第154話 それぞれの旅立ちと、新米冒険者
中央王城の前庭には、朝から何台かの馬車が並んでいた。
荷物を運ぶ者。
馬具や車輪を確認する者。
護衛らしい兵士たちも集まり、出発前の準備が進んでいる。
俺たちのためではない。
「今日から、妾たちも本来の予定へ戻る」
そう教えてくれたのは、準備を見に来たイザベラさんだった。
俺たちが行方不明になったことで、イザベラさんとセバスさんは予定を変えて中央都市へ移り、一か月近くここに残っていた。
昨日、神造迷宮についても一通り説明した。
もう二人が中央都市へ留まり続ける理由はない。
これからは、王として元々予定していた巡回や視察へ戻るらしい。
改めて馬車を見ると、申し訳なさが込み上げてきた。
「本当に、ご迷惑をかけました」
頭を下げると、イザベラさんが呆れたような顔をする。
「お主は何度謝るつもりじゃ」
「でも、予定まで変えさせてしまったので」
「無事に戻った。それでよい」
それ以上は言うなというように手を振られた。
一か月近く心配を掛けたこと自体は消えない。
ただ、もうそれを理由に何度も謝る段階ではないらしい。
少し離れたところでは、リュエラさんが王家の馬車を眺めていた。
昨日、正体を知ったイザベラさんは、今朝も本人の希望通り「女神様」とは呼んでいない。
「リュエラ殿」
「なに?」
「本当に、このまま街道を歩いて行くつもりなのか?」
「ええ。そのために一緒に来たんだもの」
楽しそうに答える。
「神の力でオアサリアまで行けば、すぐなのであろう?」
「それじゃ旅にならないでしょう?」
リュエラさんにとっては、目的地へ着くまでの時間も旅の一部だ。
馬車に乗る。
街道を歩く。
宿に泊まる。
土地の料理を食べ、人と話す。
それをしたくて地上へ戻ってきた。
「ならば、妾が止めることでもないか」
イザベラさんもそれ以上は何も言わなかった。
俺のところへは、出発準備を終えたセバスさんが来る。
「フトシ様」
「はい」
「次にお会いした際には、まず現在のお身体の動きを確認いたしましょう」
何のことかはすぐ分かった。
【放浪神の加護】だ。
身体能力や反応、感覚、魔力の扱いまで以前より底上げされている。
翠樹の恩寵を受けた時も、強くなった身体へ感覚を合わせるためセバスさんに鍛錬を見てもらった。
今回も同じだろう。
「お願いします」
「承知いたしました」
神から加護をもらっても、セバスさんとの関係は何も変わらない。
それが少し嬉しかった。
やがて準備が整い、イザベラさんが馬車へ向かう。
乗り込む前に、こちらを振り返った。
「フトシ」
「はい」
「今度は一か月も消えるでないぞ」
「俺も好きで消えたわけじゃないんですけど……」
「分かっておる」
短く返される。
それから表情を少し改めた。
「オアサリアまで気をつけて行け」
「はい。イザベラさんたちも、お気をつけて」
セバスさんにも頭を下げる。
馬車の扉が閉まり、護衛と共に王城の前庭を出ていく。
俺たちは七人で、それを見送った。
一か月近く。
二人は俺たちが戻るのを待っていた。
その時間も、これでようやく終わったのだと思う。
王家の一行が見えなくなったところで、ベルが俺を見る。
「フトシたちは?」
「まだ一つ残ってるよ」
神造迷宮からは帰った。
イザベラさんたちへの説明も終わった。
だが、中央大峡谷へ降りた本来の理由がまだ完全には片付いていない。
【中央大峡谷・谷底定期調査】の正式な完了処理と報酬精算だ。
俺たちは中央王城を出て、冒険者ギルドへ向かった。
前回とは違い、建物へ入っても職員が固まったり、奥から責任者が飛んできたりはしない。
すでに生還したことは知れ渡っているらしい。
受付で冒険者カードと調査記録を出し、改めて正式な報告を行う。
話す範囲は昨日決めてある。
谷底の指定経路を調査していたこと。
記録にない巨大な入口が現れたこと。
依頼書の指示に従い、内部へ入らず帰還する判断をしたこと。
その直後、六人全員が別の特殊な空間へ強制的に転移させられたこと。
すぐに戻れる出口がなく、長期間帰還できなかったこと。
最終的には中央大峡谷付近へ戻り、その後に未確認だった調査地点もすべて確認したこと。
百階層。
神域。
リュエラさんの正体。
加護。
そこまでは話さない。
受付の職員と責任者が記録を確認し、こちらへ何度か質問をする。
特に問題になったのは、未記録の入口を見つけた時の判断だった。
「内部へは入らず、帰還を選んだのですね?」
「はい。依頼書にもそう書かれていたので」
「その後の転移は、ご自身の意思ではない?」
「違います」
そこまで確認すると、責任者が頷いた。
「分かりました」
依頼を放棄したわけではない。
むしろ指示通りに行動しようとした結果、予想できない事態に巻き込まれた。
帰還後には残っていた調査も終えている。
そのため、依頼は失敗扱いにはならなかった。
「【中央大峡谷・谷底定期調査】、正式に達成として処理します」
「ありがとうございます」
これでようやく終わった。
報酬も通常のCランク定期調査として精算される。
一か月行方不明になったからといって、特別な追加報酬が出るわけではない。
それでいい。
元々受けた仕事を、最後まで終わらせただけだ。
手続きが進んでいる間、隣を見る。
リュエラさんが受付の様子をじっと見ていた。
依頼票。
カード。
報告内容の確認。
達成処理。
何も珍しくない冒険者ギルドの仕事だが、かなり興味があるらしい。
「リュエラさん」
「なに?」
「そういえば、冒険者をやったことはないんですか?」
世界中を何度も旅してきた人だ。
街道も歩いた。
宿にも泊まった。
船にも馬車にも乗った。
野宿もしたという。
それなら一度くらい冒険者をしていてもおかしくないと思った。
だが、返ってきたのは意外な答えだった。
「ないわ」
「一度も?」
「ええ」
「どうしてです?」
リュエラさんは少し考え、受付の向こうにある依頼票へ目を向けた。
「冒険者って、依頼を受けて、その土地で必要な仕事をするでしょう?」
「そうですね」
「昔の私は、それを続けてやらない方がいいと思っていたの」
理由は単純だった。
リュエラさんは神だ。
本来の力を使えば、多くの依頼は簡単に終えられてしまう。
強い魔物を倒す。
危険な土地を安全にする。
災害を止める。
人が踏み込めない場所を切り開く。
それを一度だけではなく、冒険者として各地で繰り返せばどうなるか。
「私が何でも片付けて歩いたら、そこにいる人たちの歴史じゃなくなってしまうでしょう?」
普通の旅人として市場で買い物をする。
宿の人と話す。
旅先で困っている人が目の前にいれば助ける。
それは今までもしてきた。
だが、神である自分を地上社会の恒常的な戦力にすることは避けていたらしい。
「旅をすることと、歴史を作り替えることは違うもの」
「なるほど……」
確かに、リュエラさんが本気で依頼を受け続ければ影響は大きいだろう。
そこで、別の疑問が浮かぶ。
「でも今も、力を抑えてるんですよね?」
「そうよ」
「そこまで抑えていて、危なくないんですか?」
地上へ出る時には神威まで消している。
もし本当に普通の人と同じくらいまで弱くなっているなら、それはそれで心配だ。
リュエラさんは少し笑った。
「危なくなるような抑え方はしてないわよ」
「そうなんですか?」
「簡単に言うなら、抑えてるのは攻撃する方ね」
神威。
腕力や身体出力。
攻撃へ使う魔法や神力。
外へ大きな影響を与える力。
そうしたものを意識して落としているらしい。
一方で、神としての生命力や身体の強さ、防御まで普通の人間と同じにしているわけではない。
「普通の刃物や、その辺の魔物に不意打ちされたくらいで死んだりはしないわ」
「それなら安心しました」
「もちろん、何をされても平気ってわけじゃないわよ。神に届くような力なら話は別」
完全に無敵というわけでもない。
ただ、力を抑えたからといって守られる側になるわけではなさそうだ。
「じゃあ、冒険者になったとして、戦闘になったらどうするんです?」
「そうね……」
リュエラさんが少し考える。
俺たちを見る。
「私は、みんなを手伝う方がいいかしら」
「手伝う?」
「守ったり、動きやすくしたり。危ない攻撃を逸らしたりね」
直接敵を倒す役ではなく、後ろから俺たちを支える。
それなら、自分一人で戦闘を終わらせることもない。
「私が全部倒してしまったら、一緒に旅してる意味がなくなってしまうでしょう?」
「まあ、そうですね」
リュエラさんが見たいのは、俺たちが何をするのかだ。
自分一人で全部片付けたいわけではない。
通常の戦闘では、補助を中心にする。
ただし、何があっても絶対に本来の力を使わないという意味ではないそうだ。
誰かの命が本当に失われそうな時。
町や大勢の人が巻き込まれるような事態。
普通の冒険者ではどうにもならない相手。
「そういう時まで、歴史に関わりたくないからって見ているつもりはないわ」
それもリュエラさんらしいと思う。
影響を与えないために人を見殺しにするなら、今まで聞いてきた話とも合わない。
そこでふと思う。
「じゃあ今回も、冒険者にはならないんですか?」
「……そうね」
リュエラさんがギルドの中を見回した。
依頼を探している冒険者。
受付で報告をしている人。
仲間と相談しているパーティー。
それから俺たちを見る。
「でも、今回は少し違うのよね」
「違う?」
「今回は、放浪の女神として地上へ来たわけじゃないもの」
神でなくなったわけではない。
使命を受けて降りてきたわけでもない。
国や世界を導くためでもない。
「フトシたちと旅をする、リュエラとして来たの」
その言葉は本人の中ではかなり大事らしい。
「だったら、こういう仕組みに入って旅をしてみるのも面白そうだわ」
少し楽しそうに受付を見る。
「私も冒険者になってみようかしら」
「登録します?」
「ええ」
決めるのが早い。
話を聞いていたキリコもこちらを見る。
「リュエラも冒険者になるの?」
「そうしてみようと思うの」
「じゃあ、一緒だね」
キリコも最初はFランクから始めた。
今度は上位神が同じところから始めるらしい。
受付へ相談すると、登録自体は通常通り進められることになった。
以前キリコの時に一度見ているので、俺も細かな手続きを横から確認するだけにする。
名前はリュエラ。
別名は使わない。
神であることも申告しない。
必要な確認には普通に答え、架空の出身地や経歴を作ることもしなかった。
そして手続きを終える。
受付の職員から渡された冒険者カードを、リュエラさんが興味深そうに眺める。
「Fランクなのね」
「初めてなら普通はそこからです」
強さそのものと、冒険者として仕事を積んだ経験は別だ。
キリコの時もそうだった。
「最初から一つずつなのね。いいじゃない」
不満どころか楽しそうだった。
そのまま、俺たちのパーティー登録にもリュエラさんを加えてもらう。
これで冒険者ギルドの記録上でも、七人が同じ一行になった。
俺。
ベル。
メイ。
シルク。
ウンディーネ。
キリコ。
そして、新米Fランク冒険者のリュエラさん。
正体を知らない人が聞けば、ごく普通の新しい仲間だろう。
中央都市で残っていた用事は、これですべて終わった。
谷底定期調査。
失踪の報告。
イザベラさんたちへの説明。
依頼の正式完了。
そしてリュエラさんの冒険者登録。
ようやく、本来の旅へ戻れる。
俺たちは中央都市の北側へ向かった。
一か月前、本当ならすぐに通るはずだった道だ。
中央台地の北端へ近づくにつれて、前方に巨大な大峡谷が見えてくる。
南側から入ってきた時とは、見える地形も少し違う。
その上に、北側へ続く大橋が架かっていた。
検問で冒険者カードを確認してもらい、七人で橋へ出る。
谷底から見上げた絶壁。
その遥か上を、今度は歩いて渡っている。
強い風が峡谷を抜け、服や髪を揺らした。
荷馬車が横を通り、向こうからは旅人の一団が歩いてくる。
リュエラさんは橋の先だけではなく、谷底や行き交う馬車まで何度も見ていた。
一瞬で越えようと思えば越えられる距離なのだろう。
それでも普通に歩いている。
「久しぶりの地上の旅、どうです?」
俺が聞く。
リュエラさんはこちらを見る。
少し楽しそうに笑った。
「まだ始まったばかりでしょう?」
「そうでした」
大橋の向こうには、北へ続く街道が伸びている。
その先にあるのは、砂水王国オアサリア。
一か月近く寄り道することになったが、ようやく目的地へ向かう旅を再開できる。
迷宮へ入る前は六人だった。
今は七人。
その一人は、できたばかりの冒険者カードを持った新米Fランク冒険者だ。
リュエラさんは先に続く街道へ目を向けたまま、俺たちと同じ歩幅で橋を渡っていた。




