第133話 花蜜の大樹と、蜜羽雉の香ばしいロースト
第十一階層へ足を踏み入れた瞬間、俺は思わず立ち止まった。
「……森?」
目の前には背の高い木々が広がり、頭上には青空が見えていた。
葉の隙間から柔らかな日差しが降り注ぎ、風に乗って草木の匂いが漂ってくる。
ついさっきまで薄暗い洞窟にいたとは思えない。
「本当に外へ出たみたいね」
ベルが少し高く飛び、周囲を見渡している。
キリコも空を見上げていた。
メイは鼻先を上げて森の匂いを確かめ、頭の上のシルクも長い耳を動かしている。
「十階層ごとに環境が変わるのかもしれないね」
ここも神造迷宮の一部だが、地面には柔らかな土があり、木々も本物と変わらない。
未知の魔物がいる可能性もあるので、周囲へ注意しながら進むことにした。
森の中には細い道が続いていた。
太い根や倒木で塞がれている場所もあるが、少し回り込めば先へ進める。
自然の森に見えて、どこか整いすぎているところもあった。
第十二階層へ入ったところで、メイが急に足を止める。
「ワフッ」
少し先の茂みへ顔を向け、身体を低くした。
シルクの耳も同じ方向へ立つ。
直後、大きな羽音とともに、茂みから一羽の鳥が飛び出してきた。
雉によく似ているが、普通の雉よりかなり大きい。
深い緑色の身体に、花びらのような模様が入った長い尾羽。
翼には淡い黄色が混じり、太い脚で地面を踏みしめていた。
「綺麗な鳥だね」
キリコが小さく呟く。
確かに綺麗だが、こちらを向いた嘴は鋭い。
まずは【鑑定】する。
【蜜羽雉】
詳細:神造迷宮の森林区画に生息する大型の鳥型魔物。花蜜や果実、小型の虫などを食べ、花を思わせる色彩の羽を持つ。発達した脚と鋭い嘴で外敵へ攻撃する。肉は食用可能で、特に胸肉はきめ細かく、腿肉には適度な脂と弾力がある。皮の下にも良質な脂を蓄え、加熱すると穏やかな甘味と芳香が引き立つ。
「おっ、食べられる」
「今度は鳥肉?」
ベルがこちらを見る。
「うん。なかなか美味しそうだよ」
その直後、蜜羽雉が地面を蹴った。
鋭い嘴がこちらへ突き出されるが、メイが横から走り込み、相手の注意を逸らす。
蜜羽雉がメイへ向き直った。
「ワフッ!」
メイが軽く横へ跳んだ瞬間、俺も踏み込む。
金剛棒を短く振り、頭部へ一撃。
蜜羽雉はそのまま倒れた。
動かなくなったことを確認し、アイテムボックスへ収納する。
その後も何羽か見かけたので、必要な分だけ確保しておいた。
食材集めも楽しいが、まずは安全に階層を進むことが優先だ。
第十三階層では小さな沢を見つけ、流れに沿って進んだ。
ウンディーネが水の状態を確認し、ベルは少し高い位置から先の道を見る。
メイも匂いを探りながら歩き、シルクは俺の頭の上で周囲へ耳を向けていた。
適当なところで休憩を取り、手持ちの料理で腹ごしらえをしてから探索を再開する。
そして第十四階層。
森の中に、周囲の木々より遥かに大きな一本の樹が見えてきた。
太い幹から伸びた枝が広く空を覆い、その先には淡い色の花が無数に咲いている。
近づくにつれて、甘い香りが強くなった。
「何だろう、あれ」
キリコが樹を見上げる。
その時、頬へ小さな雫が落ちた。
雨かと思ったが、空は晴れている。
見上げると、花の間から透明な雫がぽつぽつと降っていた。
ベルが掌を差し出す。
「甘い匂いがする」
【鑑定】してみると、花から分泌された蜜が雫となって落ちているらしい。
「花蜜の雨か……」
樹の下には小さな虫や鳥が集まり、地面へ落ちた蜜を舐めている。
メイも興味深そうに鼻を動かし、シルクは俺の肩から樹を見上げていた。
せっかくなので、少し近くまで行ってみる。
幹の根元には、落ちてきた蜜が細い流れを作っていた。
ほとんどは土へ染み込んでいるが、一か所だけ、太い根の下へ流れ込んでいる。
(ん?)
気になって近づく。
根の間には枯れ葉が溜まり、地面が見えにくくなっていた。
軽く払ってみると、その下から石の縁が現れた。
「ここ、何かあるな」
ベルとキリコも近づいてくる。
さらに土を取り除くと、石の縁が四角く続いていることが分かった。
自然の岩にしては形が整いすぎている。
周囲を確認してから、金剛棒の先で石板の端を軽く押してみた。
ゴトッ。
低い音とともに石板が動き、根の奥に小さな空間が現れた。
「……隠し部屋?」
キリコが目を丸くする。
「本当にあったね」
中へ入る前に、メイとシルクも周囲を確認する。
魔物の気配はなさそうだ。
奥には、金具で補強された木製の箱が一つ置かれていた。
「宝箱か……」
まさかこんなものまであるとは思わなかった。
危険な仕掛けがないか慎重に確認してから、蓋を開ける。
中には淡い琥珀色の結晶がいくつも収められていた。
透き通った内部には花びらのような模様があり、ほんのり甘い香りも漂っている。
【鑑定】する。
【花蜜晶】
詳細:複数の花蜜が魔力の影響を受け、長い時間をかけて結晶化した天然素材。上品な甘味と華やかな花の香りを持ち、食用に適する。細かく砕くか温めた液体へ加えることで溶けやすくなり、飲料、菓子、果実のソースなどへ利用できる。乾燥した状態では保存性が高い。
「……甘味料だ」
「宝箱の中に食べ物?」
「うん。花の蜜が結晶になったものらしい」
一つ取り出して香りを確かめる。
蜂蜜にも似ているが、それより花の香りがはっきりしている。
果実のソースに使ったら面白そうだ。
花蜜晶を収納し、部屋の中を一通り確認してから外へ戻る。
振り返ると、巨大樹からは相変わらず花蜜の雨が降っていた。
あの不思議な景色に興味を持たなければ、根元まで調べることもなかっただろう。
まだ知らないものが、あちこちに隠れていそうだ。
第十五階層からは、さらに植物の種類が増えてきた。
水辺には果実を付けた低木もあり、鑑定すると食べられるものがいくつか見つかった。
甘味の強いものと、軽い酸味を持つもの。
傷んでいない実だけを選び、必要な分を採取する。
(これなら蜜羽雉のソースにも使えそうだ)
花蜜晶も手に入ったので、材料は揃った。
その後も無理のない範囲で探索を続けた。
途中で魔導携帯テントを展開して休み、食事や睡眠もしっかり取る。
メイは休む前に周囲を確認し、シルクも俺の近くで耳を動かしていた。
第十九階層を抜ける頃には、足元へ太い根が張り出す場所が増えていた。
そして第二十階層。
目の前には、これまでより開けた大きな広場があった。
中央に立っているのは巨大な樹木。
だが、普通の木ではない。
幹のあちこちから鋭い棘が突き出し、地面には太い根が何本も伸びていた。
俺たちが広場へ入ると、その根がゆっくり動き始める。
【鑑定】する。
【棘根樹】
詳細:神造迷宮の森林区画深部に生息する大型の樹木型魔物。太い根を自在に動かして地中や地表から攻撃し、幹や枝に生えた硬い棘で外敵を退ける。根を広範囲へ張り巡らせて周囲の動きを感知する性質を持ち、幹の内部にある魔力中枢を破壊されると活動を停止する。
「根に気をつけて!」
俺が言うのとほぼ同時に、足元の土が盛り上がった。
メイが横へ跳び、伸びてきた根の一部を氷の魔力で凍らせる。
そこへシルクが跳び込み、強烈な蹴りで凍った部分を砕いた。
頭上からは棘の付いた枝が振り下ろされる。
キリコが魔力壁を出し、その攻撃を受け止めた。
俺は二匹が作ってくれた隙へ踏み込む。
「フトシ、右上!」
ベルの声に合わせて一歩退く。
枝が目の前を通り過ぎたところへウンディーネの水が伸び、根の動きを押さえた。
幹の正面が開く。
「よし!」
金剛棒を構え、魔力の集まっている部分へ打ち込む。
硬い樹皮を砕き、続けてもう一撃。
幹の内部で硬いものが砕ける感触があり、棘根樹の巨体が大きく揺れた。
周囲の根が一斉に動きを止め、枝もゆっくり垂れ下がっていく。
しばらく様子を見たが、もう動く気配はない。
「終わったか」
メイが幹へ近づき、匂いを確認する。
シルクも俺の頭へ戻ってきた。
「二匹ともありがとう」
順番に撫でてから、全員に怪我がないことを確認する。
広場の奥では木々の間が開き、その先へ通路が現れていた。
慎重に進むと、平らな地面と澄んだ水場のある小広間へ出た。
第十階層を突破した時とよく似ている。
ウンディーネにも周囲を確認してもらい、安全だと分かったところで休むことにした。
魔導携帯テントを展開し、テーブルと調理設備も取り出す。
そして、ようやく今日の楽しみだ。
アイテムボックスから蜜羽雉を取り出した。
「今日はこれを焼こう」
ベルが作業台を覗き込む。
「どんな料理にするの?」
「皮をパリッと焼いたローストにしようと思う。森で採った果実もあるし、花蜜晶でソースを作ってみるよ」
初めて食べる肉なので、あまり複雑な味付けにはしない。
まずは解体した蜜羽雉の胸肉と腿肉を確認する。
胸肉はきめ細かく、指で押すと適度な弾力がある。
腿肉は筋肉がしっかりしているが、皮の下には綺麗な脂が付いていた。
どちらも皮を活かして焼くのがよさそうだ。
表面の水分を丁寧に拭き取り、赤塩を薄く振る。
そのまま少し置いて馴染ませてから、もう一度皮目の水分を拭き取った。
皮をパリッと仕上げたいので、ここは手を抜かない。
フライパンを温め、皮目から肉を置く。
ジュウッ。
最初は穏やかな音だったが、熱が入るにつれて細かな泡が増えてきた。
皮の下の脂がゆっくり溶け出し、フライパンの底へ広がっていく。
皮が丸まらないよう軽く押さえ、出てきた脂を時々取り除きながら焼き色を付ける。
急いで火を強くすると、皮だけ焦げて脂が残ってしまう。
今は皮の状態を見ながら、じっくり焼いていく。
しばらくすると、表面が黄金色へ変わってきた。
端を少し持ち上げると、皮は薄く締まり、余分な脂もかなり抜けている。
「よし、いい感じ」
裏返して肉側にも軽く焼き色を付け、その後は魔導パン窯へ移す。
胸肉と腿肉では厚さも脂の量も違うので、同じ時間では仕上げない。
『絶対温度領域』で中心温度を確認しながら、胸肉は水分を逃がしすぎないように、腿肉は筋肉の硬さが和らぐところまで火を入れる。
焼き上がったものから取り出し、温かい場所で休ませた。
肉を休ませている間に、ソースを作る。
まず、森で採取した果実を取り出した。
甘味の強い果実と、少し酸味のある果実を合わせ、果肉を粗く潰して小鍋へ入れる。
全部を滑らかにするのではなく、少し果肉を残しておく。
そこへ少量の水を加え、弱火で温めた。
果実が柔らかくなるにつれて、甘酸っぱい香りが広がってくる。
木べらでゆっくり混ぜながら煮詰め、果肉が自然に崩れてきたところで一度味を見る。
酸味はしっかりあるが、甘味が少し足りない。
そこで、花蜜晶を取り出した。
細かく砕いた結晶を少量加え、溶けるまで静かに混ぜる。
すると、果実の酸味へ花蜜の甘さが加わり、香りも一段と華やかになった。
ただ、甘くしすぎると肉の味を隠してしまう。
花蜜晶は少しずつ加え、果実の酸味がきちんと残るところで止めた。
さらに、肉を焼いた時に出た旨味のある肉汁を少量加える。
果実の香りと肉の旨味が馴染み、ソースに少し深みが出た。
焦げた脂は使わず、肉の旨味だけを合わせる。
軽く煮詰めてから火を止め、最後に花蜜晶をほんの少しだけ溶かした。
こちらは香りを残すためだ。
味を確かめる。
最初に果実の甘酸っぱさが来て、その後から花の香りが抜ける。
肉へ添えても負けない、いいソースになった。
「おっ、悪くない」
休ませていた蜜羽雉へ包丁を入れる。
パリッ。
薄く焼けた皮が軽い音を立て、その下にはしっとりした肉が見えた。
胸肉は綺麗な断面で、切った時にも余分な肉汁が流れ出てこない。
腿肉も程よく柔らかく仕上がっている。
厚めに切り分けて皿へ盛り、果実と花蜜晶のソースを横へ添えた。
皮へ直接掛けると、せっかくのパリパリ感が失われるので、食べる時に付けられるようにしておく。
メイとシルクにも同じ完成料理を用意し、骨を外して食べやすい大きさへ切った。
味付けは俺たちと同じだ。
「できたよ」
みんながテーブルへ集まる。
キリコはまず、ソースを付けずに皮付きの胸肉を一口食べた。
パリッと小さな音がする。
「……皮がすごい」
そのままゆっくり噛み、少し嬉しそうに笑った。
「中は柔らかい。これ、美味しい」
俺も一切れ取る。
最初に香ばしい皮が軽く砕け、その内側からしっとりした肉の旨味が広がった。
胸肉はきめ細かく、噛むほど穏やかな甘味が出てくる。
淡白すぎず、かといって脂っこくもない。
次はソースを少し付けてみる。
果実の爽やかな酸味が皮の脂を軽くし、花蜜晶の甘味が肉の旨味を引き立てた。
後から鼻へ抜ける花の香りも心地いい。
「うん、これは合う」
ベルもソースを付けた一切れを食べる。
「この甘酸っぱいの、お肉に合うね」
『お花の匂いもする』
ウンディーネも気に入ったようで、静かに食べ進めている。
続いて腿肉も食べてみた。
胸肉よりしっかりした弾力があり、噛むほど濃い旨味が出る。
皮の脂も少し多いが、果実の酸味があるので重くならない。
同じ一羽でも、部位によって随分違うものだ。
メイは皮付きの腿肉を嬉しそうに食べていた。
一切れ食べ終えるたびに尻尾が揺れ、皿の中の次の肉へ鼻先を寄せる。
シルクは小さく切った胸肉を前足で押さえ、ゆっくり齧っている。
今度はソースの付いた一切れを食べ、顔を上げた。
「そっちも気に入った?」
「キュイッ」
まだ皿に残っている肉を見ている。
「もう少し食べる?」
追加で取り分けると、すぐに食べ始めた。
メイもこちらを見上げていたので、同じように追加する。
どうやら二匹とも、蜜羽雉はかなり気に入ったらしい。
俺ももう一切れ、ソースを絡めて口へ運ぶ。
洞窟で食べた岩殻蟹も美味しかったが、今回の蜜羽雉はまた違う良さがある。
それに、隠し部屋で見つけた花蜜晶が、こんな形で料理に使えるとは思わなかった。
食事を終え、調理器具を洗浄して片付ける。
残しておいた花蜜晶も、使いやすいよう小分けにしてアイテムボックスへ収納した。
まだ十分残っている。
果実のソースだけでなく、菓子や飲み物にも使えそうだ。
(隠し部屋か……)
あの巨大樹に興味を持ち、根元まで調べなければ宝箱も見つけられなかった。
今回は食材だったが、ほかにも何か隠されているのかもしれない。
今まで通った場所にも、気づかなかっただけで何かあった可能性はある。
もちろん、無理をして探し回るつもりはない。
全員で無事に帰ることが最優先だ。
それでも、階層を進むだけでなく、気になる場所を少し調べてみる楽しみが増えた。
片付けを終えると、メイが俺の横へ来て身体を寄せた。
シルクもいつものように頭へ戻ってくる。
「二匹とも、今日もありがとう」
メイの背中を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。
広間の奥には、第二十一階層へ続く道がある。
森の次は、どんな場所なのだろう。
十階層を進む間に、美しい景色を見て、珍しい魔物に出会い、隠し部屋と宝箱まで発見した。
そして、その中身を使ってみんなで美味しい料理を食べられた。
シルクが俺の頭から膝へ降りてきたので、その背中もゆっくり撫でる。
メイも隣で身体を丸め始めた。
二匹の温もりを感じながら、俺はもう一度、奥へ続く道へ目を向けた。




