第119話 初めての依頼と、金蜜てりやきブリスケット
保養施設で一日ゆっくり過ごした翌朝。
俺たちは、いつもの宿で朝食を取っていた。
キリコの魔力制御訓練も一週間続けて一区切りし、俺の仕込みも急ぐものはない。
今日はどうするかと考えていると、向かいに座っていたキリコが俺を見た。
「フトシ」
「ん?」
「わたしも、冒険者になれる?」
少し意外だった。
「なりたいの?」
「うん。依頼もやってみたい」
キリコは少し考えてから続ける。
「自分でできること、もっと増やしたい」
紅角野牛との戦いを見た頃は、俺の役に立てることを増やしたいと言っていた。
今はそこから少し進んで、自分でやってみたいことも増えてきたらしい。
ウンディーネへ目を向けると、小さく頷いた。
『簡単な依頼なら大丈夫だと思う』
それからキリコを見る。
『でも、強いのを一人でやるのはまだ駄目だよ』
「分かってる」
キリコは素直に頷いた。
一週間の訓練で、出力を抑えることも、動く相手を狙うことも覚えた。
小さな盾を使いながら攻撃し、離れた相手を守る防御まで短時間なら同時に維持できる。
それでも、本物の戦闘経験はまだない。
最初から無理をせず、簡単な依頼から始めればいいだろう。
「じゃあ、今日はギルドへ行こうか」
「うん」
話が決まったところで、アイテムボックスへ意識を向ける。
整理した紅角野牛の区画には、まだ大量の肉が残っていた。
肩、ロース、モモ、スネ、ネック、カルビ。
内臓や骨、脂も用途ごとに分けてあり、一部は牛骨出汁や精製牛脂にしてある。
その中で前から気になっていたのが、肩の下から肋骨前方の胸側へ続く大きな塊だった。
よく動く部分らしく赤身には筋が多く、表面には厚い脂もある。
(ブリスケットにしてみるか)
時間のかかる料理だが、アイテムボックスの時間進行を使えば、必要な時間そのものはきちんと経過させながら待ち時間だけ短くできる。
「みんなは出掛ける準備をして待ってて。俺はギルドへ行く前に少し仕込みしてくるよ」
「料理?」
ベルがすぐに反応した。
「夕食用。長く火を入れる肉だから、先に進めておきたいんだ」
「分かった!」
朝食を終え、俺は一人で宿の厨房へ向かった。
紅角野牛の胸側全部を使えば、とても一度では扱えない。
一回の調理で扱える大きさを切り出し、作業台へ置く。
表面の硬い脂を削ぎ、厚すぎるところを整える。
筋膜も包丁の先で拾って外した。
ただし脂を全部落とすことはしない。
柔らかなところは数ミリほど残す。
肋骨側の端には、仕上がりを見るため一本だけ骨を付けたまま残しておいた。
最後に赤身の筋繊維が走る方向を確認する。
仕上げは、この筋目へ直角に切ればいい。
下味には手持ちの調味料を使う。
天然醸造生醤油。
手作り本みりん。
自家製日本酒。
紅角野牛の牛骨出汁。
そこへ霊峰の金蜜を少量加える。
今回は長時間加熱するので、使う前に一度【鑑定】した。
【霊峰の金蜜】
詳細:霊峰の山頂にのみ咲く幻の花から精霊蜂が集めた、高密度の精霊魔力を含む蜂蜜。生の状態では摂取することで魔力と疲労を急速に回復させる霊薬級食材だが、高温や長時間の加熱によって精霊由来の魔力は徐々に散逸し、強い回復効果はほぼ失われる。一方、蜂蜜そのものが持つ濃厚な甘味、深いコク、花の芳香は加熱後も残るため、非常に品質の高い甘味料として料理へ利用できる。
「なるほど」
生なら霊薬。
火を入れれば、上質な蜂蜜として使えるわけだ。
貰った量は十分にあるので、生食用を残して料理にも使っていこう。
醤油を中心に、本みりん、日本酒、牛骨出汁を合わせる。
金蜜は甘くなりすぎない程度。
照り焼きのたれというより、肉へ醤油の旨味と香りを馴染ませるための下味液だ。
肉の全面へしっかり絡め、容器へ収める。
低温に保った時間進行区画へ入れ、一晩相当まで時間を加速した。
肉側では、実際にその分の時間が過ぎている。
必要時間が終わったところで止め、容器ごと通常の時間停止区画へ移した。
次は燻製の準備だ。
俺は市場へ向かった。
調味料の店では、メリディア周辺の南方果実を発酵させた果実酢が何種類も並んでいた。
香りの強いものは避け、酸味が素直で果実香も穏やかなものを選ぶ。
次は乾燥木材を扱う店へ。
「肉を燻したいんですが、香りが強すぎない木はありますか?」
「それなら、こいつが使いやすいぞ」
店主が出してくれたのは、果樹園で剪定した枝をしっかり乾燥させた果樹材だった。
「癖が少なくて、少し甘い煙になる」
「これをください」
厚手の耐熱紙も一緒に買い、そのまま街の外へ出た。
向かったのは、人家や農地から十分に離れた野営可能な場所だ。
風向きと周囲を確認する。
近くに人影はない。
ここなら煙を出しても迷惑にはならない。
時間停止区画からブリスケットを取り出した。
表面には薄く醤油の色が入り、香りも馴染んでいる。
余分な下味液を丁寧に拭き取った。
触ればしっとりしているが、液が垂れることはない。
そこへ粗く砕いたピリ石を少量。
醤油と金蜜の香りを消さない程度にしておく。
蓋付きの燻製器を組み、下へ果樹材を置く。
脂受けを挟み、その上へ肉を乗せた。
果樹材は燃え上がらせず、ゆっくり煙を出す。
【料理魔導の適性】で弱く空気を循環させ、煙が肉の周囲を通ってから排気側へ抜ける流れを作った。
温度は百十度から百二十度ほど。
【絶対温度領域】で燻製器を置いた区画の温度を安定させる。
状態を確認し、燻製器ごと時間進行区画へ収納した。
まず肉側で二時間。
時間を止めて取り出す。
蓋を開けると、果樹材の穏やかな煙の香りが立った。
表面は少し乾き始め、脂も薄く浮いている。
中心温度を確認して、再び二時間進める。
今度は赤褐色だった表面が一段濃くなった。
果実酢を水と少量の牛骨出汁で割り、乾きの強い部分へ霧状に吹く。
濡らすのではなく、表面を軽く整える程度だ。
もう一度燻す。
途中で止めて、色、香り、脂、中心温度を確認する。
必要ならスプリッツを少し。
また戻して時間を進める。
何度か繰り返すと、表面にはしっかりした黒褐色のバークができていた。
中心は七十度前後。
温度の上がり方も鈍っている。
(そろそろ包もう)
小鍋へ生醤油、本みりん、日本酒、牛骨出汁、霊峰の金蜜を入れる。
果実酢もほんの少し。
火にかけ、日本酒と本みりんのアルコールを飛ばした。
ここでは煮詰めない。
肉を包んで火を通すための薄めの煮汁だ。
耐熱紙へ果実酢のスプリッツを軽く吹き、ブリスケットを置く。
煮汁を少量回しかけ、以前精製しておいた紅角野牛自身の牛脂も少し戻した。
紙でしっかり包む。
ここから先は煙を当てる必要がない。
包んだ肉を時間停止区画へ収納した。
燻製器を片付け、火が完全に消えたことまで確認してから宿へ戻る。
ベルたちはもう準備を済ませていた。
「お待たせ。行こうか」
「うん」
今度は全員で宿を出て、メリディア冒険者ギルドへ向かった。
受付では、俺が登録を頼んだ後はキリコ自身に答えてもらう。
「お名前は?」
「キリコ」
「種族は?」
「魔人」
受付の女性が一瞬だけ顔を上げた。
「魔人で間違いありませんか?」
「うん」
少し確認されたが、それ以上騒ぎにはならなかった。
この国でキリコは何も罪を犯していない。
本人に登録する意思があるなら、普通に手続きは進む。
しばらくしてラウルさんも姿を見せた。
「今日はキリコの登録?」
「はい。本人がやってみたいそうです」
ラウルさんがキリコを見る。
「冒険者になりたいの?」
「うん。依頼してみたい」
「そっか」
ラウルさんは軽く頷いた。
「じゃあ普通にFランクから始めよう」
「Fランク?」
「新しい冒険者の最初のランクだよ。強い力があることと、冒険者として依頼をこなせることは別だからね」
「分かった」
依頼を選ぶ。
依頼主と話す。
危険を判断する。
終われば報告する。
そういう経験も、これから覚えていけばいい。
登録が終わると、キリコ専用の冒険者カードが渡された。
「これ、わたしの?」
「そうだよ」
キリコは自分の名前が入ったカードを、少し長めに眺めていた。
続けて俺と同じパーティとして登録する。
固有のパーティ名は付けない。
当面は俺たちと行動しながら、少しずつ依頼へ慣れていく予定だ。
依頼板へ移り、Fランク向けのものを確認する。
その中からキリコが選んだのは、メリディア郊外の果樹園を荒らす小型魔物の討伐と追い払いだった。
果跳鼠。
大きな鼠に似た小型魔物で、素早い脚を使って果樹園へ入り、熟れた実を食べるらしい。
一体なら新人でも対応できる程度だが、複数になると動きが読みにくい。
三体以上を討伐し、残った個体を果樹園の外へ追い払うのが依頼内容だった。
「これ、やってみる?」
「うん」
受付で受注を済ませ、みんなで果樹園へ向かう。
途中でキリコが俺を見た。
「フトシ」
「どうした?」
「依頼、わたし一人でやってみたい」
「一人で?」
「うん」
俺は少し考え、ウンディーネを見る。
『このくらいなら、近くで見てれば大丈夫だと思う』
強敵を一人で任せるのとは違う。
依頼主との話も、討伐も、報告もキリコ自身にやらせ、俺たちは何かあった時だけ動けばいい。
「分かった。俺たちは近くにいるけど、依頼はキリコがやってみよう」
「うん」
「ただし危ないと思ったら戻ってくること。無理に全部倒そうとしなくていい」
「分かった」
果樹園へ着くと、俺たちは入口近くで待つ。
キリコだけが依頼票を持って依頼主へ向かった。
「キリコです。依頼で来ました」
「おお、よろしく頼むよ」
「どこに出る?」
「北側の果樹だな。昨日は五、六匹くらい見た」
「何を食べる?」
「熟れた実だ。木へ登って枝まで折るから困ってる」
「分かった」
キリコは一人で果樹園の奥へ入っていった。
ベルも俺の近くへ戻ってくる。
メイとシルクも今日は動かない。
ウンディーネも手を出さず、静かにキリコを見ていた。
少しすると、木の陰から茶色い小型魔物が飛び出す。
「キキッ!」
訓練の水球とは違う。
鳴き、走り、木の根を飛び越えて急に方向を変える。
キリコの身体が一瞬固まった。
それでも、すぐには攻撃しなかった。
周囲の木。
逃げる方向。
次に進む先。
それを確認してから、指先へ小さな魔力を集める。
果跳鼠が木から離れた。
魔力弾が飛ぶ。
一体目に命中した。
キリコが倒れた魔物を見る。
その直後、横の草むらが揺れた。
二体目が飛び出す。
今度は反応が早い。
キリコの横へ小さな魔力壁が出た。
果跳鼠がぶつかって勢いを失う。
キリコは少し位置を変えてから狙い直し、魔力弾を放った。
二体目。
さらに後ろで鳴き声がする。
振り向く。
小さな盾を作り直す。
急に飛び込んできた一体を受け止めてから、距離を取って攻撃する。
三体目も倒れた。
そこからは少しずつ落ち着いてきた。
無理に強い攻撃は使わない。
果樹園の外へ逃げる個体は、そのまま追い出す。
木へ戻ろうとする個体だけ、小さな壁で進路を変える。
必要な時だけ魔力弾を使う。
俺たちが手を出すことはなかった。
最終的に四体を討伐し、残っていた二体も果樹園の外へ追い払った。
キリコは依頼主と一緒に果樹を確認している。
「これなら大丈夫そうだ。助かったよ」
「……よかった」
依頼主から完了確認をもらい、討伐証明を持って戻ってきた。
少し疲れているようだが、表情は悪くない。
「お疲れさま」
「うん」
それだけ返すと、キリコは自分の依頼票を大事そうに持ち直した。
ギルドへ戻ると、受付へ行くのもキリコ一人に任せた。
依頼票。
討伐証明。
依頼主の完了確認。
順番に差し出す。
受付職員が内容を確かめ、キリコの冒険者カードを魔導具へ置いた。
淡い光が流れる。
「依頼達成です。これで最初の達成記録が入りました」
「うん」
カードを受け取る。
続いて報酬の硬貨もキリコへ渡された。
キリコは手の中を見た。
「これ、わたしの?」
「キリコが働いてもらったお金だよ」
「フトシに渡さなくていい?」
「うん。キリコのお金だから、自分で使い方を決めていいよ」
「自分で……」
キリコは硬貨を見ながら少し考えていた。
やがて顔を上げる。
「お店、見たい」
「何か買いたいものがある?」
「うん」
何を買うのか聞いてみたが、それ以上は教えてくれなかった。
ギルドを出て、近くの雑貨屋へ入る。
旅人向けの小物や布製品、簡単な食器、木工品などが並ぶ店だった。
キリコは店内へ入ると、いつもよりゆっくり棚を見て回った。
俺たちが近づくと少し気にするので、離れたところで待つことにする。
ベルは気になって仕方ないようだったが、何とか我慢していた。
しばらくすると、キリコは小さな編み紐の飾りが並ぶ棚の前で足を止めた。
旅道具や鞄へ結ぶための簡単な飾りらしい。
小さな木玉やガラス玉が一つ付いたものもある。
キリコは一つずつ手に取って見比べていた。
いくつか選ぶと、今度は別の棚から小さな布飾りを一つ取る。
店員へ値段を聞き、自分の報酬袋を開いた。
硬貨を一枚ずつ数える。
少し時間はかかったが、俺は口を挟まなかった。
会計を終えたキリコの袋には、まだ硬貨が少し残っている。
「終わった?」
「うん」
何を買ったのかは、小さな紙包みの中に隠したままだった。
宿へ戻る。
ブリスケットの続きを始めようとしたところで、キリコに呼び止められた。
「フトシ」
「ん?」
キリコが紙包みを一つ差し出す。
「これ」
「俺に?」
「うん。今日のお金で買った」
包みを開く。
中に入っていたのは、濃い茶色の編み紐に小さな木玉が付いた飾りだった。
鞄や道具袋へ付けられるよう、端が輪になっている。
「ありがとう」
俺はそのまま受け取った。
「大事に使うよ」
キリコが少しだけ笑った。
次はベル。
「ベルにも」
「わたしにも!?」
渡されたのは、小さな花の形をした布飾りだった。
ベルの大きさでも使えるほど小さい。
「かわいい! ありがとう、キリコ!」
ベルが早速、服の腰あたりへ付けている。
「ウンディーネ」
『わたしも?』
キリコが差し出したのは、水色の小さなガラス玉が付いた編み紐だった。
ウンディーネは受け取ると、光へ透かして見る。
『きれい』
「うん」
それからキリコは床へしゃがんだ。
「メイの」
メイの前へ置いたのは、丈夫そうな赤い編み紐に丸い木玉が付いた小さな飾りだった。
メイは鼻先を近づけて匂いを嗅ぎ、それからキリコの手へ鼻を押しつける。
「シルクのもある」
シルクの前には、淡い色の編み紐。
シルクも鼻先で確かめたあと、長い耳を前へ傾けた。
キリコは二匹の反応を見て、少し嬉しそうにしている。
「キリコの分は?」
俺が聞くと、キリコは首を振った。
「今日は、みんなにあげたかった」
「そっか」
自分で働いて初めてもらった金。
それを何に使うのか、自分で考えた。
その最初の使い道が俺たちへの贈り物だったらしい。
残った金まで全部使ってはいない。
それなら、今はその気持ちをそのまま受け取っておこう。
「ありがとう、キリコ」
「うん」
俺は編み紐の飾りを、普段持ち歩いている小さな道具袋へ結んだ。
キリコはそれを見て、また少し笑った。
さて。
今度は俺から、今日の祝いを作ろう。
時間停止区画から、包んでおいたブリスケットを取り出す。
ここからは煙を使わない。
百二十度から百三十度ほどに保った時間進行区画へ入れ、数時間相当進める。
止めて確認する。
中心温度はまだ少し低い。
もう一度進める。
九十度台前半。
細い串を刺した。
まだ少し抵抗がある。
さらに時間を進めて止める。
今度は、すっと入った。
押し込むような感触がほとんどない。
「よし」
火入れはここまでだ。
一度温度を少し落ち着かせる。
その後、包んだまま六十度台前半に保った区画へ移し、三時間半ほど時間を進めた。
ホールドに必要な時間が終わったところで止める。
待っている間にサンドの準備を進めた。
アイアンキャベジを極細に刻む。
果実酢。
南方柑橘の果汁。
赤塩。
霊峰の金蜜をほんの少し。
甘くするのではなく、酸味の角を取るくらいで軽く和えた。
パンは柔らかな丸パン。
横へ割り、内側に紅角野牛の牛脂を薄く塗る。
切った面だけを焼き、軽く香ばしくする。
ホールドを終えたブリスケットの包みを開いた。
煙。
醤油。
肉の脂。
それらが混ざった濃い香りが広がる。
紙の底へ溜まった肉汁と煮汁を小鍋へ移した。
脂が多いところだけ少し取り除く。
生醤油。
本みりん。
霊峰の金蜜。
仕上げ用に少しずつ加え、弱火で煮詰める。
刷毛へ取った時、さらさら落ちず薄くまとわりつく程度で火を止めた。
まずは骨付きで残しておいた端を見る。
肋骨の先を掴み、まな板の上へ立てる。
トン、と骨の端を軽く当てた。
次の瞬間。
骨にまとわりついていた肉が、するすると滑るように落ちた。
そのまま、柔らかな塊がまな板へ収まる。
俺の手には、きれいに肉の外れた骨だけが残った。
「わっ!」
ベルが身を乗り出した。
キリコも目を丸くする。
「骨だけになった」
「ちゃんと柔らかくなってるね」
中央の塊にも包丁を入れる。
最初に確認しておいた筋目へ直角。
少し厚めに切った。
表面は燻煙で黒褐色になり、そこへ醤油の深い色が重なっている。
中はしっとりしている。
脂の多い部分へ刃を当てると、包丁の重みだけで柔らかく沈んだ。
一枚持ち上げる。
崩れはしない。
けれど両端を軽く引けば、繊維がほろっとほどける。
端を一口。
最初に果樹材の穏やかな燻香が来た。
続いて醤油の旨味。
本みりんと金蜜の丸い甘味。
噛めば紅角野牛の濃い赤身と脂が広がり、牛骨出汁の旨味も残る。
最後に果実酢の酸味が少しだけ抜けた。
「……これ、いいな」
切ったブリスケットへ、金蜜入りの照り焼きグレーズを刷毛で薄く塗る。
一往復だけ。
黒褐色の表面へ赤褐色の艶が乗った。
丸パンを開く。
酸味を効かせたアイアンキャベジ。
厚切りのブリスケット。
照り焼きグレーズをほんの少し。
パンを重ねる。
【紅角野牛の金蜜てりやきスモークブリスケットサンド】
正式に言うと長い。
食べる時は、てりやきブリスケットサンドで十分だ。
ベルには持ちやすい小さなもの。
メイとシルクにも同じ完成料理を、それぞれ食べやすい量と大きさにする。
ウンディーネとキリコの分も並べた。
「今日はキリコの初依頼も終わったし、これでお祝いにしよう」
「お祝い?」
「冒険者として最初の仕事、自分でちゃんと終わらせたからね」
キリコは自分のサンドを見る。
さっき自分から俺たちへ贈り物をくれたばかりだ。
今度は俺の番だ。
「いただきます」
キリコが両手で持ち、一口齧る。
柔らかなパンが沈む。
酸味のあるアイアンキャベジ。
甘辛い照り。
その奥から、燻した紅角野牛の香りと肉の旨味が広がる。
キリコの目が少し見開いた。
「……柔らかい」
もう一口。
今度は黒褐色の表面をしっかり噛んだ。
「外の黒いところ、香りがする」
「そこが一番煙を受けてるところだよ」
「焦げてない」
「うん。煙と肉汁でできた表面だからね」
キリコは頷き、そのまま食べ進める。
ベルも小さなサンドを両手で抱えていた。
「甘いけど、お肉の味もちゃんとする!」
メイは前足でパンを押さえながら齧り、シルクも長い耳を少し揺らしながら食べている。
ウンディーネも一口食べ、ゆっくり頷いた。
『煙の匂い、甘い味と合うね』
「金蜜はこれくらいでよさそうだ」
強い精霊魔力は長時間の加熱でほとんど散っている。
それでも蜂蜜としての甘味と香りは十分に残っていた。
キリコは半分ほど食べたところで、自分の冒険者カードを取り出した。
その隣には、雑貨屋で使った後に少しだけ残った報酬袋もある。
「フトシ」
「ん?」
「次も、依頼してみたい」
「無理しない範囲で、また探そう」
「うん」
キリコはカードと報酬袋をしまった。
そしてまた、てりやきブリスケットサンドを両手で持つ。
自分で依頼を受けた。
依頼主と話した。
一人で仕事を終えた。
報酬を受け取り、その使い道も自分で決めた。
朝まで持っていなかった経験が、今日は随分増えた。
キリコは残っていたサンドへもう一度齧りつき、少し嬉しそうにゆっくり噛んでいた。




