第169話 塩漬けと、待つ料理
ナディムさんたちの商隊が集落へ入ると、荷馬車の周りに人が集まり始めた。
王都から運んできた穀物や布、工具、生活用品が次々と降ろされていく。
その少し向こうでは、白い塩を袋へ詰めている人たちがいた。
屋根付きの作業場には乾燥棚が並び、別の場所では浅い槽に塩水が張られている。
白い粉の付いた籠や、大きな桶もあちこちに置かれていた。
地面も砂だけではない。
白く固まった塩地と、砂、乾いた土が混じっている。
遠くから見た時は白い湖の脇にある集落だったが、中へ入ると塩を採り、使い、運ぶための場所だということがよく分かった。
「俺は荷を見ないといけない」
ナディムさんが荷馬車から降りる。
「マルワンなら、あっちの屋根が長い作業場にいることが多い」
「ありがとうございます」
「馬車はそこの旅人用の場所へ置けばいい。地面も固い」
教えられた場所へ馬車を止め、レイにも水と飼料を用意する。
ここまで一緒に来たが、俺たちは商隊の護衛ではない。
ナディムさんたちは荷下ろしへ、俺たちは集落を見るために別れた。
教えられた作業場へ向かう。
中にいたのは、鍋を振る料理人ではなかった。
五十歳前後に見える男が、吊るされた肉を指で押している。
日に焼けた肌。
袖をまくった腕と、食材を扱い慣れた大きな手。
肉を確認した後は、隣の乾燥棚へ移り、腹を開いて干されている魚の厚い部分へ触れた。
最後に匂いを確かめる。
無駄な動きがほとんどない。
「すみません」
男がこちらを見る。
「マルワンさんですか。サミールさんに聞いて来ました。フトシです」
「サミール?」
そこで初めて、こちらへしっかり顔を向けた。
「あいつが?」
「はい。塩漬けや乾燥、それから保存した食材を料理へ戻す扱いに詳しいと聞きました」
マルワンさんは少し黙った後、作業台へ戻る。
「何を聞いてきた」
「塩の当て方や、乾燥の仕方。塩抜きもです」
「なら塩からだ」
作業台の前を空けてくれた。
俺はアイテムボックスから、共有塩場で採った【白湖晶塩】を少量出す。
マルワンさんは手に取ると、すぐに指で崩した。
「共有塩場の上の層だな」
「分かるんですか?」
「見慣れてる。そのまま食うにはいい塩だ」
俺も気に入ったと話すと、マルワンさんは別の容器を三つ持ってきた。
最初は、透明感のある大きめの結晶。
一粒舐める。
塩味ははっきりしているが、後にはほとんど残らない。
次は、少し灰色を帯びた粗い塩だった。
こちらは白湖晶塩より僅かに重く、最後に少し苦味がある。
そのまま舐めるなら、最初の塩の方が好みだ。
最後は細かな粒が揃った白い塩。
「これは一度、水に溶かしてから作り直してある」
塩水から余計なものを取り除き、もう一度結晶にしたものらしい。
指先で摘んでも粒の大きさがかなり揃っている。
「これなら食材へ均一に当てやすそうですね」
「ああ」
マルワンさんが三つの塩を見る。
「美味い塩と、使いやすい塩は同じじゃない」
そのまま口へ入れるなら、雑味の少ない塩が分かりやすく美味い。
けれど大量の肉を保存するなら、安定して採れて量を確保しやすい塩の方が使いやすいこともある。
粒が揃っていた方が扱いやすい仕事もある。
「何に使うか決めてから塩を選ぶ」
朝市場でサミールさんが話していたことを少し思い出した。
何を作るか。
いくらで出すか。
それを考えて仕入れる。
マルワンさんが見ているのは、そこからさらに先だ。
塩を当てた食材が数日後、もっと先にどうなっているかを考えている。
マルワンさんが二つの肉を作業台へ置いた。
羊か山羊に近い家畜の肉らしい。
同じ部位に見えるが、一方は中央が厚く、もう一方は薄く広い。
脂の付き方も少し違った。
「同じだけ塩を使うか?」
すぐには答えず、肉を触らせてもらう。
厚いところ。
薄い端。
脂のある部分。
赤身の水分。
「同じではないと思います」
「どう違う」
「厚いところは、中まで変化するのに時間が掛かりそうです。薄いところへ同じように塩を当てたら、先に水が抜けすぎるかもしれません」
マルワンさんが一度頷く。
「塩を入れるんじゃない。どこまで水を抜きたいか考えろ」
保存する日数。
最後に何へ使うか。
肉の厚み。
脂。
それで変える。
料理の下味なら、全体へ均一な塩気を付けることを考えることが多い。
でも、今やるのはそれとは違うらしい。
「やってみろ」
一つ任された。
俺は細かな塩を取る。
最初は、いつもの下味と同じように全体へ揃えて当てかけた。
そこで止める。
中央と端では厚さがかなり違う。
もう一度肉を持ち上げ、指で押した。
中央は厚く、水分も多い。
端は薄い。
脂の多い場所もある。
塩の量と当て方を少しずつ変えていく。
マルワンさんは途中で何も言わない。
終わったところで肉を確認した。
「そうだ」
それだけだった。
次に出されたのは、すでに塩蔵された肉だ。
表面は乾き、触ると生肉より明らかに締まっている。
「これなら食べられるんですか?」
「保存はできてる」
マルワンさんが肉を持つ。
「だが、それはまだ料理じゃないぞ」
そのまま焼けば塩が強すぎるという。
清水を張った桶へ肉を入れる。
「時間を決めて放っておくんじゃない」
途中で水を替える。
肉を触る。
厚いところを確認する。
必要なら端を少し切って焼き、実際の塩気を見る。
まだ強ければ、もう少し水へ戻す。
「抜きすぎれば、せっかく作った味まで薄くなる」
「塩辛くなくなればいい、というわけじゃないんですね」
「ああ」
保存できる状態にしたところが終わりではない。
そこから料理へ戻す工程がある。
塩を抜く。
切る。
焼く。
煮る。
別の食材と合わせる。
保存の完成と、料理の完成は別だった。
マルワンさんは今度、乾燥棚へ移動する。
そこには湖へ流れ込む水路や、周辺の塩分が薄い場所で獲れたという魚が干されていた。
腹を開き、塩を当てて余分な水分を抜いた後、屋根のある場所で風に当てている。
「この暑さなら、日に当てた方が早く乾きませんか?」
「早く乾けばいい魚ならな」
マルワンさんが一枚の魚を持ち上げる。
「こいつは日へ当てすぎると、外が先に乾きすぎる」
中に水分を残したまま表面だけ硬くなることがあるらしい。
だから強い日差しだけに頼らず、この土地を抜ける乾いた風を使う。
日差しの強さ。
風。
魚の厚み。
脂。
その日の状態を見て、棚の位置も変える。
「毎日同じ場所じゃないんですね」
「同じ魚でも毎日同じじゃない」
理屈を並べるというより、何度も失敗と成功を繰り返して覚えた話に聞こえた。
ベルたちは途中からナディムさんや集落の人に案内してもらい、湖岸や採塩作業の見える場所を回ることになった。
危険な塩地へ入らない範囲なら見学できるらしい。
俺だけマルワンさんの作業場へ残る。
話しているうちに、俺の保存方法について聞かれた。
「お前、旅してる割に生の食材を持ってるんだろ」
「収納の中では、基本的に時間が止まるんです」
マルワンさんがこちらを見る。
「なら、塩漬けなんか要らないじゃないか」
もっともだ。
腐らせないだけなら、俺のアイテムボックスへ入れればいい。
生肉のままでも劣化しない。
「保存だけならそうですね」
さっきの塩蔵肉を見る。
生の肉とはもう触った感触から違う。
水分が減り、身が締まっている。
「でも、塩を当てた後の肉は、生のまま保存した肉とは違います」
「何が違う」
「水分も、硬さも。たぶん味も変わってますよね」
「ああ」
「保存するためじゃなく、この変化を料理へ使いたいです」
そこで、マルワンさんの表情が少し変わった。
「時間が止まるって言ったな」
「はい」
「ずっと止めるだけか?」
「必要な場所だけ進めることもできます。漬け込みなんかでは、時間を早めることもあります」
少し考えてから聞かれた。
「途中で止められるのか?」
「できます」
「なら試すぞ」
話が早かった。
同じ肉から、小さな試験用の切り身を三つ取る。
塩も同じ。
厚みもできるだけ揃えた。
温度や置き方も同じ条件にする。
違うのは時間だけだ。
一つは短く。
一つはその中間。
最後はマルワンさんが普段狙う状態まで。
俺はアイテムボックス内の時間を進める区画を分け、それぞれ必要な時間だけ経過させる。
温度も同じになるよう保った。
魔法で塩漬けを完成させているわけではない。
中では、それぞれの時間が実際に過ぎている。
まず短いものを取り出す。
次に中間。
最後に一番長く置いたもの。
三つを作業台へ並べた。
マルワンさんが順番に持つ。
重さ。
表面。
指で押した時の弾力。
容器へ出た水分。
切った断面。
匂い。
一つずつ比べていく。
俺も同じように確認する。
短いものは表面が締まり始めているが、中心はまだ生肉に近い。
塩気も外側へ偏っていた。
中間になると、水分が抜けて弾力が変わっている。
一番長く置いたものは、さらに身が締まり、断面の状態もはっきり違った。
少量ずつ焼いて味も見る。
時間が短いものは、表面の塩気に対して中の変化が浅い。
長くなるほど水分が抜け、肉の味も濃く感じる。
ただ、長ければいいわけでもない。
料理によっては硬くなりすぎるし、塩も強くなる。
マルワンさんはしばらく三つを見比べていた。
「……これは面白いな」
驚いているのは、短時間で結果が出たことだけではなさそうだった。
「普通なら別の日に仕込む。肉も違う。気温も風も変わる」
「今回は同じ肉から取って、時間だけ変えてます」
「ああ。それがいい」
同じ食材。
同じ塩。
同じ温度。
違うのは経過した時間だけ。
普段なら揃えるのが難しい条件を、かなり近い状態で比べられる。
マルワンさんが別の塩の容器へ手を伸ばした。
「じゃあ次は塩を――」
そこで一度止まる。
俺もその容器を見ていた。
「……やりますか?」
「二つだけだ」
結局、塩を変えた比較も少しやった。
全部試し始めればきりがない。
それでも粒の違う塩を使うだけで、水分の出方や表面への馴染み方が少し変わるのは分かった。
「ずっと塩見てたの?」
声に振り返る。
ベルたちが戻ってきていた。
作業台の上には、塩の容器。
肉。
試験片。
切った断面。
水桶。
かなり物が増えている。
「思ってたより奥が深くて」
「見れば分かる」
ベルが作業台を眺める。
キリコたちも湖岸を見て回ってきたらしい。
ウンディーネは水路と塩湖の水が混じる辺りを遠くから見ていたという。
その頃には腹も減っていた。
「食うか」
マルワンさんが言い、作業場の奥から鍋を運んできた。
中に入っているのは、塩抜きを済ませた保存肉と豆、大玉葱を煮たものだった。
俺は今回は手を出さない。
マルワンさんが作ったものを食べる。
肉を一口。
生肉をそのまま煮た時とは違う。
身が少し締まっていて、噛むと濃い肉の味が出る。
けれど、想像していたような強い塩辛さはない。
塩気は豆や玉葱と一緒に食べてちょうどいい程度だった。
煮汁にも肉の旨味が移っている。
「保存食を食べてる感じがしないですね」
マルワンさんが鍋を見る。
「保存するために、不味くする必要はない」
ベルも肉を食べ、次に豆を匙ですくう。
「塩辛くないのに、肉の味は濃いね」
メイとシルクにも同じ煮込みを、量と大きさ、温度だけ調整して渡した。
二匹とも特に戸惑うことなく食べ進める。
ウンディーネやキリコ、リュエラさんも同じ鍋から取った。
食べながら、今日教わったことを考える。
塩は味を足すだけのものではない。
水分を抜く。
身を締める。
保存する。
時間を置く。
その後、水で戻す。
塩を抜く。
別の料理へ繋げる。
塩を当てた瞬間だけでは終わらない。
その後に流れる時間まで含めて、調理の一部になる。
食事を終える頃には、日も少し傾いていた。
マルワンさんが、昼に俺が下処理して塩を当てた魚を指す。
「これはどうする?」
アイテムボックスへ入れれば、今日のうちに何時間後、何日後の状態まで確かめることもできる。
でも、さっき乾燥棚を見ながら聞いた話が残っていた。
俺は魚を持ち上げる。
「これは、ここで乾かしてみたいです」
「箱を使わないのか」
「はい。この土地の風に当てたらどうなるのか、見てみたいので」
マルワンさんは何も言わず、乾燥棚の一角を空けた。
魚を吊るす。
屋根の下。
直射日光は強く当たらない。
その代わり、湖の方から吹いてくる乾いた風が通り抜けている。
「なら明日見に来い」
「はい」
作業場を出る前に振り返る。
並んだ魚や肉の中へ、俺が初めて自分で塩を当てた一枚が加わっていた。
背後には白い大塩湖が広がっている。
湖から来る風が屋根の下へ入り、吊るされた食材を僅かに揺らした。
今日は、そのままにしておくことにした。




