第130話 揚げたて牛カツサンドと、大峡谷
朝のメリディアは、旅立つ日も変わらず暖かかった。
宿代を精算し、長く世話になった宿の人へ礼を言う。
「ありがとうございました。またメリディアへ来た時は寄ります」
「ええ。皆さんもお元気で」
大半の荷物はアイテムボックスの中なので、俺たちの見た目は随分と身軽だ。
ベル、メイ、シルク、ウンディーネ、キリコと一緒に宿を出て、セバスさんからもらった地図を頼りに北方面の馬車発着所へ向かった。
受付で中央都市まで行きたいと伝え、最初は普通の乗合馬車を使うつもりだった。
ただ、並んでいる車両を見て少し考える。
(また結構場所を使うな)
メイやシルクもいるし、長時間ほかの乗客と詰め合って進むより、少し余裕がある方がお互い気楽だろう。
そんな俺たちを見た受付の女性が、一枚別の案内札を出した。
「でしたら、貸切旅客馬車はいかがでしょうか?」
「貸切?」
「はい。一台を丸ごとお客様だけでご利用いただく長距離便です。専属の御者が付き、中継所で馬を交換しながら目的地まで向かいます」
街道上での休憩も、馬の状態や到着予定に支障がなければ相談できる。
長距離便には護衛も付き、今回はCランク冒険者が二人同行するらしい。
「乗合より相当高くなりますが……」
提示された金額は、確かにかなり違った。
それでも、全員で気兼ねなく移動できて、途中の手配や護衛まで任せられるなら十分だ。
「それでお願いします」
「承知いたしました」
手続きを終えて案内された馬車は、王家の大型馬車ほど豪華ではないものの、一般の乗合馬車より明らかに造りが良かった。
向かい合わせの座席には余裕があり、窓も大きい。
車輪周りには揺れを和らげる魔導具も使われているらしい。
その横で待っていた中年の男性が、帽子を軽く上げた。
「今日、中央都市まで御者を務めるロヴァンだ。よろしく頼むよ」
「フトシです。よろしくお願いします」
続いて、馬車の反対側にいた男女が近づいてくる。
男性は短めの剣と丸盾を装備した、がっしりした体格。
隣の女性は弓と短剣を身につけていた。
「護衛のダリオだ。こっちは妻のミラ」
「ミラよ。二人ともCランク冒険者だから、道中は任せて」
「夫婦で護衛を?」
「もう長いこと二人で組んでるんだ」
ダリオさんが笑うと、ミラさんも軽く肩をすくめた。
「一人ずつ別の相手と組むより、こっちの方がお互い何をするか分かってるから楽なのよ」
俺も冒険者カードを見せる。
「俺も冒険者ですけど、まだDランクです。護衛が付くのが決まりなら、そのままお願いします」
「もちろん。それに護衛っていっても、魔物と戦うだけじゃないからな」
ダリオさんが馬車を軽く叩く。
街道の確認。
周囲の警戒。
車輪や馬具の異常。
事故が起きた時の対応。
そういったものまで含めて仕事らしい。
「なるほど。それならお願いします」
挨拶を終え、馬車へ乗り込む。
キリコはすぐ窓際へ座った。
メイは足元で伏せ、シルクはいつものように俺の頭の上。
ベルは空いた座席の端へ腰を下ろし、ウンディーネもゆったり座っている。
馬車が動き出してすぐ、乗合との違いが分かった。
揺れはあるが、身体へ響くような強さではない。
座席も広いので、長時間でもかなり楽そうだ。
(これはいいな)
少し料金は掛かるが、旅程によっては今後も使えそうだ。
メリディアの街並みを抜け、門を出る。
窓の向こうでは、果樹園が少しずつ遠ざかっていった。
長くいた街だった。
それでも今は、離れる寂しさより次の景色への興味の方が大きい。
午前中、馬車は順調に北へ進んだ。
メリディア近郊ではまだ南方らしい植物が多かったが、進むほど果樹園は減り、代わって草地と岩の多い土地が増えてくる。
途中の中継所では馬を交換した。
ロヴァンさんが新しい馬の脚や馬具を確認し、ダリオさんとミラさんも周辺の街道情報を係員から聞いている。
こうして一頭の馬を無理に走らせず、各中継所で元気な馬へ替えていくから、長距離でも安定した速さを保てるらしい。
昼頃になると、馬車は街道脇の正式な休憩場所へ入った。
水場と馬を繋ぐ場所があり、簡単な屋根の付いた広場もある。
「ここで一時間ほど休もう」
ロヴァンさんが馬から降りた。
「馬に水をやって脚も休ませる。皆さんもゆっくりしてくれ」
俺たちも外へ出る。
ダリオさんとミラさんは周囲を一度確認してから、荷物の中から携帯食を取り出していた。
時間は一時間。
十分だ。
「昼飯、ここで作ろうか」
ベルが振り向く。
「今日は何?」
「まだ決めてないけど……」
アイテムボックスの中身を思い浮かべる。
せっかくなら、温かいうちに食べたいものがいい。
「牛カツサンドにしよう」
「ギュウカツ?」
キリコが首を傾げた。
「牛肉に衣を付けて揚げて、パンで挟む料理だよ」
それを聞いていたロヴァンさんが、携帯食を手にしたままこちらを見る。
「今から作るのか?」
「一時間あれば十分ですよ」
平らな場所を選び、アイテムボックスから作業台、魔導コンロ、揚げ鍋を出す。
油。
まな板。
包丁。
ボウル。
必要な道具を順番に並べた。
ダリオさんが感心したように眺める。
「旅先で料理するとは聞いたことあるが、ここまで持ち歩いてる奴は初めて見たな」
「料理するのが好きなので」
最後に取り出したのは、紅角野牛のサーロインだ。
大きな肉塊が作業台へ置かれた瞬間、ダリオさんの顔が変わった。
「……おい、それ」
ミラさんも近づいてくる。
「まさか紅角野牛?」
「はい」
「本物?」
「本物です」
二人が顔を見合わせた。
「Aランクの紅角野牛を昼飯にするのか……」
ロヴァンさんまで馬の世話をしながらこちらを見ている。
「ちょっと贅沢だな」
「まだかなり残ってるので」
詳しい経緯までは話さず、俺は肉へ包丁を入れた。
サーロインをパンへ収まりやすい大きさに切り、厚さは二センチほど。
硬い筋と余分な表面脂だけを整える。
脂は落としすぎない。
紅角野牛らしい甘さを残したい。
表面の水分を拭き、赤塩を薄く振る。
小麦粉。
溶き卵。
そして、天然酵母と発酵バターを使った特製食パンから作った粗めの生パン粉。
肉が主役なので、衣は厚くしすぎない。
軽くまとわせる程度で整える。
油が十分に温まったところへ、一枚ずつ入れた。
ジュワァッ!
一気に細かな泡が立ち上がる。
パン粉の白さが少しずつ黄金色へ変わり、焼けたパンの香ばしい匂いが広がった。
そこへ紅角野牛の脂の香りが重なる。
「……これはきついわね」
ミラさんが呟く。
「何がです?」
「こっちは干し肉を出したところなのよ」
手にしていた携帯食を見せられ、少し申し訳なくなる。
「よかったら多めに作りますよ」
「本当に?」
さっきまで遠慮するような顔だったのに、返事が早かった。
ダリオさんが笑う。
「お前、もう食う気満々じゃないか」
「この匂いで横で干し肉食べろって方が酷いでしょ」
俺も少し笑いながら、次のカツを油へ入れる。
厚い肉だが、長く揚げすぎない。
衣へ十分な色が付いたところで引き上げ、網の上で休ませる。
余熱も使って中へ火を通す。
脂の入り方や厚みを見ながら、一枚ごとに少しだけ揚げ時間を変えた。
休ませた一枚へ包丁を入れる。
サクッ、と軽い音がした。
黄金色の衣の内側には火の入った肉、その中心へしっとりと赤みが残っている。
肉汁は流れ出さず、切り口を薄く濡らす程度だ。
「よし、これでいい」
ダリオさんが断面を見る。
「結構赤いんだな」
「中まで火は入ってます。これ以上揚げると、せっかくの柔らかさが減るので」
「なるほど」
次はソースだ。
手持ちの特製濃厚ソースを小鍋へ取る。
トマト、根菜、魚醤、果実シロップ、香辛料、シロシメジ粉末、ホタテの貝汁を煮詰めたもの。
そのままでもカツに合うが、今日は紅角野牛の脂が濃い。
メリディアで買った南方果実の酢を少量加える。
味を見て、天然醸造の生醤油もほんの少しだけ足した。
甘辛い濃さは残しつつ、最後に軽い酸味が抜ける。
パンは厚すぎない程度に切り、表面だけ軽く焼く。
薄くソースを塗り、極細に切ったアイアンキャベジ。
厚切りの牛カツ。
さらに少量のソースを掛け、もう一枚のパンで挟む。
軽く押さえてから半分へ切った。
白いパンと緑のアイアンキャベジ。
黄金色の衣。
その中央に、厚い紅角野牛の赤身。
(うん、これは間違いない)
人数分を作り、ロヴァンさんたちにも差し出した。
「どうぞ」
「俺たちまで本当にいいのか?」
ダリオさんが確認する。
「はい。材料もありますし、せっかく揚げたてなので」
「なら、ありがたくいただくわ」
最初に食べたのはミラさんだった。
ザクッ、と衣が割れる。
厚い肉へ歯が入り、そのまま噛み切った。
「……え?」
ミラさんの目が大きくなる。
もう一度断面を見てから、二口目を食べた。
「何これ……すごく美味しい」
「そんなに?」
ダリオさんも慌てて齧る。
一度、動きが止まった。
「……うまっ」
短く言ってから、しっかり噛む。
「待て。紅角野牛ってこんなに柔らかいのか? もっと噛み応えのある肉だと思ってたぞ」
「部位にもよりますけど、サーロインは焼き物や揚げ物に向いてます」
「いや、それだけじゃないだろ。衣までうまいぞ」
今度は大きく二口目。
ミラさんも止まらない。
「このソースも好き。肉がすごく濃いのに、後に重さが残らない」
「果実酢を少し足してます」
「それかぁ……」
難しい分析をするというより、ただ気に入ったらしい。
ダリオさんは半分を食べ終えたところで、残った牛カツサンドを見る。
「これ、中央都市で売ったら行列になるぞ」
「売る予定はないですよ」
「もったいないな」
ロヴァンさんも馬の世話を終えて受け取った。
「じゃあ俺も」
一口。
目を少し見開き、そのまま無言でもう一口食べる。
「……いや、これは美味い」
嬉しそうに笑った。
「長距離の仕事は何年もやってるが、街道の休憩所で紅角野牛の揚げたてを食う日が来るとは思わなかったよ」
「口に合ってよかったです」
「合うどころじゃない。帰りも乗ってくれるなら、また俺が御者やりたいくらいだ」
「料理目当てになってるじゃない」
ミラさんが笑う。
ロヴァンさんも否定しなかった。
俺たちも食べる。
牛カツサンドへ齧りつくと、まだ軽い衣がサクッと崩れ、そのすぐ後からサーロインの柔らかな弾力が返ってきた。
赤身の濃い旨味。
温かい肉汁。
細かな脂の甘さ。
そこへ衣の香ばしさとソースの甘辛さが重なる。
アイアンキャベジの瑞々しさと果実酢の酸味が入ることで、脂がしつこく残らない。
最後に軽く焼いた食パンの香り。
(牛カツもかなり合う)
ステーキなら肉そのものが前に出る。
これはパンも衣も野菜も全部含めて、一つの料理になっていた。
キリコも両手で持って食べている。
「サクサクしてるのに、お肉は柔らかい」
「そこが牛カツのいいところだね」
ベルも気に入ったようで、黙々と食べていた。
ウンディーネも静かに頬張っている。
メイとシルクには同じ完成料理を食べやすい大きさへ切って渡した。
味付けは変えていない。
二匹ともすぐに食べ始めた。
「フトシ、もう一個ある?」
ベルが聞く。
「あるよ」
ついでにダリオさんたちを見ると、三人とも一瞬こちらを見た。
「皆さんも二個目いります?」
「いいのか?」
「お願いします」
「俺ももらおうかな」
返事がほとんど同時だった。
作っておいて正解だったらしい。
食事が終わる頃には、最初に出していた携帯食は誰も手を付けないまま戻されていた。
「ごちそうさま。本当に美味しかったわ」
ミラさんが満足そうに息を吐く。
「護衛の昼飯でこんなの食えるなら、今日は当たりの仕事だな」
「仕事はちゃんとするわよ」
「分かってるって」
夫婦の短いやり取りを聞きながら、俺は調理器具を洗浄して片付けた。
馬も十分に休めたようだ。
再び馬車へ乗り込み、中央都市を目指す。
午後になると、窓の外の景色はさらに変わっていった。
平坦だった土地に岩場が増える。
植物も少しずつ低くなり、風が馬車へ当たる音が強くなった。
道は緩やかに高い方へ上がっている。
キリコはずっと窓の外を見ていた。
途中、御者台からロヴァンさんの声が届く。
「皆さん、もうすぐですよ」
「大峡谷ですか?」
「ああ。次の高台を越えれば見える」
ダリオさんとミラさんも、馬車の左右から周囲を確認しながら進んでいる。
坂を上る。
まだ前にあるのは岩と空だけだった。
そして馬車が高台へ出た瞬間、視界が一気に開けた。
俺はしばらく、何も言えなかった。
目の前の大地が、突然なくなっている。
その先に広がっていたのは、想像していた谷とは比べものにならない巨大な裂け目だった。
「……すごいな」
ようやく出たのは、それだけだった。
対岸が遠い。
何層もの岩壁が重なり、それぞれ違う色の地層を見せている。
遥か下には大きな川が流れているはずなのに、ここからでは細い線のようにしか見えない。
深いところには薄い霞が掛かっていた。
崖から落ちる細い滝が、谷底へ届く前に風で崩され、霧のようになっている場所もある。
大きな鳥のような生物が谷間を飛んでいる。
それさえ、ここからでは小さな点に見えた。
吹き上がる風が窓から入り、髪を揺らす。
そして、その大峡谷の向こう。
巨大な中央台地の上に、石造りの建物が集まっていた。
中央都市。
さらに奥には中央王城も見える。
「あそこに街があるんだ」
キリコが窓へ近づく。
「本当に峡谷の中なんだな……」
ロヴァンさんが少し先にある広場へ馬車を寄せた。
安全柵の付いた展望用の休憩場所だ。
「時間は大丈夫だ。少し降りて見るかい?」
「お願いします」
貸切にしてよかったと、また思う。
馬車を降り、みんなで柵の近くへ向かう。
上から見ると、川の細さが余計に深さを感じさせた。
岩壁の途中には巨大な岩柱。
そのさらに奥へ続く支谷。
時折、下から強い風が吹き上がってくる。
キリコは柵へ手を添えたまま、長い間景色を見ていた。
俺も隣に立つ。
珍しい食材を探しているわけでも、料理を食べているわけでもない。
それでも、こういう知らなかった景色に出会うのも旅の楽しさなんだろう。
少しして馬車へ戻り、南大橋へ向かう。
近づくほど橋の大きさが分かった。
石造りを基本にした幅広い橋で、馬車同士が十分すれ違える。
橋脚や路面には、補強のためらしい魔法陣も組み込まれていた。
手前の検問所で身分証を確認してもらう。
ロヴァンさんたちの貸切馬車の書類も確認され、問題なく橋へ入った。
ゴトゴトと車輪の音が石の路面へ響く。
今度は、さっき眺めていた巨大な裂け目の真上だ。
窓の向こうに地面がない。
強い横風が吹くたび、分厚い欄干があると分かっていても少し身体へ力が入る。
「さっき見るのと、全然違うね」
キリコも窓から少し離れていた。
「渡ってる方が怖いな」
ベルも珍しく窓の中央側から下を見ている。
馬車は一定の速度で進み続けた。
遠かった中央台地が少しずつ近づく。
やがて橋を渡り切り、中央台地側の検問所を抜けた頃には、日がかなり傾いていた。
中央都市の門で冒険者カードを提示し、一泊した後に北側へ抜ける予定だと伝える。
国内移動なので、確認はすぐに終わった。
門の中へ入る。
今まで訪れた都市とは、やはり雰囲気が違う。
整然と並ぶ石造りの建物。
書類を抱えて歩く人。
鎧姿の騎士。
各地から来たらしい使者や役人。
商店や食堂も普通にあるが、大市場を中心に人が集まっている街ではない。
遠くには中央王城が見える。
(なるほど。政治の街って感じだな)
「宿泊区画まで送るよ」
御者台からロヴァンさんが声を掛けてくる。
「お願いします」
馬車は夕方の石畳を進んだ。
ダリオさんとミラさんも、中央都市へ入ったことで少し警戒を緩めている。
向かいでは、キリコがまだ窓の後ろ側を見ていた。
建物の隙間から、渡ってきた南大橋の方角を探しているらしい。
俺の頭にも、あの大峡谷の景色がまだはっきり残っていた。
今日は朝から随分進んだ。
まずは宿へ入ろう。
馬車は中央都市の整った街並みの中を、ゆっくり走っていった。




