第108話 緊急救援と、紅角野牛
メリディアへ来てから、街を歩き、市場を巡り、昨日は屋台まで出した。
南方の果物や香辛料には随分触れられたが、街の外にいる魔物や自然については、まだほとんど知らない。
せっかくここまで来たのだから、この土地ならではの食材についてもう少し知っておきたい。
そう思い、朝食を済ませた俺は、ベル、メイ、シルク、キリコ、ウンディーネと一緒にメリディアの冒険者ギルドへ向かった。
ギルドの中は、朝から多くの冒険者で賑わっている。
受付へ向かい、魔石カードを差し出す。
「フトシと申します。メリディア周辺で、食材として評判のいい魔物や、珍しい食材に関係する依頼はありますか?」
「食材ですか。少々お待ちください」
受付の女性が資料へ目を落とした。
その間にも、ギルドの奥では職員が慌ただしく行き来している。
普段の依頼受付とは違う、少し張り詰めた声も聞こえてきた。
やがて受付の女性が資料から顔を上げる。
「いくつかございますが……今、緊急救援が入っていまして」
「救援?」
「はい。メリディア南東の丘陵地帯です」
話を聞く。
通常はもっと南の草原地帯にいる大型魔物が、珍しく街道に近い丘陵まで北上してきたらしい。
討伐へ向かった冒険者たちが一度交戦したものの、負傷者が出た。
撤退しようとしたところ、対象の魔物が周辺を徘徊し続けたため、一部の冒険者が岩場へ取り残されているという。
別行動を取っていた仲間が、どうにかギルドまで戻って救援を求めたそうだ。
「死亡者は?」
「今のところ確認されていません。ただ、負傷者を連れたまま動くのは難しい状態です」
それなら、急いだ方がいい。
「対象は何という魔物ですか?」
「紅角野牛です。討伐難度はAランク相当になります」
Aランク。
簡単な相手ではない。
「危険な魔物ですが、肉の味でも有名なんですよ。滅多に市場へ出ませんが、高級料理店ではかなりの値段がつきます」
そこは気になる。
でも、今は先に確認することがある。
「まだ現地に冒険者が残っているんですよね?」
「はい」
「俺で力になれるなら、救援へ行きたいです」
受付の女性は、手元の魔石カードを見た。
表情が困ったように変わる。
「お気持ちはありがたいのですが……フトシさんはDランクですよね」
「はい」
「紅角野牛はAランク級です。規定上、参加を認めることはできません」
当然だ。
受付の人が悪いわけではない。
俺が戦えると言ったところで、それは自己申告でしかない。
少し考え、アイテムボックスから王家の短剣を取り出した。
受付の女性が目を見開く。
近くにいた職員も王家の紋章に気づいたらしく、すぐに責任者らしい男性が呼ばれてきた。
俺は短剣を手に持ったまま、事情を説明する。
「これで無理を通すつもりはありません」
責任者が俺を見る。
「ただ、俺の実力が問題でしたら、王城にいるセバスさんへ『フトシ』の名前を出して確認していただけませんか?」
「セバス様へ?」
「はい。毎朝、鍛錬の相手をしていただいていました。セバスさんが危険だと判断するなら、俺も諦めます」
自分でAランク相当だと言うつもりはない。
実際に俺の動きを見続けてきた人へ判断を任せる方がいい。
責任者は短剣を確認したあと、俺の魔石カードの記録にも目を通した。
途中で眉が少し動いたが、何も言わず最後まで確認する。
「……分かりました。王城へ確認を取ります」
使者がすぐに出された。
待っている間にも、ギルドでは救援の準備が進んでいる。
対応できる高ランク冒険者がすぐには確保できていないらしく、職員たちの表情には焦りが残っていた。
それほど長く待たず、使者が戻ってくる。
責任者が報告を受け、俺へ向き直った。
「セバス様から返答がありました」
少し緊張する。
「紅角野牛一体を相手にするのであれば、現在のフトシさんの実力に問題はないとのことです。また、ベル様と獣魔の皆様も同行されるのであれば、戦力上の懸念はないだろう、と」
「ありがとうございます」
ベルが少し誇らしそうに胸を張った。
メイの尻尾も揺れ、俺の頭の上ではシルクの耳が立っている。
責任者が続けようとした、その時だった。
「うん。その人なら行かせていいよ」
奥から、場違いなくらい軽い声がした。
振り向く。
そこにいたのは、一人のエルフの男だった。
長い耳。
日に焼けた肌。
少し癖のある明るい髪。
そして何より目につくのは、鮮やかな花柄の開襟シャツだった。
薄い色のズボンに、目元には黒っぽい色眼鏡まで掛けている。
(……アロハシャツにサングラス?)
どう見ても冒険者ギルドの偉い人には見えない。
南国へ遊びに来た観光客と言われた方が納得できる。
ところが責任者は、すぐに姿勢を正した。
「ギルドマスター」
(この人が?)
男は俺の前まで歩いてきた。
「メリディア支部のギルドマスター、ラウル・セルヴァ。よろしくね、フトシ君」
「フトシです。よろしくお願いします」
ラウルさんは軽く手を上げる。
それから、色眼鏡越しに俺を一度見た。
次にベル。
足元のメイ。
頭の上のシルク。
キリコ。
そして――何もない空間を見ているはずなのに、その視線がウンディーネのいる場所で止まった。
『……見えてる』
ウンディーネが呟いた。
ラウルさんの口元が少し上がる。
「水の大精霊様まで一緒とは、ずいぶん豪華な一行だね」
俺も驚いた。
ウンディーネの姿は、精霊の加護が見えるくらい自然に近い者か、本人が認めた相手にしか見えない。
少なくともラウルさんは、その少数側にいるらしい。
「それに……なるほど」
ラウルさんは今度は俺をじっと見る。
さっきまでの軽い雰囲気は変わっていない。
それなのに、妙に見透かされているような感覚があった。
「身体はかなり鍛えられてる。立ってるだけでも重心が安定してるし、咄嗟に動けるように力を抜いてるね」
色眼鏡を指先で少し持ち上げる。
「魔力も多い。でも外へ無駄に漏れてない。隠してる感じでもないから、自然にそうなってるのかな」
何もしていないのに、そこまで分かるのか。
「それに精霊の気配が一つじゃない」
ラウルさんの視線が俺の身体の周囲をなぞる。
「大精霊様を連れてるだけじゃなくて、君自身もかなり精霊に好かれてるみたいだね」
大地の守護熊からもらった加護。
大聖樹の木の大精霊からもらった翠樹の恩寵。
その辺りまで感じ取っているのかもしれない。
ラウルさんは小さく頷いた。
「セバスさんが保証したなら、それだけで十分だったかな。俺が見ても、君自身の強さはSランクの連中と比べて遜色ないよ」
「……俺がですか?」
思わず聞き返した。
「うん」
即答だった。
「本人が一番分かってなさそうなのが面白いけどね」
ラウルさんが笑う。
「しかも妖精に獣魔、それから大精霊様までいる。紅角野牛一体なら、こっちが心配する相手は君たちじゃなくて牛の方かな」
ベルが腕を組んで何度も頷いている。
俺としては、そこまで言われると少し困る。
「ただし」
ラウルさんの声から、ほんの少しだけ軽さが消えた。
「ランク制度は制度だ。君が強いからって、Dランクのまま何でも好きに受けていいことにはならない」
「はい」
「今回は救援を待ってる人間がいる。高ランク冒険者もすぐには揃わない。セバスさんの保証もあるし、君の過去の記録も確認した」
ラウルさんは責任者へ顔を向ける。
「俺の責任で、今回だけ特例参加を認める。救助を最優先。それでいいね?」
「もちろんです」
「じゃあ頼んだよ」
現地の地図と、最後に紅角野牛が確認された位置を受け取る。
すぐにギルドを出た。
街の外へ出てからは、寄り道をせず南東へ向かう。
シルクが危険の気配を探り、メイは残された人や魔物の匂いを追う。
ベルも時々上空へ上がり、前方を確認してくれた。
しばらく丘陵を進んだところで、ベルが戻ってくる。
「いた! あっちの岩の上に人がいる!」
「分かった」
速度を上げる。
やがて、大きな岩が重なる場所が見えてきた。
上には四人の冒険者がいる。
一人は脚を負傷して座り込み、もう一人も片腕を布で固定していた。
残りの二人が武器を持ち、周囲を警戒している。
「救援です!」
俺が声をかけると、冒険者たちの表情が緩んだ。
「ギルドからか!」
「はい。紅角野牛は?」
「この先だ。さっきまで下をうろついてた」
全員生きている。
まずはそれが確認できてよかった。
負傷者の様子も見る。
今すぐ命に関わる怪我ではなさそうだが、紅角野牛が近くにいる状態で下へ降ろすのは危ない。
その時、シルクの耳がぴんと立った。
メイも身体を低くする。
俺にも聞こえた。
重い足音。
土を踏みつける音が、丘の向こうから近づいてくる。
「キリコ」
「うん」
「ウンディーネと一緒にいて」
キリコは素直に頷いた。
ウンディーネが手を動かすと、キリコと負傷者たちを囲うように薄い水の壁が広がる。
『こっちは任せて』
「お願い」
ベルは俺たちの上空へ移動した。
直接前へ出るというより、周囲と紅角野牛の動きを見るつもりらしい。
俺は如意の金剛棒を取り出し、メイとシルクと一緒に岩場の前へ出た。
丘の向こうから姿を現したのは、俺の背より遥かに大きな牛型の魔物だった。
厚い首。
盛り上がった肩。
全身を覆う赤褐色の毛。
前方へ大きく湾曲した二本の角は、血を固めたような濃い赤色をしている。
【鑑定】する。
【紅角野牛】
詳細:メリディア南方の草原や丘陵地帯に生息する大型の牛型魔物。非常に発達した筋肉と赤褐色の巨大な角を持ち、身体強化を伴う高速の突進は岩を砕くほどの威力を持つ。縄張り意識が強く、興奮すると巨体に似合わない俊敏さで何度も突進を繰り返すため、討伐難度はAランク相当。肉は濃い赤身の旨味と適度な脂を持ち、特に背肉や腰肉は柔らかく食材として高く評価されている。
紅角野牛が前脚で地面を掻いた。
土が後ろへ飛ぶ。
(来る)
頭を下げた直後、巨体が一気に加速した。
真正面から受け止めるつもりはない。
前脚の踏み込み。
首の向き。
身体の重心。
そして【直感】が拾う、攻撃直前の危険。
それらに合わせ、一歩だけ外へずれる。
赤い角へ金剛棒を斜めに合わせた。
ズンッ!
腕へ重い衝撃が来る。
やっぱり重い。
それでも止めようとはせず、棒の角度と身体の向きを変えながら突進の力を横へ逃がした。
紅角野牛の巨体が俺の脇を抜ける。
そのまま数歩進み、地面を抉って止まった。
「メイ!」
メイがすぐに動く。
紅角野牛が方向を変えようとした瞬間、後脚の周囲だけが白く凍りついた。
踏み込もうとした脚がわずかに滑る。
そこへ白い影が走った。
シルクだ。
小さな身体が一瞬で紅角野牛の側面へ回り込み、後脚の付け根へ鋭い蹴りを打ち込む。
ドンッ!
巨体が片側へ傾いた。
「ブオオオッ!」
紅角野牛が怒り、シルクへ首を向ける。
その前へ俺が入る。
金剛棒で角の根元を強く叩いた。
意識がこちらへ戻る。
再び突進。
今度は直前で進路を変えようとしてきた。
けれど、その前に前脚がわずかに外へ向いている。
セバスさんとの鍛錬で何度も見てきた、攻撃前の小さな変化。
半歩下がりながら金剛棒を合わせ、角を外へ流す。
巨体が俺の横を抜けたところへ、メイの氷が前脚の踏み込みを止めた。
体勢が崩れる。
シルクが今度は肩口へ一撃。
紅角野牛の前半身が大きく沈んだ。
(やっぱり二匹とも強い)
しかも、前よりずっと上手い。
メイは必要な場所だけを凍らせている。
シルクも無闇に攻撃せず、体勢を崩す位置を正確に狙っていた。
最近は一緒に食事をしたり街を歩いたりする時間の方が多かったけど、本気で戦えば二匹ともやっぱりとんでもない。
「フトシ、右!」
上からベルの声が飛ぶ。
紅角野牛が沈んだ姿勢のまま、頭だけを大きく振って角をこちらへ向けていた。
俺はすぐに身体を引く。
赤い角が、さっきまで胴体のあった場所を薙いだ。
「ありがとう、ベル!」
「ちゃんと見てるから!」
紅角野牛が強引に立ち上がる。
今度はメイへ向かおうとした。
俺が間へ入る。
振り上げられた角を金剛棒で逸らし、空いた首元へ一撃。
厚い筋肉へ衝撃が入る。
まだ倒れない。
紅角野牛が大きく首を振り、俺から距離を取った。
前脚が地面を踏む。
次の突進に入る。
メイが動いた。
紅角野牛の前方、踏み込む場所だけが凍りつく。
一瞬だけ足が止まった。
その瞬間、シルクが死角から後脚へ飛び込み、鋭い蹴りを叩き込む。
巨体がぐらりと傾いた。
今だ。
俺は踏み込んだ。
紅角野牛が体勢を戻すより早く、如意の金剛棒を両手で振り下ろす。
狙うのは頭部。
胴体は余計に傷つけない。
鈍い衝撃が響いた。
紅角野牛の脚から力が抜け、その巨体が地面へ倒れ込む。
少し距離を取り、様子を見る。
動かない。
「……終わった」
メイが俺の方へ駆けてきた。
シルクもすぐに戻ってくる。
「二匹とも、ありがとう」
軽く頭を撫でる。
上空からベルも降りてきた。
「わたしもちゃんと見てたでしょ?」
「うん。助かったよ」
ベルが満足そうに笑う。
でも、まだ依頼は終わっていない。
すぐに岩場へ戻った。
「大丈夫ですか?」
負傷者たちを改めて確認する。
紅角野牛が倒れたと分かり、張り詰めていた表情がようやく緩んでいた。
ウンディーネも水の結界を解く。
脚を痛めた冒険者は一人では歩きにくそうなので、帰りは俺が背負えばいい。
もう一人の腕も固定し直した。
「助かった。本当にありがとう」
パーティーのリーダーらしい男性が深く頭を下げる。
「間に合ってよかったです」
まず救援は成功だ。
それから、ようやく倒れた紅角野牛へ目を向ける。
赤褐色の巨体は近くで見るとさらに大きい。
さっきの鑑定内容を思い出す。
濃い赤身。
適度な脂。
特に背肉と腰肉の評価が高い。
「……本当に美味しいんだ」
思わず口から出た。
ベルが倒れた紅角野牛を見る。
「これ、食べられるの?」
「かなり美味しいみたい」
今ここで料理を考えるのは後だ。
救援された冒険者に確認すると、今回の規定では討伐証明に必要な部位と魔石をギルドへ提出すれば、残りの個体は討伐者のものになるらしい。
「俺たちは完全に撤退してたんだ。倒したのはあんたたちだよ」
「分かりました」
現地では血抜きなど必要な処理だけ済ませる。
巨体の向きを調整し、首元から血を抜く。
討伐証明に必要な部位も確保した。
処理を終えた紅角野牛を、そのままアイテムボックスへ収納する。
それから街へ戻ることにした。
帰路では、脚を負傷した冒険者を俺が背負う。
その少し横をキリコが歩いていた。
しばらく無言だったが、やがて口を開く。
「フトシも、メイも、シルクも戦ってた」
「うん」
「ベルも、上から見てた」
「そうだね」
キリコは少し前を見た。
「わたしは見てただけだった」
責めるような言い方ではない。
ただ、自分が見たものと自分の立場を確かめているようだった。
「今はそれでいいよ。キリコはまだ戦い方を知らないんだから」
「……うん」
少し歩く。
キリコは足元を見ながら考えていた。
やがて顔を上げる。
「でも、わたしもできること増やしたい」
俺はキリコを見る。
「フトシの役に立てること、増やしたい」
戦いたいだけではないらしい。
旅の仲間として、自分にもできることを増やしたい。
「そうだね。焦らなくていいけど、やりたいなら少しずつ覚えていけばいいよ」
その時、横を歩いていたウンディーネがキリコを見た。
少しの間、そのまま見つめている。
キリコの身体には、木の大精霊から奪われた大量の魔力が、今はキリコ自身の力として残っている。
魔人として生まれたこともあって、魔力そのものを扱う感覚はかなり鋭い。
ただ、実際の戦い方は知らない。
力の出し方。
距離。
防御。
周囲を巻き込まない使い方。
そういうものは、これから覚える必要がある。
『じゃあ、わたしが教える』
「ウンディーネが?」
キリコが少し驚く。
『うん』
俺もそちらを見る。
ウンディーネが自分から誰かへ教えると言い出すとは思わなかった。
『キリコ、力はいっぱいあるから。ちゃんと使えるようにすればいいよ』
「どうやって?」
ウンディーネは指先に小さな水球を作った。
拳ほどだった水球がゆっくり縮まり、指先ほどの大きさになる。
それでも形は崩れない。
『小さくしたり、固めたり、飛ばしたり。守るのも』
キリコが水球をじっと見る。
『強くするだけじゃなくて、必要な分だけ使うの』
さらに水球が細長く形を変え、少し離れた石の前でぴたりと止まった。
『当てたいところだけに当てる。周りに誰かいたら、巻き込まない』
確かに、その辺りを教えるならウンディーネはかなり向いている。
普段はのんびりしているが、あれだけ大きな力を何でもないように扱えるのは、細かな制御ができるからだ。
「教えてくれる?」
キリコが聞く。
『いいよ』
「ありがとう」
キリコの表情が少し明るくなった。
どんな魔法が向いているのかは、まだ分からない。
木の大精霊由来の魔力を持っているからといって、今すぐ何か一つへ決める必要もないだろう。
ウンディーネと一緒に色々試していけばいい。
俺たちはそのままメリディアへ向かって歩く。
救援できた冒険者も全員無事だ。
キリコには、これから覚えたいことができた。
それにしても、あのラウルさん。
見ただけでウンディーネに気づき、俺の身体や魔力までほとんど言い当てていた。
あの軽い見た目でギルドマスターを任されているのも、きっと理由があるのだろう。
そして俺のアイテムボックスには、さっきまで丘陵を走り回っていた巨大な紅角野牛が入っている。
戦いが終わって気持ちが落ち着いてくると、その存在が別の意味でも少しずつ気になり始めていた。




