第127話 それぞれの旅路と、旅立ち前のビュッフェ
ザディスさんと魔法の話をした翌朝。
朝食を終えたあと、俺は宿の一階奥にある小さな貸切室を借りた。
少し前、清水さんが俺に昔のことを謝った場所でもある。
あの時は二人で向かい合っていたテーブルへ、今日は大きな地図を広げた。
クロエさんも清水さんの隣へ座り、ベルやキリコたちも思い思いの場所にいる。
「そろそろ次のことを考えようと思うんですけど、清水さんたちはどうします?」
俺が尋ねると、清水さんはすぐには答えず、地図へ視線を落とした。
しばらくして顔を上げる。
「わたし、クロエと二人で旅してみようと思う」
思っていたより、はっきりした声だった。
「そうですか」
俺が頷くと、清水さんは少しだけ肩の力を抜いた。
「フトシ君たちと一緒なら安心だし、楽しいのも分かってるよ。でも……それだと、また誰かについていくだけになりそうだから」
指先が地図の端へ触れる。
「ロドリスでは、勇者たちと魔王を倒せって決められて。王都を出てからは、フトシ君を探すことばっかり考えてた」
そこで一度言葉を切った。
「今度は、自分が行きたい場所を自分で決めてみたい」
「いいと思います」
無理に一緒へ来てもらう理由はない。
むしろ、今の清水さんならその方が自然に思えた。
「ただ、ロドリスへ戻る方向には、しばらく行きたくないかな」
「王国のことですか?」
「うん。国外まで正式に探されてるかは分からないけど、ロドリスの中ではわたしを探してた可能性があるし」
清水さんは落ち着いた様子で話している。
怯えているというより、避けられる危険をわざわざ選ばないだけらしい。
「戻る理由もないから、しばらくはロドリスから離れて旅してみたい」
「それなら、まずアストラーレの中を見て回るのもいいですね」
清水さんが頷き、今度は隣を見る。
「クロエは……まだ一緒に来てくれる?」
「もちろん」
クロエさんの返事も早かった。
「今はわたしも旅してみたいもの」
「ほんと?」
「もうフトシ君を探すためだけじゃないからね」
クロエさんが地図へ目を落とす。
「知らない街へ行くのも楽しかったし、冒険者として色々な土地を歩いてみたい。それに……食べたことのない料理も、まだいっぱいありそうだし」
最後だけ少し笑った。
どうやらメリディアで過ごした時間は、クロエさんにも影響していたらしい。
「じゃあ、二人で行こう」
「ええ」
決まったところで、改めて地図を見る。
ロドリスへ近づく方向は避ける。
その条件でアストラーレ国内を見ていくと、清水さんが西側へ目を留めた。
「イル・ソーレって、フトシ君が行ったことあるところだよね?」
「ありますよ」
「どんな街?」
「大きな内海に面した港の街です。白い建物が多くて、市場もかなり賑やかでした」
海産物も豊富で、小麦を使った料理も多い。
今使っているインディカ米を大量に買ったのもイル・ソーレだ。
そこまで話すと、清水さんが地図を見ながら頷いた。
「海かぁ……」
クロエさんも興味があるようだ。
「カオリ、そこにしてみる?」
「うん」
清水さんは少し考え、それから指を置いた。
「じゃあ、まずイル・ソーレへ行ってみる。その先は……着いてから考えようかな」
以前、一人で旅をしていた頃なら、もっと先まで決めておかないと不安だったのかもしれない。
今は必要なところだけ決めて、後はそこで考える余裕があるように見える。
「それでいいと思います」
「フトシ君たちは?」
今度はこちらへ聞かれた。
俺はベルたちを見る。
ベルは地図を覗き込み、メイは俺の足元で伏せている。
シルクはいつものように頭の上。
ウンディーネとキリコもこちらを見ていた。
「俺たちは、もう少し考えてから決めます」
「まだ決めないの?」
「みんなの行きたいところも聞きたいですしね」
俺一人の旅ではない。
急いで決める必要もないだろう。
話がまとまると、クロエさんは父親へ手紙を出すことにした。
カオリが無事に俺と会えたこと。
予定より旅が長くなること。
これから二人でしばらく旅を続けること。
急ぎではないため、昨日見た飛竜便を使う必要はない。
宿の人へ普通の手紙を送る方法を聞き、昼前には出してきたらしい。
そして二人の出発は翌朝に決まった。
それを聞いて、俺は少し考える。
「じゃあ、今日はちゃんと食べましょうか」
「ちゃんと?」
清水さんが首を傾げる。
「せっかくですから、色々作ります」
夜も同じ貸切室を使わせてもらえることになった。
厨房も借りる。
昼過ぎから準備を始める前に、まず【樹器創成】を使った。
淡い緑の光が集まり、料理を盛るための大きな平皿が生まれる。
続いて深い耐熱皿。
パスタ用の大型深皿。
サラダボウル。
パン用のトレー。
果物とデザート用の大皿。
各自の取り皿や小皿、匙、フォークもまとめて作る。
飾りを凝る必要はない。
料理を取りやすく、並べやすい形を優先した。
「よし」
器が揃ったところで調理へ入る。
最初は紅角野牛。
以前食べたシャトーブリアンではなく、今日はサーロインとリブロースを使う。
アイテムボックスから必要な分だけ肉塊を取り出し、筋や脂の付き方を確認してから厚めに切った。
表面の水分を布で押さえ、赤塩を振る。
香辛料は控えめでいい。
この肉は、それだけで十分味が強い。
熱したフライパンへ肉を置く。
ジュウッと低い音が広がった。
動かさず、まず表面へしっかり焼き色を付ける。
側面まで順番に焼き、火を少し落としてからノース・グラン産の発酵バターと香草を加えた。
溶けたバターを匙ですくい、肉へ何度も掛ける。
香草の匂いと、焼けた脂の香りが厨房へ広がった。
【絶対温度領域】でフライパン周辺の温度を確認しながら、肉の状態に合わせて火を調整する。
焼き上がったものは網の上へ移した。
ここで収納はしない。
しばらく温かい場所で休ませる。
切ればすぐ食べられるところまで来ているが、ここを急ぐと肉汁が落ち着かない。
その間に次の肉を焼いた。
十分に休ませたサーロインへ包丁を入れる。
中心は綺麗な赤みを残し、切り口から肉汁が流れ出すこともない。
リブロースも同じように厚めへ切る。
一枚の大皿へ、部位が分かるよう左右へ並べた。
別の小皿には赤塩。
肉を休ませた時に出た汁を使った赤ワインソース。
発酵バターへ刻んだ香草を合わせたソースも用意する。
盛り付けが終わった大皿を、そのままアイテムボックスの通常区画へ収納した。
中では時間が完全に止まる。
今の状態のまま、夜まで置いておける。
次は海鮮グラタン。
大王ホタテの大きな貝柱を、存在感が残る程度の角切りにする。
手持ちの巨大海老も殻を外し、身を大ぶりに切った。
殻と頭は別に取っておく。
フライパンへ発酵バターを溶かし、海老の殻と頭を炒めた。
赤く色づき、香ばしい海老の匂いが立ってくる。
頭の中に詰まった濃い味噌も潰しながら火を入れ、少量の水と牛乳を加えて旨味を移す。
しばらく煮出してから濾すと、海老の香りが濃い汁になった。
別の鍋では発酵バターと小麦粉へ丁寧に火を入れ、牛乳を少しずつ加えてベシャメルを作る。
滑らかになったところへ、先ほどの海老の汁を少量。
甘くなるまで炒めた大玉葱も合わせた。
味を見る。
白いソースなのに、後からしっかり海老が来る。
これなら魚介を埋もれさせない。
大王ホタテと巨大海老は別のフライパンで表面だけ焼く。
中まで完全には火を入れない。
深い耐熱皿へ並べ、ベシャメルをたっぷり掛ける。
その上へノース・グラン産のチーズ。
魔導パン窯へ入れると、やがて表面がふつふつと膨らんだ。
チーズが溶け、ところどころへ濃い焼き色が付く。
縁から白いソースが小さく泡立ったところで取り出した。
中の魚介にもこれでちょうど火が入っている。
熱い耐熱皿を、そのまま時間停止区画へ収納した。
三品目はパスタ。
ジャイアント・マッシュを薄く切り、シロシメジは石づきを処理してほぐす。
フライパンへ発酵バターを入れ、まずきのこだけを炒めた。
最初は水分が出る。
そこで急いで調味料を入れず、水気を飛ばしながら炒め続ける。
表面へ少し焼き色が付く頃には、香りがぐっと濃くなっていた。
別鍋ではパスタを塩を利かせた湯で茹でる。
茹で上がる少し前に麺をフライパンへ移し、少量の茹で汁を加えた。
天然醸造の生醤油。
本みりんはほんの少し。
鍋肌へも醤油を垂らすと、焦げる直前の香ばしい匂いが立った。
最後に発酵バターを加え、麺ときのこへ薄く絡ませる。
汁気を残しすぎず、麺の一本一本へ艶が出たところで止める。
「これでいい」
大型の深皿へ盛り付ける。
パスタは特に時間を置きたくない。
仕上がった瞬間のまま、皿ごと収納した。
主役の三品が終わったあとは、彩りを足していく。
メリディアで買った野菜を使ったサラダ。
ジャイアント・マッシュと南方野菜の焼き物。
食べやすく切ったパン。
陽蜜果や月房果を中心にした果物の盛り合わせ。
自家製のアイスクリーム。
完成したものから盛り付け、順番に時間停止区画へ収めていった。
夜。
貸切室の大きなテーブルを囲み、みんなが揃ったところで料理を出す。
まず紅角野牛のステーキ。
続いて、表面のチーズが焼けたままの海鮮グラタン。
和風バター醤油パスタ。
サラダや焼き野菜、パン、果物も並べていく。
最後に各自の取り皿を置けば、大きなテーブルがほとんど料理で埋まった。
清水さんが目を丸くする。
「……ホテルのビュッフェみたい」
クロエさんが聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「ビュッフェ?」
「好きなものを、自分で好きなだけ取って食べる形式ですね」
俺が説明すると、ベルがすぐに皿を持った。
「じゃあ、好きなの取っていいのね」
「もちろん」
全員が立ち上がり、それぞれ料理を取り始める。
メイとシルクの分も同じ料理だ。
ステーキも、グラタンも、パスタも味付けは変えず、食べやすい大きさと量、温度だけ調整した。
俺も皿を持ち、まずステーキを二種類取る。
サーロインは赤塩だけで食べた。
焼けた表面の香ばしさのあとから、赤身の濃い味が広がる。
脂は甘いが、赤身の旨味も負けていない。
次はリブロース。
こちらはさらに脂のコクが強く、発酵バターと香草の香りもよく合った。
途中で赤ワインソースを少し付けると、肉の濃さに酸味と香りが加わる。
クロエさんもステーキを見ながら、ふと思い出したように言った。
「これが、あの紅角野牛なのね……」
「そうです」
「話を聞いた時は、食卓にこんな感じで並ぶとは思わなかったわ」
そう言いながら、もう一切れ取っている。
次に海鮮グラタンへ匙を入れた。
焼けたチーズの下から熱いベシャメルが現れる。
大王ホタテを一つすくい、口へ運ぶ。
柔らかい。
噛むほどに甘味が出て、海老の旨味を移したソースが後から重なった。
巨大海老は反対に、ぷりっとした強い弾力がある。
噛むと身自体の甘さが広がり、濃い海老味噌の風味を含んだベシャメルがよく絡む。
クロエさんが大王ホタテを見て、少し懐かしそうに笑った。
「これ、ポルト・ラーラでも見たことある」
「大きいですよね」
「港だと見慣れてたけど、こうして料理になると全然違って見えるなぁ」
清水さんの皿には和風パスタも乗っていた。
一口食べたところで、動きが止まる。
「……和風パスタだ」
醤油と発酵バターの香りは、俺にも馴染み深い。
シロシメジもジャイアント・マッシュも、日本で食べていたきのこと同じではない。
それでも組み合わせると、妙に懐かしい味になる。
「この前の和定食とも違うけど、これも日本っぽいね」
「醤油とバターは相性いいですから」
清水さんがもう一口食べる。
「うん。これ好き」
その後も料理は少しずつ減っていった。
キリコは一度食べ終えたグラタンをもう一度取りに行き、クロエさんも同じ皿へ匙を伸ばしている。
ベルはステーキから果物へ移り、ウンディーネも気に入ったものを静かに追加していた。
清水さんは和風パスタを少しと、今度はリブロースを一切れだけ取って戻ってくる。
食べながら、明日の話も続けた。
「出るなら朝の方がいいかな」
「乗合馬車の時間は、今日確認しておいた方がいいですね」
俺が言うと、清水さんが頷く。
「うん。イル・ソーレまで一気に行けないなら、途中の宿場も聞いておく」
「所持金は?」
クロエさんが尋ねる。
「まだ大丈夫。旅費と宿代を分けておく」
清水さんの簡易収納空間もある。
容量には限りがあるため、何でも詰め込むのではなく、旅道具や着替え、必要な荷物を優先して入れるらしい。
「イル・ソーレに着いたら、まず宿を探して……冒険者ギルドにも行こうかな」
「それがいいと思います」
「フトシ君が泊まったところに行った方がいい?」
「それは二人で決めた方がいいですよ」
清水さんが少し目を丸くしたあと、笑った。
「そっか」
俺は聞かれたことには答える。
市場の場所や、街が海沿いに広がっていることくらいなら話せる。
ただ、どこへ泊まり、どの店へ行き、何を食べるかまで決めるつもりはない。
二人が自分で始める旅なのだから、そこまで俺が決めてしまったら意味がない。
「着いてから、その先を考えるんだよね?」
クロエさんが確認する。
「うん」
清水さんは素直に頷いた。
「必要なことは調べる。でも、イル・ソーレの次まで今決めなくてもいいかなって」
その言い方には、以前よりずっと余裕があった。
無計画になったわけではない。
自分でどうにかできるという感覚が、少しずつ身についてきたのだろう。
食事が進み、テーブルの料理もだいぶ減ってきた。
清水さんが果物を取りながら、並んだ皿を見回す。
「こうして見ると……フトシ君って、本当にいろんなところを旅してきたんだね」
紅角野牛。
大王ホタテ。
巨大海老。
きのこ。
発酵バター。
醤油。
南方の果物。
確かに、一か所だけにいたら揃わなかったものばかりだ。
「色々食べてきましたから」
「フトシ君らしい」
清水さんが少し笑った。
俺も自分の皿へ残っていたステーキを一切れ取る。
みんなが好きなものを自分で選び、食べたい分だけ取っている。
賑やかすぎるわけではない。
けれど、あの時は重い話をしたこの部屋が、今日は料理の香りと穏やかな話し声で満たされていた。
翌朝。
清水さんとクロエさんは早めに支度を終えた。
清水さんは簡易収納空間を開き、二人で確認しながら旅道具をまとめていく。
俺から大量の荷物を渡すことはしなかった。
代わりに、昨夜のうちに少しだけ作っておいた月房果のチップスを二人分、小さな袋へ入れて渡す。
「途中で摘まんでください」
「ありがとう」
清水さんが受け取り、自分の収納空間へしまった。
宿の前へ出る。
朝のメリディアには、すでに市場へ向かう人や荷車の姿がある。
二人とも旅装を整え、昨日までとは少し違って見えた。
清水さんが俺たちを見回す。
ベル。
メイ。
シルク。
ウンディーネ。
キリコ。
最後に俺を見る。
「一緒には行かないけど……また会えるよね」
「旅してれば、またどこかで会うこともありますよ」
いつ、どこでとは言えない。
それでも、俺たちも二人も旅を続ける。
道が重なることはあるかもしれない。
クロエさんとも挨拶を交わす。
「フトシ君、色々ありがとう」
「こちらこそ。気をつけて」
「うん。またね」
キリコが清水さんを見る。
「カオリちゃん、またね」
「うん。また会おうね、キリコちゃん」
ベルも短く手を振った。
清水さんは最後に一度、宿と俺たちを振り返る。
そして笑った。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
清水さんとクロエさんが歩き出した。
二人でメリディアの通りを進んでいく。
ロドリスの王都を出た時とは違う。
追われるかもしれない不安だけで進む道ではない。
行き先を自分で選び、一緒に歩く相手も自分で選んだ旅だ。
やがて二人の姿が人通りの中へ小さくなっていく。
見えなくなるまで見送ってから、俺は隣を見る。
ベル。
足元のメイ。
頭の上のシルク。
ウンディーネ。
そしてキリコ。
また、いつもの六人になった。
俺はメリディアの朝の通りへ目を戻した。
「さて、俺たちも次を考えようか」




