第141話 雲海の果てと、天空古龍
シルクが浮島の端を蹴り、雲海の上へ飛び出した。
その進行方向へ、キリコの小さな魔力壁が一枚だけ現れる。
「キュイッ!」
シルクは空中で壁を蹴り、さらに前へ身体を伸ばした。
そこへベルの風が後ろから重なり、白い身体が向こうの浮島へ届く。
着地したシルクが周囲を見回す間に、ベルはさらに高い位置から島全体を確認した。
「大丈夫。近くに魔物はいないよ」
天穹安息泉のあった浮島を離れ、第七十二階層へ進んでから何度目かの島渡りだった。
天空域には普通の道がない。
島同士の距離が近ければ、俺の如意の金剛棒を向こうの岩場まで伸ばし、支えや手すり代わりにできる。
少し遠い場合は、キリコの魔力壁を途中の足場に使い、ベルが風向きを整える。
メイもかなりの距離なら自力で跳べるし、シルクはキリコの壁さえあれば空中で方向まで変えられる。
最初は一回渡るだけでも全員で位置を確認していた。
だが、第七十三階層、第七十四階層と進むうちに、その回数も減ってきた。
シルクが踏み切れば、キリコがその先へ壁を出す。
ベルはシルクが風に流されない程度だけ風向きを整え、俺は後から渡る全員が掴みやすい位置へ金剛棒を伸ばす。
誰かが声を掛けなくても、それぞれが次に必要なことをするようになっていた。
第五十八階層で、キリコの壁をシルクが初めて空中の足場にした時とは随分違う。
もう戦う時だけの連係ではなかった。
「次、行けそうだよ」
ベルが先の浮島を指す。
俺は島の間を確認した。
少し距離はあるが、今までと大きくは変わらない。
シルクが先に踏み切った。
キリコの壁が出る。
その瞬間だった。
「待って、風!」
ベルの声とほぼ同時に、強い横風が吹き抜けた。
すでに空中にいたシルクの身体が大きく右へ流される。
本来の着地点から外れ、そのままでは島の横を通り過ぎる。
キリコがすぐに手を動かした。
予定していた場所ではない。
流されたシルクの斜め前へ、新しい魔力壁が現れる。
シルクが身体を捻り、壁へ後脚を着けた。
「キュイッ!」
蹴る。
ベルも横風そのものを止めようとはしなかった。
シルクが戻る方向へ、短い風を重ねる。
白い身体が弧を描き、浮島の端へ着地した。
俺たちは伸ばしていた金剛棒を支えにして、風が弱まるまで待つ。
「……今のは危なかった」
キリコが息を吐く。
「でも、よく壁を出せたね」
「シルクが流された方を見たら、あそこかなって」
ベルも風の流れを確かめている。
「ずっと同じ向きに吹いてるわけじゃないみたい。急に変わる時がある」
これまでの階層なら、警戒するのは魔物や罠だった。
ここでは違う。
風そのものが地形の一部だと思った方がいい。
その後は島の位置だけでなく、雲の流れや周囲の風も確認しながら進むようになった。
第七十五階層の大きな浮島へ渡った時、先行していたベルが急に止まった。
「……何かいる」
視線の先を見る。
白い雲の向こうを、巨大な影が横切った。
鳥ではない。
長い身体。
広げた大きな翼。
遠すぎて細かな姿までは分からないが、今まで見た飛行魔物より明らかに大きい。
影は一度、俺たちのいる浮島の上空を大きく回った。
こちらを見ているようにも思える。
だが、降りてはこなかった。
そのまま雲の奥へ入り、姿が見えなくなる。
「追う?」
ベルが聞く。
「いや。こっちから近づく必要はないよ」
襲ってくるなら対応する。
今はそれでいい。
俺たちは本来の進路へ戻った。
第七十六階層以降は、島同士の間隔がさらに広がった。
キリコの魔力壁を何枚も並べれば渡れなくはないだろうが、無理に負担を増やす必要もない。
そんな中、ベルが上空で何度も同じ場所を行き来し始めた。
「ここ、下から風が上がってる」
島の端から吹き上がる風が、斜め上へ向かって流れているらしい。
ウンディーネが手を上げた。
『見えるようにするね』
細かな水滴が空中へ広がる。
霧よりも薄い水滴が風に運ばれ、目には見えなかった流れが帯のように浮かび上がった。
「なるほど」
風へ逆らって飛ぶのではない。
流れへ乗ればいい。
ベルが一番安定した場所を探し、キリコが途中で足りない位置だけへ壁を出す。
シルクが先に渡り、着地点を確かめる。
俺も金剛棒を補助に使いながら、その流れへ身体を乗せた。
風に押される方向が最初から分かっていれば、無理に逆らうよりずっと楽だった。
メイも同じように渡り、キリコとウンディーネが続く。
第七十七、第七十八階層と進む頃には、風が強い場所ほど避けるとは限らなくなっていた。
使える風なら、むしろ移動に利用する。
途中、雲の向こうにあの巨大な影を何度か見た。
こちらへ近づきすぎることはない。
ただ、ずっと見られている気はした。
第七十九階層へ入ると、空の雰囲気が変わった。
それまで時折見えていた小型の飛行魔物がほとんどいない。
風は吹いている。
雲も動いている。
それなのに、妙に静かだった。
進行方向には、今までの浮島とは比べものにならないほど巨大な島が浮かんでいる。
中央には古い石柱が何本も立ち、その間に広い平地が見えた。
そして、その上空。
巨大な影がゆっくり旋回している。
「あそこだろうな」
十階層ごとの区切りを考えれば、あれが第八十階層だろう。
すぐには向かわなかった。
近くの浮島で安全を確認し、アイテムボックスに保存してある完成料理で手早く食事を済ませる。
その後もしばらく身体を休めた。
昨日、温泉で一日休んだおかげで疲労はかなり抜けている。
それでも、この先にいる相手を考えれば万全に近い状態で行った方がいい。
十分に休んでから、六人で巨大な浮島へ渡った。
島の中央へ進む。
頭上の風が強くなった。
見上げると、巨大な影がこちらへ向きを変えている。
ゆっくりと高度を落としてきた。
青白さを含んだ白銀の鱗。
大きく広がる翼。
後方へ伸びた長い角。
鱗の隙間には、ときおり青白い雷光が走っている。
翼を一度動かしただけで、周囲の草が一斉に伏せた。
隣にいたウンディーネが、いつもより少し俺の近くへ寄った。
普段ならどんな魔物を前にしても滅多に見せない反応だった。
『フトシ、気をつけて』
ウンディーネは古龍から目を離さない。
『……あれ、わたしより強いよ』
ウンディーネ本人からそんな言葉が出たことで、目の前の存在がどれほどのものなのか十分に分かった。
俺は金剛棒へ手を掛けたが、【鑑定】は使わなかった。
目の前の存在には、明らかな知性を感じる。
古龍は俺たちから少し離れた場所へ降りた。
「よくここまで来た」
低い声が島全体へ響いた。
人の言葉だ。
「この先へ進みたくば、我に力を示せ」
「確認してもいいですか?」
俺が一歩前へ出る。
「あなたを倒さないと、先へ進めないんですか?」
古龍の目が僅かに細くなった。
「我が認めればよい。命まで奪う必要はない」
それなら、こちらもやることは決まる。
「戦う相手の力を確認したいので、【鑑定】を使っても構いませんか?」
「構わぬ」
了承を得てから【鑑定】する。
【天空古龍】
詳細:神造迷宮の天空域を守護する古代の龍。風・雷・雲へ極めて強い干渉力を持ち、長い年月によって蓄えた膨大な魔力と強靭な肉体を備える。大精霊すら凌ぐほど高位の存在で、神格を持つ存在とも近しい性質を持つ。高い知性を有する。
大精霊すら凌ぐ存在。
さっきのウンディーネの言葉とも一致する。
隣を見ると、ウンディーネは古龍の視線を受けても逸らさなかったが、普段より明らかに慎重だった。
天空古龍も一度だけウンディーネを見た。
「水の大精霊か。随分と珍しい者まで来たものだ」
『……うん』
ウンディーネは短く答え、僅かに姿勢を正した。
敵を前に怯えているわけではない。
それでも、相手の格を分かった上で接しているのが俺にも伝わってきた。
「では、始めるぞ」
天空古龍が翼を広げた。
次の瞬間、身体が消えたように見えた。
横から風圧が来る。
「っ!」
キリコの魔力壁が出た。
一枚。
二枚。
三枚目まで大きく亀裂が入り、古龍の翼がそのまま壁の上を抜けていく。
ベルが風をぶつける。
だが、古龍が翼を一度振っただけで、さらに大きな気流が上から押し返してきた。
ウンディーネの水流も伸びる。
太い水の流れが白銀の翼へ絡みつこうとする。
古龍が翼を開いた。
一気に押し返された風で、水が細かく散らされる。
もう一度ウンディーネが水を集めるが、今度は古龍が身体を捻っただけで流れの外へ抜けた。
ウンディーネの水が正面から押し切れない相手を、俺はほとんど見たことがない。
メイの冷気が古龍の脚へ届き、鱗の表面へ氷が広がった。
次の瞬間、鱗の間から魔力が走り、氷が砕け散る。
シルクがキリコの壁を蹴って上がった。
蹴りが翼の付け根へ入る。
古龍の身体が僅かに揺れた。
だが、そのまま身体を捻り、シルクを風圧で遠ざける。
俺も金剛棒を伸ばして踏み込んだ。
肩口へ一撃が入る。
硬い。
それでも効いていないわけではない。
古龍の身体が半歩ほどずれた。
だが、二度目は届かなかった。
翼が動いた瞬間には、もう上空へ戻っている。
俺たちの攻撃は通じる。
それぞれの力も届いている。
なのに、一人ずつでは古龍の動きを止められない。
全員で同時に攻撃しても同じだった。
古龍は一つを避けながら、別の攻撃へ対応できる。
まだ余裕がある。
「追わない!」
俺は空へ向かって金剛棒を振るのを止めた。
古龍を直接捕まえようとしても追いつけない。
なら、自由に動ける場所を減らす。
天空古龍が大きく翼を振った。
暴風が島の上を走る。
ウンディーネが空へ水滴を広げた。
細かな水が風へ乗り、複雑な流れが目に見える。
ベルがそれを見る。
全部を止めない。
古龍が使おうとしている流れの一部だけへ、横から風を重ねた。
天空古龍の飛行軌道が僅かにずれる。
その先へキリコの小型魔力壁が一枚出た。
古龍なら壊せる。
だが、わざわざ正面からぶつかる必要もない。
古龍は身体を傾け、壁を避けた。
「キュイッ!」
そこへシルクが飛び込んだ。
一枚目の壁を蹴る。
二枚目。
ベルの風が重なり、一気に高度を上げた。
蹴りが翼の付け根へ入る。
ウンディーネの水流が、同じ場所へ絡んだ。
メイがそこだけを凍らせる。
天空古龍の鱗から魔力が走った。
氷が砕ける。
だが、その一瞬だけ翼の動きが止まった。
俺はその瞬間まで待っていた。
伸ばした金剛棒を横から叩き込む。
今度は古龍の身体が大きく傾いた。
高度が落ちる。
天空古龍が翼を開き直し、再び上昇した。
その目から、さっきまでの余裕が少し消えていた。
俺たちの誰か一人が古龍を押しているわけではない。
ベルへ対応すれば、その動きをウンディーネが使う。
ウンディーネの水を払えば、メイが狙える。
メイの氷を砕いた先にはキリコの壁がある。
避けた場所へシルクが入り、その結果を俺が使う。
一度対応した動きが、そのまま次の誰かの準備になっている。
天空古龍が大きく距離を取った。
「……よかろう」
空気が変わった。
古龍の身体から膨大な魔力が広がる。
周囲の雲が急速に集まり、空が暗くなった。
青白い雷光が雲の中を走る。
風向きが一瞬ごとに変わり始めた。
ウンディーネの表情がさらに硬くなる。
『みんな、離れすぎないで』
いつもの軽さはなかった。
『……これ、わたし一人じゃ止められない』
「分かった」
全員で戦う。
最初からそのつもりだ。
「来る!」
ベルの声。
雷が落ちる。
キリコの壁が頭上へ出た。
直撃した壁が大きく揺れる。
次の雷は別方向。
俺たちは散った。
天空古龍の姿が雲へ消える。
見えない。
だが、ウンディーネが広げた水滴が一か所だけ大きく乱れた。
「右!」
ベルの声と同時に、古龍が雲を突き破って現れた。
急降下。
俺は金剛棒を地面へ伸ばして身体を支え、横へ飛ぶ。
キリコの壁が古龍の進路へ斜めに入り、その身体を僅かに逸らした。
シルクは別の壁を蹴り、上へ逃れる。
メイも岩を蹴って反対側へ移動する。
風は強い。
足場も空も安定しない。
それでも、この感じはさっきまで渡ってきた天空域と同じだった。
風へ逆らい続ける必要はない。
流れを見て、使えるものを使う。
ベルが風を読む。
ウンディーネの水滴が見えない流れを映す。
キリコの壁が必要な場所だけへ現れる。
シルクがその上を走る。
メイも浮島と壁を使って位置を変える。
俺は伸ばした金剛棒を足場や支えにする。
天空古龍が空全体を使っているなら、俺たちも六人で空を使えばいい。
何度目かの急降下を避けた時、古龍が上昇気流へ乗った。
「ベル!」
呼ぶ前に、ベルは動いていた。
古龍を持ち上げる流れの一部が崩れる。
天空古龍の高度が少し落ちた。
ウンディーネの水流が後脚へ絡む。
メイの冷気が走り、水だけを凍らせた。
古龍が力を込める。
氷に亀裂が入った。
その前にキリコの壁が出る。
逃げ道を全部塞いだわけではない。
古龍が最も身体を動かしにくい方向だけが空いていた。
天空古龍はそちらへ身体を振る。
待っていたシルクが壁を蹴った。
白い身体が肩口へ飛び込み、強い蹴りを叩き込む。
古龍の重心が地面側へ傾いた。
前脚が浮島へつく。
今だ。
俺は一気に走った。
如意の金剛棒を長く伸ばし、低くなった古龍の肩の付け根と地面の間へ斜めに差し込む。
反対側を地面へ接地させた。
天空古龍が身体を起こそうとした。
その瞬間、金剛棒をさらに伸ばし、重量を増す。
俺の腕力だけで古龍を押さえるつもりはない。
地面へ接した金剛棒を支点にして、古龍自身が上へ起きようとした力を横へずらす。
崩れていた身体がさらに傾いた。
巨大な身体が地面へ伏した。
翼が開く。
ウンディーネの水が片翼へ絡み、地面側へ引く。
メイが翼の付け根周辺の水だけを凍らせる。
反対側ではベルが、古龍を浮かせようとする風を乱していた。
キリコの魔力壁が、起き上がろうとする方向へ何枚も出る。
シルクが動いた肩へもう一度蹴りを入れた。
俺は金剛棒の位置を維持する。
天空古龍が本気で力を込めた。
氷が割れ始める。
キリコの壁にも亀裂が走る。
ウンディーネの水が大きく引き伸ばされる。
ウンディーネ一人の力では、到底押さえ切れない。
それでもメイの氷があり、ベルが風を崩し、キリコが起き上がる方向を塞ぎ、シルクが体勢を戻させない。
俺も金剛棒を動かさない。
六人分の力が一つの場所へ重なって、ようやく古龍の巨体を地面へ留めていた。
数秒。
たったそれだけだ。
だが、空を自由に飛んでいた天空古龍を、六人で地面へ押さえ込んでいる。
古龍の首は無防備だった。
頭へ金剛棒を振り下ろすこともできる。
目や喉を狙うこともできる。
誰もしなかった。
俺たちの目的は、殺すことではない。
やがて古龍の身体から力が抜けた。
俺もそれを感じる。
「……まだ続けますか?」
少しの沈黙があった。
「……いや」
天空古龍の低い声が響く。
「我の負けだ」
俺は金剛棒の重量を戻し、ゆっくり引き抜いた。
ウンディーネとメイも拘束を解く。
キリコが壁を消し、ベルとシルクも距離を取った。
天空古龍はゆっくり身体を起こした。
大きく翼を開き、残っていた氷と水を払う。
しばらく俺たち六人を順番に見ていた。
ウンディーネ。
メイ。
シルク。
ベル。
キリコ。
最後に俺を見る。
「……聞いておらんぞ」
「え?」
何の話か分からない。
天空古龍は少し間を置いた。
「我はここを守れと頼まれただけなのだ」
話を聞くと、天空古龍は遥か昔、この神造迷宮を造った神格を持つ存在から直接頼まれたらしい。
第八十階層へ到達した者を試し、先へ進む資格があるかを見極める。
それが天空古龍の役目だった。
「力を見せた者を通せばよいと聞いていた。水の大精霊がいるだけでも十分に異例だというのに、神獣、聖獣、古き妖精。それに妙な魔力を持つ者まで揃って来るとは聞いておらん」
天空古龍の視線がウンディーネへ向く。
「まして、大精霊であるそなたまで他の者と力を合わせ、我を地へ伏せるとはな」
ウンディーネは、いつものように軽く返すことはしなかった。
少しだけ居住まいを正し、天空古龍を見る。
『……わたし一人じゃ、あなたには勝てなかったよ』
天空古龍はしばらくウンディーネを見たあと、静かに頷いた。
「であろうな。だが、そなたらは一人ずつ戦ったのではない」
その視線が六人を順に通り、また俺へ戻る。
「……そして、お前が一番分からん」
「俺ですか?」
「こんな六人が一緒に来るなど、一言も聞いておらんぞ」
俺も少し呼吸を整える。
迷宮の造物主と直接会ったことがある。
それなら、一つ聞きたいことがあった。
「少し聞いてもいいですか?」
「何だ」
「この迷宮の入口についてです」
俺は中央大峡谷の谷底で起きたことを話した。
調査地図には何もない岩壁だったこと。
俺だけが妙に気になったこと。
近づいた時、突然入口が現れたこと。
依頼の指示どおり入らず帰ろうとしたのに、六人まとめて転移させられたこと。
天空古龍は黙って聞いていた。
「それなら、おそらく迷宮が開いた道だ」
「迷宮が?」
「神造迷宮には、外界へ固定された入口などない」
思わず聞き返しそうになった。
天空古龍はそのまま続ける。
「この迷宮そのものは、そなたらの世界から切り離された空間にある。山の中にも、峡谷の底にも、どこかの国の地下にも存在せぬ」
第132話で【鑑定】した結果とも合っている。
神格の力によって作られた独立空間。
「では、あの入口は何だったんですか?」
「条件を満たした者が世界のどこかへ現れた時、迷宮がその者へ届くため、一時的に道を作ることがある。それが入口として見えただけだ」
大峡谷に神造迷宮があったわけではない。
俺たちがあそこにいたから、あそこへ入口が現れた。
もし別の国にいた時に同じ条件を満たしていたなら、まったく違う場所へ入口が出ていた可能性もあるらしい。
役目を終えた入口は残らない。
それなら、地図に記録がなかったのも当然だ。
「何を基準に選ばれるんですか?」
天空古龍はすぐに答えた。
「知らん」
はっきりしていた。
「それを決めたのは我ではない。力なのか、資質なのか、何を求めているかまで見ているのか、それすら知らぬ。我が知っているのは、条件を満たした者へ迷宮が道を開くことだけだ」
俺は黙って考える。
あの岩壁を通り過ぎた時。
危険を感じた【直感】とは違った。
ただ、このまま通り過ぎるのが妙に気になった。
そして遺跡では、理由も分からないまま正しい道や仕掛けを選び続けた。
(……【探求者】か?)
未知を探求する行動への補正。
未知や希少なものを引き寄せる性質。
関係があってもおかしくはない。
だが、今の話だけでは何も確定しない。
俺の【探求者】が迷宮を引き寄せたのか。
迷宮が俺を選び、それを【探求者】が感じ取ったのか。
両方なのか。
それとも別の理由なのか。
天空古龍にも分からない。
「もう一ついいですか?」
「言え」
「仮に入口が俺へ向けて開いたなら、どうしてみんなも一緒に転移したんでしょう」
古龍は少し六人を見る。
「入口が開いた時、お前たちは共に挑む者としてそこにいたのであろう」
「はい」
「ならば、迷宮がお前一人ではなく、共に行動する者まで一つの挑戦者の集まりとして扱った可能性はある」
六人まとめて。
そこで、一つ思い出した。
氷河の奥にあった石室。
宝箱に入っていた氷雪の護符は、ちょうど六個だった。
「途中で、俺たちの人数と同じ六個の護符を見つけました。それも迷宮が人数を分かっていたからでしょうか?」
天空古龍は首を横へ振った。
「知らん。それは我の階層ではない」
やはり、そこまで分かるわけではないらしい。
「最深部に何があるかも?」
「知らぬ」
天空古龍は俺を見る。
「我は八十階層を任されただけだ」
造物主が何を考えているのか。
なぜこの迷宮を作ったのか。
最深部まで来た者に何をさせたいのか。
天空古龍にも分からない。
分かったことは一つだけだ。
大峡谷の岩壁に入口が現れたことは、完全な偶然ではなかった可能性が高い。
天空古龍が広場の奥へ顔を向ける。
「通れ」
その言葉と同時に、並んでいた古い石柱の間へ光が走った。
地面が低く震え、その奥に新しい道が開いていく。
「お前たちならば、我が止める理由はない」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
天空古龍はもう止めなかった。
ただ、俺たちもすぐには先へ進まない。
古龍との戦いで六人ともかなり消耗している。
開いた道の先にあった休息できそうな場所まで移動し、安全を確認して腰を下ろした。
第八十一階層へ続く道は見えている。
だが、今は進む気にならなかった。
身体は重い。
キリコも座ったまま腕を休め、ベルは低い位置で羽を休ませている。
メイとシルクも近くへ伏せ、ウンディーネも静かに座った。
俺は背中を壁へ預ける。
神造迷宮には、決まった入口がない。
条件を満たした者へ、迷宮の方から道を開く。
そこまでは分かった。
それでも、一番知りたいことだけは残っている。
なぜ、俺だったのか。
答えはまだ、第八十一階層より先にあるらしかった。




