第三話 熱
第三話 「熱」
家に帰っても、頭から離れなかった。
「下回転」
制服のままベッドに倒れ込み、ひよりは天井を見上げる。
ちゃんと当たっていた。
タイミングも合っていた。
なのに、ボールはネットを越えなかった。
「意味わかんないんだけど……」
ひよりはスマホを手に取る。
検索欄に打ち込む。
『卓球 下回転』
動画が大量に出てきた。
「うわ、めっちゃある……」
なんとなく一本開く。
次の瞬間。
「はっや……!」
思わず声が漏れた。
小学校のころ、
体育の授業でやった卓球とは全然違った。
小さい台。
なのに選手は信じられない速度で動き回る。
打球音。
床を蹴る音。
汗。
叫び声。
ラリーの応酬。
画面越しなのに熱気が伝わってくる。
『チョレイッ!!』
「びっくりした……」
スマホを少し離す。
でも、指が止まらない。
別の動画。
また別の動画。
回転で沈むボール。
曲がる軌道。
ネットすれすれを通る打球。
「なにこれ……」
気づけば、一時間近く経っていた。
ダンス動画を見ていた時とは違う。
キラキラしてるわけじゃない。
かわいいわけでもない。
なのに、目が離せなかった。
特に、
後ろに下がりながら、何球も拾い続ける選手。
低く構えて。
粘って。
相手を崩していく。
ひよりの脳裏に、環凪しおんの姿が重なる。
あの人も、あんな感じだった。
「……いやいや」
ひよりは顔を覆った。
「なんで私、卓球なんか気にしてんの……」
卓球部なんて陰キャの集まりだった。
地味で。
変で。
絶対、自分とは違う世界。
なのに。
頭の中で、あの“カッ”という音が鳴り続けていた。
◇
翌日。
「昨日さー、ダンス部の先輩とMINE交換した!」
「え、いいな!」
教室はいつも通り騒がしい。
でも、ひよりはぼんやり窓の外を見ていた。
頭に浮かぶのは、ダンス部じゃない。
長い脚。
低い姿勢。
沈むボール。
ラケットを持った瞬間、空気が変わった背中。
「七羽さん」
「え?」
振り向く。
声をかけてきたのは、クラスの女子だった。
黒縁メガネ。
前髪は長くて目にかかっている。
いつも本を読んでる印象しかない。
たしか――。
「……誰だっけ」
「ひど」
女子は少しだけ頬を膨らませた。
「綴木しおり」
「あー、ごめん」
「別にいいけど」
しおりは小さく肩をすくめる。
それから、少し声を落とした。
「昨日、卓球部来てたよね?」
「っ」
ひよりの肩が跳ねた。
「え、なんで」
「見たから」
「いや、別に見学とかじゃないし」
「ふぅん?」
なんかムカつく言い方だった。
しおりは机に頬杖をつく。
「環凪先輩、すごかったでしょ」
「……まあ」
認めたくないけど。
正直、かっこよかった。
「去年、全国出てるから」
「え?」
ひよりは目を見開く。
「全国?」
「うん。個人で」
昨日の光景が脳裏に蘇る。
静かなフォーム。
異常な回転。
あの空気。
――全国。
その言葉だけで、全部に説得力が生まれた。
「……へぇ」
ひよりはなんとか平静を装う。
でも内心、かなり驚いていた。
しおりが言う。
「今日も部活あるよ」
「だから?」
「見に行く?」
「行かないし」
即答だった。
しおりは少し笑う。
「まあ、七羽さん陽キャだもんね」
「……なにそれ」
「卓球部、陰キャしかいないし」
「それはそう」
二人同時に言って、少しだけ間が空く。
◇
放課後。
ひよりは一人で廊下を歩いていた。
別に卓球部へ行くつもりはない。
本当に。
ただ、帰り道なだけだ。
なのに。
第二体育館へ近づいた瞬間。
――カッ。
また、その音がした。
ひよりの足が止まる。
昨日より近く感じる。
耳じゃない。
胸に響くみたいだった。
半開きの扉。
中を覗く。
しおんがいた。
(多球練習をするしおん)
部員が次々ボールを打つ
しおんが返す。
カッ。
カカッ。
低い。
速い。
そして綺麗だった。
ひよりは目で追う。
ラケット。
足。
打点。
「……あ」
気づく。
しおんは、毎回ラケットの角度を変えていた。
打つたびに。
だから回転が変わるのか。
だから、あんな軌道になるのか。
「……変えてるんだ」
無意識に呟いていた。
そして、知らずのうちにしおんの振りをまねていた。
手が勝手に動く。
「なにが?」
「ひゃっ!?」
すぐ横から声が落ちてきた。
振り向く。
しおんだった。
いつの間に。
タオルを肩にかけたまま、眠そうな顔で立っている。
「また来た」
「……別に」
「ふぅん」
しおんは興味なさそうに視線を逸らす。
少し沈黙。
それから。
「……下回転、リベンジする?」
ひよりは言葉に詰まった。
返せるわけない。
でも、やってみたい。
その感情だけは、昨日よりずっと大きくなっていた。




