第21話 代官の横暴と、さすらいの旅への決断
朝の七時から出来立てのタコスを広場の人々に振る舞うため、俺は逆算して早朝の五時過ぎにはマルタの商業区にある指定区画に到着していた。
商人ギルドからレンタルした木枠の屋台を手早く組み上げ、魔導コンロや愛用の調理器具を定位置にセッティングしていく。
まだ薄暗い広場には、ひんやりとした朝の空気が満ちていた。
「よし、準備はいいな、シルク」
「キュイッ!」
屋台のカウンターにちょこんと座った真っ白な相棒、フォーチュンラビットのシルクが、気合を入れるように長い耳をピンと立てた。
俺はアイテムボックスから、昨日マーサさんの協力を得て深夜までかかって仕込んだ『アースバッファローの特製タコスミート』が入った巨大な寸胴鍋を取り出し、コンロの火にかける。
ゆっくりと熱が入り始めると、アースバッファローの力強い脂が溶け出し、クグの実や赤い粉、そして魚醤の食欲を強く刺激するスパイスの香りが広場一帯に漂い始めた。
「んん〜っ! この匂い、たまらないわね!」
不意に屋台の正面から声がした。
顔を上げると、昨日一番に俺のタコスを買い、おかわりを連発していたショートヘアの活発な女性冒険者が、目を輝かせて立っていた。
胸元にはCランクの魔石カードが揺れている。
そして驚いたことに、彼女の後ろには、昨日この味を知った労働者や冒険者たちが、すでに十人ほど列を作って並んでいた。
「おはようございます。販売開始までもう少しお待ちくださいね」
「待ちきれなくて来ちゃったわ! 今日も三つ……いや、五つお願い!」
鐘の音が朝の七時を告げたと同時に、俺は一斉に調理を開始した。
熱した鉄板に油を引かずにトルティーヤ生地を乗せる。
プクッと気泡が膨らみ、トウモロコシの甘く香ばしい匂いが立ち上る。
温まったしなやかな生地に、赤褐色に照り輝くタコスミートをたっぷりと乗せ、その上から冷たいフレッシュサルサを乗せた。
「はい、お待たせしました!」
女性冒険者が紙に包まれたタコスを両手で受け取り、大きく口を開けてかぶりつく。
粗挽き肉を噛んだ途端、アースバッファローの野性味ある肉汁とスパイスの鮮烈な辛味が口いっぱいに広がる。
そこへトマトと玉ねぎの冷たい酸味が合わさり、濃厚な肉の味をさっぱりとまとめてくれる。
「んんんんっ! やっぱり最高ぉぉッ!」
彼女の歓声を皮切りに、列に並んでいた客たちへ次々とタコスを手渡していく。
俺は【探求者】の身体能力を活かし、生地を温め、肉とサルサを盛り付け続けた。
シルクも愛らしい姿で客引きを手伝ってくれている。
結果から言えば、昨日をはるかに凌ぐ大行列となり、一日五百枚と上限を決めていたタコスは午前中のうちに綺麗に完売してしまった。
―――
それから数日間。
俺の屋台はマルタの街で完全に名物と化していた。
『広場の悪魔的な包み飯』として噂は瞬く間に広がり、毎日五百枚のタコスが飛ぶように売れていく。
アイテムボックスに保存した三千食分のストックも着実に減り、俺の手元にはかなりの売上金が積み上がっていった。
だが、営業五日目の午後。
完売の札を出して屋台を片付けていた俺の前に、いかにも身なりの良い、恰幅のいい中年男性が数人の護衛を連れて現れた。
「君が、最近この広場で妙な料理を売っているという新参者かね?」
男性は俺を見下すような、高圧的な態度で声をかけてきた。
「はい。フトシと申します。今日の分はもう売り切れてしまいましたが」
俺が帽子を取って丁寧に答えると、男性は鼻で笑った。
「私の名はゴードン。このマルタの街の商業を管理する代官の一人だ。単刀直入に言おう。君の作っているその料理の『レシピ』を私に譲りなさい」
「……レシピ、ですか?」
「そうだ。街のさらなる発展と、私自身の商売のために大々的に売り出してやろうというのだ。君のような一介の屋台では、規模に限界があるだろう? もちろん、対価として金貨を少しばかり恵んでやろう」
ゴードンと名乗る男の言葉を聞いている限り、街の発展より自分の利益を優先しているようにしか思えなかった。
レシピを誰かへ教えること自体が嫌なわけではない。
だが、料理への興味もなく、立場を使って奪おうとする相手へ渡す気にはなれなかった。
「申し訳ありませんが、お断りします」
俺は真っ直ぐにゴードンの目を見て答えた。
「料理は、食べる人に喜んでもらいたいという思いがあってこそだと俺は考えています。利益だけを目的に、立場を使って譲らせようとする方へお渡しすることはできません」
「なっ……!? 貴様、この私に向かってその口の利き方はなんだ! ええい、この無礼者を引っ捕らえろ! 痛い目を見れば、レシピを吐く気にもなるだろう!」
ゴードンが激昂し、後ろに控えていた護衛たちが腰の剣に手をかけた、その時だった。
「――そこまでになさい、ゴードン」
聞き覚えのある女性の声が広場に響いた。
群衆をかき分けて進み出てきたのは、毎日俺のタコスを買いに来ていたあのCランクの女性冒険者だった。
いつもの明るい表情は消え、ゴードンをまっすぐ睨んでいる。
「お、お前は……! 誰の許可を得て私に口を……ッ!」
振り返って怒鳴りつけようとしたゴードンだったが、彼女の顔を正面から見た瞬間、その表情が固まった。
「ク、クロエお嬢様……!? ポルト・ラーラ辺境伯家のご令嬢が、なぜマルタに……!」
「冒険者として旅をしているのよ。マルタにはしばらく滞在しているだけ」
クロエと呼ばれた女性は冷ややかな視線を向けた。
どうやら彼女は、海洋国アクアリスの港町ポルト・ラーラを治める辺境伯家の令嬢らしい。
Cランク冒険者として活動している間は、身分を伏せていたようだ。
「それよりゴードン。今の話、最初から聞かせてもらったわ」
「い、いや、これはその……」
「自分の商売のために料理人へ圧力をかけて、断られたら代官の立場を使って拘束しようとする。それがマルタの代官の仕事なの?」
ゴードンが言葉を詰まらせる。
クロエはマルタの貴族ではない。
当然、この街の代官を直接処分する権限があるわけでもない。
それでも、交易相手でもある海洋国アクアリスの辺境伯家の令嬢を前にして、ゴードンの態度は明らかに変わっていた。
「この件は父にも報告するわ。必要なら、ポルト・ラーラ辺境伯家からマルタの行政を預かる方へ正式に伝えてもらいます」
「お、お待ちください! それだけは……!」
顔色を変えたゴードンが慌てて頭を下げる。
その様子を見て、俺はクロエ様へ声をかけた。
「お待ちください、クロエ様」
「フトシ君?」
「今回、レシピを取られたわけではありませんし、怪我人も出ていません。もし可能なら、正式な抗議まで大事にせず、この場での厳重注意に留めてもらえませんか」
護衛たちもまだ剣を抜いてはいない。
もちろん、ゴードンさんのやったことを正しいとは思わない。
ただ、俺としては誰かを失脚させたいわけではなく、これ以上同じことをしないでもらえればそれでよかった。
クロエ様は少し驚いたように俺を見た。
「……フトシ君、本当にそれでいいの?」
「はい。お願いします」
俺が頭を下げると、クロエ様はしばらく考えたあと、小さく息を吐いた。
「分かったわ。本人がそう言うなら、今回はわたしから父へ正式な抗議をお願いするのはやめておく」
それから再びゴードンへ厳しい視線を向ける。
「でも、次はないわよ。今度同じように立場を使って誰かを脅したら、その時はマルタ側へ正式に知らせます」
「は、はい! 申し訳ございませんでした!」
ゴードンは俺にも慌てて頭を下げる。
「フトシ殿も……その、すまなかった」
「分かっていただけたなら、それで構いません」
ゴードンたちは居心地悪そうに周囲の視線を受けながら、広場から去っていった。
クロエ様はその背中を見送ってから俺へ向き直ると、いつもの冒険者らしい明るい表情へ戻った。
「ごめんなさいね、フトシ君。嫌な思いをさせちゃって」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
「あんなことでタコスを作るのが嫌になったりしないでよ? わたし、まだまだ食べたいんだから」
「それは大丈夫です」
俺が少し笑うと、クロエ様も安心したように笑った。
騒動は収まり、広場にも日常が戻った。
だが、屋台の片付けをしながら、俺の中には一つの考えが浮かんでいた。
(この街に、少し長居しすぎたかもしれないな)
大衆食堂の親方に誘われ、隣国の辺境伯令嬢にまで顔を覚えられ、今度は代官から目をつけられた。
俺の料理が評価されるのは嬉しい。
けれど、一か所へ長く留まって有名になれば、それだけ色々なしがらみも増えていく。
俺がしたいのは、まだ見たことのない土地を巡り、未知の食材を探して料理することだ。
マルタは温かく、最高の道具や人との縁にも恵まれた素晴らしい街だった。
だからこそ、居心地の良さに甘えてここへ留まり続けるのではなく、そろそろ次へ進んでもいい頃なのかもしれない。
―――
翌日、俺は商人ギルドと冒険者ギルドを立て続けに訪問した。
商人ギルドでは、貯まった資金を使って、これからの旅の相棒となる本格的な自分専用の屋台の製作を一流の木工職人へ依頼した。
雨風を凌ぐ屋根、食材を収納できる棚、そして黒剛鉄のコンロを組み込める頑丈な造り。
一週間の特急で仕上げてもらう手はずを整えた。
冒険者ギルドでは、セリアさんから近隣の街や村へ続く街道の情報、そして道中で出会う可能性のある魔物や食材についての資料を集めた。
屋台が完成したら、このマルタを出る。
そう決めると、不思議と気持ちはすっきりしていた。
夜、宿の自室に戻った俺は、静かにベッドへ腰を下ろした。
窓の外からは、すっかり慣れ親しんだマルタの夜のざわめきが聞こえてくる。
「シ、キュウゥ……」
俺の太腿の上では、シルクが丸くなって気持ちよさそうに寝息を立てている。
その柔らかな背中をゆっくりと撫でながら、これまでマルタで手に入れた調味料や道具、魔導携帯テントのことを思い返す。
この街へ来た時には、まだ何も分からなかった。
それでも食材を探し、料理を作り、人と出会ううちに、少しずつ旅を続けるためのものが揃ってきた。
次は、自分の足で別の土地へ向かう。
そこでまだ見ぬ食材を見つけ、今の自分にできる方法で料理してみたい。
(さて、次はどんな場所へ行こうか)
シルクの背を撫でながら、俺は窓の向こうに広がる夜空を見上げた。




