第135話 砂嵐の岩陰と、緩火炭で炊く岩角山羊のビリヤニ
第三十一階層へ続く通路を抜けた途端、乾いた風が顔へ吹き付けてきた。
目の前には赤茶色の大地が広がり、遠くには巨大な岩柱が何本もそびえ立っている。
「おお……これはまた、すごい景色だ」
さっきまで湖のほとりにいたせいか、空気の違いが余計にはっきり感じられた。
メイも鼻先を上げ、風に混じる砂の匂いを確かめている。
俺の頭の上では、シルクが長い耳を揺らしていた。
「見て、あんなところにも岩がある!」
ベルが指差した先には、二本の岩柱を繋ぐように大きな石橋が架かっていた。
人工物には見えない。
風や雨で長い年月を掛けて削られたような形だが、ここは神造迷宮だ。
自然にできたものと同じなのかどうかは分からない。
「上から見たら、もっとすごそうだね」
キリコも興味深そうに周囲を見回している。
あちこちに崖や岩場があるので、今まで以上に足元へ気をつける必要がありそうだ。
「まずは進めそうな道を探そうか」
俺たちは赤い大地へ足を踏み出した。
しばらく歩くと、地面は細かな砂から硬い岩盤へ変わり、岩柱の間に細い道が続いていた。
ところどころ風が強く吹き抜けるが、ベルが流れを見てくれるので助かる。
第三十二階層へ入ったところで、メイが立ち止まった。
「ワフッ」
少し高い岩場を見上げている。
視線を追うと、岩の上に一頭の魔物がいた。
赤茶色の毛並みに、後方へ大きく湾曲した二本の角。
がっしりした四肢を持ち、急な岩場にも平然と立っている。
【鑑定】する。
【岩角山羊】
詳細:神造迷宮の岩山・荒野区画に生息する山羊型魔物。硬質な岩のような角と強靭な脚を持ち、険しい岩場や急斜面を自在に移動する。外敵には角を使った突進や岩場を利用した跳躍攻撃を行う。肉は食用可能で、赤身の旨味が強く、適度な脂を持つ。腿や肩は筋肉が発達しているため、煮込み料理にも適する。
「山羊肉か。いいね」
岩角山羊はこちらへ気づくと、岩場を蹴って勢いよく跳んできた。
メイが素早く横へ回り込み、相手の注意を引く。
岩角山羊が着地した瞬間、シルクが横から飛び込んだ。
強い蹴りが肩へ入り、体勢が僅かに崩れる。
そこへ俺が踏み込み、金剛棒で頭部を打った。
岩角山羊はそのまま倒れた。
「よし、ありがとう」
二匹を撫でてから、必要な処理を済ませてアイテムボックスへ収納する。
赤身の旨味が強い肉なら、ローストや煮込みにも向いていそうだ。
まずは先へ進み、落ち着ける場所で料理を考えよう。
その後も何頭か岩角山羊を見かけたが、必要な分だけ確保して探索を続けた。
第三十四階層では、岩柱の間に天然の石橋が架かっている場所へ出た。
橋の下はかなり深く、底まで見通せない。
「ここを渡るのか……」
俺は金剛棒で足元を確かめた。
橋の中央は十分な厚さがありそうだが、端には細かな亀裂が入っている。
「真ん中を歩こう。風が強くなったら一度止まるよ」
メイが慎重に足を運び、俺もその後を進む。
途中で横風が強まったが、ベルが風の流れを整えてくれた。
キリコも万一に備えて魔力壁を準備している。
シルクは俺の頭の上から岩場を見つめていたが、橋を渡り終えると軽く耳を動かした。
「無事に渡れたね」
ベルの声に頷き、少し広い岩陰で休憩を取る。
この区画は足場の変化が大きい。
慎重に進んだ方がよさそうだ。
そして第三十五階層。
赤い岩山の間を歩いていると、突然、遠くの景色が霞み始めた。
最初は薄い砂埃かと思ったが、風が次第に強くなる。
メイが足を止め、低く唸った。
「グルル……」
頭の上のシルクも耳を伏せる。
「……まずい」
地平線の向こうから、大量の砂が迫ってきていた。
「砂嵐だ!」
ベルがすぐに風魔法を使い、俺たちの周囲へ砂が直接当たらないよう流れを変える。
だが、舞い上がっている砂の量が多い。
このまま歩き続けるのは危険だ。
俺は周囲を見回し、少し先に大きな岩が重なっている場所を見つけた。
「あそこへ避難しよう!」
全員で岩陰へ向かう。
メイが先に入り、安全を確認してから俺たちも続いた。
ベルが入口側の風を逸らし、キリコが魔力壁を展開する。
砂の直撃を避けられたところで、ようやく一息ついた。
「みんな、大丈夫?」
全員から返事があり、メイとシルクも怪我はなさそうだった。
「随分急に来たね」
「この風じゃ、外へ出るのは危ないな」
砂嵐が収まるまで、ここで待つしかない。
そう考えて岩陰の奥を見た時、少し不自然なものが目に入った。
岩壁の一部だけ、妙に平らなのだ。
近づいてみると、砂に半分埋まった石の縁が見える。
「ん? 何かある」
砂を払ってみると、岩壁へ埋め込まれた扉のようなものが現れた。
周囲を確認し、慎重に開いてみる。
中には小さな石造りの部屋があった。
壁際には炉の跡があり、石の作業台や、何かを砕いたり成形したりするための道具に似たものが残っている。
「ここ、何か作ってた場所なのかな」
キリコが部屋を見回す。
「そうみたいだね」
随分古そうだが、ただの洞窟ではなさそうだ。
奥へ進むと、石台の上に小さな宝箱が置かれていた。
危険な仕掛けがないか確かめてから蓋を開ける。
中には、黒っぽい炭のような塊が十数個入っていた。
表面には赤い筋が走り、普通の木炭とは少し違って見える。
【鑑定】する。
【緩火炭】
詳細:魔力を含む特殊な炭状の調理用燃料。着火すると長時間にわたって穏やかに燃焼し、安定した熾火を維持する。急激な火力変化が少ないため、蒸し焼きや長時間の煮込み、密閉鍋を用いる料理などに適する。燃料としての量には限りがあり、使用した分は通常の炭と同様に燃え尽きる。
「おお……これは面白い」
長時間、安定した熾火を維持できる炭らしい。
普通の炭でも火加減は調整できるが、これなら途中で火力が大きく変わりにくい。
じっくり蒸し焼きにする料理には、かなり使いやすそうだ。
「また料理に使えるもの?」
ベルが箱を覗き込む。
「うん。ゆっくり燃える特別な炭みたいだよ」
使えば減る燃料なので、大切に使った方がいいだろう。
緩火炭を収納し、加工施設の中を一通り確認する。
ほかに持ち帰る必要のあるものは見つからなかった。
砂嵐が収まるまで室内で休み、外が落ち着いてから探索を再開した。
思いがけない避難だったが、面白いものを見つけられた。
(岩角山羊の肉と、この炭か……)
ちょうど作ってみたい料理が一つ浮かんだ。
第三十六階層からは、風が複雑に吹き抜ける谷が続いた。
岩場の陰では穏やかなのに、少し先へ進むと急に横風が強まることもある。
ベルは風の動きを確かめながら進み、必要な時には俺たちの周囲へ穏やかな空気の流れを作ってくれた。
メイも崩れやすい足場を避け、シルクは頭の上から周囲を警戒している。
岩陰で休憩を取りながら進み、やがて第四十階層へ到達した。
広い岩場の中央には、人型の巨大な岩の塊が立っていた。
身体の表面には風で刻まれたような模様が走り、周囲では砂が渦を巻いている。
俺たちが近づくと、その岩がゆっくり動き始めた。
【鑑定】する。
【風刻岩兵】
詳細:神造迷宮の岩山・荒野区画深部に配置された大型の岩石型魔物。硬質な岩の身体を持ち、周囲の風と砂を操って外敵を迎撃する。強力な風圧や砂を含む刃状の気流を放つほか、岩の身体による直接攻撃も行う。内部の魔力中枢を破壊されると活動を停止する。
風刻岩兵が腕を振ると、砂を含んだ強烈な風がこちらへ押し寄せた。
「ベル、お願い!」
「任せて!」
ベルが両手を向ける。
迫ってきた風が途中で大きく曲がり、俺たちの左右へ分かれていった。
さらに岩兵が風の刃を放つが、ベルはその流れを捻り、空中で散らしてしまう。
どうやら、相手の風魔法よりベルの制御の方がずっと上らしい。
「今なら近づけるわ!」
ベルの声に合わせ、メイとシルクが左右へ回り込んだ。
メイが岩兵の足元を局所的に凍らせ、シルクが反対側から強い蹴りを入れる。
巨体が僅かに傾いた。
キリコも魔力壁を出し、振り下ろされた岩の腕を受け止める。
その隙に俺が踏み込み、金剛棒を胸部へ叩き込んだ。
岩の表面に亀裂が走る。
続けてもう一撃。
内部の魔力中枢が砕け、風刻岩兵の巨体が崩れ落ちた。
周囲を吹き荒れていた風も、ゆっくり収まっていく。
「よし、終わった」
全員の無事を確認してから、奥に現れた通路へ進む。
その先には、平らな地面と水場のある小広間があった。
周囲の安全を確認し、魔導携帯テントと調理設備を展開する。
「さて、今日はちょっと作ってみたい料理があるんだ」
アイテムボックスから岩角山羊の肉を取り出した。
最初はローストも考えたが、せっかく緩火炭を手に入れた。
じっくり火を通す料理に使ってみよう。
「今日はビリヤニにしようと思う」
「びりやに?」
キリコが首を傾げる。
「肉と香辛料を使った炊き込みご飯みたいな料理だよ。今回は密閉した鍋を炭火で温めて仕上げるんだ」
まず岩角山羊の腿肉と肩肉を取り出し、筋や余分な脂を確認する。
赤身がしっかりしているので、小さく切りすぎず、食べ応えの残る大きさへ揃えた。
下味には手持ちのヨーグルト、赤塩、南方柑橘の果汁を使う。
さらにクグの実、涼香草の種、黄金香根、翠芳莢、クローブに似た香辛料、少量のピリ石を合わせた。
香辛料はそれぞれの香りが強くなりすぎないよう調整し、肉全体へ丁寧に揉み込む。
ヨーグルトが肉へ絡み、香辛料の色が全体へ馴染んだところで、アイテムボックスの低温時間進行区画へ入れる。
肉に下味を馴染ませる間に、大玉葱を薄切りにして発酵バターと少量の油で炒めた。
最初は水分が多いが、徐々に色が変わり、甘い香りが立ってくる。
さらに火を入れ、濃いきつね色になったところで取り出す。
焦がさず、香ばしさを残すのが大切だ。
次はイル・ソーレで買ったインディカ米。
軽く洗って吸水させておいた米を、赤塩と香辛料を加えた湯で下茹でする。
完全には炊き上げず、中心に少し硬さが残るところで湯を切った。
最後に肉と一緒に蒸し上げるためだ。
厚手の黒剛鉄鍋へ発酵バターを少量入れ、下味を付けた岩角山羊を炒める。
肉の表面へ焼き色が付き、香辛料とヨーグルトの香りが立ってきたところで、少量の水を加えて煮る。
肩肉の筋が少し柔らかくなり、肉へ火が入り始めたところで一度止めた。
ここからは米と重ねて仕上げる。
肉と煮汁の上へ下茹でした米を広げ、炒めた大玉葱を散らす。
さらに米を重ね、残しておいた香辛料と少量の発酵バターを加えた。
混ぜ込まず、肉と米を層にする。
鍋の縁には小麦粉と水で練った生地を細長く伸ばして貼り付け、蓋をしっかり閉じた。
蒸気と香りを中へ閉じ込めるためだ。
そして、緩火炭を取り出す。
今回はまず二個使ってみることにした。
通常の炭で火床を作り、緩火炭へ着火する。
表面の赤い筋が淡く光り、やがて穏やかな熾火になった。
「なるほど、こういう燃え方か」
急に火が大きくなることもなく、安定した熱が続いている。
鍋を据え、底へ熱が均一に届くよう位置を調整した。
『絶対温度領域』で鍋底や内部の温度を確認しながら、炭の配置と空気の流れを整える。
緩火炭そのものが勝手に料理を仕上げてくれるわけではないが、こうして穏やかな熱が続くのは使いやすい。
しばらくすると、密閉した鍋の縁から微かに香辛料の香りが漂い始めた。
肉と米が一緒に蒸し上がる、いい匂いだ。
火を止めてからもすぐには蓋を開けず、余熱で十分に蒸らす。
やがて蓋の縁の生地を外すと、中から白い蒸気がふわっと立ち上った。
「おお……」
米の間から、香辛料と肉の香りが一気に広がる。
下の肉は柔らかく仕上がり、米も粒の形を保ったままふっくらしていた。
鍋の底には少し香ばしい部分もできている。
試しに肉を一つ取り出して切ると、中心までしっかり火が通り、肉汁も適度に残っていた。
「よし、これなら大丈夫」
鍋の底から大きく掬い、肉と米を崩しすぎないように盛り付ける。
場所によって白っぽい米と香辛料の色が移った米が混ざり、なかなか美味しそうな仕上がりになった。
「岩角山羊の炭火密閉鍋ビリヤニ、完成」
メイとシルクにも同じ料理を取り分け、肉の大きさと温度だけ調整する。
全員分を用意し、食事を始めた。
俺はまず、香辛料をまとった米を一口。
ほろりとほどける米粒から、複数の香りがふわっと広がった。
大玉葱の甘味と発酵バターのコクもあり、後から少しだけ辛味が追いかけてくる。
米の粒同士はべたつかず、それでいて肉の煮汁を吸った部分にはしっかり旨味が入っていた。
続いて岩角山羊の肉を食べる。
しっかりした赤身の旨味があり、噛むほど肉の味が広がった。
ヨーグルトと香辛料で下味を付け、じっくり火を通したおかげで、筋の多い部分も食べやすくなっている。
肉と米を一緒に口へ運ぶと、米へ移った肉汁と香辛料の香りが上手くまとまっていた。
「うん、これは美味しい」
今度は鍋底の香ばしい部分を少し取る。
軽く焼き締まった米に肉の旨味が染み込み、普通の部分とはまた違う食感だ。
これはこれでいい。
キリコも大きめの肉を一口食べ、ゆっくり噛んでいる。
「お肉の味がしっかりしてるね。それに、ご飯もいい匂い」
ベルも米を食べ進めながら頷いた。
「いろんな味がするけど、ちゃんと合ってる」
メイは肉と米を一緒に食べ、嬉しそうに尻尾を振っていた。
シルクも小さく切った肉を食べ終えると、今度は香りの付いた米へ鼻先を寄せる。
「キュイッ」
どうやら気に入ったらしい。
ウンディーネも静かに食べ進め、皿が空になるともう少し欲しそうにこちらを見た。
「おかわり、あるよ」
追加を取り分けながら、俺ももう一口食べる。
同じ岩角山羊でも、普通にローストするのとは全く違った美味しさだ。
今回手に入れた緩火炭も、期待通りの働きをしてくれた。
使用した二個は燃え尽きたが、残りはまだある。
これからも火加減が重要な料理に使えそうだ。
食事を終え、調理器具を洗浄して片付ける。
火床に残っていた緩火炭は、すっかり灰になっていた。
使用した二個は燃え尽きたが、残りはまだあるので、未使用のものをまとめてアイテムボックスへ収納する。
「この炭、便利だったね」
キリコが片付け終わった鍋を見ながら言った。
「うん。長時間、安定した火を使いたい料理にはぴったりだよ。また別の料理でも試してみたい」
砂嵐を避けるために入った岩陰で、まさかこんなものを見つけるとは思わなかった。
あの加工施設を調べていなければ、今日も岩角山羊はローストにしていたかもしれない。
それはそれで美味しいだろうが、香辛料と肉の旨味をたっぷり吸った米も、なかなか捨てがたい。
「ごちそうさま。あのご飯、また食べたいな」
キリコが満足そうに椅子へ背中を預ける。
「機会があれば、また作ろう」
ベルもお茶を飲みながら、嬉しそうに頷いていた。
メイは食べ終わった皿の前で満足そうに伏せ、シルクもいつの間にか寝具の上で丸くなっている。
俺も椅子へ腰を下ろし、温かいお茶を一口飲んだ。
外ではあれほど激しい砂嵐が吹いていたのに、今は風の音も聞こえない。
新しい道具を見つけ、それを使って初めての料理を作り、みんなで美味しく食べられた。
なかなか充実した探索だった。
ふとテーブルを見ると、ビリヤニを盛り付けた大皿は綺麗に空になっている。
その様子に少し嬉しくなり、俺も残っていたお茶をゆっくり飲み干した。




