第153話 語られる神造迷宮と、放浪の女神
「リュエラさん、一ついいですか?」
会談室へ向かう前、中央王城の廊下で声を掛けると、リュエラさんが振り返った。
「なに?」
昨日から確認しておかなければと思っていたことがある。
「これからイザベラさんたちに、迷宮であったことをちゃんと話そうと思ってます」
「ええ」
「二人には、この世界へ来てから本当に色々お世話になってます。俺が旅を続けることも尊重してくれましたし、困った時には王家を頼っていいって言ってくれました。セバスさんには戦い方まで教えてもらいました」
今回も、一か月近く俺たちを探し続けてくれた。
俺にとって、この世界で信頼している人たちだ。
だから、一か月も消えていた理由を曖昧にしたくはない。
「ただ、神造迷宮のことを全部話すと、リュエラさんのことも話すことになります」
少し間を置く。
「放浪の女神だってことまで話しても大丈夫ですか?」
俺が勝手に決めることではない。
リュエラさんは地上では普通の旅人として歩くつもりでいる。
イザベラさんとセバスさんを俺が信頼しているからといって、本人の正体まで無断で明かしていい理由にはならない。
リュエラさんは少し目を丸くした後、柔らかく笑った。
「もちろんいいわよ」
「いいんですか?」
「イザベラとセバスでしょう? 二人のことは知っているわ」
「見てたんですか?」
「ずっとじゃないわよ。あなたの様子を時々見ていた時に、一緒にいるところを何度か見ただけ」
リュエラさんはそう前置きした。
「イザベラがあなたの旅を邪魔せず、必要な時には助けていたことも知っているし、セバスがあなたに戦い方を教えていたのも知ってるわ」
昨日は実際に二人と会っている。
一か月近く待っていた俺たちが戻り、自分たちの目で六人全員を確かめるまで安心できなかったことも、リュエラさんは近くで見ていた。
「二人があなたたちを大切にしてくれてるのは知ってるもの。昨日会って、フトシが信頼している理由も分かったわ」
「そうですか」
「だから、私のことも話していいわよ」
「ありがとうございます」
これで迷宮について余計なところを伏せずに話せる。
安心していると、リュエラさんが少し楽しそうにこちらを見る。
「でもフトシって、こういうこともちゃんと聞くのね」
「リュエラさん自身のことですから。俺だけで決めるのは違うかなと思って」
「そう」
何がそんなに嬉しいのかは分からないが、リュエラさんは機嫌よく笑った。
そのまま七人で会談室へ向かう。
用意されていたのは、中央王城の中でもそれほど大きくない部屋だった。
余計な役人や騎士はいない。
中にいたのはイザベラさんとセバスさんだけだ。
俺たち七人が入ると、イザベラさんが席を勧める。
ベルは俺の近くへ座り、メイとシルクも足元へ落ち着いた。
ウンディーネとキリコ、リュエラさんも席へ着く。
「さて」
全員が落ち着いたところで、イザベラさんが俺を見る。
「昨日は休めと言ったが、今日は聞かせてもらうぞ」
「はい」
「一か月近く、お主らはどこにおった?」
当然、最初に聞きたいのはそこだろう。
「最初から話します」
俺は中央大峡谷での谷底調査から説明することにした。
指定された経路を進み、崩落や河川、橋脚周辺などを確認していたこと。
調査の終盤で、地図ではただの岩壁になっていた場所に妙な違和感を覚えたこと。
近づくと、何もなかった岩壁へ光の線が走り、巨大な入口が現れたこと。
「入口の中へ入ったのか?」
「いえ」
俺は首を横に振る。
「依頼書に、記録にない異常を見つけても無理に調べず、戻って報告するように書かれてました。なので、中へは入らず帰ろうとしました」
イザベラさんが僅かに息を吐いた。
「やはり、自分から入ったわけではなかったか」
「はい」
「お主が依頼を放り出して、興味だけで一か月消えるとは思えなんだからの」
セバスさんも静かに頷いている。
「問題は、その後です」
俺たちが入口へ背を向けた直後、奥から光が広がった。
足元へ複雑な紋様が現れた。
ウンディーネが水の結界を張ってくれたが、それでも止められなかった。
「気づいた時には、六人全員が別の場所にいました」
「元の谷底へ戻る道は?」
「ありませんでした」
最初にあったのは、【第一階層】と刻まれた石碑だけだった。
場所そのものを【鑑定】して、そこで初めて名前を知った。
「【神造迷宮】という場所でした」
イザベラさんの眉が僅かに動く。
「神造……」
「神格を持つ存在の力で作られた、外とは隔離された空間です。全部で百階層あって、外へ戻る経路は最深部にあると分かりました」
「つまり」
セバスさんが口を開く。
「戻るためには、その百階層を進むほかなかったと」
「はい」
入口も消えていた。
ウンディーネでも外部との接続を追えなかった。
だから俺たちは、帰るために一階ずつ進むことにした。
「それで一か月近く……」
イザベラさんが納得したように呟く。
「中と外で時間の流れもほとんど同じだったそうです。休んだ日もありましたし、安全を確認しながら進んだので、それくらい掛かりました」
「百階層を一月で進んだ、と聞くと十分早い気もするがの」
それは俺には分からない。
ただ、急いで誰かが怪我をするくらいなら時間を掛けるつもりだった。
「中はずっと同じ場所じゃありませんでした。岩場から始まって、森林、湿原、荒野、雪原、火山みたいに環境が変わって、その後は遺跡や空に浮かぶ場所もありました」
「随分と節操のない迷宮じゃな」
「俺も途中から、次に何が来るか分からなくなりました」
強い魔物とも何度か戦った。
ただ、それを一体ずつ説明し始めたら今日中には終わらない。
詳しい戦闘や食べたものは省き、帰還までに必要だった部分だけを話す。
「でも、あの迷宮は強い魔物を倒せばいいだけの場所でもなかったです」
第八十一階層以降の庭園についても説明する。
希少な果実。
香草。
結晶。
価値のあるものが各所にあった。
敵意のない生き物も暮らしていた。
そこでは何かを取ること自体は禁止されていなかった。
必要なら食べてもいい。
怪我をすれば薬草を使ってもいい。
襲われれば戦っていい。
見られていたのは、必要以上に持っていくのか、不必要に生き物を殺すのか、周囲を壊してまで自分の欲しいものを取るのかという部分だった。
「自由に選ばせた上で、その選び方を見る試練だったということか」
イザベラさんが言う。
「そう聞きました」
第九十階層で俺たち六人は、一つの挑戦者集団として試練を突破した。
そこから先は、それまでのような試練の迷宮ではなく、造物主が暮らす神域へ続いていた。
「最終的に、俺たち六人で第百階層まで辿り着きました」
少し静かになる。
「つまり、お主らはその神造迷宮とやらを……」
「完全踏破したことになります」
セバスさんも珍しく僅かに目を見開いた。
イザベラさんは何か言いかけて、結局一度息を吐いた。
「百階層を……本当に行ってきたのじゃな」
「はい」
そこでイザベラさんが、名前へ引っ掛かったように俺を見る。
「先ほど神造迷宮と言ったな」
「はい」
「名の通り、本当に神が造ったものなのか?」
来た。
俺は一度リュエラさんを見る。
本人が小さく頷いた。
「そうです」
それから昨日、新しい旅仲間として紹介した女性を見る。
「それで……昨日紹介したリュエラさんなんですが」
イザベラさんとセバスさんの視線が揃って動く。
「この神造迷宮を造った本人です」
沈黙。
イザベラさんが俺を見る。
それからリュエラさんを見る。
セバスさんも黙ったままだ。
「正確には、放浪と自由を司る上位神。地上で放浪の女神と呼ばれている本人です」
今度は本当に誰も何も言わなかった。
昨日は普通に挨拶をした。
そのまま中央王城へ招き、一晩泊めた。
今朝もただの旅仲間として同じ場所にいた。
その相手が、この世界で広く知られている女神本人だと言われれば、すぐに処理できないのも当然だと思う。
少しして、リュエラさんが昨日と変わらない調子で笑った。
「改めて、リュエラよ。昨日は泊めてくれてありがとう」
それでイザベラさんが我に返った。
椅子から立とうとする。
同時にセバスさんも動いた。
「待って」
リュエラさんが止める。
二人の動きが止まる。
「そういうのはいいわ。今は神としてここへ来たわけじゃないもの」
「しかし……」
「地上では普通の旅人として歩きたいの。昨日と同じでいてくれた方が嬉しいわ」
イザベラさんはしばらく迷ったようだった。
相手は上位神だ。
国を治める立場なら、簡単に昨日と同じとはいかないのだろう。
それでも最後には再び椅子へ腰を下ろした。
「……承知した。では、リュエラ殿と呼ばせてもらおう」
「ええ。それでいいわ」
セバスさんも立礼だけに留め、席へ戻る。
「それで」
イザベラさんの視線が少し鋭くなった。
「フトシたちをあの場所へ転移させたのも、リュエラ殿なのか?」
「私よ」
リュエラさんは誤魔化さなかった。
神造迷宮の入口は誰にでも現れるものではない。
未知へ踏み出せること。
自分で考えて判断できること。
途中を越えられるだけの力を持つこと。
力や珍しいものだけを目的にしていないこと。
そうした迷宮との適性を俺が満たしていた。
さらに俺の職業である【探求者】は、未知との縁が強い。
それが迷宮との縁をさらに繋ぎやすくしたらしい。
「でも、条件を満たしていたから勝手に入口が現れたわけじゃないの」
リュエラさんが続ける。
「最後に入口を繋ごうと決めたのは私。フトシたち六人に会ってみたかったから」
「六人全員を?」
「ええ。その時にはもう、この六人で一つの旅だったもの」
イザベラさんは少し黙る。
「だが、六人はその入口へ入らず、帰ろうとしたのであろう?」
「……ええ」
「それでも転移させたのか?」
「そうよ」
短い返事だった。
リュエラさんの表情から笑みが少し消える。
「フトシなら入口を見れば入るかもしれないって思っていたの。でも、実際には自分の興味より依頼と報告を優先して帰ろうとした」
俺としては普通の判断だった。
「それなのに私は、会ってみたいっていう自分の気持ちを優先して、招待を成立させたの」
リュエラさんはイザベラさんを見る。
「帰ると決めた六人の道を、私が勝手に変えた。自由を大事にしてるなんて言いながら、あれは私が間違っていたわ」
会談室が少し静かになる。
イザベラさんは相手が神だと分かっていても、視線を逸らさなかった。
「神である御身に、妾が何を言える立場かは分からぬ」
一度言葉を切る。
「じゃが……あれほど心配して待った身としては、喜べることではないの」
「ええ。あなたの言う通りだと思う」
リュエラさんは素直に頷いた。
「本当にごめんなさい」
上位神が、魔王国の女王へ頭を下げる。
不思議な光景ではあったが、俺は途中で口を挟まなかった。
「その件は、俺たちも第百階層でちゃんと話しました」
二人の視線がこちらへ戻る。
「勝手に連れてこられたことまで良かったとは思ってません。でも、リュエラさんには謝ってもらいましたし、次からは先に聞くって約束もしてもらってます」
「次がある前提なのも妙な話じゃが」
イザベラさんが少しだけ苦笑する。
「まあ、当事者のお主らが納得しておるなら、妾がいつまでも責めることではないか」
そこで話を切り替えるようにリュエラさんを見る。
「しかし、もう一つ分からぬ」
「なに?」
「なぜ今、リュエラ殿がお主らと一緒におる?」
確かに、迷宮を造ったことと旅仲間になることは別の話だ。
リュエラさんはあっさり答えた。
「私がお願いしたの」
「……御身が?」
イザベラさんがまた少し止まる。
「昔から地上は何度も歩いてきたけど、時間が経てば街も人も文化も食べ物も変わるでしょう?」
リュエラさんは楽しそうに話す。
「久しぶりに、今の世界を自分の足で見たくなったの。昔行ったところがどうなっているのかも見たいし、私の知らないものだって増えてると思うから」
そこまで言って、少しこちらを見る。
「それに、フトシがこれから何を見つけるのか、今度は隣で見てみたいから」
イザベラさんの視線が俺へ向く。
次にリュエラさんへ。
セバスさんも特に何も言わない。
何となく落ち着かないが、リュエラさん本人は普通の顔をしている。
「お主らも納得しておるのか?」
イザベラさんが俺へ確認する。
「はい。俺一人で決めたんじゃなくて、みんなで確認しました」
ベルたちも反対していない。
リュエラさん自身も、神の立場を使って同行すると決めたわけではない。
「ならば、妾から言うことはない」
イザベラさんはあっさり頷いた。
「お主の旅じゃ。誰と歩くかも、お主らで決めればよい」
以前から変わらない。
俺がどこへ行くかを、イザベラさんは勝手に決めない。
相手が上位神になっても、そこは同じらしい。
「あと、迷宮を踏破した時に正式な報酬ももらいました」
「まだ何かあるのか」
少し疲れたような声になった。
「俺たち六人全員に、【放浪神の加護】という加護を」
それまで身につけていた【神護の環】が、リュエラさんの神力を受けるための器でもあったこと。
百階層を完全踏破したことで首飾り自体は消え、その守護を含めた加護が六人それぞれへ直接定着したことを説明する。
「身体や魔力の基礎的な部分が少し底上げされています。以前の神護の環みたいな防護も残ってますし、強制転移や拘束みたいに自由を奪う力にも抵抗しやすくなったそうです」
細かな効果を全部説明する必要はないだろう。
セバスさんは俺の身体へ一度視線を向ける。
「なるほど。次に鍛錬する際には、また現在の身体能力を確認する必要がありそうでございますな」
「お願いします」
久しぶりに聞くその言葉に、少し安心する。
イザベラさんは額へ手を当てた。
「一か月消えたと思えば、百階層の迷宮を踏破し、神から加護を受け、造った女神本人を旅仲間にして戻ってきたということか」
「まとめると、そうなりますね」
自分で聞いてもおかしい。
「それで、今回のことをどこまで報告するかなんですが」
俺は本来の依頼へ話を戻す。
谷底調査で未記録の異常が発生した以上、何も報告しないわけにはいかない。
だが、神造迷宮の内部に何があったのか。
神域がどうなっているのか。
リュエラさんの正体。
完全踏破で得た加護。
そういう情報まで広く知らせる必要があるとも思えなかった。
イザベラさんも少し考える。
「冒険者ギルドには、依頼処理に必要な範囲でよかろう」
「必要な範囲?」
「谷底に未記録の特殊な迷宮への入口が出現し、お主ら六人が内部へ強制転移された。外へ戻る手段が最深部にしかなく、長期間帰還不能となったが、全員無事に帰還した。それで失踪理由の説明としては足りる」
セバスさんも頷く。
「迷宮内部の詳細や神域、加護に関する情報を、不特定多数へ広める必要はございませんでしょう」
「リュエラ殿のことは当然伏せる」
「私はそれで構わないわ」
リュエラさんにも異論はないらしい。
「では、まずは妾とセバスまでで止めておく。今後どうしても共有する必要が出た時は、改めて相談すればよい」
「ありがとうございます」
これで報告についても整理できた。
長かった説明がようやく一段落する。
イザベラさんは椅子へ背を預け、疲れたように息を吐いた。
一か月近く行方不明だった理由を聞くだけのはずが、出てきた話は想像以上だっただろう。
俺を見る。
「……お主は、出掛けるたびに話を大きくして帰ってくるの」
「今回は俺から入ったわけじゃないんですけど……」
さすがにそこは言っておきたい。
隣でリュエラさんが少し申し訳なさそうな顔をする。
「それは、私のせいね」
イザベラさんがリュエラさんを見る。
少し間があった。
それから肩の力を抜く。
「まあ、全員無事で帰った。それが一番じゃ」
「はい」
リュエラさんも柔らかく笑った。
一か月近く掛かった失踪の理由を、ようやくイザベラさんとセバスさんへ伝え終えた。
これで、神造迷宮へ入ってから残っていた大きな報告も一つ片付いた。




