第168話 白い大地と、空を走る商隊
最初の休憩地点で夜を越え、再び西へ進み始めてから、足元の色は目に見えて変わっていた。
昨日は薄茶色の砂へ白い粒が混じる程度だったのに、今は白い筋が何本も続いている。
場所によっては、地面の半分近くが白く見えた。
それでも、目指している大塩湖そのものはまだ見えない。
俺は御者台から地面を眺めながら、ナディムさんたちの荷馬車へ続いていた。
前を走っていた商隊が止まったのは、砂丘の間を抜けた直後だった。
「止まるぞ!」
前から声が飛んでくる。
俺もレイへ合図を送り、馬車を止めた。
進行方向には、それまでの砂地とは違う白い平地が広がっている。
ほとんど一面が白い。
遠くには道標らしいものが立っているので、交易路はこの先へ続いているのだろう。
だが、そこへ向かう車輪跡はほとんど見えなかった。
「真っ直ぐ行けそうに見えるけど……」
隣のリュエラさんも前を見る。
ナディムさんは荷馬車から降りると、長い棒を持って白い地面へ入っていった。
俺も馬車を降り、少し離れて様子を見る。
「ここから先は、同じ白でも違う」
ナディムさんが棒の先で地面を叩く。
乾いた硬い音がした。
「こういうところは厚く固まってる」
少し横へ移動し、また棒を押し当てる。
最初は同じように硬そうに見えた。
だが、さらに力を掛けた瞬間、
ぱきっ。
白い表面が割れた。
ひびの間から、濁った塩水と柔らかそうな泥がじわりと滲んでくる。
「見た目だけじゃ分からないんですね」
「ああ。厚い塩の殻になってる場所もあれば、表面だけ乾いてる場所もある。砂嵐で乾いた塩混じりの砂が被さって、白く見えてるだけのところもある」
ハリード王が王都を出る前に言っていたことを思い出す。
白く固そうに見えても、勝手に馬車を入れるな。
実際に見ると、その意味がよく分かった。
人が一歩乗っただけで沈み込むような場所ではない。
だが、大型馬車の重さが車輪へ集中すれば、薄い殻を割って沈む可能性は十分にある。
ウンディーネも割れた場所を覗き込む。
「下に水があるところは、少し分かるよ」
「通れる場所も分かる?」
ベルが聞く。
ウンディーネは白い地面をしばらく見てから、首を横へ振った。
「水があるのは分かっても、上がどれくらい丈夫かは分からない」
それはそうだろう。
水の位置が分かることと、地面が馬車の重さへ耐えられることは別だ。
俺はレイを見る。
レイ自身なら、この程度の場所は問題なく越えられるかもしれない。
けれど、後ろには大型馬車がある。
「レイが進めても、馬車まで進めるとは限らないですね」
「ああ。その考えでいい」
戻ってきたナディムさんが頷いた。
商隊は白い平地を真っ直ぐ突っ切らず、少し南側にある砂礫混じりの高い場所へ進路を変えた。
遠回りにはなる。
それでも、馬車が沈んで動けなくなるよりはずっといい。
白い地面を横に見ながら迂回路を進んでいると、しばらくして低い標柱が何本か立つ場所へ出た。
囲われた内側には、白い結晶が地面へ厚く露出している。
ナディムさんが荷馬車を止める。
「少し休むぞ」
ちょうど騎獣と人の休憩場所らしい。
「フトシ、塩が気になるなら、ここは取っていいぞ」
「取っていいんですか?」
「ああ。旅人が自分たちで使う分ならな」
塩湖周辺には、こうして旅人や商隊が自分たちの食事や保存用に使う程度なら自由に採っていい場所がいくつかあるという。
もちろん、荷馬車いっぱいに積んで売るような採り方は別だ。
商業用の採塩場はきちんと分けられているらしい。
俺は標柱の内側へ入り、白い結晶が露出している場所へしゃがむ。
乾いている。
指先で少し崩してみても、砂や泥はほとんど混じっていない。
「そこなら口にして大丈夫だ」
ナディムさんにも確認してから、俺は少量へ【鑑定】を使った。
【白湖晶塩】
詳細:西の大塩湖周辺で自然に析出する白い塩の結晶。塩分を多く含む水が薄く広がって乾燥を繰り返すことで形成され、この共有塩場では砂や泥の混入が少ない食用に適した結晶層が露出している。そのまま食用にでき、しっかりした塩味を持ちながら雑味が少なく、後味も比較的軽い。
ほんの一粒だけ口へ入れる。
当然、しっかり塩辛い。
けれど普段使っている赤塩とは違う。
塩気が抜けた後に嫌な苦味がほとんど残らず、後味が軽い。
「美味い塩だな」
料理に使えば、食材の味を邪魔せず塩気を入れやすそうだ。
だからといって、共有の場所から大量に持っていくつもりはない。
俺たちが旅や料理で使う分だけ少量採り、時間停止のアイテムボックスへ収納した。
その間に、ナディムさんたちも騎獣へ水を与えている。
俺もレイの馬具を外すほどではないが、脚周りと【砂踏魔馬具】を軽く確認してから水を用意した。
日差しはかなり強い。
休憩していても喉が渇く。
さっき採ったばかりの白湖晶塩を見ていると、一つ作りたくなった。
アイテムボックスから手持ちのレモンと清水、砂糖を取り出す。
「何か作るの?」
ベルが覗き込む。
「飲み物だけね」
レモンを半分に切って果汁を搾る。
種を取り除き、清水で伸ばした。
砂糖を溶かして一度味を見る。
甘酸っぱい。
そこへ、白湖晶塩を指先でほんの少しだけ加える。
塩味を付けたいわけではない。
もう一度味を見ると、甘味と酸味の境目が少しはっきりした。
全体を飲みやすい冷たさまで冷やす。
【白湖晶塩の塩レモネード】。
自分たちの分だけではなく、休憩中のナディムさんたちにも飲めるよう大きめの容器で作った。
木杯へ注いで配る。
「採ったばかりの塩を飲み物に入れたのか?」
ナディムさんが少し意外そうに杯を見る。
「ほんの少しだけです」
一口飲む。
すぐにもう一口。
「悪くない」
それだけ言って、残りも飲み始めた。
俺も自分の分を口へ運ぶ。
最初に冷たいレモンの酸味。
すぐ後から砂糖の甘さが来る。
白湖晶塩は意識しなければ塩味としてはほとんど分からない。
ただ、甘酸っぱいだけより輪郭がはっきりしていて、暑い中でも飲みやすかった。
「酸っぱいけど、暑い時にはいいね」
ベルも杯を傾ける。
キリコは一口飲んだ後、黙ってもう一口。
メイとシルクにも同じものを、飲みやすい量と冷たさで用意する。
ウンディーネとリュエラさんも普通に杯を空けていた。
しばらく休んだ後、残った白湖晶塩を小さな容器へ移していると、ナディムさんが笑う。
「これで驚いてたら、湖の近くはもっと白いぞ」
「そんなに違います?」
「全然違う。ただ、白いからって全部この塩と同じだと思うなよ」
泥の混じる場所。
砂が多い場所。
少し苦味の出やすい層。
加工へ回す塩。
同じ大塩湖周辺でも、採れる塩には違いがあるという。
だから採塩を仕事にしている人たちは、場所と層を選ぶ。
サミールさんが教えてくれたマルワンさんも、そういう塩を使い分けているのだろうか。
それは実際に会った時に聞いてみたい。
休憩を終えて再び西へ進む。
白い部分は、さらに増えていった。
もう砂の中へ白が混じっているというより、白い地面の間へ砂色が残っている場所もある。
ナディムさんの商隊員たちは、休憩のたびに車輪や荷車の金具を気にしていた。
「塩が付くと、砂とは別に落とす必要があるんですか?」
「放っておくと金具も革も傷みやすい。湖の辺りじゃ塩落としも仕事のうちだ」
俺も馬車を見る。
これからは砂だけでなく、塩も残さないようにした方がよさそうだ。
午後になってしばらくした頃。
先頭の荷馬車が、今度は止まらず白い低地へ入っていった。
俺は少し身構えたが、ナディムさんはそのまま進んでいる。
近づいて理由が分かった。
地面へ、ごく浅く水が張っていた。
数センチほどだろう。
その下には、硬く締まった白い地面が見える。
先頭の騎獣が水へ脚を入れた。
小さな波紋が広がる。
「……すごい」
後ろの客室からベルの声が聞こえた。
俺も一瞬、手綱を持ったまま目を奪われた。
水面に、空が映っている。
青い空。
白い雲。
その中を、ナディムさんたちの荷馬車が進んでいた。
車輪が薄い水を左右へ押し分ける。
騎獣が脚を下ろすたびに空の景色へ波紋が広がり、それが収まるとまた水面へ雲が戻る。
俺たちの馬車も、その中へ入った。
御者台から下を見る。
足元に青空がある。
本物の空へ向けて顔を上げ、また下を見る。
同じ雲が上下に浮かんでいた。
「空の上を走ってるみたいだね」
ベルが窓から下を覗いている。
メイとシルクも気になるらしく、並んで水面を見下ろしていた。
普段の砂海とはまるで違う。
「いつもこんなふうに見えるんですか?」
俺が前を走るナディムさんへ声を掛ける。
「いや。今日は運がいい」
水が深すぎない。
風が弱い。
砂が水面を覆っていない。
いくつか条件が重ならないと、ここまで綺麗には映らないらしい。
昨日の砂嵐が関係しているかもしれないが、ナディムさんにもそこまでは分からないという。
薄い水の上を、商隊が一列になって進む。
遠くから見れば、本当に空の中を荷馬車が走っているように見えるだろう。
やがて鏡のような低地を抜け、乾いた場所へ戻った。
そこで商隊は短く止まる。
景色を楽しんだ後は、すぐに手入れだ。
車輪。
金具。
騎獣の脚。
付着した塩水や結晶を落としていく。
俺もレイの脚と砂踏魔馬具を確認し、馬車の砂走橇輪へ付いた塩を清水で必要な分だけ落として拭き取った。
問題がないことを確かめ、再び出発する。
日が少し傾き始めた頃だった。
ウンディーネが急に西へ顔を向けた。
「……水」
さっきまで見ていた浅い水場とは、声の調子が違う。
「見える?」
俺が聞く。
ウンディーネは首を横へ振る。
「まだ。でも……すごく、大きい」
前を行くナディムさんが振り返った。
「もうすぐだ」
商隊は緩やかな高まりへ向かって進む。
白い地面が少しずつ低くなり、視界の先が隠れていく。
レイが最後の斜面を上がった。
その先を見た瞬間、俺は言葉を忘れた。
視界いっぱいに、水が広がっていた。
西の大塩湖。
手前の湖岸は真っ白だ。
その白い地面の先に、青みを帯びた浅い水が広がっている。
完全に乾いた場所。
薄く水を張った場所。
少し深くなって青白く見える場所。
夕日に近づいた光が水面へ反射し、白と青の間へ淡い金色が混じっていた。
さらに遠くには、採塩に使うらしい大きな木枠や設備が小さく見える。
湖岸の一角には建物が集まり、その周囲を荷車が行き来していた。
ナディムさんが、その集落を指す。
「あそこが俺たちの戻る場所だ」
サミールさんから聞いたマルワンさんも、あそこにいるのだろう。
まだ距離はある。
商隊は高まりからゆっくり下り始めた。
俺のアイテムボックスには、さっき共有塩場で採ったばかりの白湖晶塩が少しだけ入っている。
一杯の塩レモネードへ入れた、小さな白い結晶。
その塩を生み出している湖が、今は馬車の横いっぱいに広がっていた。
白い湖を見ながら、俺たちの馬車も湖岸の集落へ続く道を下っていった。




