第149話 招いた理由と、放浪神の加護
「あなたがいた世界って、どんなところ?」
リュエラ様にそう聞かれて、少し考える。
日本について一から説明しようとすれば、何から話せばいいのか分からない。
「まず、この世界みたいな魔法はありませんでした」
「魔法がないの?」
最初からそこに反応した。
「はい。その代わり、科学とか機械がかなり発達してました。自動車っていう乗り物で街道を走ったり、電車っていう大勢を乗せる乗り物で遠くまで移動したりします」
「魔法を使わずに?」
「基本的には全部機械ですね」
空を飛ぶ飛行機まで話を広げると長くなりそうなので、今はそのくらいにする。
高い建物が並ぶ大都市。
遠く離れた国とも物が行き来していて、日本にいながら色々な国の料理を食べられたこと。
俺自身は、そんな街の中にある小さな日本食屋『味処・藤』で働いていたことを話す。
「一つの国にいながら、遠い土地の料理まで?」
「全部じゃないですけど、かなり色々ありましたよ。材料も外国から運ばれてきますし」
「それは面白いわね」
リュエラ様の目が少し明るくなる。
昨日までに見てきた世界各地の記録を思い出す。
この世界をあれだけ歩いてきた人が、今は俺から知らない土地の話を聞いている。
(なるほど)
リュエラ様にとって、日本は俺がこの世界で初めて見る土地と同じなのかもしれない。
「だから最初は気になったのよ」
リュエラ様がそう言った。
「私がどれだけ歩いても辿り着けなかった世界を、あなたたちは知っていたから」
その話はさっきも少し聞いた。
だから今度はこちらから、本題へ戻る。
「それで……どうして俺たちを神造迷宮へ招いたんですか?」
リュエラ様はすぐに答えた。
「まず、この迷宮はあなたのために造ったものではないわ」
「そうなんですか?」
「ええ。あなたがこの世界へ来るより、ずっと前からあるものよ」
俺に会うために百階層もある迷宮を作ったわけではないらしい。
さすがにそこまでとは思っていなかったが、少し安心する。
「神造迷宮は、私のところまで来ようとする者を見るための場所なの」
「見る?」
「どうやって未知へ進むのか。知らない環境でどう判断するのか。危険があれば戦うのか退くのか、疲れた時に休めるのか、誰かと一緒ならどう動くのか」
リュエラ様は指を折るようなことはせず、ゆっくり話す。
「強さだけを知りたいなら、途中にもっと強い魔物を置けば済むでしょう?」
それはそうだ。
天空古龍よりさらに強い存在を次々出せば、単純な戦闘力なら測れる。
だが実際の迷宮には、森林も湿地も岩山も雪原も火山も遺跡もあった。
戦闘以外の判断を求められる場所も多かった。
「私が見たいのは、自分で周囲を見て、自分で次を選べる者かどうかよ」
第八十一階層からの庭園も、その一つだったのだろう。
そう考えたところで、リュエラ様が続ける。
「特にあの庭は、私の考え方を強く入れているわね」
「やっぱりそうなんですね」
「果実も、香草も、結晶も置いたでしょう? 石の箱まで」
「かなり露骨でしたね」
「でしょう?」
少し楽しそうに言う。
「でも、『取ってはいけない』とはどこにも書かなかったわ」
第九十階層で神庭守護天使から聞いた話と繋がる。
「必要なら食べてよかった。水がなければ泉を使ってよかったし、怪我をして薬草が必要なら摘んでもよかった。襲ってくる生き物なら、自分たちを守るために倒しても構わない」
「何も取らないことが正解じゃない」
「そうよ」
リュエラ様が頷く。
「自由って、何をしてもいいという意味じゃないもの」
庭園で生きていた動物たち。
果実を食べる獣や鳥、落ちた実へ集まっていた虫。
俺たちが見ていたものが頭に浮かぶ。
「必要だから使うのと、欲しいから全部持っていくのは違う。自分が選んだことで、その場所や他の誰かへ何が起きるのかまで考えられるか。それを見たかったの」
自由と責任。
あの庭園の試練が、放浪と自由を司るリュエラ様らしいものだったことがようやく分かった。
「じゃあ、俺が選ばれたのも、そういうところを見られてたからですか?」
「それもあるわ。でも、まず迷宮へ招けるだけの条件があるの」
リュエラ様は少し姿勢を変えた。
「未知へ踏み出せること。自分で考えて選べること。途中で死なない程度には力があること。珍しい物や強い力を得ることだけが目的ではないこと」
俺は黙って聞く。
「誰かと一緒に進んでも、自分自身の意思まで失わないこと。細かく言えば他にもあるけれど、あなたはかなり相性がよかった」
「それだけで入口が出たんですか?」
「いいえ」
リュエラ様は首を横に振った。
「あなたの場合は、もう一つ大きいものがあったわ。【探求者】よ」
ようやく、その言葉が出た。
「やっぱり関係してたんですね」
「ええ。ただし、【探求者】だから自動的に選ばれたわけじゃないわ」
そこはすぐに否定された。
「【探求者】は、未知との縁がとても強い職業よ。本人が未知へ進もうとするほど、知らない存在や珍しい出来事と縁が繋がりやすくなる」
大峡谷で感じた、あの妙な感覚を思い出す。
ただの岩壁だったはずなのに、なぜか通り過ぎるのが気になった。
「未知を引き寄せる……」
「そういう言い方でもいいわ。ただし、それだけで何でも都合よく現れるわけではないし、正しい道を自動で教えてくれる能力でもない」
第六十階層を越えた先の遺跡で、理由もなく進む場所が分かるような感覚が続いたこともあった。
だが、あれまで全部【探求者】の力だったと決めつけるのは違うらしい。
「職業だけなら、私はあなたをここまで招こうとは思わなかった」
「じゃあ、最後は?」
リュエラ様は俺を見る。
「私が会ってみたかったから」
随分とはっきり言われた。
「条件を満たしていたから、この迷宮とあなたの間へ道を繋ぐことができた。【探求者】も、その縁を強くした。でも、実際に入口を作ろうと決めたのは私よ」
「なるほど……」
迷宮側の条件。
【探求者】。
そしてリュエラ様自身の意思。
どれか一つだけが原因だったわけではないらしい。
そこで、隣にいるみんなを見る。
「じゃあ、みんなまで一緒だったのは?」
リュエラ様も五人へ目を向けた。
「最初から六人を招いたからよ」
「俺だけじゃなく?」
「ええ」
リュエラ様の答えに迷いはなかった。
「入口を作った時には、もうベルも、メイも、シルクも、ウンディーネも、キリコも、あなたの旅の一部だったもの」
ベルが少し瞬く。
メイとシルクもこちらを見る。
「私が見ていたのは、フトシ一人だけで歩いている旅じゃなかった。あなたたち六人の旅だったわ」
だから氷雪の護符も六個だった。
神造迷宮が六人を一つの挑戦者として認識していた理由も、ようやく最初まで繋がった。
「フトシだけ切り離して連れてきたら、私が見ていたものとは別物になってしまうでしょう?」
「それは……そうですね」
実際、ここまで俺一人だったらどうなっていたか分からない。
何度もみんなに助けられた。
戦闘だけではない。
旅そのものが、今は六人で成り立っている。
そこまで聞いて、一つだけ引っ掛かっていたことを思い出す。
「女神様」
「なに?」
「俺たち、あの入口を見つけた時、一度帰ろうとしてましたよね?」
リュエラ様の動きが止まった。
「調査の依頼中だったから、勝手に入らず一度ギルドへ報告しようって」
「……ええ」
覚えているらしい。
「でも、その後に俺たち全員ここへ飛ばされました」
放浪と自由を司る神。
ここまでその考え方を聞いたからこそ、余計に気になった。
俺たちは自分たちで帰ると決めた。
それなのに、その選択とは関係なく迷宮へ入れられた。
少し沈黙があった。
リュエラ様が小さく息を吐く。
「……あれは私が悪かったわ」
予想よりあっさり認められて、逆に少し驚く。
「入口を見つけたら、あなたなら興味を持って入るかもしれないと思っていたの」
「気にはなってましたよ」
「でしょう? だから少し期待していたのよ」
それでも俺は依頼を優先した。
「なのに、あなたはちゃんと引き返した」
リュエラ様の顔から笑みが少し消える。
「それでも私は、あなたたちなら越えられると思っていたし、会ってみたかった。だから招待を成立させたの」
あの時、足元に現れた紋様。
あれはリュエラ様が迷宮側の招待を確定させた結果だったらしい。
「でも、あなたたちは帰ると決めていた。その道を私が勝手に変えた」
リュエラ様は俺たち六人を見る。
「自由を大切にしているなんて言いながら、あれは私の方が間違っていたわ。ごめんなさい」
上位神から真正面に謝られるとは思っていなかった。
すぐに大丈夫です、と返す気にはならなかった。
俺は少し考える。
「正直に言うと、困りました」
「うん」
「帰れる方法も分からなかったし、依頼も途中でした。かなり危ない戦いもありましたし」
熔殻竜蜥との戦いでは火傷もした。
天空古龍は六人揃ってようやく認めてもらえた相手だった。
一歩間違えば、本当に誰かが死んでいたかもしれない。
「だから、勝手に連れてこられたことまで良かったとは言えません」
「そうよね」
リュエラ様は言い訳をしなかった。
「でも、六人とも無事にここまで来ました。色々経験できたし、会えなかった相手にも会えた。それまで嫌だったとは思ってません」
天空古龍。
神使たち。
記録の神。
饗応を預かる神。
この迷宮でしか出会えなかった存在は多い。
「なので……謝ってもらえたなら、俺としてはそれでいいです。ただ、次からは先に聞いてください」
リュエラ様が僅かに目を見開く。
それから、少し笑った。
「分かったわ。今度はちゃんと聞く」
何の「今度」なのかは分からないが、とりあえず頷いておく。
そこで話が一度途切れた。
リュエラ様が席を立つ。
俺たちも何となく姿勢を正した。
「これで、招いた理由はだいたい話せたかしら」
「かなり分かりました」
ずっと残っていた疑問が、一つずつ繋がった。
リュエラ様は六人をゆっくり見渡す。
「なら、今度は私から」
声の調子が少し変わった。
「フトシ、ベル、メイ、シルク、ウンディーネ、キリコ」
一人ずつ名前を呼ばれる。
「あなたたち六人を、神造迷宮百階層の完全踏破者として認めるわ」
ここへ辿り着いた。
その事実を改めて言われると、ようやく終わったのだと実感する。
「九十階層でも褒賞は受け取ったでしょう?」
リュエラ様の視線が、俺たちの首元へ向いた。
神護の環。
六人それぞれへ与えられた専用守護具だ。
「これですか?」
俺が首元へ触れる。
「ええ。それ自体も九十階層を越えた正当な褒賞よ。ただ、もう一つ役目があるの」
「役目?」
「私の神力を、安全に受け取るための器」
初めて聞く話だった。
「九十階層の時点では、まだ迷宮を完全に踏破したわけではなかったでしょう? だから外側の器を通して、守護だけを先に渡していたの」
リュエラ様が俺たちの前まで来る。
「でも、ここまで来たならもう器はいらないわ」
六つの神護の環が同時に淡く光った。
反射的に首元を見る。
光は首飾りの表面から溢れ、少しずつ身体へ流れ込んでくる。
熱くない。
冷たくもない。
ただ、今まで神護の環を着けた時に感じていた薄い守りが、身体の外側から内側へ馴染んでいくような感覚があった。
ベルの小さな首元でも。
メイとシルクの毛並みの間でも。
ウンディーネとキリコの胸元でも同じ光が広がっている。
やがて、神護の環そのものが光へ変わった。
形が消える。
俺は思わず首元へ手をやった。
何もない。
それでも、守られている感覚は消えていなかった。
むしろ以前より自然だ。
さらに、身体の中を流れる魔力まで少し変わっている。
増えたというより、自分の身体と魔力の動きが今までより噛み合っているように感じる。
リュエラ様の声が静かに響いた。
「【放浪神の加護】。百階層まで辿り着いた六人への、正式な褒賞よ」
自分へ【鑑定】を向ける。
【放浪神の加護】
詳細:放浪と自由を司る上位女神リュエラから、神造迷宮を完全踏破した者へ直接授けられる恒久加護。旧【神護の環】が持っていた全身への防護を内包し、斬撃、打撃、熱、冷気、魔力など外部から受ける力を軽減する。強い攻撃や連続負荷によって守護は一時的に弱まるが、時間経過によって回復する。また、身体能力、感覚、魔力量、魔力操作、自然回復力など装着者が本来備える基礎能力を恒久的に高め、本人の意思に反する強制転移、拘束、行動阻害、精神支配、強制命令など自由を奪う干渉への抵抗力を大幅に高める。さらに暑さ、寒さ、高所、乾燥、湿気、長距離移動など環境変化による肉体的・魔力的消耗を軽減する。ただし防護・抵抗・環境適応はいずれも完全無効化ではなく、強大な力や極端な環境の影響を受けることはある。
「かなり……色々増えてますね」
思っていた以上だった。
ベルが自分の魔力へ意識を向けたのか、小さく風を動かす。
普段より僅かに滑らかに見えた。
メイも前脚を踏み替え、シルクは軽く身体を伸ばしている。
キリコも手のひらへ魔力を集めて、少し驚いたように見つめた。
ウンディーネだけは、加護そのものを感じ取っているのか、静かに頷いている。
『……すごく自然。元からあった力が少し広がったみたい』
「そういうものにしたの」
リュエラ様が答えた。
「あなたたちは、もう自分たちで力を身につけてここまで来たでしょう?」
俺たちを見る。
「今さら私が全く別の力を押しつけて、別の戦い方をさせる必要はないわ。あなたたちが選んで育ててきたものを、少し後押しするくらいでいい」
なるほど。
俺なら身体操作や反応、感覚、魔力操作。
ベルなら風と魔法。
メイとシルクなら、それぞれが元から持つ身体能力や感覚。
ウンディーネとキリコも同じだ。
六人へ同じ加護が与えられても、伸びるところまで同じになるわけではない。
「旅する時にも役立つわよ。暑さや寒さで消耗しにくくなるから」
「防寒具とか、水がいらなくなるわけじゃないんですよね?」
「そこまでではないわ。旅をしやすくするだけ」
それくらいの方がいい。
何も準備しなくてよくなるなら、旅というよりただ通り過ぎるだけになりそうだ。
もう一つ。
鑑定結果にあった自由を奪う干渉への抵抗。
強制転移。
その言葉を見て、思わずリュエラ様を見る。
「これって、さっきの件のお詫びですか?」
「違うわ」
即答だった。
「これは百階層まで来たあなたたちが受け取る報酬。私が謝ることと、あなたたちが成し遂げたことは別よ」
そこで少しだけ苦笑する。
「まあ、私が一度あなたたちの道を勝手に変えた後で渡す加護としては、ちょうどいいとは思うけれど」
俺も少しだけ笑った。
これなら次に似たようなことがあっても、前よりは抵抗できるらしい。
もちろん、上位神の本気まで止められるとは思わない。
神護の守りも同じだ。
強いからといって攻撃を受けていいわけではない。
今まで通り避けるし、金剛棒も使う。
みんなとの連係も変えるつもりはなかった。
リュエラ様が元の席へ戻る。
俺ももう一度首元へ触れた。
神護の環はなくなった。
それでも守りは残り、今度は装備ではなく俺自身の一部になっている。
長かった迷宮も、これで本当に終わったらしい。
入口が現れた理由。
六人だった理由。
【探求者】との関係。
庭園の意味。
強制的に連れてこられた理由まで聞けた。
まだ細かく聞けば疑問はあるだろうが、大きなところはほとんど残っていない。
リュエラ様もそれを確かめるように俺を見る。
「これで、迷宮について話すことはだいたい話せたかしら」
「はい。ずっと気になってたことは、ほとんど分かりました」
「よかった」
一仕事終えたように、リュエラ様の表情が緩む。
そして、そのまま少し楽しそうに俺を見た。
「じゃあ――」
嫌な予感ではない。
むしろ、何を言われるのか分かった。
「今度は、約束していた料理をお願いしてもいい?」
第九十四階層の厨房で交わした約束。
出来たてを、その場で。
作る相手はもう目の前にいる。
「もちろんです」




