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探求者の異世界美食行脚 ~異世界召喚でハズレ扱いされたゴリラ系男子、気ままなグルメ旅に出る~  作者: おまめちゃん
大聖樹の異変

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第102話 新しい力の調整と、緑都最後の豚汁屋台

翌朝、俺はいつものように保養宿の中庭でセバスさんと向かい合っていた。


手にしているのは、金剛棒と同じ長さと重心に合わせて作ってもらった訓練用の木棒だ。


ただ、今日はいつもの鍛錬とは少し目的が違う。


「まずは、加護を受ける前と同じ感覚で動いてみてください」


「分かりました」


木棒を構え、地面を蹴る。


その瞬間、俺は思わず目を見開いた。


「っ……」


いつものつもりで踏み込んだはずなのに、身体が想定よりも前へ出た。


慌てて足を止め、姿勢を整える。


「やっぱり違いますね」


「そのようでございます」


セバスさんは木製のレイピアを構えたまま、俺の動きを静かに見ていた。


もう一度踏み込む。


今度はさっきより力を抑えたが、それでも以前より速い。


続けて木棒を振ると、ヒュッと鋭い風切り音が鳴った。


自分ではいつもと同じくらいの力しか入れていないつもりだった。


それなのに、振り抜く速度も威力も明らかに上がっている。


「では、参ります」


セバスさんが一歩踏み込んだ。


木製レイピアの突きを木棒の面で受け流し、そのまま懐へ入る。


いつもなら相手へ届く直前で止まれる距離だった。


だが今回は、一歩が大きすぎた。


「近い……」


セバスさんの胸元へ入り込みすぎ、俺はすぐに後ろへ下がった。


「反応そのものも速くなっていますね」


「はい。身体が動き始めるまでの間が、以前より短くなっているように見えます」


昨日、大精霊の加護を受けた直後にも身体が軽くなった感覚はあった。


だが、こうして普段と同じ動きをしてみると、変化の大きさがよく分かる。


元々、俺の身体は【探求者】によって自動的に強化され続けていた。


そこへ【大精霊の加護(翠樹の恩寵)】による恒久的な強化まで加わった。


筋力だけではない。


足の速さも、反応も、身体の安定感も変わっている。


セバスさんは少し考えたあと、レイピアを下ろした。


「今のフトシ様に必要なのは、さらに強い力を出すことではございません」


「やっぱり、抑える方ですか」


「はい。まずは新しい身体の基準を作り直しましょう」


そこから鍛錬の内容が変わった。


「三割ほどの力で」


俺は木棒を振る。


「少々強いですね。もう一度」


今度はさらに抑える。


「その程度です」


次は半分。


その次はもっと弱く。


同じ振り方でも、指定された強さに近づけるよう何度も繰り返した。


足運びも同じだった。


一歩だけ進む。


半歩で止まる。


セバスさんの身体へ届く寸前で止める。


受け流してから懐へ入る時も、必要以上に距離を詰めない。


以前なら何も考えずにできていた動きまで、一つずつ感覚を作り直していく。


「力が増したからこそ、細かな制御は以前以上に重要になります」


「はい」


弱い相手を殺さずに捕らえる時もそうだ。


模擬戦で相手へ木棒を当てる時も、今までと同じ感覚では危ない。


それは戦闘だけの話ではない。


料理だって同じだ。


柔らかな食材を必要以上の力で掴めば潰れるし、包丁を使う時も力任せに押し切ればいいわけではない。


必要な分だけ力を使う。


料理ではずっとやってきたことだ。


「料理と考えると、分かりやすいですね」


「フトシ様の場合は、その捉え方が一番馴染みそうでございます」


何度も繰り返すうちに、少しずつ身体が合ってくる。


まだ以前と同じほど自然ではないが、最初の一歩で飛び出しすぎることはなくなった。


俺の動きを確認していたセバスさんが、木製レイピアを下ろす。


「かなり馴染んできましたね」


「まだ少し変な感じはしますけど、最初よりはだいぶ」


「それで十分でございます。数日で完全に馴染ませる必要はありません」


セバスさんはそこで少し間を置いた。


「今のフトシ様であれば、以前戦ったザルバフを相手にしても、あの時ほど苦戦することはないでしょう」


「ザルバフですか」


ノース・グランでベルが攫われた時に戦った男だ。


身体能力だけなら、俺もかなり高かったはずだ。


それでも対人戦の経験では完全に向こうが上だった。


フェイントや間合いの取り方に翻弄され、最後には強烈な蹴りをまともに受けて気を失った。


あの一件があったからこそ、俺はセバスさんへ対人戦を教えてほしいと頼んだ。


「その後、フトシ様は受け流し、足運び、間合い、後の先といった対人戦の基礎を身につけてこられました。そこへ今回の身体強化が加わっております」


「そこまで変わっているんですか」


「少なくとも、当時のザルバフと同程度の相手であれば、以前のように一方的に駆け引きで崩されることはないかと。かなり余裕を持って対処できるでしょう」


絶対に勝てる、と言っているわけではない。


それでも、実際に俺とザルバフの両方を見ているセバスさんがそう判断するなら、かなり成長しているのだろう。


「ただし、力が増した時ほど、それだけに頼る癖をつけてはなりません」


「はい。それは気をつけます」


一度痛い目を見ているだけに、その言葉は素直に入ってくる。


身体が強くなったからといって、相手の動きを見なくていいわけではない。


俺は木棒を握り直した。


そこで、前から少し考えていたことを思い出す。


「セバスさん、もう一つ試してみたいことがあるんですが」


「何でしょうか?」


「俺の【冒険する者】っていうスキルの中に、【直感】という能力があるんです」


セバスさんがわずかに目を細めた。


当然だが、能力名まで話したことはない。


だが、ここまで何度も鍛錬をしてもらっている相手だ。


セバスさんになら隠す必要はないと思った。


「【直感】……でございますか」


「はい。危険とか悪意とか、何かがおかしいっていう違和感を、考えるより先に感じることがあります。進む方向を迷った時に、こっちの方がいい気がする、みたいに働くこともあります」


この世界へ来た直後から、何度か助けられている。


敵意を感じた時。


何かがおかしいと気づいた時。


ただ、自分から狙って使ったことはほとんどない。


「今までは、必要な時に勝手に働いて、あとから『今のが直感だったのか』って分かることの方が多かったんです」


「なるほど」


「せっかくある能力なので、戦っている時にも、もっと自然に拾えるようにできないかと思いまして」


セバスさんはしばらく黙って考えた。


知らない能力なのだから、すぐに答えが返ってこないのは当然だ。


やがて、ゆっくり口を開く。


「その【直感】という能力そのものの使い方を、私がお教えすることはできません」


「はい」


「ですが、フトシ様が普段頼っている情報を減らし、その感覚を拾わざるを得ない状況を作ることはできそうです」


そう言って、セバスさんは以前の訓練でも使った布を取り出した。


「目隠しですか」


「はい。ただし今日は、音や気配を正確に読むことだけが目的ではございません」


俺は布を受け取り、目を覆った。


視界が完全に暗くなる。


「始めましょう」


最初に聞こえたのは右側からの足音だった。


俺は木棒を構える。


その直後、左から風を切る音がした。


反射的に左へ棒を向けるが、何も当たらない。


次の瞬間、右肩へ木製レイピアが軽く触れた。


「……やられた」


「今のフトシ様は、音から答えを出そうとしておられました」


その通りだった。


足音。


風切り音。


衣服が擦れる音。


聞こえたものを頭の中で組み立てて、どこから来るのか予測しようとしていた。


「もう一度参ります。今度は考えて答えを出す前に、最初に感じたものを拾ってみてください」


「分かりました」


再び構える。


正面から足音。


右側で何かが動く音。


頭はすぐに情報を整理しようとする。


だが、その前に。


(……後ろは嫌だ)


理由は分からない。


俺は一歩だけ横へずれた。


直後、背後から木製レイピアが通り抜ける。


「今のです」


セバスさんの声が聞こえた。


「……これか」


「おそらくは」


そこから何度も繰り返した。


攻撃するように見せて止める。


わざと足音を立ててから別方向へ回る。


踏み込んだ途中で攻撃方向を変える。


気配を薄くしたまま近づいてくる。


最初のうちは、どうしても考えようとしてしまった。


だが何度も受けるうちに、言葉になる前の小さな感覚を少しずつ拾えるようになってくる。


右から来る気がする。


ここに立ったままなのは良くない。


今は前へ出ない方がいい。


逆に、今なら一歩入れる。


全部が当たるわけではない。


迷った時には普通に攻撃を受けたし、分かっても身体の動きが間に合わない時もある。


それでも、直感が警告した瞬間に強化された身体が反応し、そこから今まで覚えてきた技術で攻撃を流せた時は、今までとは違う手応えがあった。


最後に右側から来た突きを木棒の面で流し、そのまま半歩だけ踏み込む。


木棒の先が、セバスさんの胸元の手前で止まった。


「そこまで」


布を外す。


朝から始めたはずなのに、太陽はかなり高くなっていた。


「……今日は長かったですね」


「ええ。しかし、良い訓練になりました」


セバスさんから渡された布で汗を拭う。


身体の出力調整も、【直感】も、まだ完全に馴染んだわけではない。


それでも、今後繰り返していくための基準は作れた気がする。


「ところで、フトシ様」


「はい?」


「明日にでもオリエンスを発ち、南へ向かう予定となっておりますが、問題はございませんか?」


「もちろんです。いつでも大丈夫ですよ」


大聖樹の一件で予定より長く滞在することになったが、街でやるべきことはもう済んでいる。


「次の街は、どんなところなんですか?」


「南の陽都『メリディア』でございます」


聞いたことのない名前だ。


セバスさんによると、メリディアはアストラーレ南部にある大きな都市らしい。


海には面していないが、一年を通してかなり暖かく、緩やかな丘陵に広い果樹園がいくつも続いている。


街には色鮮やかな花や背の高い植物も多く、建物も明るい色合いのものが目立つという。


「イル・ソーレとはまた違うんですね」


「はい。イル・ソーレが海と港を中心とした街なら、メリディアは果実と香辛料で知られる街でございます」


甘い果物に、香辛料。


その二つだけでかなり気になる。


「料理にも香辛料を多く使いますし、果実を使った飲み物や菓子も豊富でございますよ」


「それは楽しみですね」


まだ知らない食文化が待っている。


それだけ確認できれば十分だった。


長い鍛錬を終えて汗を流し、朝食を食べながら、明日にはこの街を出るのだと改めて考える。


オリエンスでも色々なものを食べた。


大聖樹の一件で慌ただしくなったが、最後にもう一度くらい普通に屋台を出しておきたい。


そう考えた俺は、昼前にみんなを連れて農産物直売所へ向かった。


直売所には以前の冷え込みが嘘のように活気が戻っていた。


並んでいる野菜も瑞々しく、店員や農家の声も明るい。


空いている区画を確認していると、以前ここで豚汁を買ってくれたらしい男性が俺に気づいた。


「あっ、あの味噌の汁の兄ちゃんじゃないか」


「こんにちは」


「またあれ売らねえのか? 家でも作ってみたかったんだが、あの味噌ってやつが全然手に入らなくてよ」


近くにいた別の客も話に加わる。


「俺ももう一回食いたかったんだ。あれ、豚汁って言うんだったか?」


どうやら思っていた以上に覚えてもらえていたらしい。


味噌は国で生産や流通の準備を進めているはずだが、まだ普通の市場へ十分出回る段階ではない。


同じ味を家で作ろうとしても難しいのだろう。


(……じゃあ、最後はこれでいいか)


「今日、また出しますよ」


そう答えると、二人の顔が一気に明るくなった。


豚汁だけでもいいが、せっかくならもう一つ用意したい。


濃い味噌の汁と一緒に食べるなら、余計なことをしない塩おにぎりが一番合う。


メニューが決まった。


大量におにぎりを握ることになるので、その前に道具屋へ寄る。


そこで見つけたのが、薄い半透明の手袋だった。


手に取って【鑑定】する。


【調理用スライム手袋】


詳細:薄く加工したスライム樹脂で作られた調理用の手袋。手に密着して水や油を通しにくく、指先の細かな動きを妨げにくい。洗浄することで繰り返し使用でき、料理や食品加工に広く用いられている。


「これ、いいな」


現代の調理用手袋にかなり近い。


何組かまとめて購入し、直売所へ戻った。


商人ギルドの銀色の会員証を見せて空いている区画を借り、特注の屋台をアイテムボックスからそのまま展開する。


まずは豚汁だ。


黒剛鉄の万能煮込み鍋を魔導コンロへ置き、オークのバラ肉を食べやすい大きさに切る。


大根長芋、大玉葱、翠緑の葉球、黄金色の芋、それに直売所で揃えたキノコと根菜も同じように下処理した。


鍋へオークのバラ肉を入れて炒めると、すぐに透明な脂が溶け出す。


そこへ大玉葱と硬い根菜から加え、肉の脂を表面へ回していく。


軽く炒めたところで、手持ちの干しジャイアント・マッシュから取っておいた濃いキノコ出汁を注いだ。


煮立たせすぎないよう火を調整し、浮いてきたアクだけを丁寧に取り除く。


大根長芋や黄金色の芋へ火が入り、角が柔らかくなってきたところで翠緑の葉球と火の通りやすいキノコを加えた。


仕上げは手作りの味噌だ。


少量の煮汁を別の器へ取り、そこへ味噌を溶かしてから鍋へ戻す。


味噌を入れた後は煮立てず、香りが飛ばない程度の火加減で保つ。


前に作ったものと同じ料理なので、手順そのものに迷うところはない。


次は塩おにぎりだ。


研いだインディカ米をたっぷり炊き、しっかり蒸らす。


蓋を開けると、炊きたての米の香りと湯気が一気に立ち上った。


しゃもじで底から返すように混ぜ、余分な蒸気を逃がす。


買ったばかりの調理用スライム手袋をよく洗ってから両手にはめ、表面へ少量の岩塩を馴染ませた。


炊きたての米を手に取る。


そこで、朝の鍛錬を思い出した。


(今までと同じつもりで握ると、潰すかもしれないな)


力は必要最低限。


米粒を押し潰すのではなく、崩れない程度に形をまとめる。


手の中で軽く返しながら、三角形へ整えていく。


最初の一個を皿へ置き、表面を見る。


米粒は潰れていない。


それでも持ち上げても崩れない程度には、きちんとまとまっている。


「うん、このくらいでいい」


何個か作って新しい力加減を確認したところで、【調理の超加速】を使う。


手の中へ米を取る。


塩を馴染ませる。


形を整える。


置く。


同じ大きさのおにぎりが、次々と並んでいった。


朝は木棒を振る力を調整していたのに、その日のうちにおにぎりを握る力加減へ役立つとは思わなかった。


料理も戦いも、結局は自分の身体を正確に動かすことに変わりはないらしい。


料理が揃ったところで、今度は『樹器創成』を使う。


豚汁用の椀を思い浮かべる。


熱い汁を入れても持ちやすいよう、少し厚め。


飲み口は唇へ当たっても邪魔にならないよう滑らかにして、深さは具材をたっぷり入れられる程度。


木目は明るめにした。


さらに保温の性質を持たせる。


淡い緑色の光が集まり、同じ形の木椀が必要な数だけ次々と現れた。


塩おにぎりには、二個を並べられる小さな木製トレーを作る。


こちらは温度を保つ必要はない。


木匙も用意し、屋台の使いやすい位置へまとめて置いた。


(やっぱり、屋台と相性いいな……)


今までは大量の器を準備して収納しておく必要があった。


これなら必要な分をその場で作ればいい。


片付けまで考えると、かなり楽になる。


値段を書いた札も置く。


具だくさんオークの味噌汁、五百ゴールド。


塩おにぎり、二百ゴールド。


二つを一緒に頼むなら六百ゴールド。


準備が整ったところで、ベルが屋台の前へ飛び出した。


「豚汁できたよー!」


前に食べたことがあるだけに、ベルもすっかり名前を覚えている。


その声に反応して、待っていた人たちが集まり始めた。


最初の客は迷わずセットを頼んだ。


木椀へ、大根長芋や黄金色の芋、オーク肉が偏らないようにたっぷりよそう。


隣へ塩おにぎりを二つ置く。


「六百ゴールドです」


「おお、これこれ」


客はまず豚汁を口へ運んだ。


味噌の香りと一緒に、オーク肉から出た脂の甘み、煮込まれた大玉葱や根菜の甘さ、干しジャイアント・マッシュの出汁の旨味が広がる。


そのあと塩おにぎりへかぶりつく。


炊きたての米の甘みに、ごく薄い岩塩の塩気。


豚汁の濃い旨味で満たされた口の中が一度落ち着き、自然とまた汁へ手が伸びる。


「……この白い飯、あの汁とすげえ合うな」


それを聞いていた後ろの客が、


「じゃあ俺もセットで」


と注文した。


そこからは早かった。


以前食べた客。


噂を聞いて来た客。


豚汁は知っているが、塩おにぎりは初めて食べる客。


直売所の一角に、あっという間に列が伸びていった。


途中、木椀を受け取った客が不思議そうに表面を撫でる。


「兄ちゃん、この器も売り物か? 随分いい木だな」


「特殊な能力で作った器なんです。今日は料理用に使ってるだけですよ」


「へえ、便利な能力もあるもんだな」


それ以上は特に聞かれなかった。


俺としても、大精霊の加護や古い勇者の伝承まで屋台で説明するつもりはない。


料理を食べてもらえればそれで十分だ。


客足が少し落ち着いたところで、俺たちも同じものを食べることにした。


俺とキリコには普通の大きさ。


ベルには身体に合わせた小さな器と小さなおにぎり。


メイとシルクにも同じ完成した豚汁をよそい、おにぎりも食べやすい大きさにしてやる。


熱すぎないよう温度だけ少し落ち着かせた。


「ワフゥ!」


メイが豚汁へ鼻を近づけ、すぐに食べ始める。


シルクも隣で器へ顔を寄せた。


キリコは豚汁を一口飲んでから、塩おにぎりを食べる。


「こっち食べてから汁飲むと、また違う」


「そうなんだよ。交互に食べるといい」


「うん」


キリコは納得したように、もう一度おにぎりを口へ運んだ。


ウンディーネもいつもの調子で食べ進め、ベルは小さなおにぎりを両手で持っている。


派手な料理ではない。


でも、味噌の香りが立つ具だくさんの汁と、米と塩だけのおにぎりは、妙に飽きない。


俺も一口ずつ交互に食べながら、やっぱりこの組み合わせは強いと思った。


休憩を終える頃には、また列が伸び始めていた。


そこからはひたすら販売する。


料理をよそう。


おにぎりを乗せる。


代金を受け取る。


食べ終わった器が返ってくれば、まとめて『樹器創成』を解除する。


木椀やトレーは淡い緑色の光になり、そのまま消えていった。


洗い物の山ができない。


空いた器を置く場所もいらない。


足りなくなれば、その場でまた作れる。


(……やっぱりすごく便利だ)


大精霊がただ一人へ与える特別な加護。


その意味が大きいことはもう分かっている。


それでも今の俺にとっては、大量の料理を気持ちよく出せることの方が実感しやすかった。


昼を少し過ぎた頃。


最後の一杯の豚汁と、最後の塩おにぎりが売れた。


「ありがとうございました」


客を見送り、空になった鍋を見る。


豚汁も塩おにぎりも完売だ。


ベルも飛び回るのをやめ、屋台の上へ降りてくる。


「いっぱい売れたね!」


「ああ。これで片付けよう」


返ってきた最後の器を消し、鍋や調理道具を洗って収納する。


『樹器創成』のおかげで、以前より片付けはかなり早かった。


最後に特注の屋台そのものをアイテムボックスへ収める。


明日にはオリエンスを出る。


そう考えると、もう一か所だけ寄っておきたい場所があった。


「緑葉亭に行ってみるか」


ルネさんには、街を離れる前に挨拶をしておきたい。


みんなと一緒に店へ向かうと、『緑葉亭』の扉は閉まっていた。


窓から中を覗くと、客の姿はない。


昼営業を終え、夜営業まで休憩している時間らしい。


邪魔なら出直そうかと思ったところで、店内にいたルネさんがこちらへ気づいた。


「フトシさん?」


扉が開く。


「こんにちは。休憩中にすみません」


「全然いいよ。入って入って」


招かれて店の中へ入る。


以前来た時とは少し雰囲気が変わっていた。


壁に掛けられたメニューが増えている。


あの時一緒に作ったオーク肉と野菜の炒め物だけではない。


野菜を使った小皿料理や、肉と組み合わせた料理もいくつか加わっていた。


「店、順調そうですね」


「うん。おかげさまで」


ルネさんは嬉しそうに笑った。


「野菜炒めを気に入ってくれる人が多くてね。そこから少しずつ、別の料理も試してるの」


以前は、父親から受け継いだ料理から抜け出せずに悩んでいた。


今の店を見るだけでも、あの頃とは違うのが分かる。


「そうだ。ちょうど最近出し始めたものがあるの。よかったら食べてみてくれる?」


「ぜひ」


ルネさんはすぐに厨房へ入った。


俺たちは空いている席へ座る。


しばらくすると、厨房からパンを焼く香りと、肉の脂が熱された香ばしい匂いが漂ってきた。


そこへ魚醤と香辛料の香りが混ざる。


気になって厨房の方を見ると、ルネさんが小さく切った肉と野菜を手早く炒めていた。


やがて皿へ乗せられてきたのは、厚めのパンに具材を挟んだサンドだった。


メイとシルクの分も、食べやすい大きさにした同じものが用意されている。


「最近、昼にゆっくり店へ入れない人が結構いるって気づいたの」


ルネさんが俺の前へ皿を置く。


「だから、持って歩けるようにしてみたんだ」


パンの表面には軽く焼き色がついている。


隙間から見えるのは、細かく切ったオーク肉と色鮮やかな野菜だ。


その下には、薄い黄色の層が見えた。


「これ、芋ですか?」


「うん。黄金色の芋を潰したもの」


まずは食べて確かめることにした。


「いただきます」


サンドを持ち上げ、少し大きめにかじる。


最初に感じたのは、軽く焼かれたパンの香ばしさだった。


表面はわずかに乾いて歯切れがよく、それでも中には柔らかさが残っている。


その内側に塗られたマッシュポテトは滑らかで、岩塩と少量のオークのラードだけの控えめな味だった。


そこへ一センチ弱ほどに揃えられたオーク肉と野菜が続く。


肩肉らしい赤身の旨味に適度な脂。


大玉葱は火が入って甘くなり、色鮮やかな実野菜には軽い歯ざわりが残っている。


細かく刻まれたキノコからも旨味が出ていた。


味付けは甘辛い。


果実を煮詰めた調味液の穏やかな甘さのあとから、鍋肌で少し焦がした魚醤の香ばしい旨味が広がる。


さらにピリ石の刺激と、クグの実の少し異国風な香りが遅れて鼻へ抜けた。


「……美味しい」


俺はもう一口食べる。


そこで、下に塗られているマッシュポテトの意味が分かった。


炒め物には肉汁もあるし、野菜から出る水分もわずかに残っている。


それを薄いマッシュポテトが受け止めている。


だからパンへ汁が染み込みすぎず、表面の香ばしさが残る。


同時に、魚醤の塩気や香辛料の刺激も、芋の穏やかな甘さで少し丸くなっていた。


ただ具として芋を足したわけではない。


持ち歩いて食べることまで考えて入れている。


「この芋の使い方、すごく合ってますね」


「本当?」


「はい。炒め物の汁を受け止めてくれるから、パンがべちゃっとしないです。それに味もちゃんと繋がってます」


ルネさんの顔が明るくなる。


「よかった。そこ、結構悩んだの」


その言葉を聞いて、俺も嬉しくなった。


前に来た時のルネさんは、父親の料理をどう変えればいいのか分からずに悩んでいた。


今は違う。


客がどう食べるのかを考え、自分の料理を別の形へ作り変えている。


使っているのも、オークのラードや魚醤、果実、香辛料といった、この土地で自分が扱えるものばかりだ。


俺が教えた料理ではない。


これはもう、完全にルネさん自身の料理だった。


隣ではキリコもサンドの断面を見ながら食べている。


ベルは両手で小さく切った分を抱え、メイとシルクもそれぞれ自分の分を食べ進めていた。


「そういえば、今日はどうしたの?」


ルネさんに聞かれ、俺はサンドを皿へ置いた。


「挨拶しておこうと思って。明日、オリエンスを出ることになりました」


「明日?」


一瞬だけ驚いた顔をしたあと、ルネさんはすぐに納得したように頷いた。


「そっか。旅してるんだもんね」


「はい。次は南のメリディアへ行く予定です」


「南かぁ。果物が美味しいって聞くよ」


「俺も今日聞きました。香辛料も色々あるみたいなので、楽しみです」


「フトシさんなら、また変な……じゃなくて、珍しい料理作りそう」


少しだけ言い直したルネさんに、俺も笑った。


長くこの街へ滞在したとはいえ、最初からずっといるつもりだったわけではない。


ルネさんもそれは分かっている。


それでも、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。


「次に来た時には、もっと新しい料理を増やしておくね」


「楽しみにしてます」


それ以上、別れの言葉を重ねる必要はなかった。


俺は残っていたサンドをもう一度口へ運ぶ。


焼いたパンの香ばしさ。


滑らかな芋の穏やかな甘み。


小さく切られたオーク肉と野菜の旨味に、魚醤と香辛料が重なる。


以前ここで食べた野菜炒めとは、はっきり違う味だった。


あの料理から始まって、ルネさん自身が考え、次へ進んで作った新しい料理。


俺も新しい力を得て、その扱い方を少しずつ覚え始めた。


ルネさんもまた、自分の料理を自分の手で広げている。


オリエンスで過ごした日々を思い返しながら、俺は最後の一口までゆっくりと味わった。

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