第128話 北の砂海と、水の国オアサリア
宿へ戻ると、廊下の向こうまで妙に静かに感じた。
清水さんとクロエさんが使っていた部屋は、もう空いている。
ほんの数日一緒にいただけなのに、二人分減っただけで随分違うものだ。
とはいえ、二人は自分たちで行き先を決めて旅へ出た。
俺たちも、そろそろ自分たちの道を決めればいい。
部屋へ戻り、昨日も使った地図をテーブルへ広げる。
「さて、俺たちはどこへ行こうか」
ベルがすぐに地図の上へ飛んできた。
「せっかくなら、まだ行ったことないところがいいんじゃない?」
「俺もそのつもり」
アストラーレでは西のイル・ソーレ、北のノース・グラン、東のオリエンス、そして南のメリディアまで巡った。
どの街にも違う食材や料理があったし、ここでも南方果実や香辛料、陽冠鶏、飛竜便まで色々なものを見られた。
次へ行くなら、今までとは景色も食文化も大きく違う場所へ行ってみたい。
「キリコは?」
俺が聞くと、キリコは地図をじっと見る。
「行ったことないところ」
「ほとんど全部じゃない?」
ベルが言うと、キリコは素直に頷いた。
「うん」
俺も少し笑う。
地図の意味は分かってきたようだが、キリコが実際に見た世界はまだほんの一部だ。
メイは俺の足元で伏せ、シルクは頭の上から地図を覗いている。
ウンディーネも向かい側から眺めていたが、特に行き先を挙げる様子はない。
「問題は、俺も周りの国をほとんど知らないことか」
地図には国境らしい線といくつかの都市名があるものの、治安や道の状態までは分からない。
適当に指を差して決めるのも違うだろう。
「商人ギルドで聞いてみるか」
街道や交易先なら、冒険者ギルドより詳しい話を聞けそうだ。
商人ギルドの会員証も持っている。
方針が決まり、俺たちは宿を出た。
メリディアの商人ギルドへ入ると、朝から荷の受け渡しや商談の相談をする人たちで賑わっていた。
受付で銀色の会員証を見せ、順番を待ってから職員へ声を掛ける。
「すみません。次の旅先を考えているんですが、メリディアから行ける周辺国について教えてもらえませんか?」
「交易先をお探しですか?」
「いえ、今回は旅です。まだ行ったことのない土地を見てみたくて」
職員は少し考えてから、奥の棚から大きく巻かれた地図を持ってきた。
受付横の卓へ広げる。
宿で見ていたものより範囲が広い。
アストラーレの四都市も小さく記され、その外側まで街道が伸びている。
「どの方角をご希望です?」
「特には決めてません。ただ、今までと違う土地がいいですね」
西へ目を向ければ、見覚えのあるイル・ソーレの名がある。
そこから視線を動かしていくと、地図の北方に大きく色の違う場所があった。
川や森を示す記号がほとんどなく、細かな点のような模様が広範囲に続いている。
「ここは?」
「砂漠地帯です」
かなり広い。
その砂漠の中に、一つの国名が記されていた。
「オアサリア……」
「砂水王国オアサリアですね。北方の砂海に築かれた国です」
「砂漠の国ですか」
「ええ。ただ、都市へ入れば水にはかなり恵まれていますよ」
思わず地図から顔を上げた。
「砂漠なのに?」
職員が頷く。
「それがオアサリアの特徴です」
話によれば、昔から今のような国だったわけではないらしい。
かつては広い砂漠の中にいくつものオアシスが点在し、その周辺へ小さな集落が作られている程度だった。
水場から離れれば生活は難しく、集落同士の行き来にも大きな負担があったという。
そこへ、一人の水魔法使いが現れた。
「後にオアサリアを建国する人物です。冒険者としてもSランクにまで上がった方だったと伝わっています」
「Sランクの水魔法使い……」
単純な戦闘力だけでも相当なものだったはずだ。
だが、その人物が国へ残したものは戦う魔法だけではなかった。
「飲み水の確保はもちろん、地下の水脈を探す方法、貯水池へ水を集める術、水路への送水、農地への灌漑。洗浄や冷却、火災への対処まで、水魔法を生活へ使う方法を広く整理したそうです」
それを一部の優秀な魔術師だけが使うのではなく、人々へ教えた。
水を扱える者がそれぞれの集落で生活を支え、やがてオアシス同士が水路や交易路で繋がっていった。
その積み重ねが、一つの国になったらしい。
「今でも水魔法を使える人が多いんですか?」
「他国と比べれば、かなり多いと言われています」
戦闘を専門にする魔術師ばかりではない。
農家が畑へ水を回す。
宿屋で洗い物に使う。
職人が冷却や洗浄へ利用する。
水路を管理する仕事にも当然使われる。
料理人や商人の中にも、生活に必要な程度の水魔法を扱える人は珍しくないそうだ。
子供の頃から、適性があれば基本的な扱いを覚える地域もあるという。
俺の横で、ウンディーネが地図を見つめた。
『……ちょっと見てみたい』
普段より少しだけ興味がありそうな声だ。
「水魔法を使う人がそんなに多いのは、気になります?」
『うん。みんながどう使ってるのか見たい』
水の大精霊から見ても、珍しいらしい。
ただ、ここで一つ疑問が浮かぶ。
「国中で使う水を、全部魔法で出してるんですか?」
飲み水だけならともかく、都市と農地を支える量となれば相当だ。
職員は首を横へ振った。
「さすがに違います。地下水もありますし、昔からのオアシスも使います。雨が降れば貯水施設へ集めますしね」
「なるほど」
「オアサリアは、水をいくらでも生み出せる国というより、水を使うのが非常に上手い国と考えた方が近いですよ」
限られた水を探す。
集める。
蓄える。
運ぶ。
必要な場所へ流す。
使い終わった水も、そのまま捨てずに別の用途へ回せるものは回す。
そこへ水魔法が組み合わされている。
砂漠で水が貴重だからこそ、扱い方が発達したということらしい。
「主要な街へ近づくと面白いですよ」
職員が砂漠の中の街道を指で辿った。
「それまで砂ばかりだったところへ、急に水路が見え始めます。水路に沿って畑や果樹園が広がって、その先に街があるんです」
「砂の中に畑があるの?」
キリコが初めて口を挟んだ。
「ありますよ」
職員が笑う。
キリコは地図の砂漠部分をじっと見た。
「砂漠って、ずっと砂なの?」
「俺も本物を歩いたことはないけど、全部が同じ砂地ってわけじゃないと思うよ」
日本にいた頃、映像や本では見たことがある。
だが、実際にあの景色の中へ立った経験はない。
まして水路と畑が広がる砂漠都市なんて、俺も見たことがない。
「見てみたい」
キリコが言った。
「俺も気になる」
そこで、もう一つ気になっていたことを聞く。
「食べ物はどんな感じなんですか?」
職員が僅かに笑った。
「そちらも大事ですよね」
どうやら、俺が料理をしていることくらいは会員情報か街での屋台で知られているらしい。
「乾燥地ですから、保存しやすい食材や料理は多いです。硬い小麦や雑穀、豆類、平たく焼いたパン。羊や山羊に近い家畜の肉、発酵させた乳、香辛料、乾燥果実などですね」
肉は串に刺して焼いたり、香辛料と煮込んだりする。
豆を柔らかくして潰した料理もあり、小麦を細かな粒状にして食べる料理もあるという。
知らない組み合わせがいくつも浮かんだが、詳しく聞きすぎるのはやめておく。
実際に行って、見てから食べた方がいい。
「あとは、砂漠に生える棘のある植物も食べますね」
「棘のある植物?」
思わず聞き返した。
「水分を多く蓄える、肉厚な植物です。栽培もされていますよ」
棘を取った若い部分を焼く。
炒める。
煮込みへ入れる。
漬けて保存することもある。
種類によっては果実も付き、それは甘酸っぱく果汁が多いらしい。
そのまま食べるほか、飲み物や菓子、肉料理のソースにも使われる。
(サボテンみたいなものか)
食用のものがあること自体は知っているが、実際に食べたことはない。
どんな味なのか。
火を通した時にどう変わるのか。
実の酸味はどのくらいなのか。
気になることが一気に増えた。
「フトシ、顔がもう行く気になってるわよ」
ベルに言われ、自分でも否定できなかった。
「まだ危険も聞いてないよ」
「それはちゃんと聞きなさいよ」
「そのつもり」
食材だけで目的地を決めるわけにはいかない。
「オアサリアまでの道は、普通に通れるんですか?」
「現在は交易も続いています。国境が閉じられているという話もありません」
北方へ向かう商隊も定期的にあるらしい。
ただし、砂漠へ入れば今までの街道とは危険の種類が変わる。
強い日差し。
暑さ。
夜の冷え込み。
突然の砂嵐。
砂地に適応した魔物。
水の確保。
「交易路を外れなければ商隊も行き来していますが、何の準備もせず入る場所ではありません」
「分かりました」
具体的な経路や、どこで砂漠へ入るのかまでは出発前に改めて確認した方がよさそうだ。
俺は地図へ視線を戻す。
砂の国。
その中へ伸びる水路。
水魔法を生活へ組み込んだ人々。
食べられる棘植物。
知らない香辛料や豆料理。
今まで巡った場所とはかなり違う景色が待っていそうだ。
「ウンディーネは行ってみたいんだよね?」
『うん』
「キリコも?」
「行きたい」
ベルも地図の上で頷く。
「わたしもいいと思う。砂漠なんて見たことないし」
メイがこちらを見上げ、シルクも頭の上で身じろぎした。
この二匹なら、行き先がどこでも一緒に来るだろう。
俺自身の気持ちも、もう決まっていた。
「じゃあ、次はオアサリアへ行こうか」
キリコの顔が少し明るくなる。
ウンディーネも砂漠の描かれた場所をまだ見ていた。
目的地は決まった。
後は、どう向かうかだ。
職員へ礼を言い、地図を返す。
商人ギルドを出ると、メリディアの暖かな日差しが通りへ降り注いでいた。
少し歩いたところで、一つ思い出す。
「あ」
「どうしたの?」
ベルがこちらを見る。
「イザベラさんに、街を出る日が決まったら知らせるって話してた」
行き先を決めたからといって、このまま荷物をまとめて出発するわけにはいかない。
王城へも顔を出しておきたいし、実際の経路や必要な準備もまだ確認していない。
出発日はそれから決めればいい。
俺は通りの先から北の空を見た。
今いるメリディアの周りには果樹園や畑が広がっている。
そのずっと先に、まだ一度も見たことのない砂海がある。
水路に沿って広がる緑。
水魔法と暮らす人々。
棘のある食材と、知らない料理。
まだ何一つ、実物は見ていない。
だからこそ行ってみたい。
「まずはイザベラさんたちに知らせに行こう」
みんなと一緒に、王城のある方角へ歩き出した。




