誰もが俺の夢を後押しし、温かく送り出してくれた。
―――
挨拶回りを終え、俺が最後に足を向けたのは『商人ギルド・マルタ支部』だった。
今日は、一週間前に特急料金込みで製作を依頼していた、俺専用の特注屋台の引き渡し日なのだ。
ギルドの裏手にある広い搬入口へ案内されると、そこには布を被せられた巨大な物体が鎮座していた。
「お待ちしておりました、フトシ様。ご注文通り、雨風を完全に凌ぐ頑丈な屋根と、調理器具やコンロを直接組み込める専用の造りとなっております。仕上がりをご確認ください」
ギルドの職員が布を取り払うと、そこには美しい木目を持つ、頑丈で立派な屋台が現れた。
内部には、俺の愛用する『黒剛鉄の万能煮込み鍋』と『ミスリル配合の黒剛鉄フライパン』、そして魔導コンロが完璧な配置で収まるように計算された調理台が設えられている。
これなら、どんな場所でもすぐに火を入れ、料理を提供することができる。まさに、俺の夢の城だ。
「素晴らしい出来です。完璧ですよ」
「ご満足いただけて何よりです。さて、こちらを運搬するための馬車の手配や、分解作業の指示を大工に出しましょうか? これだけ立派な造りですと、そのまま持ち運ぶことは不可能ですからね」
職員が手配の書類を取り出そうとしたが、俺は静かに首を横に振った。
「いえ、その必要はありません。このまま持っていきますから」
「え……? このまま、とおっしゃいますと?」
怪訝な顔をする職員の目の前で、俺は特注の屋台にスッと右手をかざした。
これまでは無用なトラブルを避けるため、自身の規格外の能力を人前でひけらかすことは控えていた。
だが、生活の基盤が整い、潤沢な資金と自信を手に入れた今、コソコソと己を偽る必要はない。堂々と自然体で、この世界の理を上書きしてやればいいのだ。
「【収納】」
俺が短く呟いた瞬間、巨大な屋台は空間の歪みに吸い込まれるようにして、跡形もなくスッと消え去った。
「なっ……!?」
商人ギルドの職員と、周囲にいた大工たちが、目玉が飛び出んばかりに驚愕し、声にならない悲鳴を上げた。
「あ、あり得ない! これだけ巨大なものを、分解もせずに一瞬で……!? い、一体どれほどの容量を持つアイテムボックスなのですか!? 伝説に聞く、神話級のアーティファクトとでも言うのですか……ッ!?」
「まあ、似たようなものです。これなら、旅先の好きな場所で一瞬にして屋台を設営して、すぐに店を開けますからね。素晴らしい仕事をしていただき、ありがとうございました」
俺は呆然と立ち尽くす職員たちに丁寧に頭を下げ、驚愕の渦に包まれた搬入口を涼しい顔で後にした。
アイテムボックスの中に、完成したままの状態で丸ごと保存された屋台。
これさえあれば、馬を引く手間も、重い荷車を引く労力も一切かからない。
俺の『さすらいの料理人』としてのスタイルは、ここに完全な形で確立されたのだ。
―――
昼前、俺はマルタの街の正門を抜け、街道沿いにある乗り合い馬車の停留所へとやって来た。
行き先は、ここから南東に数日ほど下った場所にある大きな港町だ。
新鮮な魚介類や、塩の香りがする未知の食材が俺を呼んでいる。
運賃を支払い、幌のついた大型の乗り合い馬車に乗り込む。乗客は俺の他に、行商人らしき男性が数人いる程度で、車内は比較的空いていた。
「出発するぞ!」
御者の声と共に、馬車がゆっくりと動き出す。
窓の外を流れるマルタの巨大な石造りの城壁が、少しずつ遠ざかっていく。異世界に降り立ってから今日まで、激動の日々を過ごした最初の街。
数え切れないほどの縁と、料理人としての確かな一歩を与えてくれた場所だった。
馬車が安定した速度で街道を進み始めた頃、俺は小さく息を吐き、木製の座席で背伸びをした。
「さて、シルク。そろそろ昼飯にしようか」
「キュイッ!」
俺の頭の上から降りてきたシルクが、座席の上で嬉しそうに前足をバタバタとさせた。
俺は周囲の乗客の邪魔にならないよう、ひざの上に清潔な布を敷き、アイテムボックスから昼食を取り出した。
用意したのは、マルタの街で大量に仕込んでおいた『フォレスト・フォウルの二度揚げ唐揚げ』と、深めの木椀にたっぷりと注がれた熱々の『オークベーコンのポトフ』だ。
時間が完全に停止するアイテムボックスのおかげで、どちらも出来立ての最高の状態を保っている。
まずは、フォレスト・フォウルの唐揚げをつまむ。
馬車の中だというのに、魚醤とジンジャーの焦げた圧倒的な香ばしさがフワリと広がった。
一口噛み締めると、「ガリッ、サクッ」という快音と共に、二度揚げによって極限まで閉じ込められていた肉汁がジュワァァッと口の中に弾け飛んだ。
鶏肉特有の力強い弾力と、スパイスの効いた濃厚な旨味。いつ食べても、何度食べても、俺の胃袋を強烈に刺激してやまない最高の一品だ。
「キュウゥ〜!」
隣では、シルクが小さくちぎって冷ました唐揚げを両前足で器用に持ち、ハフハフと幸せそうに頬張っている。
唐揚げの濃厚な脂を、熱々のポトフのスープで洗い流す。
オークベーコンの上質な燻製の香りと、溶け出した野菜の甘みが、揺れる馬車の旅情と相まって、普段以上に優しく、深く身体に染み渡っていく。
ゴロリと入ったじゃがいもは芯までスープを吸い込み、口の中でホロホロと崩れ去った。
美味い料理を味わいながら、窓の外の流れる景色を眺める。
現在の所持金は約五十二万ゴールド。
旅の資金としてはこれ以上ないほど潤沢だ。
最高の調理器具と、いつでも一瞬で店を開ける特注の屋台もある。
これから向かう港町では、どんな『ギルフィッシュ』のような新鮮な魚介と出会えるだろうか。
あの魚醤を生み出した海辺の街なら、きっと俺の知らない調味料や調理法がまだまだ眠っているはずだ。
美味しいものを食べた充実感と共に、明日への素朴で温かい期待が胸の奥で静かに膨らんでいく。
俺とシルクを乗せた馬車は、新たな食材と出会いの待つ港町へ向けて、どこまでも続く街道を真っ直ぐに進んでいった。




