第120話 ようやく辿り着いた屋台
乗合馬車が速度を落とし、メリディアの門へ近づいていく。
六日間の移動を終え、カオリとクロエはようやく南の陽都へ辿り着いた。
門を抜けると、白や淡い黄色の建物が並び、通りの脇には日除けの布が張られている。
水路を流れる水の音。
店先に積まれた色鮮やかな果物。
香辛料の匂い。
人族、獣人、魔族が当たり前のように同じ通りを歩いていた。
けれど、今のカオリには街をゆっくり眺める余裕がなかった。
(フトシ君が、この街に……)
つい最近、ここで屋台を出していた。
それだけは分かっている。
今もいるのか。
もう次の街へ向かったのか。
まだ何も確定していない。
「まず宿ね」
隣のクロエが言う。
「うん」
予定通り、最初に二人で泊まれる宿を探した。
市場と冒険者ギルドのどちらにも行きやすい場所で二人部屋を取り、六日間使ってきた荷物を下ろす。
もっとも、カオリの荷物の大半は簡易収納空間の中だ。
必要な着替えと財布、冒険者カードを取り出し、水を飲む。
顔を洗い、旅の間に乱れていた髪も簡単に整えた。
クロエも旅装を整え直している。
「準備できた?」
「うん」
返事をしながら、カオリは冒険者カードを鞄へ入れた。
会えたら謝る。
それは何度も決めてきた。
ポルト・ラーラでも。
船の上でも。
ガルディアでも。
ここまで来る道でも。
けれど、最初に何と言えばいいのかは、まだ決まらなかった。
ごめんなさい。
あの時は何も言えなくて。
ずっと謝りたかった。
頭の中では何度も言葉にしたのに、どれも今はしっくりこない。
クロエはそんなカオリを見ても、何も言わなかった。
二人で宿を出て、まず冒険者ギルドへ向かう。
メリディアの冒険者ギルドは人の出入りが多く、受付前にも何人か冒険者が並んでいた。
順番を待ち、カオリは受付へ進む。
「すみません。人を探しているんです」
「どなたでしょう?」
「フトシという人族の冒険者です。背が高くて、料理もしていて……白いウサギと、黒い犬みたいな魔物を連れています」
受付の女性は、ほとんど迷わなかった。
「ああ、フトシさんですね」
それだけで通じた。
カオリの胸が少し早くなる。
「今も、この街にいますか?」
「少なくとも昨日は来ていましたよ」
「……昨日?」
思わず聞き返した。
昨日。
これまでとは違う。
マルタでは、以前会った。
ポルト・ラーラでも、しばらく前までいた。
ガルディアでも、昔ここから北へ向かった。
ずっと過去の足跡を追いかけてきた。
それが今は、一日前まで縮まった。
「はい。黒髪の小柄な女の子と一緒でした。その子の冒険者登録に来ていたので」
カオリはクロエを見る。
クロエもすぐに気づいたらしい。
「昨日聞いた子じゃなくて、街道で聞いた話の子ね」
「うん……」
五日目の休憩所で聞いた、黒髪の小柄な少女。
やはり、あの商人が見た料理人はフトシだった。
「あの、どこに泊まっているかは……」
カオリが尋ねると、受付職員は申し訳なさそうに首を横へ振った。
「宿泊先などは、ご本人の了承なしにはお伝えできません」
「あ……そうですよね。すみません」
「ただ、フトシさんなら市場で屋台を出すことがありますよ」
「屋台?」
「少し前にも陽冠鶏の料理を売って、かなり評判になっていました。市場の方で聞けば、知っている人は多いと思います」
「ありがとうございます」
カオリは頭を下げる。
ギルドを出ると、二人はそのまま市場へ向かった。
最初に声を掛けた果物屋でも、フトシという名前はすぐに通じた。
「ああ、あの大きな料理人だろ?」
「今日、見ましたか?」
「見たも何も、今日も出してるぞ」
カオリの呼吸が止まりかけた。
「……今日?」
「ああ。この先の屋台区画だ。今日はえらく高い肉料理売ってるけど、朝から客が並んでたな」
今日もいる。
今、この市場にいる。
もう同じ街にいるという話ですらない。
歩いて行ける距離にいる。
「行く?」
クロエが尋ねた。
カオリは一度だけ息を吸った。
「……うん」
クロエに背中を押してもらうことも、手を引いてもらうこともしなかった。
自分で歩き始める。
人の多い市場を進む。
屋台区画へ近づくにつれ、肉を焼いたものとは少し違う、甘さを含んだ香ばしい匂いが流れてきた。
やがて、少し先に人だかりが見える。
「あそこじゃない?」
クロエが示した先に、一台の屋台があった。
その横へ大きな看板が出ている。
金蜜てりやきブリスケットサンド
一個 二〇〇〇ゴールド
本日限定 一〇〇食
「二千……」
カオリが小さく呟く。
ポルト・ラーラやガルディアで見てきた屋台料理と比べても、かなり高い。
それでも客は残っていた。
「紅角野牛の肉なんだってよ」
「二千でも一回は食いたかったんだ」
「百個しかないって聞いて急いできたんだぞ」
並んでいる人たちの会話が耳に入る。
カオリには紅角野牛がどんな魔物なのか分からない。
ただ、高い理由があるらしいことは分かった。
二人が屋台へ近づいている間にも、列は短くなっていく。
前にいた男が商品を受け取った。
その次の客へも渡される。
そして、最後に並んでいた女性が金を払った。
「ありがとうございました」
屋台の中から、低く落ち着いた声が聞こえた。
カオリの足が一瞬止まりそうになる。
知っている声だった。
最後の客が離れる。
屋台の中にいた男が、脇へ置いてあった木札を手に取った。
本日分完売
そう書かれた札を、看板の前へ掛ける。
そのまま調理台の上を片付け始めた。
カオリはまだ、顔をしっかり見ることができなかった。
視線が先に、その周囲へ向かう。
屋台のそばに白いウサギがいる。
ガルディアで何度も聞いた相棒。
少し離れた場所には、黒い犬のように見える小さな魔物。
その二匹の近くを、小さな羽の生えた女の子が飛んでいる。
さらに、黒髪の小柄な少女。
五日目に聞いた話と全部重なる。
白いウサギ。
黒い犬。
羽のある小さな女の子。
黒髪の少女。
間違いない。
そして。
カオリはようやく、屋台の中へ視線を戻した。
大柄な人族の男。
日本にいた頃より、身体つきは明らかに引き締まっている。
腕も肩も以前よりずっと逞しい。
それでも、見間違えるはずがなかった。
(……フトシ君)
いた。
本当にいた。
ずっと探していた相手が、数歩先で普通に屋台を片付けている。
生きていると聞いた。
料理をしていたと聞いた。
各地で人と繋がり、強い魔物とも戦っていたことまで聞いた。
それでも、今まで見ていたのは全部、誰かから聞いたフトシだった。
目の前にいる。
本人がいる。
胸の奥が強く縮む。
泣きそうになるのとは違った。
身体が固まった。
足は動いているのに、声が出ない。
会ったら謝る。
そのためにここまで来た。
なのに、用意していた言葉が全部消えていた。
クロエもフトシに気づいている。
けれど、遠くから名前を呼ぶことはしなかった。
カオリと並んだまま、同じ速度で屋台へ近づいていく。
あと数歩。
フトシはまだこちらを見ていない。
調理器具をまとめながら、近づいてくる二人の足音に気づいたらしい。
「すみません、今日はもう売り切れで……」
そう言いながら顔を上げる。
最初に視線がクロエへ向かった。
少しだけ間が空いた。
「……あれ、クロエさん?」
クロエが笑う。
「久しぶり、フトシ君」
フトシの視線が、その隣へ移った。
カオリは何も言えなかった。
ただ、その目を見返す。
すぐに名前が出てこない。
そんな短い間があった。
フトシが少し考えるようにカオリの顔を見る。
そして。
「……清水、さん?」




