第二話 回転
前回に続き、第二話です。
第二話 「回転」
カッ。
乾いた音が、夕暮れの廊下に響く。
ひよりは足を止めた。
第二体育館。
半開きの扉の向こうから、昨日と同じ音が聞こえる。
カッ。
カカッ。
規則的なのに、どこか鋭い。
耳に残る音だった。
帰ろう、と思った。
ダンス部に落ちた自分が、こんな場所で立ち止まっているのも惨めだ。
でも。
――カッ!
今度の音は、昨日より強かった。
胸の奥にまで響くみたいな音。
気づけば、ひよりは扉の前まで来ていた。
そっと中を覗く。
卓球部は、相変わらずだった。
床に座ってラバーをいじってる男子。
「いやこの粘着マジで神だから」
「昨日も同じこと言ってた」
隅でストレッチしながらアニメの話をしてる女子。
卓球台の下に寝転がっている先輩までいる。
「……なにここ」
思わず呟く。
やっぱり陰キャの集まりだった。
地味だし、変だし、なんか空気がゆるい。
ダンス部とは真逆。
なのに。
「しおん先輩、一本お願いしまーす!」
その瞬間だった。
体育館の奥。
壁にもたれていた女子が、ゆっくり顔を上げる。
黒髪を低い位置で結んで、だぼついたジャージを着ている。
猫背。
眠そうな目。
スマホをいじる姿は、やる気があるようにはまったく見えない。
環凪しおん。
昨日、壁際にいた先輩だ。
「んー……」
気だるそうに返事をしながら立ち上がる。
その時だった。
ラケットを持った瞬間。
す、と背筋が伸びた。
「……え」
ひよりは思わず目を見開く。
別人みたいだった。
長い手足。
真っ直ぐ伸びた姿勢。
モデルのようなスラッとした立ち姿。
ダンス部にもこんな美人はいなかった。
ラケットを持つ指先だけで、なんだか空気が変わる。
さっきまでのだらしなさが、一瞬で消えていた。
しおんは無言のまま卓球台へ向かう。
対するのは男子部員。
「今日こそ一発ぶち抜きますから」
「毎日言ってる」
周囲が笑う。
でも、ひよりは笑えなかった。
なぜか目が離せない。
サーブ。
白いボールが跳ねる。
その瞬間。
しおんのラケットが、下から静かに滑った。
シュッ。
軽い音。
なのに返ったボールは、妙だった。
ネットすれすれ。
相手コートで、急に沈む。
「うわっ!?」
男子のラケットが遅れる。
ボールはネットへ突き刺さった。
「はい一点」
「いや今のエグ!」
周囲が笑う。
しおんは無表情だった。
次のラリー。
カッ。
カカッ。
音が速くなる。
しおんは後ろへ下がる。
長い脚が床を滑る。
動きは大きくないのに、全部届く。
男子部員が左右へ振る。
前後へ揺さぶる。
なのに、返ってくる。
低く。
重く。
嫌な軌道で。
「っ、らぁ!」
男子が強打する。
返した。
男子の打球がもう一度しおんのもとへ、鋭い球だった。
でも。
しおんは半歩だけ下がる。
ラケットを合わせる。
――ギュルッ。
変な音がした。
次の瞬間。
ボールが急に沈む。
「は!?」
男子のラケットが空を切った。
周囲が爆笑する。
「また引っかかった!」
「しおん先輩の回転おかしいって!」
回転。
ひよりは眉を寄せる。
卓球は回転のスポーツ
聞いたことくらいはある。
でも、意味が分からない。
なんでボールがあんな動きをする?
卓球って、ただ打ち合うだけじゃないのか。
「……見学?」
「え」
顔を上げる。
いつの間にか、しおんが目の前に立っていた。
近くで見ると、背が高い。
ひよりより頭一つ分近く高いかもしれない。
細いのに、妙に存在感がある。
「いや、別に」
「ふぅん」
興味なさそうな返事。
その時、白いボールがころころと転がってきた。
ひよりの足元で止まる。
「ん」
しおんが顎をしゃくる。
「投げて」
「あ、はい」
ひよりはボールを拾った。
軽い。
こんなの、本当にスポーツで使う球なのかと思うくらい軽い。
しおんはラケットを持ったまま、ひよりを見る。
「打ってみる?」
「……は?」
「暇そうだし」
ちょっとムッとした。
ダンス部に落ちて落ち込んでいたところに、それ。
「できますけど?」
「そう」
しおんはあっさり台の向こうへ回る。
ラケットを一本、放ってよこした。
ひよりはそれを受け取る。
軽い。
「普通に返してみ」
「普通って」
「そのまま」
しおんがボールを軽く打つ。
ふわりと飛んできた。
遅い。
こんなの、簡単だ。
ひよりはラケットを振る。
カツッ。
当たった。
――次の瞬間。
「え?」
ボールが真下に落ちた。
ネットにも届かない。
何回か跳ねたあと、ころころと床を転がっていく。
「……は?」
「もう一回」
しおんがまた打つ。
ひよりは今度こそ、と強めに振った。
カツッ。
また落ちる。
ネットを越えない。
「なんで!?」
思わず叫ぶ。
ちゃんと当たってる。
タイミングも合ってる。
なのに、一球も返らない。
ひよりの知っている“球技”じゃなかった。
しおん先輩が、少しだけ口元を上げる。
「下回転」
「……下?」
「回転、かかってるから」
意味が分からない。
ボールに回転がかかると、なんで落ちる?
なんで返せない?
卓球って、こんなスポーツだったのか。
悔しい。
その感情だけが、胸の奥で熱を持っていた。
読んでいただきありがとうございます。
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