第19話 商人ギルドの登録と、魔牛の情熱スパイシータコス
「……よし、決めたぞ。明日から一週間、この街で『お試し』の屋台を出してみる」
宿『黄金の麦穂亭』の自室で、俺は静かに決意を口にした。
マルタに滞在してしばらく経ち、解体所での修行や大衆食堂での手伝いを通して、この街の人々の味覚や生活のリズムは大体把握できた。
しかし、昨日キースさんの商会で魔法のテントやスパイスを大量に買い込んだことで、現在の所持金は約六万ゴールドにまで減ってしまっている。
当面の宿代や食費には困らないが、これから本格的に屋台を自作し、旅の資金を確保していくことを考えると、正直かなり心許ない金額だ。
ここで一度、手持ちの技術とアイデアを使って、自力で商売を回してみる必要がある。
ベッドの上で毛繕いをしていた真っ白な相棒、フォーチュンラビットのシルクが、俺の言葉に反応して「キュイッ!」と短く鳴き、応援するように長い耳をピンと立てた。
「ありがとな、シルク。まずは屋台を出すためのルールを、商人ギルドで聞いてこよう」
俺はシルクを頭の上の指定席に乗せ、朝の活気に満ちた商業区へと向かった。
冒険者ギルドとはまた違う、洗練された石造りの建物が『商人ギルド・マルタ支部』だ。
中に入ると、様々な品物が取引される喧騒の中で、受付カウンターには身なりのきちんとした職員たちが並んでいた。
俺は空いている窓口へ向かい、帽子を取って頭を下げた。
「初めまして。フトシと申します。この街の広場や通りで、料理の屋台を出したいと考えているのですが、必要な手続きを教えていただけますか?」
俺の丁寧な挨拶に、受付の壮年の男性は少し驚いたような顔をしたが、すぐに柔和な笑顔を浮かべて頷いた。
「ええ、もちろんご案内いたしますよ。マルタの街で商売をするには、商人ギルドへの登録が必要です。露店や屋台の場合、月会費として『一万ゴールド』を納めていただくことで、場所代と営業許可を含んだ会員証を発行いたします。出店場所は、他の店舗の邪魔にならない指定の区画であれば自由にお選びいただけます」
月会費一万ゴールド。
今の俺の懐事情からすれば決して安くない出費だが、みかじめ料や理不尽な場所代を個別に請求される心配がなく、ギルドの庇護下で堂々と商売ができるのなら、必要経費として十分に納得できる。
「わかりました。登録をお願いします。それと、屋台の台車などは自分で用意しなければならないのでしょうか?」
「本格的なものを造るとなれば専門の木工職人への依頼が必要ですが、初心者の方でしたら、ギルドから簡単な木枠と幌のセットをレンタルする制度もございます。調理器具をご自身でお持ちでしたら、すぐにでも始められますよ」
至れり尽くせりのシステムだ。
俺は手持ちの革袋から一万ゴールドを支払い、商人ギルドの登録手続きを済ませた。
受け取った銀色の会員証を懐にしまい、レンタルの屋台道具を受け取る手配を整える。
手持ちの資金はついに五万ゴールドほどにまで減ってしまった。いよいよ後戻りはできない。
プレッシャーはあったが、心を満たしているのは不安よりも、抑えきれないほどの高揚感だった。
―――
屋台で提供するメニューは、すでに俺の頭の中で完璧に組み上がっていた。
片手で手軽に食べられて、安くて、それでいてガツンと腹にたまる強烈に美味いもの。
冒険者や街の労働者たちが求めているのは、気取った料理ではなく、胃袋を直接鷲掴みにされるようなパンチのある食事だ。
そのために、俺は前もって冒険者ギルドのガルドさんにお願いし、ある仕入れの契約を結んでいた。
『アースバッファローの端材肉の定期買い取り、だと?』
『ええ。あの極上の赤身肉の端っこを、俺が全部引き取ります。解体所で出る端材は、街の加工業者に卸すよりも少しだけ高い値段で買い取らせてもらえませんか?』
『ハハハ! お前さんがそれを美味い飯に変えてくれるってんなら、こっちとしても大歓迎だぜ!』
こうして、極上の旨味を持つアースバッファローの肉を、格安で大量に仕入れるルートは確保できている。
さらに市場で、小麦粉に加え、挽いたばかりの黄色いトウモロコシの粉末を見つけていた。
これらを使えば、俺が構想していたメニュー――異世界風『タコス』を作ることができる。
価格は一つ五百ゴールドに設定した。街の相場から見ても十分に手頃で、かつ利益もしっかりと確保できる計算だ。
宿に戻った俺は、マーサさんに断りを入れて厨房の片隅を借り、さっそく明日の初営業に向けた仕込みを開始した。
まずは、具材を包み込む生地『トルティーヤ』作りだ。
大きめのボウルにトウモロコシの粉末と小麦粉を独自の黄金比率でブレンドし、少量の岩塩を加える。
そこへ、ぬるま湯と良質な油を少しずつ注ぎながら、手で力強く捏ねていく。
生地作りの極意は、水分の見極めと「休ませる」ことにある。
耳たぶほどの柔らかさになるまで捏ね上げた生地を丸め、乾燥しないように濡れ布巾を被せて常温で一時間ほど寝かせる。
こうすることで粉の芯まで水分が行き渡り、焼いた時にひび割れない、しなやかでコシのある生地に仕上がるのだ。
生地を休ませている間に、主役となる『タコスミート』の調理に取り掛かる。
アイテムボックスから、ガルドさんから仕入れた大量のアースバッファローの端材肉を取り出す。
筋や脂身が入り混じった不揃いな肉を、愛用の出刃包丁でトントンと叩き、あえて粗めのハンドチョップ・ミンチにしていく。
機械で挽いた肉では絶対に出せない「ゴロゴロとした肉を喰っている」という強烈な食感を残すためだ。
火床に魔導コンロを設置し、バルドムの最高傑作である『ミスリル配合の黒剛鉄フライパン』を強火で熱する。
油を引き、微塵切りにした玉ねぎとニンニク代わりの香草を炒めて香りを十分に引き出してから、粗挽きにしたアースバッファローの肉を一気に投入した。
――ジュワァァァァァッ!!
強烈な焼き音が厨房に響く。肉から溢れ出す土属性魔物特有の力強い脂の匂いが立ち上った。
ここからが腕の見せどころだ。
肉の色が変わり、底にこんがりと美しい焦げ目――メイラード反応がつき始めたところで、キースさんの商会で仕入れた秘密兵器を惜しげもなく投入していく。
クミンに似た香ばしさを持つ『クグの実』の粉末、肉の甘みを引き出す『クローブ風のスパイス』、そして南方大陸で採れたという燃えるような辛さの『赤い粉』。
さらに、コクを出すための『魚醤』と、酸味の強いトマトを細かく刻んだものを一気にフライパンへ流し込んだ。
――ボワァッ! ジュウゥゥゥッ!
スパイスが熱された油と反応し、刺激的で暴力的なまでに食欲をそそる香りが爆発した。
トマトの水分を利用し、フライパンの底にこびりついた肉の旨味の結晶を木べらで削ぎ落として全体に絡めていく。
大衆食堂で学んだデグラセの技法だ。
強火で一気に水分を飛ばすことで、トマトの酸味は濃厚な甘みへと変わり、魚醤の発酵臭は完全に消え去って深いコクの塊となる。
全ての旨味とスパイスの香りが、アースバッファローの荒々しい肉の粒に完璧にコーティングされ、照り輝く赤褐色のタコスミートが完成した。
「よし……最高の出来だ」
味見をすると、アースバッファローの野性味あふれる肉汁に、何層にも重なったスパイスの鮮烈な香りと辛味が押し寄せてきた。
噛み締めるほどに旨味が口の中で弾け、今すぐ冷たいエールで喉を洗い流したくなるほどの強烈なパンチ力だ。
「キュイッ! キュイッ!」
たまらない匂いに釣られたシルクが、調理台の下で背伸びをして俺のエプロンを引っ張っている。
俺はタコスミートの辛味を少し和らげたものを小皿に取り、冷ましてからシルクの前に置いてやった。
シルクはハフハフと幸せそうに頬張り、長い耳をパタパタと揺らして美味しさを全身で表現している。
休ませておいた生地を均等に切り分け、麺棒で薄く円形に伸ばす。
熱した鉄板に油を引かずに生地を乗せると、プクゥッと小さな気泡が膨らみ、トウモロコシの甘く香ばしい匂いがふわりと立ち上った。
両面にほんのりと焦げ目がつく程度にサッと焼き上げ、乾燥しないように清潔な布に包んでいく。
これで、しなやかで香ばしいトルティーヤの準備は整った。
最後に、口の中をさっぱりとさせるための『フレッシュサルサ』を作る。
トマト、玉ねぎ、そしてレモングラスに似た柑橘系の香草を細かく刻み、岩塩と少量の油で和えるだけだ。
スパイスの効いた熱い肉と、この冷たくて酸味のあるソースのコントラストが、無限に食べられる悪魔的なループを生み出す。
全ての仕込みを終え、最も美味しい状態のままアイテムボックスへと収納した。
明日はギルドで屋台の骨組みを受け取り、人通りの多い広場の一角で店を開く予定だ。
レンタルした屋台の上に自前の調理器具をセッティングし、注文が入ってから生地を温め、肉を盛り付けて提供する。
厨房の片付けを終え、自室のベッドに寝転がると、どっと心地よい疲労感が押し寄せてきた。
窓の外からは、マルタの街の夜のざわめきが静かに聞こえてくる。
所持金は心許なくなったが、ここから自分の腕一つで稼ぎ出せばいい。俺の手で作ったこのタコスが、異世界の人々にどう受け入れられるだろうか。
驚く顔、美味いと笑ってくれる顔を想像するだけで、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じる。
隣で丸くなって眠るシルクの柔らかい背中を優しく撫でながら、俺は明日から始まる未知なる挑戦への素朴な期待を胸に、ゆっくりと目を閉じた。




