第166話 砂嵐の王都と、白い湖の話
「また来い。次は俺の方で何か作る」
片付けを終えたところで、サミールさんが言った。
「はい。今度はサミールさんの料理も食べさせてください」
朝市場へ行く時も声を掛けろと言われ、俺はそれにも頷いた。
具体的な日までは決めない。
王都にはしばらくいるつもりなので、また機会はあるだろう。
小部屋で待っていたベルたちと合流し、ハリード王にも挨拶をして王城を出る。
城門を抜けたところで、俺は足を止めた。
「……空の色、変わってないか?」
来た時はまだ青かった空が、砂海側だけ薄い黄褐色に霞んでいる。
日はまだ沈んでいない。
それなのに遠くの建物は輪郭がぼやけ、王都を囲む防砂壁の向こうも見えにくくなっていた。
風も少し強い。
通りへ目を戻すと、街の人たちが一斉に動き始めていた。
露店では商品を箱へ戻している。
建物の間へ張られていた大きな日除け布は次々と畳まれ、窓には外側から板が当てられていた。
水路の一部には蓋が置かれ、騎獣を連れた人は足早に厩舎へ向かっている。
急いではいるが、混乱している様子はない。
それぞれが何をすればいいのか分かっている動きだった。
近くで看板を屋内へ運んでいた男性へ声を掛ける。
「すみません。砂嵐ですか?」
「ああ。少し大きいのが来そうだ」
男は空を見上げる。
「旅人なら外を歩かず、早めに宿へ戻った方がいい」
「ありがとうございます」
宿。
真っ先に浮かんだのは、レイと馬車だった。
レイは厩舎にいる。
馬車も中庭へ置いてあるので、砂海の真ん中にいるよりはずっと安全だろう。
それでも一度、自分の目で確認しておきたい。
「寄り道せず戻ろう」
みんなも頷いた。
市場の近くまで戻ったところで、風が急に強くなった。
通りの端で、大型荷車を片付けていた商人たちが声を上げる。
荷台を覆っていた大きな幌が膨らみ、片側が激しくばたついている。
固定具の一つが外れたらしい。
数人が布を押さえているが、風を受けるたびに持ち上がりそうになっていた。
「手伝います!」
俺たちは荷車へ走った。
ベルが幌を見る。
「風、少し抑えるね」
砂嵐へぶつけるような大きな風ではない。
幌へ直接当たっている風だけが弱まり、激しく膨らんでいた布が僅かに落ち着く。
反対側では、キリコが小さな魔力壁を斜めに出した。
もし手を離れても、人がいる側へ布が飛ばない位置だ。
俺は商人と一緒に幌の端を掴む。
「今のうちに固定してください!」
「助かる!」
外れた金具を通し直し、太い紐を引く。
リュエラさんも反対側で布端を押さえ、メイとシルクは荷車の脇で浮きかけた小さな荷物を押さえていた。
ウンディーネは手を出さず、周囲を見ている。
ここで砂へ水を撒けば、今度は泥になって荷車や道へ絡む。
数分も掛からず、幌はもう一度しっかり固定された。
「これで大丈夫そうですね」
俺が手を離すと、商人も固定部を確認する。
「ああ。ありがとな」
「怪我がなくてよかったです」
謝礼を出そうとしたので断った。
その商人は砂海側の空を見る。
黄褐色の霞が、さっきより明らかに濃い。
「この程度ならまだ前触れだ。本番はこれから来る」
「そんなに違うんですか?」
「王都の中なら建物へ入ってりゃいい。早く戻った方がいいぞ」
「そうします」
俺たちもその場を離れた。
宿へ着く頃には、風に混じる砂が顔へ当たるようになっていた。
中庭では宿の主人と従業員たちが動き回っている。
置かれている荷物へ縄を掛け、水場には覆いを被せていた。
外へ面した戸は閉じられ、窓の隙間も一つずつ確認している。
厩舎の扉も、普段よりしっかり固定されていた。
「戻りました」
「ちょうどよかった。もう外へ出ない方がいいですよ」
主人が作業しながら答える。
俺は先に馬車を確認した。
指定位置へ止めてある大型馬車には、すでに追加の固定がされている。
【砂走橇輪】も格納されたままで、今のところ問題はない。
そのまま厩舎へ向かった。
レイはいつもの場所にいた。
騒いでいる様子はない。
ただ、耳を何度も動かして外の風音を聞いている。
「大丈夫ですか?」
近づくと、レイが鼻先を俺の手へ触れさせた。
水はある。
飼料も残っている。
厩舎の戸もしっかり閉じられていた。
今さら脚や蹄を最初から点検する必要はない。
「今日はここにいてくださいね」
レイの首元を軽く撫で、俺も建物の中へ戻った。
それから間もなく、本格的な砂嵐が王都へ届いた。
最初に変わったのは音だった。
ごうっ、と大きな風音が建物の外を通り抜ける。
続いて、外壁や戸へ大量の砂がぶつかり始めた。
ざあっ。
少し弱まったかと思えば、また強い風が来て、ざざっと砂が叩きつけられる。
窓の外は黄褐色一色になった。
少し先の建物すらまともに見えない。
昼なのか夕方なのか分かりにくいほど暗い。
「これ、砂海の途中だったらかなり危なかったね」
ベルが窓板の隙間から外を見る。
「視界がほとんどないからね」
馬車が走れる状態ではない。
方角も分かりにくい。
砂そのものを魔法で吹き飛ばそうとする者もいなかった。
宿の人たちは戸を閉じ、水と荷物と騎獣を守り、そのまま待っている。
俺たちも同じようにする。
ベルの風魔法でも、ウンディーネの水でも、リュエラさんの力でも、砂嵐そのものを相手にする必要はない。
自然に通り過ぎるのを待てばいい。
外へ出られなくなった宿では、一階の広い共有場所に人が集まっていた。
商人。
御者。
冒険者。
旅人。
慣れている人が多いらしく、不安そうに外を見続けている人ばかりではない。
茶を飲む人。
道具を手入れする人。
帳簿を広げる商人。
砂海の先の情報を交換している人もいる。
俺たちも空いている席へ座った。
すると、少し離れたところに見覚えのある顔があった。
さっき荷車の幌を直した商人だ。
向こうも気づいたらしい。
「ちゃんと戻れたか」
「はい。そちらも無事だったんですね」
「荷車は別の倉庫へ入れた。この風じゃ動かせん」
商人が俺たちの卓へ来る。
ちょうどいいので聞いてみた。
「こういう砂嵐って、珍しくないんですか?」
「砂嵐そのものは珍しくないな。だが毎回同じじゃない」
規模も進む方向も違う。
小さければ少し砂が舞う程度で終わる時もある。
逆に、砂海の途中でまともに受ければ動けなくなるようなものもあるという。
「王都の中で、こうして建物へ入ってるならかなり安全だ」
「慣れてるから平気、というわけではないんですね」
「危ないと分かってるから、早めに片付けるんだよ」
確かにそうだ。
街の人たちは、砂嵐を軽く見ていたわけではない。
来る前にやるべきことを知っているから、騒がず動けていた。
話しているうちに、商人が扱っている品の話になった。
「俺は塩を運んできたんだ」
「塩ですか?」
料理人としては、そちらも気になる。
商人が近くに置いていた小さな見本袋を持ってきた。
中には白い塊と、粗く砕かれた粒の大きな塩が入っている。
「見てもいいですか?」
「ああ」
手の上へ少量出してもらう。
海の塩に似ている。
けれど、ここは砂海の内陸だ。
「これ、海から運んできたものじゃないんですよね?」
「違う。西の湖だ」
「湖?」
「王都から西へ行ったところに、大きな塩湖がある」
初めて聞く場所だった。
商人たちは単に西の塩湖とか、白い湖と呼ぶこともあるらしい。
「白い湖っていうのは?」
「水が減る時期になるとな、湖の周りが真っ白になるんだ」
湖岸へ広い塩の地面が現れる。
強い日差しが当たると、遠くからでも白く光って見えるという。
場所によっては浅い水面が残り、その向こうまで白い地面が続く。
これまで見てきた黄色い砂海とは、かなり違う景色らしい。
「そこから、この塩を採るんですか?」
「ああ。塩を採る集落もあるし、それを王都や他の土地へ運ぶ商隊もいる」
塩は料理に使うだけではない。
肉や他の食材を保存するためにも使われている。
塩漬けや乾燥を組み合わせた保存食も、湖周辺ではよく作られるという。
それを聞くと、さらに気になった。
「同じ湖でも、塩は全部同じですか?」
「いや」
商人が袋の中から、少し粒の違う塩を見せる。
「採る場所も時期も違う。乾かし方や、どこまで細かく砕くかでも変わる」
生活用に使いやすいもの。
保存食へ大量に使うもの。
料理屋が好むもの。
特別な魔法の塩というわけではなく、用途に合わせて選ばれているらしい。
一粒だけ味を見させてもらう。
当然、塩辛い。
ただ、いつも使っている赤塩とは後に残る感じが少し違う。
「現地で採ってるところを見てみたいな……」
思わず呟いた。
商人が笑う。
「料理人か?」
「はい」
「なら塩だけでも見に行く価値はあるかもな」
湖と聞いて、もう一つ気になる。
「魚もいるんですか?」
「湖の真ん中の方は塩が強い。どこでも魚がいるような場所じゃないぞ」
ただ、湖へ流れ込む水路や周辺の淡水域、塩分の薄いところでは別の生き物も見られるという。
それ以上の詳しい種類までは聞かなかった。
行くことになったなら、自分で見たい。
「西までは道があるんですか?」
「塩を運ぶからな。主要な交易路はある」
途中には給水地点や立ち寄れる集落もある。
ただし、そこへ行くまでには普通に砂海を通る。
砂嵐への備え。
水。
馬車。
騎獣。
その辺りは今までと同じく必要になる。
俺たちの馬車には砂走橇輪がある。
レイにも砂踏魔馬具があるので、砂地を走るための装備はすでに揃っている。
だからといって、今すぐ向かう話ではない。
日数や給水地点も知らないし、王都にもまだ見ていない場所がある。
隣で聞いていたウンディーネが首を傾ける。
「塩の湖?」
「そうみたい」
「湖でも、そんなに塩が濃い場所があるんだ」
これまで見てきた水路やオアシスとは、ずいぶん違う水だ。
ウンディーネも少し興味があるらしく、商人の方を見ていた。
リュエラさんも話を聞いている。
「昔も西に大きな塩湖はあったわ」
「行ったことあるんですか?」
「近くまでは。でも、ずっと昔の話よ」
少し考える。
「今はかなり変わってるでしょうし、行くならわたしも見てみたいわ」
それ以上、昔の景色を説明することはなかった。
王都の水路や農地が昔から大きく変わっているのは、すでに本人も見ている。
塩湖周辺も同じなのだろう。
商人と話している間に、外の音が少し変わっていた。
壁へ叩きつけられていた砂の音が、さっきより途切れるようになる。
大きな風も、来る間隔が長くなった。
宿の主人たちはすぐには戸を開けない。
小窓から外を確かめ、しばらく様子を見ている。
さらに時間が経ってから、ようやく外側の戸が開かれた。
砂嵐は過ぎていた。
外へ出ると、空はまた見えるようになっている。
だが、街の景色は少し変わっていた。
壁際に砂が積もっている。
路地にも薄く砂が広がり、水路へ被せられた蓋の上にも砂が溜まっていた。
屋根の縁にも砂が乗っている。
それでも建物に大きな被害は見えない。
街の人たちは砂嵐が去ったことを騒いで喜ぶでもなく、すぐに箒や道具を持ち出していた。
蓋の上の砂を落とす。
通路を掃く。
畳んであった日除け布の周囲を確認する。
俺はその様子を見て、日本で雪の多い地域の暮らしを思い出した。
雪が積もれば雪かきをする。
ここでは砂嵐が来れば砂を片付ける。
起きるたびに大事件になるのではなく、終わった後の掃除まで含めて、この土地で暮らす日常なんだろう。
俺たちも宿の入口と中庭へ入った砂を掃くのを手伝った。
魔法で一気に吹き飛ばせば別の場所へ砂を押しつけるだけなので、宿の人たちと同じように集めて運ぶ。
一段落したところで、もう一度厩舎へ行く。
中にも少し砂は入っていたが、大半は扉や壁で防がれている。
レイは普段通りだった。
俺を見ると耳を向ける。
「大丈夫そうですね」
鼻先が軽く肩へ触れた。
中庭の馬車にも問題はない。
固定も外れていなかった。
砂が少し乗った程度なので、後で落とせばいい。
その日の夜。
中庭から空を見ると、昼間の黄褐色が嘘みたいに消えていた。
防砂壁の向こうには、また砂海が見えている。
西を見ても、もちろんここから塩湖が見えるわけではない。
見えるのは、いつもと同じ砂色の景色だ。
それでも昼間に聞いた言葉が頭へ残っている。
湖の周りが白く見える。
塩を採る人がいて、そこから商隊が王都へ塩を運んでくる。
今まで歩いてきた砂海とは、また違う景色なんだろう。
俺はしばらく、西の空を眺めていた。




