第103話 大精霊の見送りと、南から届いた陽の果実
翌朝。
保養宿の玄関前では、南へ向かうための準備が進められていた。
王家の大型馬車の周囲では近衛兵たちが車輪や馬具を確認し、別の馬車へ旅に必要な物資が積み込まれている。
セバスさんも一つずつ確認して回っていた。
俺の荷物はほとんどアイテムボックスの中なので、やることは少ない。
昨日までに屋台も終え、ルネさんへの挨拶も済ませた。
大聖樹の異変についても国への報告と依頼の処理まで終わっている。
今日はもう、このまま南へ向かうだけだ。
宿の前へ出ると、朝の風が頬を撫でた。
数日前まで感じていた冷たさは、さらに薄くなっている。
以前のような常春の暖かさへ完全に戻ったわけではないが、上着を着込んで歩く人もずいぶん減っていた。
街の向こうに見える大聖樹へ目を向ける。
黄変した葉はまだ残っている。
それでも枝葉全体には少しずつ張りが戻っているように見えた。
(ちゃんと戻ってきてるんだな)
あの地下で続いていた魔力の流出は止まった。
木の大精霊も無事だった。
街の空気まで戻り始めているのを肌で感じると、今回の一件が本当に終わったのだと思えた。
「フトシ様、こちらの準備は整っております」
「ありがとうございます」
セバスさんに声をかけられ、俺は馬車へ向かう。
ベルは俺の肩に座り、シルクはいつものように頭の上だ。
メイはキリコの近くを歩き、ウンディーネもその横をふわりと漂っている。
馬車へ足を掛けようとした、その時だった。
ざわっ。
風は吹いていない。
それなのに宿の玄関脇に植えられていた低木の葉が、一斉に揺れた。
続いて街路樹。
石畳の隙間から伸びた小さな草花まで、同じ方向へゆっくりと傾いていく。
「……なんだ?」
近くにいた近衛兵が周囲を見回す。
宿から出てきた従業員や通行人たちも足を止めていた。
葉の間に、淡い緑色の光が灯り始める。
その光を見たウンディーネが、少しだけ目を細めた。
『……あ、来た』
周囲の人たちは何も反応しない。
ウンディーネの姿も声も、普通の人には届いていないからだ。
俺には、その一言だけで十分だった。
「来たって……」
光が集まっていく。
宿の玄関前にある植え込みや街路樹、足元の草花からこぼれた淡い緑の光が、一か所へゆっくりと集まり始めた。
やがて光が人の輪郭を作る。
長い淡い若葉色の髪。
柔らかな目元をした、穏やかな雰囲気の女性。
昨日、大聖樹の根元で会った木の大精霊だった。
「おはよう」
まるで近所へ顔を出しただけのような声だった。
ただ、周囲はそうはいかなかった。
「精霊様……?」
「いったい、どなたなんだ?」
「植物が……」
人が集まり始める。
木の大精霊本人を見たことがないため、誰もまだ正体までは分かっていないらしい。
ただ、周囲の草木が彼女へ向かって揺れている様子を見れば、普通の人や魔族ではないことだけは分かる。
俺は木の大精霊へ近づいた。
「ここまで来て大丈夫なんですか?」
まだ完全には回復していないはずだ。
俺が尋ねると、木の大精霊は小さく笑った。
「大丈夫よ。大聖樹を置いてここまで歩いてきたわけじゃないもの」
そう言って、近くの街路樹へそっと手を添える。
「大聖樹の根も、この街の草木も、ずっと繋がってるの。その繋がりを借りて、ここへ姿を出しているだけよ」
「なるほど」
それなら大聖樹から無理に離れてきたわけではないらしい。
木の大精霊は俺へ微笑むと、次に少し離れたところに立っていたイザベラさんへ顔を向けた。
「あなたがイザベラね」
「……え?」
イザベラさんが固まった。
普段なら何が起きてもすぐに反応する人なのに、珍しく目を見開いたまま動かない。
隣にいたザディスさんも、明らかに驚いている。
セバスさんがわずかに視線を向けると、イザベラさんはようやく我に返った。
「し、失礼いたしました」
すぐに姿勢を正し、深く頭を下げる。
「大聖樹の大精霊様。直接お目にかかれましたこと、光栄に存じます」
その言葉が聞こえた瞬間、周囲が静まり返った。
「……大聖樹?」
「大精霊様って……」
「まさか、あの大聖樹の精霊様なのか?」
小さかったざわめきが一気に広がる。
オリエンスには昔から、大聖樹に木の精霊が棲んでいるという話が伝わっている。
だが、その姿を実際に見た者はほとんどいない。
しかも、その精霊が大精霊にまで成長していたことを知っている者はさらに少ない。
そんな相手が今、普通の街中に立っている。
驚くのも当然だ。
木の大精霊は周囲の騒ぎを気にする様子もなく、イザベラさんへ微笑んだ。
「一度、あなたにもお礼を言っておきたかったの」
「私に、でございますか?」
「ええ」
木の大精霊はゆっくりと街を見渡した。
「今回、すぐに動いてくれたでしょう?」
大聖樹だけではない。
周囲に広がる森も、街を流れる水も、ここで暮らす人々も、全て彼女にとっては長い時間を共にしてきたものなのだろう。
「この場所を大切にしてくれて、ありがとう」
その言葉を受け、イザベラさんは少しだけ目を伏せた。
「私は、この国を預かる者として当然のことをしたまでです」
いつもの気安い口調より、少し静かな声だった。
「大聖樹も、この地の自然も、そこで暮らす民も、アストラーレにとって大切なものです。これからも変わりません」
「そう」
木の大精霊は満足そうに微笑んだ。
「なら、安心ね」
短いやり取りだった。
それでもイザベラさんにとっては、かなり大きな意味があるのだろう。
頭を上げたあとも、いつもより少し緊張した表情をしている。
木の大精霊は今度こそ俺の方を向いた。
「今日、行くのでしょう?」
「はい。これから南へ向かいます」
「そう」
少しだけ寂しそうに笑う。
だが、引き留める言葉はなかった。
俺がこの国を旅しながら色々な場所を見て回りたいことは、昨日話している。
「また遊びに来てね」
「はい。オリエンスに来た時には、また寄らせてもらいます」
「楽しみにしてるわ」
大精霊と聞くと、もっと遠い存在のように思えてしまう。
でも、こうして話していると昨日と何も変わらない。
穏やかで、少しおっとりした木の精霊だ。
木の大精霊は、そのままキリコへ目を向けた。
「キリコちゃんも、また顔を見せてね」
キリコは一度俺を見てから、小さく頷く。
「うん。また来る」
「ふふ、待ってるわ」
木の大精霊の手が、キリコの黒い髪を軽く撫でた。
キリコも嫌がる様子はなく、そのままじっとしている。
大聖樹から奪われた魔力を使って生まれたキリコと、その魔力の元になった木の大精霊。
本当の親子ではない。
それでも二人の間には、俺には分からない何か近いものがあるらしい。
木の大精霊は手を離すと、ウンディーネのいる方へ視線を向けた。
「じゃあね」
『うん。またね』
それだけだった。
長い付き合いだからこそ、わざわざ言葉を重ねる必要もないのかもしれない。
周囲の人々はウンディーネの姿も声も認識していない。
俺たちの間だけで交わされた、ごく普通の別れだった。
最後に木の大精霊はベルたちにも視線を向ける。
「みんなも元気でね」
「うん! また来るよ!」
ベルが元気よく手を振った。
シルクの耳がぴんと立ち、メイも尻尾を一度振る。
木の大精霊は嬉しそうに目を細めた。
そして、もう一度俺を見る。
「旅を楽しんできてね、フトシ」
「ありがとうございます」
俺が頭を下げると、木の大精霊の身体が淡い緑色の光へ変わり始めた。
長い髪が光へほどけ、衣服も輪郭もゆっくりと消えていく。
その光は風に流されることなく、周囲の草木や石畳の隙間へ静かに吸い込まれていった。
最後の光が消える。
数秒ほど、誰も声を出さなかった。
そして。
「い、今のが大聖樹の大精霊様!?」
「本当におられたのか……!」
「魔王陛下に直接お言葉を……」
「いや、それよりあの男は何者なんだ? 見送りに来られてなかったか?」
一気に騒がしくなった。
俺へ向く視線も明らかに増えている。
昨日、イザベラさんたちと話したばかりなのに、さっそく普通に街を歩きづらくなりそうな気配がしてきた。
(……これはまずいな)
俺がどうしたものかと周囲を見ると、セバスさんと目が合った。
「フトシ様」
「はい」
「そろそろ出発いたしましょう」
「そうですね」
これ以上ここに残れば、人が増えるだけだ。
すでに通りの向こうからも何事かと人が集まり始めている。
俺たちはそのまま馬車へ乗り込んだ。
近衛兵たちもすぐに隊列を整え、ゆっくりと馬車が動き出す。
窓の外には、まだ宿の前へ集まっている人々が見えた。
今日の出来事は、たぶんすぐに街中へ広がるだろう。
大聖樹の精霊が本当に存在したこと。
しかも大精霊だったこと。
その本人がイザベラさんへ感謝を伝え、俺たちを見送りに現れたこと。
目撃した人が多すぎる。
今さら隠せるような話でもなさそうだ。
馬車はオリエンスの街路を抜け、そのまま南側の門へ向かった。
門を通り過ぎたところで、俺は窓から後ろを見る。
街の向こうには、巨大な大聖樹が変わらずそびえていた。
枝葉の全てが元通りというわけではない。
それでも、冷え込みが始まった頃よりは少し元気を取り戻しているように見える。
やがて馬車が進み、大聖樹は少しずつ遠ざかっていった。
南へ続く街道は、しばらくオリエンス周辺と変わらない緑豊かな景色が続いた。
畑や林を横目に、王家の馬車が一定の速さで進んでいく。
昼が近づくにつれ、陽射しは少しずつ強くなってきた。
窓から入る風にも、朝とは違う暖かさが混じっている。
生えている植物も、すぐに大きく変わるわけではないが、南へ進むほど葉の大きな草や色の濃い花が少しずつ増えてきた。
そんな街道を進んでいると、前方から何台もの荷車がやってくるのが見えた。
「商隊ですね」
向かいの席から外を見ていたセバスさんが言う。
荷車には木箱が大量に積まれていた。
開いた箱からは、赤や黄色の色鮮やかな果物が覗いている。
メリディア方面からオリエンスへ向かっているらしい。
俺は思わず荷台へ目を向けた。
トゲのある大きな果物。
鮮やかな赤い皮の果物。
黄色い実が房のように連なったもの。
緑や黄色の小ぶりな柑橘らしきものまで見える。
(……気になるな)
だが、すれ違うだけの商人の商品を片っ端から鑑定するのも落ち着かない。
メリディアへ着けば市場でゆっくり見られるだろう。
そのまま通り過ぎるのかと思ったが、商隊の最後尾にいた一台だけ様子が違った。
街道脇に止まり、荷台が大きく片側へ傾いている。
いくつかの木箱も脇へ下ろされていた。
「止めよ」
イザベラさんの声が前方へ伝わり、俺たちの馬車がゆっくり停止する。
危険がある様子ではない。
商人も護衛も無事だ。
ただ、数人が荷車の足元へ集まって困った顔をしている。
俺も馬車を降りた。
王家の紋章が入った大型馬車と近衛兵の装備を見て、商人たちが一瞬姿勢を正す。
こちらが王家に関わる一行だということには気づいたようだが、荷車のことで手一杯なのか、誰が乗っているのかまで確認する余裕はなさそうだった。
「どうしました?」
声をかけると、荷車のそばにいた中年の商人が振り返った。
「す、すみません。車輪を支える軸の一部が割れまして……修理自体はできるんですが、荷が重すぎて持ち上がらないんです」
見ると、大きな車輪が少し外側へ傾いている。
修理用の部品や工具は持っているらしい。
問題は果物を満載した荷車そのものの重さだった。
荷を全て下ろせばいいのだろうが、それだけでもかなり時間が掛かる。
「持ち上げればいいんですか?」
「え?」
「どのくらいまで上げればいいです?」
商人が戸惑いながら、車輪の下を指した。
「こ、このくらい隙間があれば作業できますが……」
「分かりました」
俺は荷台の側面へ手を掛けた。
昨日の鍛錬を思い出す。
必要なのは持ち上げる力ではない。
必要な高さで、余計な力を掛けずに止めることだ。
ゆっくり力を加える。
ぎしっ、と荷車がわずかに鳴った。
すぐに力を緩め、壊れた部分へ余計な負担が掛からないよう角度を調整する。
そのまま指定された高さまで静かに持ち上げた。
「これくらいですか?」
「……は?」
商人が俺と荷車を交互に見る。
「これくらいで足ります?」
「あ、ああ! 十分です! そのままお願いします!」
修理役の男たちが慌てて車輪の下へ入った。
俺は荷車を動かさないよう、その高さで支える。
重量自体は大したことがない。
ただ、少しでも傾ければ荷台の木箱がずれる。
腕の力を細かく調整しながら同じ位置を保った。
少し離れたところにいたセバスさんと目が合う。
セバスさんは何も言わず、小さく頷いた。
しばらくして、新しい部品が取り付けられた。
「終わりました!」
「じゃあ下ろしますね」
急に重さを戻さず、ゆっくりと荷車を地面へ下ろす。
修理した車輪へ問題なく重さが掛かることを確認してから手を離した。
商人たちが車輪を回し、何度か荷車を前後へ動かす。
「大丈夫だ。直ってる」
「助かりました。本当にありがとうございます」
「いえ。直ってよかったです」
商人が何度も頭を下げる。
「では、行けそうか?」
少し離れたところから声がした。
「はい。もう問題なさそうです」
俺が答えると、馬車から降りていたイザベラさんがこちらへ歩いてきた。
商人も声の方へ顔を向ける。
そして、その動きがぴたりと止まった。
「…………え?」
一度目を瞬き、もう一度イザベラさんの顔を見る。
次の瞬間、商人の顔色が変わった。
「ま、魔王陛下!?」
周りの商人や護衛たちも一斉に振り返った。
「あっ……!」
「陛下!?」
慌てて姿勢を正し、何人かはその場で深く頭を下げる。
最初から王家の馬車だということには気づいていたようだが、まさかイザベラさん本人が乗っているとは思っていなかったらしい。
「し、失礼いたしました! まさか陛下の御一行とは知らず……!」
「気にするな」
イザベラさんは特に気分を害した様子もなく、直った荷車へ目を向けた。
「無事に動くのであれば、それでよい」
「は、はい!」
「もっとも、持ち上げたのはフトシだがな」
イザベラさんの視線が俺へ向く。
「本当に持ち上げただけですよ」
「その荷車を満載のまま持ち上げる者が、そう何人もいてたまるか」
「……それはまあ」
商人が俺を見た。
さっき荷車を持ち上げた時にも驚かれていたが、今度は別の意味まで加わったようで、少し困った顔になっている。
「あ、あの……せめて何かお礼をさせてください」
「いや、大したことはしてませんから」
「ですが、陛下の御一行に助けていただいて、何もせずというわけには……」
商人はしばらく考えると、荷台へ上がった。
奥から一つの木箱を抱え、こちらへ持ってくる。
「でしたら、こちらを受け取っていただけませんか?」
箱の中には、赤や黄金色に熟した果物がいくつも入っていた。
「これは?」
「今日あたりが一番の食べ頃なんです。ただ、少し熟みすぎていましてね。オリエンスへ着く頃には、売り物として出すには難しくなってしまいます」
果物へ鼻を近づけると、かなり濃い甘い香りがした。
「味は大丈夫なんですか?」
「むしろ今日食べるなら、このくらいが一番美味しいですよ。私どもも道中で食べるつもりで分けておいたものですから」
傷んでいるわけではない。
長距離輸送の商品には向かなくなっただけで、今食べるならちょうどいいらしい。
それなら遠慮する必要もなさそうだ。
「じゃあ、いただきます。ありがとうございます」
「こちらこそ、本当に助かりました」
商人もようやく少し表情を緩めた。
「私どもはメリディアから来たんですが、南はこういった果実が豊富です。香辛料も色々ございますから、ぜひ楽しんでいってください」
「はい。楽しみにしてます」
箱を受け取り、アイテムボックスへ収納する。
その中で特に気になったのは、赤から黄金色へ熟した楕円形の果実だった。
近くにあるだけで濃い甘い香りがする。
手に取ると、皮の下に柔らかな果肉が詰まっているのが分かった。
見た目はかなりマンゴーに近い。
未知の果物なので【鑑定】する。
【陽蜜果】
詳細:温暖な地域で育つ果実。熟すと果皮が赤や黄金色に変わり、内部には濃い橙色の柔らかな果肉を蓄える。強い芳香と濃厚な甘味を持ち、後味にはわずかな酸味がある。メリディア周辺で盛んに栽培されている。
(やっぱりマンゴーっぽいな)
名前の通り、かなり甘そうだ。
商隊と別れたあと、少し進んだところに木陰のある休憩場所があったため、そこで一度馬車を止めることになった。
俺はさっそく陽蜜果を一つ取り出す。
表面を水で綺麗に洗い、まな板の上へ置いた。
ナイフを入れる。
柔らかな果肉へ刃がすっと入っていき、皮を開くと濃い橙色が現れた。
切ったところから果汁が滲み、さっきまでよりさらに強い甘い香りが立つ。
種を避けて果肉を切り分ける。
「すごい匂い!」
ベルがすぐ近くまで飛んできた。
「甘そうだね」
「ああ。まず食べてみよう」
小さく切った一片を口へ入れる。
柔らかい。
熟した果肉が舌の上でほとんど抵抗なく崩れ、濃い甘味が一気に広がった。
香りも強い。
鼻へ抜ける芳醇な香りは、やはりマンゴーによく似ている。
ただ甘いだけではなく、最後にほんの少し酸味が残るので、濃厚なのに重たく感じない。
「美味い」
そのままで十分だ。
これなら変に手を加えなくても、果物として完成している。
少し冷やして食べるのも良さそうだ。
もう一切れ切り、キリコへ渡す。
「食べてみる?」
「うん」
キリコは橙色の果肉をしばらく見てから口へ入れた。
噛んだ瞬間、黒い瞳が少しだけ大きくなる。
「……甘い」
「結構濃いよな」
キリコはもう一度口の中の味を確かめるようにゆっくり飲み込んだ。
「果物って、こういう味もあるんだ」
これまで俺たちと食べてきたものとも、また違う味だったのだろう。
「南には、こういう果物がたくさんあるらしいよ」
「いっぱい?」
「商隊にも色々積んであったし、たぶん市場へ行けばもっとある」
キリコは少し考えたあと、手元の陽蜜果へ目を落とした。
「見てみたい」
「そうだな。メリディアに着いたら、一緒に見て回ろうか」
キリコが顔を上げる。
「うん」
小さく頷いた表情が、少しだけ嬉しそうに見えた。
ベルにも小さく切り分ける。
メイとシルクには、それぞれ食べやすい大きさにした果肉を渡した。
メイは一度匂いを嗅いでからぱくりと食べ、尻尾を揺らす。
シルクも果肉を口にすると、長い耳がぴんと立った。
ウンディーネにも渡すと、一口食べて静かに目を細める。
『甘いね』
「よく熟れてるみたいだ」
もらった箱には陽蜜果以外の果物も入っている。
だが、それらはメリディアへ着いてからゆっくり調べればいい。
商隊の荷台で見えたトゲのある大きな果物や、鮮やかな赤い果実、黄色い房状のものも気になる。
果物だけではなく、メリディアは香辛料も豊富だとセバスさんから聞いている。
陽蜜果一つでこれだけ違う味があるなら、市場を見るのがますます楽しみになってきた。
休憩を終え、俺たちは再び馬車へ戻った。
街道をさらに南へ進む。
窓から入る風は少しずつ暖かくなり、道沿いにはオリエンスではあまり見なかった色の花が増えていた。
木々の葉も大きくなり、遠くの丘には背の高い植物が混じり始めている。
馬車の中には、さっき切った陽蜜果の甘い香りがまだわずかに残っていた。
俺は窓の外を流れていく景色を見る。
緑の濃さも、花の色も、吹いてくる風も少しずつ変わっている。
その向こうには、まだ名前も知らない食材や味がいくつも待っているのだろう。
俺たちを乗せた馬車は、暖かな陽射しの中をゆっくりと南へ進んでいった。




